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ああ、ちくしょう。頭がくらくらする。
足許からはるかかなたの雪嶺まで脈々とつづく新緑はくそったれなほど柔らかで、思わずごろりと寝ころびたくなる。
優しい風が小ぶりの草花をロマンスポルノの男優ばりに愛撫し、色とりどりの蝶々やトンボが波のでるプールではしゃぐ子供みたいにバカまるだしでゆれている。
きっと天国というタイトルで絵を描かせたら十人中八人はかように描くであろう理想の草原。
困った。こうしてうららかな陽を浴びていると片時も忘れてはならないはずの悩みでさえも生温い安寧に溶けてしまいそうになる。
「はああああああぁぁぁぁ!」アニメみたいな甲高い鬨の声が平穏を引き裂いた。
しょうがなし。おれは身近にある手ごろな悩みへと意識を引き戻した。
ひどく牧歌的な戦場で涅色の外套が翻る。まるで舞踏のような鮮やかな体捌き。女形と見紛う痩身から繰りだされるその剣筋には、けれども一切の情け容赦が欠落していた。
横薙ぎの一閃によって頸部を斬り裂かれたグリーンゴブリン。醜悪な顔面にもあきらかにそれとわかる死の恐怖をたたえ深緑色の鮮血が迸る喉笛を両手で抑えるも、身を旋回させた外套の青年の二撃目がその諸手ごと首を斬り飛ばす。
うわー。生首が飛んでる。かわいそうに。きっとあのゴブリンにだって親も仔もいただろうに。彼らがなにをしたというのだろう。
街道に集結するゴブリンを掃討せよ、というクエストだったけれど、集合罪だけで打ち首獄門なんて独裁国家でもありえない。
「シュートくぅん! ナイス!」
「さすがね。シュート」
「すごいですぅ。おにいちゃん!」
おれの隣でそれを観戦する三人のビッチたちはそのあたりの葛藤とは無縁であるようで、我らがヒーロー、黒衣の双剣シュート氏への黄色い声援に余念がない。
シュートはこちらを瞥見しご自慢のベビーフェイスに自尊をちらつかせた。
ゴブリンの群れにむきなおり両手の長剣を広く構えた。
「うおおおぉぉぉぉぉ! スパイラル・スラアアアァァッシュッッ!」
いまどき少年漫画でもはやらない技名の大絶叫。
ぐるぐる回るシュート。ぽんぽん飛ぶ首、首、首。
生首の雨だ。頸部の切り口から噴きだした体液がスパイラル・スラッシュとやらの風圧にのって霧のようにたちこめる。
青臭い。グリーンゴブリンの血液は若草をすり潰したときのそれだった。
「あっ! シュートくん。一体逃げたよ」
理不尽な襲撃者が織りなす血の舞踏に恐れをなしたのか。一匹のゴブリンが逃走をはかった。
短足を懸命に動かして草原を遠のいていく。その後姿はほかに較べて小柄だった。まだ子供なのだろう。
それにしても“一体”ね。こいつらモンスターのこと“匹”とは数えないんだよな。無生物であるということをくれぐれも強調するように。自らにいい聞かせるように。
「こっちは手一杯だ! ハンク! そいつは任せた!」
くそが。任されてしまった。
「大丈夫だ! お前ならできる」
いや、ライフル持ってるし。できるけれども。そういう問題じゃない。やりたくないんだよ。
女たちがじっとおれを見つめてくる。ジト目というやつだ。シュートにむけるものとはおなじ顔面が描きだした表情とは思えない。女って怖い。
しょうもなし、失中したことにしよう。
おれは負い紐で吊っていた長身銃をのろのろと諸手に移し、だらだらと槓杆を引いたり薬室をのぞいたりして時間を稼いだ。
「たらたらしてんじゃねえですよ」一人の少女、ミミィが舌をうった。痺れを切らしたようにタクトをふりあげて、その先端を遠のく子供ゴブリンの背に据えてぶつぶつとやり始める。
詠唱だ。やばい。
途端、タクトの先から氷の槍が射出された。
虚空に白い靄の尾を曳きながら極太のつららがゴブリンに迫る。
おれは咄嗟に構えて引鉄を切った。突然の発砲音に女たちが悲鳴をあげる。
さいわい大抵の魔法より弾丸のほうがはるかに速い。イメージはクレー射撃。ミミィの氷の槍は空中で粉々に砕け散った。命中。
「あああん! ちょっとぉ、なにしてんですぅ!」
「ごっめーん。手許がくるっちゃったっちゃ」
「ちゃったっちゃじゃねえですよ! このファッキンヌーブ!」
ロリ要員であるミミィは舌足らずな声音とは裏腹に下品な言葉を吐き散らしてぶりぶりと怒る。
「ハンクくんにはがっかりだよ」
「銃使いとかほんと使えない……」
正統ヒロインづらのアスカとクールビューティー気取りのクナイもいいたいことをいう。
針の筵におちいるおれだったがなれっこだ。飄々とうけ流していると、ゴブリンをすべて片づけたシュートがまあまあと仲を取り持とうとする。これもいつものこと。
「逃走したやつはカウントされないからこれでクエストクリアだ。惜しかったな、ハンク」
「……どうも」
「お前のロング・ショット。もう少し精度スキルをあげたほうがいいかもな」
「そ、そうだな」
「ロング・ショットもそうだが、銃使いスキルは全般的に難しいんだ。戦闘スキルのなかでももっともスキルがあがりにくい」
「………」
「ガンナー・スキルの極意スキルにあたるサイクロン・バレット。これをものにできればこのSRMMRPA、エクスデアの世界でもトップクラスのプレイヤーになれるはずだ。そのためにはまずスキルツリーを地道に解除していくしかない。まずはロング・ショットを使いこなすことだ。そうすれば次の解除スキルであるダブル・チャージ・ショットが――」
「わかった。わかったから。もうやめてくれ」
スキルとかSRMMRPAとかロング・ショットとかダブル・チャージ・ショットとか、とかとかとかっ。臆面もなく連呼しないでほしい。こっちが恥ずかしくなるから。
「もぅう! シュートくんはこいつに優しすぎるですぅ」
腹の虫が収まらないミミィがむしかえす。すかさずシュートの手をからめとりながら、朱に染めた頬をぷくっとふくらませ、大きな目を潤ませながら。
「そういうなよ、ミミィ。さっきいったようにガンナー・スキルはもっとも難しいんだ。命中させられるかどうかはレベルによって上昇するステータスの数値じゃなくて、プレイヤー自身の操作スキルに依るところが大きい。つまりソード・スキルやマジック・スキルと違ってオートヒット補整がシビアなんだ。しかしそのぶん極めれば任意の場所にクリティカルヒットを――」
やめてくれ。
「あ。そういえばおれ今の戦闘でレベルがあがったんだ。ステータスを確認させてくれ」
名前:シュート 異名:黒衣の双剣 レベル:83
HP:3400 SP:2400
体力:95 素早さ:110 器用さ:64 知力:42 センス:55
やめてくれ!