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「……どうしてこうなったんだろう」

 薄暗い酒場のカウンター。

 答えのない疑問を肴に水割りをちびちびやるのがおれの日課だった。

 この世界がただのアプリだったかつては酩酊の表現として身体と視界にわずかな不調をもたらすだけだったはずのアルコールに、今のおれは軽酔いしている。

 あるいはリアルで酔うという感覚を忘れてしまっただけなのかもしれない。

 SRアプリ、エクスデア。

 もう一年になる。このアプリから目覚められなくなって。

 量子コンピュータの実用化が人間の意識と電子世界の隔たりをかぎりなく薄くし、電脳という概念を作りだした。

 その技術が実現させた体感型娯楽ソフトウェア。多人数同時参加型シミュレーテッド・リアリティ・ロールプレイングアプリケーション。SRMMRPA、頭文字をとってもくそ長い。

 鮮明な意識と明確な感覚を有したままの理想の夢境。さあ、もう一つの現実に旅立とう。本物のファンタジーと真実のアドベンチャーがそこにある。

 そんな謳い文句にほいほいつられてテストプレイに応募したのはこの国だけで一千万人を超えたと聞く。

 身体と知能、素性にいたるまで、厳密な審査を経て当選したのは全世界でわずか三千人。

 おれもその一人だった。メーカーから大層な誓約書と大仰な装置が届いた当時は狂喜したものだ。

 最初の半年はよかった。

 現実ではありえない荘厳な景色、初めて触れる手触り、見たこともない食べ物。すべてが新鮮で理想の夢境という宣伝にいつわりはなかった。

 厳しく制限された一日のプレイリミットである五時間。それを誰もが心待ちにし、熱狂し、陶酔し、没頭していた。

 明日はなにをしようか。夏休みの子供みたいなそんな無邪気な楽しみに心躍らせない日はなかった。

 統合電脳サーバ上に創りあげられたエクスデアという名のもう一つの世界にいい意味でとらわれていた。

 一年ほど経って、エクスデアは後期テスト組として追加で三千人ほどのユーザーを招きいれた。街という街は一際賑やかになり、オープンサービスも間もなく始まるという噂に皆が浮き足立っていた。

 そんなころ、いつもとなんら変わらないある日、いささかの契機もなく、なにかが起きた。

 なにが起きたのかは皆目わからない。

 けれども重大な、途方もないなにかが起こった。

「馬鹿でかい音がして、地震が起きて、真っ暗になって、気がついたら目覚められなくなっていたっていうんでしょ?」

 店主のミリアンがうんざりしたような目をむけてきた。

 おれの対面、ぐでりとカウンターに頬杖をついて、面倒な酔漢の相手をしてやっていますよという態度を隠そうともしない。

「ハンクさあ、それもう耳たこ。酔っ払いのたわごとにしてもさ、もっと面白い話できないわけ?」

「たわごとって、ひどくない? おれいちおうお客様なんだけど」

「一万クレ以上使ってくれる人がお客様。五千以上でお客。それ以下は客だよ。あんたは一月も前に買った安酒のボトルを年寄りの猫みたいになめてるだけの邪魔者さね」

「いや、酒そんなに強くないんだよ。でも呑まなきゃやってられないっていうおれの葛藤。この男の機微がわからないかね」

「知るかよ。そんな女々しい男の機微。わかってたまるかい」

 つれなく吐き捨て大儀そうに嘆息しつつも九対一の水割りを作ってくれるのはミリアンだ。

 ほかに客はいない。昼間から酒場に入り浸るのはおれぐらいなもので、お互い退屈凌ぎの話し相手になっている。持ちつ持たれつなんていったらミリアンはきっと怒るだろうけれど。

「でもさ、あんた変わってるよね」

 グラスの水滴を指先でもてあそびながらミリアンはいう。

「好きこんで現地のあたしたちと関わる異人なんて、あんたぐらいよ。他の連中ときたら話しかけても無視されるか、モブとかエヌピーシーとかわけのわかんない悪口いわれるのに」

