迷える世界と頼れるお姉さん
ということで第二話です。そろそろ世界観のお話していきます。
目覚めると、見知らぬ天井が広がっていた。
仄かに香る薬品の匂い、白を基調とした室内のレイアウトはさながら学校の保健室を彷彿とさせる。体を優しく包んでくる布団からは僅かに太陽の香りがした。あれは、夢だったのだろうか。
フラッシュバックするのは巨大な異形と辺り一面を覆っていた見知らぬ木々。そして圧倒的なまでの目の前に広がる大自然。
夢か現か分からぬものの、徐に掴んだ布団の袖は手の皮膚を通して確かな感触を伝えてきていた。
「なんだったんだ……」
辺りを改めてよく確認しようと上半身を起こしたとき、後頭部と背中を激痛が走った。
「っ……!?」
あまりの痛みに声を上げてしまいそうになるのを何とか堪え、右手で崩れ行く姿勢を支える。
「ここは……どこだ?」
先ほど寝転がっていた時よりもさらに周囲の光景が目に入る。自らが寝転がっていたベッドと同じようなものが幾つも規則正しく並び、小脇の木製の机の上には何やら見慣れない液体がガラス瓶に揺蕩っているのが目に入る。
今まで目にしたものから少年は恐らくここが病院かそれに近いものだということを推察する。しかし、両手の指の数ほど置かれたベッドの上には今は誰も横たわっておらず、看護師の姿すら見当たらないことに違和感を覚えた。
「あの人が運んでくれたのかな」
少年の脳裏に蘇ったのは気を失う直前に見た少女の背中だった。凛々しく果敢に化け物に立ち向かうその背中。そして優しげな声。あの声を耳にした瞬間、心の奥から沸いた感情は”助かった”というただそれだけだった。一時は覚悟すらしていた。訳の分からない世界で訳の分からないモノに命を奪われるという理不尽を甘んじて受け入れようとしていた。
しかし、あの声が聞こえた瞬間、そんな覚悟すら吹き飛んでしまう程に安心しきっていた自分がいたことを自覚する。
その時だった。部屋の一角に敷設されている扉のドアノブが回るのが分かった。咄嗟に身を隠そうと体を動かしたものの、相も変わらぬ激痛に体が言うことを聞いてくれない。
「まだ無理に動かない方がいい。なんせ丸一日眠りっぱなしだったんだ」
直後、顔をしかめる少年の耳に届いたのは凛とした女性の声だった。
「そんなに怯えないでくれ。君の命を狙うような者じゃない」
普段通りの態度で近づいたにもかかわらず想像以上に怯えてしまっている少年を見て、彼女は
思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「えっと、あなたは……」
「私はイヴリア。イヴリア・ローゼンベルグだ」
そういってこちらに近づいてくる女性に一切の敵意を感じなかった少年は心の奥でほっと胸をなでおろすと彼女へと向き合う。
「えっと、俺、じゃなかった、私は……」
「気にするな、話しやすいように話してくれて構わない」
綺麗な人だな。近場のテーブルから椅子をこちらへと引き寄せる彼女を見て少年は素直な感想を浮かべる。切れ長の瞳はまるでサファイアのように蒼く澄み、特徴的なまでに長い白い髪がよりいっそうその蒼さを惹き立たせている。
「ん、どうかしたか?」
「い、いえ!」
思わず魅入ってしまっていたところに目が合ったもんだから思わず少年は咄嗟に声を上げてしまった。
「それで……」
「あ、あぁ、名前、名前ですよね!」
「変な奴だな」
いくらあの時グリフォンに一矢報いたとはいえ、あなたに見惚れていたのでなんて言葉を見目麗しい女性にかける程の胆力は少年にはなく、なんとかその場を誤魔化すのが精いっぱいだった。
「それで少年、名前を言えるか?」
「俺は、イツキです。ナバタメ・イツキ」
「イツキ……か」
イヴリアはイツキと名乗った少年に改めて視線を飛ばす。
「あの……」
中肉中背というにはやや細身。手先も至って綺麗なもので剣やそれに付随する武器を日ごろから握っていた形跡は見受けられなかった。
「歳は?」
「17……ですけど」
「17か。あいつと同じだな」
こちらをまじまじと見つめるイヴリアに無性にむず痒さを覚えてしまいイツキはなんとかこの現状を打破しようと話題を探す。
「それで、いったいここはどこなんです?」
辺りを改めて見回す。恐らくここは自分が知っている日常じゃない。理屈はなくともイツキには何となくこの空気がそう感じさせた。
「ここはコードリリーフの簡易病棟だ」
突然知らない単語が出てきたためイツキは咄嗟にそのワードをオウム返ししてしまう。
「コードリリーフ?」
