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「――――で、何の用よ。こっちも暇じゃないんだけど? 早く要件を言って帰りなさいよね」
畳のイグサの香りが漂う優雅な和室。そこで向かい合った二人は少々の沈黙の後、切り出さないギャル少女に代わってこちらから口火を切った。
「うえ~ん……キュウちゃんが冷たい……。――あ、飲み物とかない?」
「厚かましいわ。欲しいなら勝手に入れなさい。もともと貴女の家だったんだから勝手は知ってるでしょ」
「え~。そこにあるのは?」
「自分用よ」
「世知辛い……。モドキちゃんいるじゃん……頼めばいいじゃん……」
「あの子たちは掃除中よ。貴女なんかに構ってる暇はないの」
「うう……ひどいぃ……。私、神さまなのに……」
メソメソと泣く彼女だったが、まあどうせ嘘泣きである。
自由奔放な彼女は俺に効果がないと見るやすぐに諦めたようで、ぐで~と身体を横にしてダラけだす。変に律儀なところがありながらも、意見がころころと変わるのは昔から何1つ変わってない。キュウビにとってそれはある種の悩みの1つであったが、自身よりも遥かに長い時間を生きてきた彼女にとって、生まれてから十年そこらの新米神獣の言葉なんか聞きやしないだろう。まあ……そうは言っても彼女のお陰でここまでやってこれたこともあり一応感謝はしている。が、面倒くさいやつ……と、同時に思ってしまうのだった。
キュウビはそんなことを考えながらも自ら敷いた座布団の上で姿勢よく正座する。本当は痺れるから嫌いなのだが、目の前に自称HENTAIさんがいるのだから仕方がなかった。
静かに座る巫女装束姿の‟キュウビ”は凛々しく、考えを顔に出さないその落ち着き払った様子はまさしく神に仕える巫女そのもの。先ほどの一件で見せた慌てぶりは鳴りを潜め、今は正真正銘の“巫女狐”がそこにはいた。
「要件……要件かぁ」
「なによ。用事がないなら――――」
「言うっ。言うから待って待って!!」
帰れ――と、続けようとしたところで彼女は慌てて割って入る。その妙な様子にキュウビは眉根を寄せ怪訝な表情を浮かべた。
「えーっと……ちょっとね……。最近奇妙なことが起こっててぇ。それを伝えるためにね?今日は来たんだ」
神妙な面持ちで顔色を窺うように少女は言葉を紡いだ。その様子にはどこか焦りと不安と戸惑いが入り混じったような雰囲気で……基本いつも楽天的な彼女を見てきたキュウビにとって、それはかなり珍しいものだった。
「この世界――“セレスティア”には自己修復機能があることは知っているよね?」
「ええ、貴女が始めに教えてくれたことだったからね。……よく覚えてるわ」
キュウビは目を細めて記憶の中を掘り返す。それは、彼女がこの世界に来て間もないころ、“魔法の世界”セレスティアについて嫌々ながらも、教授を受けていた時期だった。
――――世界の“自己修復機能”。それを一言で言い換えるならば“理”と呼ばれるもの。
“世界”とはいくつもあるらしい。幾千幾万もの空に散らばる数え切れない星々のようなもの……。所謂、並行世界と呼ばれるもので、それらは決して交わらず……絶妙なバランスの上で成り立っている。そのバランスを崩さないために最も重要たるもの。それこそが‟理”なのだそうだ。
その自己修復は基本……誰にも認知されることなく行われる。それを唯一認知できるのは、この世界を文字通り創り出した“創造神”のみだ。しかし――――。
「自己修復の枠を超えた“異変”が……度々起こっているの」
「異変……?」
キュウビはその大きな耳に残った一言をオウム返しの如く聞き返す。
「うん。いくつかあるんだけどね。その中で一番影響が大きいものは――“陰”の存在かな。いつもなら極小数で修復できていたんだけど……」
「修復できないものが度々生まれていると? そんな大物ならわたしがどうにかしてる筈だけど……」
