妹がざまあされたので復讐したい
ミアが処刑された、と聞いたのは執行日から一週間後のことだった。
その一報を受けた瞬間に、母は呆然と立ち尽くし、父は何かの間違いだと詰め寄った。
私も父と同意見だった。
ミアは私達とは血が繋がっていない。私が幼い頃に母の知り合いが赤ん坊を託してきて、以来ずっと一緒に育ってきた。
男爵の隠し子であると発覚したのは彼女が十五歳の時。うちのような大衆料理屋に男爵の使者が訪ねてきた時は、何の冗談かと笑ったものだ。
ミアは容姿こそ垢抜けていたものの、それ以外は普通の子供と何も違わなかった。
近所の子と外で遊び、私と一緒に家の手伝いをし、お客さんからの人気は高く「美人看板姉妹」などと呼ばれていた。
そんなミアが、貴族の血を引いている。
そして、男爵はミアの身柄を要求している。
初めは笑い飛ばし、次第に困惑し、最終的には不安に苛まれた。
血縁でなくてもミアは間違いなく家族だ。彼女が男爵の元へ行ったら、おそらく戻ってこられない。
家族なのに、もう二度と会えないかもしれない。
心の整理が追いつくはずもない。
けれども男爵は待ってはくれなかった。
半ば拉致のような形で、ミアを連れ去ろうとした。
私達はそれに反抗しかけて、ミアに制された。
ミアは、最後に「お父さん、お母さん、お姉ちゃん…今まで本当にありがとう」と、それだけ、たったそれだけしか言い残せず、彼らに連行されていった。
それから二年も経たずして、ミアは殺された。
貴族の学校に入れられたミアは、王太子である第二王子に不相応にも取り入り、彼の婚約者である公爵令嬢に苛められたと嘘をつき、王太子と共に令嬢を追い詰めたが、全てを見抜いていた第一王子と男爵子息によって断罪された。
王太子は廃嫡され辺境に飛ばされ、第一王子は新たな王太子となり、令嬢はその婚約者に収まった。
そして、第二王子をたぶらかし令嬢を陥れようとしたミアは、生家である男爵家に切り捨てられ、次代の国を担う者達を混乱させた罪、その全ての責任を取らされた。
そんな馬鹿な話があるものか、と笑えれば良かった。
ミアが王子に近づくなんてことあり得ない、あの子は良識はあるし、基本的に臆病な性格なのだ。何か確固たる意志を抱いている時以外では、彼女は大人しい。
だいたい、何故殺されなくてはいけないのだ。
私の妹が。
ほんの二年前には、私の隣であどけなく笑っていた妹が。
何故殺されなければならないのだ。
何の変哲もない、定食屋の娘なのに。
あの子は、ただの私の妹なのに。
毎日放心したように過ごした。
信じられなかった。
信じたくもなかった。
だが、そんな私とは違い、両親は今後何が起きるか分かっていた。
両親は有無を言わさず私を遠く離れた友人の元へと預けた。
辺鄙な村で、私は一体何でこんなことに、と不安にかられて生活していた。
ある日、風の噂が流れてきた。
あの愚かな男爵令嬢の育ての親は、王太子によって殺された。
親は日々好奇の目にさらされ、嫌がらせを受けていたが、やがて王太子の耳に入り禍根を残さぬよう、娘と同じように殺されたらしい。
何とも因果応報なことよ。
馬鹿な子に育てたから、そうなるのだ。
私はその噂を流した人間を殺そうかと思った。
だが、私にその力はなかった。
私は無力だった。
それから数年経ち、王太子の戴冠式が王都で行われることとなった。
私も見に行った。
きらびやかな衣装を身にまとい、豪勢な冠を被り、美しい王妃、かつての公爵令嬢を伴い、堂々とした立ち振る舞いで新王は国民に手を振った。
距離はさほど遠くなかった。全力で走れば三十秒もかからないだろう。
だが、殺すには遠かった。
私ではあの者を殺せない。
私には何もできない。
村に、一人で築き上げた定食屋に帰ってきて、机に突っ伏した。
あの者を殺さなくてはならない。
一目見てそう思った。
あの者は、きっと妹を覚えていない。両親のことも覚えていない。自分の輝かしい未来に目を奪われ、浮かれている。
自分の壊したものの存在も知らずに。
死んだのが妹だけならば、私もこうは思わなかっただろう。その場合、恨みは全て男爵家に向いていたはずだ。
だが、王太子は両親を殺した。
妹を殺した男爵も、両親を殺した新王も、私の敵だ。
許せるはずもない。
忘れられるはずもない。