「ああ、ここは私の所属するギルド、コードリリーフの本拠点だよ。そして今君が寝ていた場所、要するにこの一室だな。ここはその本拠地内にある簡易病棟という訳だ」
「あ、あの……ギルドとか本拠点とかさっきから訳わからない単語が次から次へと飛び込んでくる訳なんですが……」
イツキが言い終わるや否や、パチクリとその切れ長の目が見開いた。驚いた、というにはわずかに違うがその目からは若干不意を突かれたかのような色が見て取れる。
「なるほど……君は異界人なのか!」
「い、いかい……?」
何が何やらさっぱりわからない。先ほどからさもこちらの事情を知っているかのような仕草をするイヴリアに対して少しずつ疑念の情が湧いてくる。
「その様子だとまだ現状を理解できてはいない様子だな」
「当然ですよ。訳わからないことだらけじゃないですか……っ。学校の帰りに急に謎の光に包まれたんですよ!?目が覚めたらどこともわからない森の中だし、辺りをうろつこうと思った直後に鬼に襲われるし、必死で逃げ回ってたら次はでかい羽の生えた四足歩行のバケモンに襲われるし……。気づいたらよく分かんない病室で寝てるし……。挙句にはよく分からない美人のお姉さんに知らない言葉を投げつけられるなんて」
「び、美人!?私がか!?」
余りの状況の掴めなさに戸惑っていたらついぞ先ほど抱いていた感情まで口にしてしまったようだ。見ればイヴリアはわずかに顔を赤く染めて両手で頬を覆っていた。どことなく嬉しそうなのは気のせいだろうか。
「あ、あの、今のは勢いで口にしてしまっただけでその!」
「っということはあれか、ただの社交辞令か?」
イツキの言葉にイヴリアはどこか残念そうな表情を浮かべている。
「ぜ、全部本心です!その……イヴリアさんは美人だと思います!」
「……そうかっ!」
イヴリアの言葉と同時に病室内に乾いた音が響き渡る。
「いった!」
「す、すまんっ!そうだよな、けが人だもんなっ!悪いっ背中叩いたりしてごめんっ!ちょっと普言われ慣れない言葉をかけられたものだから気分が高揚してしまってだな!?」
見ればイヴリアは両手を合わせて申し訳なさそうにこちらにむかって何度もへこへこと頭を下げていた。
「えっと……それじゃあ知りたいことがあるんですけど」
恐らく年上の美人に全力で謝られるという人生でも類を見ない経験中のイツキだがこのままでは埒が明かないということはどことなく察していた。彼女の良心に漬け込むようで罪悪感を感じたが、この際なりふりは構っていられそうにはない。
「知りたいこと……か。恐らく察しはついているが」
背まで伸びたイヴリアの白髪が、窓から吹き込んできた風に揺らめいているのが見て取れた。
「えっ、あっ!?」
直後、イツキの口から驚きの声が上がる。
「あぁ……これか?」
イヴリアは白髪を右手でかき上げると毛先を指先で軽く弄んだ。イツキがそれを視線で追いかけている間、手の中を流れるように零れ落ちていく髪は仄かに青白い光を帯び続けており、時折差し込んでくる日光に照らされきらりと輝くのが見て取れる。
「そうさな、何から話そうか……。まず始めに、ここは君たちが生きてきた世界とは恐らく違うという事だろう」
イヴリアの口から語られたことに関してはわずかながらイツキにも覚えがあった。しかし、改めてその実それを言葉にされると事前に覚悟をしていようとも心臓が一つ大きく跳ねるのが分かる。
「ここは、迷宮世界エイブンヘイム。と呼ばれている世界だ」
「エイブンヘイム……。って迷宮世界?」
「ああ、この世界はね、生きているんだよ」
さも当然のように言ってのけるイヴリアに、イツキの疑問はさらに増幅する。
「生きているってどういうことですか……」
「君が化け物に追われていた場所があっただろう?」
「あ、あぁ……鬼やグリフォンに追いかけられたあの場所ですか?」
「なるほど、君たちの世界ではあれをオニやグリフォンと表現するんだな」
「それで、あの場所が一体どうしたんですか?」
「あそこは最近見つかった迷宮でね」
「迷宮……っていうとあれですよね、洞窟とか建造物とかで奥に宝物があったり……」
”迷宮”というワードが想起させたのは元の世界で触れたことのあるゲームや漫画に出てきた景色だった。
「ふむ……そう言えばシグレが似たようなことを言っていたことがあったな。あんなのを迷宮と呼ぶのはおかしいと」
ここで新しい名前が出てきたことに関して、イツキはこの際は置いておくことにした。まずは一つずつ情報を整理していくことが一番大切だと思ったのだ。
「エイブンヘイムにおいての迷宮は、ある一定の区画のことを差すんだ。君たちの世界の基準よりはもっと大きなものの括りになるな」