「……ああ。群れにはなじまないタイプなのさ」

「酔っ払いうざー」

 ミリアンは笑いながら手をはらって指についた水滴をかけてきた。

 彼女はエクスデアにおけるノン・プレイヤー・キャラクター。いわゆるAIとかボットと呼ばれる立場にある。

 この世界の取引などを円滑に進めるため、またより本物らしく見せるためにシステムが用意したサーバ制御の擬似人格だ。

 もちろん彼女だけではなく、農民や街の住民など無数存在している。正確な人数は知らないがこの町だけでもおれのようなユーザーよりも数は多い。

 今ではユーザーが自分たちと差別化するため一方的に現地人と呼んでいた。

 正午を報せる鐘の音が聞こえた。おれとミリアンは同時に頭上を仰ぐ。採光窓から降る射光のなかで埃の粒子が輝いていた。

 この動作も、この光景も、くぐもった鐘の音響も、すっかりおなじみになってしまった。

「昼だね。まかない作るけど。あんたは?」

「食う食う。消化にいい雑炊がいいな」

「じじいかよ」ミリアンはエプロンで手をぬぐいながら厨房にむかった。

 ミリアンはずいぶん人間らしくなった。あきらかな個性を獲得している。エクスデアがアプリだったかつてはありえないことだ。

 そういう現地人はほかにも何人かいる。まだまだ少数だが少しずつ増えてきているように感じる。

 ユーザーの多くが頭ごなしに彼らをモブと決めつけてろくに対話をしようとしない。またそんなユーザーに対しては現地人も機械的な応対に徹する。

 いったい何人のユーザーが現地人から暗に異人と呼ばれ、逆に差別化されていることに気づいているだろうか。

 そしてNPCの人間性の獲得という事実はなにを意味するのか……。

 ミリアンのような現地人を否定したくはないけれど、おそろしいなにかを示唆しているように思えてならなかった。

「ほいさ。いつものじじい雑炊」

「わーい。ありがとー。いただきまーす」

 味噌で味つけした卵雑炊。田舎のばあさんが朝飯の残りの味噌汁でよく作ってくれた。いってしまえば手抜き料理だが旨さは保証されている。

 もっとも、ミリアンの雑炊は細かくちぎったミツバで香りづけされており、木の器と匙で食すなんともオシャンティーなものだった。

「どう? おいしい?」

「うん。ふつー」

「あははー。むかつくー」

 二人で雑炊を食べていると玄関扉に設えられた鈴が鳴った。この時間帯に来客とは珍しい。

 シュートの取りまきの一人、クナイだった。

 ミリアンは途端に表情を消した。「イラッシャイマセ」ときわめて事務的に述べる。

 クナイはそれを完全に無視してずかずか近づいてくるなり雑炊の器を冷めた目で瞥見した。

「モブといちゃいちゃランチ? いいゴミぶんね」

 ご身分のニュアンスにそこはかとない悪意を感じる。

「どこでなにを食おうがおれの勝手だろ」

「あなた、レイド組の団長と知りあいよね?」

「藪から棒だな。まあ、知りあいというか、あの有名人を知らないやつはいないだろ。それがどうした?」

「あなたも現実への帰還を望んでいるのよね?」

 クナイはこちらの質問にはいっさい答えず、いいたいことだけをいう。

 会話はキャッチボールとよくいうが千本ノックのような会話を強いる女だった。

「まあ、できることならね」

「どうしてレイドの遠征には参加しないの?」

「無謀だからだよ。成功したところで帰れる確証はないからな」

「……ふーん。ところでシュートが探してたわよ」

 要件はそれかよ。いったいなんの前置きだったのか。

「またクエストの手伝いか。退屈しのぎの小遣い稼ぎなら間にあってる」

 クナイは冷たい目に宿る闇をよりいっそう深くした。

「シュートはなんであなたみたいなチンピラにご執心なのかしら」

 チンピラとはずいぶんだが、それはこっちが聞きたい。

 シュートは性懲りもなくおれをパーティーに加えようとする。

 この町のユーザーのなかでも最大勢力を誇る一派のリーダーであり、熱心な女信者を多数かかえるスーパーハーレムヒーロー様がおれのようなものになにを求めているのか。

「でも今回はクエストじゃない。レイド組が遠征から帰ってきた。何人か行方不明者がでたらしくて。その件みたいよ」

「それを早くいえよ!」

 ごちそーさんと叫ぶようにミリアンに告げておれは酒場を飛びだした。



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