世界の創り方
私は、趣味で小説を書いている。私にとって小説は、ただの文章の塊ではなく、一つの世界そのものだった。執筆を通して紙面上に創られる世界で、私は孤高の王だった。
この世界は、私の気分でその景色を変えた。美しい花畑のときもあれば、寒々しい雨の降る街中であることもあった。
この世界では、私が創ったキャラクター達が、まるで本物の人ように生きていた。どうしても自分と似たような人物しか創れなかったため、ここで生きるのは中高生ぐらい女の子ばかりだった。彼女たちを楽しませるのも、悲しませるのも、全て私。彼女たちを創ったのは私だから。
聞こえは少々虚しいものだが、私は幸せだった。この世界に満足していた。私は今、小説を書くことで幸福な『孤高の世界』を生きている。
これは、私が『孤高の世界』に出会い、生きる道を見出すまでの物語だ。
※※※
私が『孤高の世界』に出会ったのは、中学一年生のとき。当時の私は無口で趣味が読書な人間で、友達がいなかった。教室の隅で静かに座っているような、いわゆる面白みのない人間だった。
そんな私は、中学入学とほぼ同時にいじめを受け始めた。きっかけも、理由もわからないが、いじめっ子たちにとって私は気に食わなかったのだろう。
「本ばっか読んでないで、もっと人と話したら?まぁ無理か。あんたみたいな意気地なしの無能には。」
「あなたに一番似合う言葉は『無価値』かな。」
「近寄らないで。ゴミの匂いが移るから。」
「勉強も運動もぱっとしない。まさに低能だね。」
このような罵詈雑言を毎日のように浴びせられた。クラス全員が敵に回り、私を孤独に放り投げた。親や先生に心配されたりもしたが、そのことがいじめっ子達にバレて大好きだった本がビリビリに破り捨てられてからは、何を聞かれても「大丈夫」としか答えられなくなった。
いじめは日を重ねるごとに凄惨さが増していった。最初は無視などが主だったものが、段々とものを隠されるようになったり、壊されるようになったりしていった。
彼らは狡猾だった。わざと外傷を作らないようにするなど、私が自分から言い出さなければいじめが行われていることを親や先生が知ることができないように徹底していた。
使っていた鞄は壊された。靴は真冬に川に捨てられた。教科書は盗られたっきり返ってこない。学校を休めば、「プリントを届けに来た」という体で家までやってきて、私の親にバレないよう私のものを壊したり盗っていったり。もう逃げ道がなかった。
私は、人が怖くなった。生きるのが怖くなった。もう何もしたくない。終わらせたい。そんな思考が私を支配するようになった。
そんなとき、一冊の本に出会った。その内容は、戦争に翻弄される軍人と医者が、互いに辛い現実を乗り越え、寄り添い合って生きていくという話だ。なんの変哲もない、よくあるパターンの王道な物語。目新しいものでも何でもなかったが、私は感動を覚えた。
それは、そこに『世界』があったから。これを書いた作者自身の、作者だけの『世界』を垣間見たからだ。
『世界』に自分の願いを、理想を託す。自分の生きたいような、生きたいと思えるような『世界』を自分で創りだす。小説ではそれが可能なのだということを、この一冊で知ったのだった。
私は縋りつくように執筆を始めた。ノートに書くといじめっ子達に盗られるので、自分の部屋の机に書いた。平日は学校から帰ってくるやいなや自室にこもり、夕食と入浴以外の時間は全て執筆に費やした。休日は一日中書き続けた。両親はそんな私をひどく心配したが、意に介している余裕はなかった。やっと見つけた逃げ道が、今までのよう誰かに盗られてしまうような気がしていたからだ。
やがて机上が埋まると、文字の羅列は床へ、壁へとどんどん紡ぎ出されていった。その内容は、いじめられていた少女がいじめっ子たちから逃れるため転校し、そこで新しい人間関係を築き上げていくというものだった。最終的に彼女には友達ができ、充実した日々を生きていく物語だ。主人公の切り取られ人生には、私の理想をこれでもかと詰め込んだ。
一編が完成したとき、私の部屋に存在する面は全て文字で埋められていた。私は、『世界』を創ったのだ。
私が初めて小説を書き上げてからおよそ一週間が経った頃、親が私に転校の話を持ちかけてくれた。自分の娘が取り憑かれたように部屋中に文字を書くようになった原因に、学校生活が関連していると考えたらしい。