「ということはまさか……」
「ああ、君がいたあの場所一帯が迷宮なんだよ。そしてあのような迷宮が、この世界には無数に存在している」
なるほど、とイツキは小さく相槌を打つと改めてあの場所の光景を思い返す。気づかぬうちに自らが迷宮の中に取り残されていたのかということに寒気を覚える。
「それで、異界人というのは?」
イツキは、イヴリアが自らをそう表現したことを思い出していた。何事にも動じなさそうな彼女が目を丸くしていた顔が忘れられそうにない。美人、と言われたことに一喜一憂していたことに関しては心の奥にしまうことにしたのだが。
「並行世界というのは信じるかい?」
「並行世界って言うと、同じような世界が幾つもあるっていうあれですよね」
「まぁ、それでいいよ。エイブンヘイムは並行世界の分岐点の元になった世界なんだよ。この宇宙、って言うのが正しいのかは分からないがそこに存在する幾つもの並行世界の元になった世界。それがエイブンヘイムだ。だからかな、時折並行世界からエイブンヘイムに流れ着く者達がいる」
「それをイヴリアさんたちは異界人、と呼んでいるんですか……」
「そういうことになるな」
なんだその漫画のような設定は、と吐きたくなるような言葉を何とか飲み込みイツキは彼女へと先を促す。
「戻る方法は……」
この世界がどういうものかは何となく理解した。が、イツキにとって一番大切なのはそこだった。平穏な生活があって、愛すべき家族がいて、気の合う友人たちがいて……。そんな日常が一瞬にしてどこか遠いものになってしまった。果たして自分がその世界に戻れるのか。
イヴリアの視線の先には先ほどまでの戸惑いの表情に陰りが見える少年の横顔があった。
「すまない、それは分からないとしか言いようがない」
「そう……ですか……っ」
今にも泣きそうな声にイヴリア自身も胸が小さく痛むのが分かる。慣れている、というと語弊があるが、彼女にとってこういう経験というのは一度や二度ではない。
しかし、元の世界に戻れる方法が現状無いということを伝える度に苦しそうな顔をする人々の顔を目にすることについては一生慣れることはないのだろうと思っていた。
「すまないな、しかしながら今君に伝えたのがこの世界の、というより君が今置かれている現状だ。分からないことがあったら何でも尋ねてくれて構わない。私はこれでも顔が広いつもりだからな。異界人の生活保障を行っている人物だって紹介しよう。君がこの世界で落ち着けるまで、サポートなら何でもするつもりだ」
「それは……その……あ、ありがとうございます」
現実を全て受け入れた訳ではなかった。両手で大切に抱きしめていた日常がある日突然すっぽりと消え去ってしまって、見知らぬ土地で生命の危機を脅かされて。正直何が何だか未だにちっとも理解できない。
それでも、もしあの時の約束が今も履行中だというのなら……。自分は精一杯生き続けなければいけない。それが、彼をこの場に繋ぎ留めようとする目いっぱいの原動力だった。
「その様子だと明日には歩いて回れるようになるだろう。それじゃあ私は失礼するよ。すまないね、まだ怪我も治りきっていないところに」
「いえ、ありがとうございました」
最後にイツキに軽く笑いかけると、イヴリアはその場を後にしようと席を立つ。
「あの、最後に一つだけ!」
彼女がドアノブに手をかけようとしたその時、イヴリアの背中越しにイツキの声が聞こえてくる。
「どうした?」
「あの……。コードリリーフっていうのは冒険者ギルドの名前かなんかなんですか?」
その言葉を聞くや否やイヴリアは改めてイツキの方へと踵を返した。羽織っていたコートの襟元をくいと両手で正すと先ほどの柔らかな表情がきりと鋭いものへと変貌する。
「我々は国家指定迷宮救援ギルド、コードリリーフ。国からの要請によって迷宮内への救援要請に応じ現場に赴く。それが私たちの仕事だ。そして私はそんなコードリリーフのギルドマスター、イヴリア・ローゼンベルグ」
次の瞬間、先ほどまで固く結ばれてた彼女の表情が柔らかく崩れる。
「誰かが助けを求めている限り、瞬時にそこに駆け付ける。それがコードリリーフだ。そしてそんなギルドでマスターを務めている私はつまるところ皆の頼れるお姉さんというところだな!」
コードリリーフ。それは、幾多の迷宮が命の価値を量る世界で、誰かの生命の輝きを守らんとする灯だった。
っということでお付き合いいただきありがとうございました。
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