「ううん……違うんだ。できないもの、というより数が多いってことかな。最近貴女も感じなかった? 奴らの数が異常なほど増えてきてるの。まあ……小さいものなら貴女に頼まないからね。知らないのも無理はないかも」
彼女はしょんぼりとそう語る。
キュウビはそんな彼女から少し視線を外し、物思いにふける。確かにここ最近の相手は妙なものが多かった……気はする。が、実は裏でそんなことになっているとは思いもしなかった。
「自己修復できなければ、被害がでるのは下界。人の住む場所が危険に晒される。陰は人が敵うものじゃないし。現にもう何度かそれは起こっていて、人類はそれをなんとかしようと躍起になってる」
「それ……対策できないわけ? 貴女、“創造神”でしょ」
「うぐっ……そ、そうなんだけどねー……」
キュウビの言葉に彼女はバツが悪そうに視線を逸らす。こいつ何か隠しているな……と、尻すぼみになる彼女の言葉に察したが……しかしながら、こういう意味深な態度をとる彼女に追及は時間の無駄だ。ころころと話題を変え核心に触れるものは何1つ教えてくれない。まあ人間秘めたるものは1つや2つあるものだが、“創造神”とまでいけばそれの比ではないのだろう。しかし、ここでこんな話題を出すということはこいつの魂胆は誰にだって予測できるもの――――。
「はぁ……。もしかしてそれ。わたしに解決させようとでもいう気??」
「あ、バレた」
「……」
彼女の呟きを、その頼れる耳で捉えたキュウビはあからさまに嫌そうな顔を浮かべた。
「うっわっ! すっごい嫌そう!」
「嫌に決まってるじゃない。大物を対処するのでも面倒なのに……。そんな意味がわからないものにわたしはわざわざ出向かないわよ」
「そんな殺生な……」
がく……とあからさまに肩を落とす彼女。しかし、彼女はすぐに復活する。――――――不敵な笑みをたたえて。
「フフフ……そろそろ人恋しくなってきたんじゃない? ねぇ……――“美凪彼方”くん?」
その言葉に、その名前に、煎茶を啜っていたキュウビはピタッと動きを止める。そして……ゆっくりと湯呑みを置いた彼女は、とても……とても小さな声で……呟いた。
「久しぶりね。……その名で……呼ばれるのは――――」
………………
…………
……
今のわたし。“キュウビ”があるのは、一人の少年の死があったからだった。
その名は美凪彼方。それがわたしの、俺の、地球での名前だった。
――――久々にその名で呼ばれた俺は頭が冷え、1つ嘆息を漏らすと押し黙っていた口を開いた。
「それで? なにが言いたいの貴女は。人恋しいってなによ」
「うん。そろそろ外の世界に足を踏み出してみないかと思ってね。今日はちょうどいい節目だし」
「覚えていたのね……」
「もちろんっ! 大切な大切なキュウちゃんのことだもんね! 忘れるわけないじゃない!」
両腕を広げ大袈裟に表現する彼女を見て俺は小さなため息をもらす。よくもまあそんなこっ恥ずかしいことを平然と言えるものだ。
「あのねぇ。もしわたしがここから出れば陰はどうするのよ。大物を狩るのはわたしの役目でしょ?」
「それはそうだね。だけど、ご心配なく。それは御巫にやってもらうから」
彼女は軽くそう言ってのける。
「……いやでもそれは――――」
「そ・れ・に! 貴女には別の仕事もありまーす! というか、そちらが本命かな?」
妙な言い回しに俺は眉を寄せる。
「貴女には――“勇者”の手助けをしてほしいの」
「勇者……? なんでわたしがそんなことしなきゃならないのよ。そもそもそれは自己修復の一部で――――」
「まあまあ……最後まで聞いて聞いて。それでねその勇者というのが。貴方の妹さんなのよね」
は?
思考がフリーズした。
え?……今……なんて言った?
「もう一度言うね? 貴方の妹さん、ついでにクラスメイトが勇者召喚でこちらに来ちゃいました」
てへっ。と、わざとらしくウインクする彼女。対する俺は……。
『は、はいぃぃぃぃぃ――――――――――っ!!!????』
外で洗濯中の眷属をも驚かす奇声を上げた。