私はすぐに転校した。家も引っ越し、新しいまっさらな地で新生活を始めることとなった。いじめっ子たちもさすがに追いかけてくることはなく、私は生活の安寧を手に入れたのだった。
あれからおよそ一年が経過した頃、私は新しい環境での生活を謳歌していた。相変わらず友達はいない。だが、私をいじめてくる存在もそこにはいなかった。私は常日頃小説を書くように、『孤高の世界』を創るようになった。
そして、新転地にてもう一人、『孤高の世界』の創造主と出会ったのだった。
「それ、何書いてるの?」
給食終わり、昼下がりの教室で、一人の猫背な男子が私に話しかけてきた。
「これ・・・は、小説。興味あるの?」
「いや、そういうわけじゃないけど。なんか、面白そうだなと。」
「それを興味あるって言うんじゃない?」
「あ、そっか。」
彼は、少し照れくさそうに下を向いてしまった。私に近い気質を感じるな。などと少し気持ちの悪い思考を巡らせていると
「もし、僕が小説書いたら、読んでくれる?」
先程までより少しだけ大きな声量で、彼は私に言葉を投げかけた。懸命に目を合わせようとしているのがよくわかる。健気だな。
「ああ、良いよ。で、できたら見せて。」
人と喋り慣れていないせいか、少しだけ言葉に詰まった。が、彼はそんなことは気にしていない様子で、嬉しさを噛み締めていた。
キーンコーンカーンコーン
昼休みの終わりを伝えるチャイムが鳴った。彼は軽く手を振り、嬉しさを背負った背中を見せながら、自席に戻っていった。
にしても、私に話しかける人間なんて珍しい。ましてや異性である男の子。こんな、学校に来てまでも机にへばりついて小説ばかり書いている私と交友関係を持とうだなんて、変わった子だな。
二日後の昼休み、彼は表裏が文字でびっしりと埋め尽くされたルーズリーフを、私のもとに持ってきた。
「読んだら感想言うね。」
そう返答すると彼はにこやかな表情を浮かべ、この前と同じように自席に戻っていった。
午後の授業を終え帰宅した後、私はすぐに彼の小説を読み始めた。文量はそんなに多くはない。好奇心のまま文章に目を通す。
「こ、これは・・。」
文章の全てを読み終えたとき、不意に言葉が漏れ出した。
「お、面白い。出来が良すぎる。これで未経験なの?」
感嘆からか、独り言が溢れ出して止まらない。内容は何気ない少年と少女の恋物語。この世にありふれた本題なのに、何か、何か違うものを感じる。表現の拙さは未経験者のそれだが、人を惹きつける何かがある。私の好奇心に応える何かが。
全体の構成か?物語のテンポが良いのか?
いや、違う。『世界』があるんだ。彼の思考の中に溢れる世界が、文面からにじみ出ている。キャラは生を謳歌し、風景は彼の心情を全面に押し出しているように感じた。初めて会話を交わしたときの、なんとなく性質が近いと感じた理由はこれか。
彼には、私と同じ『孤高の世界』があるんだ。
「ど、どうだったかな。」
次の日の朝、私が教室に入るやいなや彼がコンタクトをとってきた。
「とても面白かった。文才があると、私は思った。よければどう書いてるか教えてくれる?変わったこととかしてるの?」
自分の創作にも活かせそうなコツを少し期待して、疑問を投げかけてみた。
「あ、ありがとう!変わったこと・・・か。うーん。あ。音楽聞きながら書いた。音楽は良いと思う。執筆に勢いと度胸をくれるから。」
思っていた以上に、実用的な意見を賜った。それにも驚いたが、私が人と普通に会話できていることに驚いた。
「ふむ。なるほど。ありがとう。」
「あ、あのっ。」
私の礼に食い込んで、彼が少し大きな声を出した。
「また次も、書いたら見てくれる?」
「もちろん。いつでも持ってきて。」
彼は嬉しさが読み取れる目の輝きを私に見せた。私にもついに友達ができたようだ。言葉にするのが難しい充足感。私があのとき初めて創った世界の彼女も、こんな気持ちだったのだろうか。
こうして、私は『孤高の世界』から私なりの生きる道を、幸福を手に入れた。孤独はうちう砕かれ、孤高を共有できる存在にも出会った。
これから、彼が『孤高の世界』で彼なりの幸福を手にしていくのだが、それはまた別のお話。