せめて、妹に何が起きたのかだけでも知らなくてはならない。
その日のうちに私は店を畳んだ。
かつて第一位の王位継承権を持っていた男を訪ねることにした。
彼がいるのは辺境、としか聞かなかったが、調べていくうちにその所在が明らかになった。
やはり腐っても正統な王族は目立つ。
彼はそこで国境を守る騎士に混じって働いているらしい。
すぐにそいつだと分かった。新王と少し似ている。
もっとも、新王が暗い茶髪なのに対して、彼は明るい金髪なのだが。
突然訪問した私を、彼は存外歓迎した。
私の話を真剣に聞き、それから彼は当時の真相を教えてくれた。
ミアは男爵に脅されていた。
男爵は王族との繋がりが欲しかった。そのため、本当に血が繋がっているかも怪しいミアを、無理やりに引き取り、いつでも蜥蜴の尻尾切りができる捨て駒として、手元に置いた。
男爵はミアに王太子と親密になるよう命じた。
失敗すれば、両親と姉を殺すと、脅迫した。
男爵子息は監視役となった。
両親と、私を人質に取られたミアは、男爵の言う通りに動く人形となった。
予想外だったのは第二王子が本当にミアを気に入ったところか。
ミアと会話するにつれ、第二王子は密かに彼女に惹かれていった。
しかし、それを好機と捉えた者がいた。
第一王子、今の新王だ。
奴は第二王子の近くに女がいるのを疎ましく思う婚約者、公爵令嬢を煽り、計画を立てた。
側室腹である自分が王になるための計画。
本来ならば、第二王子はそんなものに引っ掛からなかった。
だが、どさくさに男爵が第一王子に取り入り、ミアを操って第二王子を陥れた。
人質があるため逆らうわけにもいかず、状況も分からず男爵に従ったミアを待っていたのは、売女の汚名と、醜聞を恐れた男爵によって画策された処刑だった。
ミアは処刑。
第二王子も気づいた時には遅く、王に相応しくない愚かな王子と断ぜられ辺境に送られた。
何てことはない。王権争いに、妹は巻き込まれたのだ。
ただそれだけだった。
あの子は、私達を守ろうとしていたのだ。
ミアは、処刑を甘んじて受け入れたという。両親と姉が無事なら心残りはないと。
だが、両親は王太子に殺された。
約束は守られなかった。
聞けば聞くほど、私の憎悪は増大した。
奴らを生かしておくわけにはいかない。
私の境遇に同情した第二王子も、できることは協力すると言ってくれた。
私は彼の助力もあり、王都に上等な料理屋を構えた。
すぐに人気が出て、様々な人が来訪するようになった。
当然だ。これは父と母が残したレシピなのだから。
やがて、その評判は王侯貴族の耳にも届くようになった。
店はどんどん拡大し、ついには城からスカウトを受けた。
とんとん拍子にことは進み、私は城内の進入を許可された。
私の料理に、王族は舌鼓を打った。
数年前にも同じものを出す店があったというのに、見る目がない者達だ。
それから、私は城で精力的に働き続けた。
何の目論見もないただの料理人として、労働し続けた。
私の名前を知らない者が城からいなくなっても、王に子供が産まれても、仕事を果たし続けた。
ある日、もう私に対して何の疑いも持たず、昼下がりには仲良く会話すらするようになった王妃に対して、質問してみた。
「王妃様は、王様と婚約なさった時のことは覚えていらっしゃるんですか?」
「ええ?どうだったかしら…あの時は私も尖っていたから…でもそうねえ、ニコラスがいた頃は、確か毎日イライラしていたわね。あの人優しいけれど、それが妙にイラついて…」
ニコラス。第二王子。もはや彼に対する思い入れはないらしい。
「サイモンは聡い人で、私の機嫌が悪くなったらすぐ甘やかしてくれるから、まあ、結局こうなって良かったわ」
こうなって良かったと断言する王妃は幸せそうだ。
「そういえば…あの頃は色々物騒だったわよね。ニコラスと懇ろだった身の程知らずな女とかいたわよね、処刑されたんでしたっけ。まあ、順当よねえ」
「…その両親も処刑されたそうでしたね」
「あらそうだっけ?よく覚えているわねそんなこと。駄目ね、小さなことは本当に記憶に残らなくて…」
勢い余って絞殺する前に、私はその場を離れた。
今のところ、王妃を殺す気はない。
彼女の立場になって考えてみれば、彼女もまた巻き込まれた人間といえなくもない。
国民一人が死のうが喚こうが、何の関心もないのだろう。
そういうものだ。
許せないかどうかは別として、上に立つ人間とはそういうものだ。
また別の日、同じような質問を王にしてみた。
散々王妃の愚痴をぶちまけた挙句、王は「腹違いの弟だろうが何だろうが、愚かな罪人は排除するだけだ」と言い切った。清々しさすら感じる姿だった。
この者は、妹も両親も、カケラも覚えていなかった。
男爵とその子息に給仕する機会を得た。
男爵はすぐに酒に酔い潰れて朦朧としてしまったが、子息は元気だった。
軽くカマをかけると、料理に混ぜた薬の効果もあるのだろう、面白いように子息は喋ってくれた。
「自業自得、因果応報!自分の頭で物事を考えられんような馬鹿は使い潰される運命にある!だいたい処刑で首切りなんて優しすぎる!ああいう国家を騒がせた馬鹿女にはもっと惨い罰を与えるべきだとは思わんかね!?」
「ほう。例えばどのような?」
「拷問でも火あぶりでも輪姦でも何でもすればいい!それほどの罪がある!実際俺が強姦してやったことがあるが、己が正義を執行してやったと、あの時ほど達成感を得たことはない!」
手に爪を立てて握り締めた。
殴り殺したいという意識を抑えるためだ。
「いいかね、君のような小市民には分からんかもしれんが、罪を犯した人間ってのはな、罪に見合う罰を受けた後も、地獄を見続けなきゃあいけないんだよ!」
「その人に、どんな事情があっても?」
「そうとも!罪人はどんなにあがこうが罪人。いいか、罪人には何をしてもいい!石を投げてもいい、手足を切ってもいい、殺してもいい!とにかく酷い目に合わせるべきだ!そして何の罪もない我々はそれを執行して楽しむ権利がある!」
何の罪もないと、男爵子息は豪語した。
罪人には何をしてもいいとも、口にした。
「では、娘の両親は?娘の家族には手を出さないと約束したのでしょう?」
「約束したさ!だが勘違いするな。父上は、手を出さないと言ったんだ。親を処刑したのは俺達じゃない、陛下だ!俺達は何もしておらんとも!…んん?何でそんあこと知って…」
呂律が回っていない。
自白剤とは別に、ようやく効き始めたらしい。
焦点の合わない目をぐるぐると回し、口から泡を吹きながら男爵と子息はビクビクと痙攣している。
「あなた達が殺した妹は、きっと今頃は天国にいるでしょう。罪を被せられた者が地獄に落ちるなど、そんな道理があってたまるか!」
「あ…が…が…」
「あなた達と私は地獄に行くのです。仮に私が逝った時、あなた達が地獄にいなかったら、私が引きずり落とす」
吐き捨てて、横たわる二つの物体から目を逸らす。
第二王子の手先に「あとは頼みます」と礼をして、私は部屋を出る。
数週間後、王都のとある井戸の中で変死体が見つかった。
どうやら身分が高そうだが、体も顔もボコボコに膨れ上がっていて判別がつかない。
同時期に行方をくらませた貴族かと推測されるが、真実は定かではない。
王が死ねば、それは男爵などとは段違いの影響が出る。
だが、それがどうしたというのか。
王を殺し、第二王子が王座につく。王妃は失脚する。その子供には何の罪もないから、一応第二王子が便宜をはかってくれるそうだ。
私は何の気掛かりもなく、王を殺せる。
「あなたが殺した父と母は、こんなことを望んでいないでしょう。妹だってそうでしょう。死ぬ間際ですら私達を心配していたような、優しい子」
「だがあなたは彼女を利用し、王に上り詰め、いらない人間を消し、念入りにも彼女の家族すら殺した」
「私から何もかもを奪った」
「私も、自分がここまで苛烈だと自覚していなかった。あなた達のおかげで、私は目覚めた。私は、私が誰かを平気で殺せるようになるなんて、ちっとも思っていなかった」
「私は罪人です。あなたもそう。…厳密にいえば、この国に罪人でない人なんていないのかもしれませんね。誰だって欲望を持ち、怒り、悲しみ、憎悪し、人を害する可能性を秘めている」
「そんな私達が、自分は特別だからと他の罪人を断罪する権利なんて、あると思いますか?」
「ねえ、王様?」
***
「はい、おしまい」
「こわー!教訓にしてもすごく怖い!はっ、もしやそれ、実話なの、王様!?」
「はは、どうだろうね」
身震いする子供に金髪の王は苦笑し、子供の頭を撫でた。
茶髪の子供は幸せそうに笑った。