十五分間
僕の育った場所は、僻地の田舎だ。
どのくらい田舎かと言うと『ふるさと』に歌われる光景を想像してみてほしい。それで全ての説明はつく。
村の周囲は山に囲まれ、川が龍のように南西側の山に沿うように流れている。
当然、交通手段は限られている。
僕は高校に受かったと同時に、一時間に一本のバスに乗り朝課外に出る為、五時半起きを余儀なくされることを宿命づけられた。
春夏はまだ良いのだが、これが冬となると辛い。
布団から出るのに決死の覚悟が要る。その程度には冷えるのがこの村だった。
当然、雪掻きなども必須な訳で。
母にこき使われながらこの年にして疲労を訴える腰を宥めつつ、僕は家の周囲の雪掻きをする。唯一、雪掻きの利点は、高校に通学する必要がなくなるケースが多いことだ。堂々と昼日中に家の布団にくるまることが出来る。――――雪掻きが終わったあとだけど。
でも、あいつに会えないのは少し寂しい。
僕は早春のバス停(と、辛うじて言える)に立ち、目当てのバスが来るのを見守る。
やがてぷしゅうとした間抜けな音とともにバスが止まり、僕は中に乗り込む。降りる客はいない。僕を含めて、これで乗客は二人になった。はあ、と息を吐くと、首の周りにぐるぐる巻いたマフラーが少し湿り気を帯びた。
先客はよう、と言って僕に手を上げた。
僕もうん、と言って返す。
幼馴染の呉橋和樹とは小・中・高の腐れ縁だ。
いや、少し違うかもしれない。
「リーダーの予習やった?」
「うん」
「あとで見して」
「良いよ」
「さんきゅ」
にかっと向日葵が咲くような笑顔。僕は眩しくて目を逸らし、そそくさと和樹の隣に座る。
バス車内の一番後ろの座席を独占できるのも、この早朝に起きた僕らの特権だ。
「進路希望のプリント出した?」
震えそうな声を堪えながら、僕は平然とした風を装い和樹に問う。
「うん。推薦。東京の」
「……東京に、行くんだ」
「ああ。お前は?」
「無難に地元の大学に行くよ」
「ふうん。じゃあ別々だな」
解ってはいたものの、こうはっきり明言されると胸にずしりと重石が乗ったようだ。
和樹は僕と違って運動ができ、剣道部に所属している。だから朝課外がない日は部活の朝練に行く。僕はひょろひょろのもやしっ子で、おまけに勉強も余りできない。当然、和樹との進路は離れることになる。
と、和樹の頭が僕の肩にことんと乗った。
眠っている。
いつもこうなのだ。
和樹はこのバスで通学する間、僕にもたれてうたた寝する。
そしてきっかり十五分経ったら目を覚ます。
その十五分が今の至福で、そしてやがては必ず失われるものだった。
バスの中は暖房が効いていて、コートとマフラー、手袋をした身には暑いくらいだ。
僕はそっと和樹の寝顔を窺う。赤ん坊みたいに無垢な寝顔だ。肩にかかる重みが、温かくて遣る瀬無くなる。
この十五分の貴重さを思うと僕は不覚にも泣きたくなってくる。
何もしない。触れることもない。ただ和樹の息遣いと温もりを感じるだけ。
たかが十五分、されど十五分。
「なあ……」
眠っていた筈の和樹が、目を閉じたまま呼び掛けた時にはびっくりした。
「春になったら山菜
採りに行こうな。土筆やら、蕗の薹やら……」
「……うん。うん。行こう」
「夏には鮎だろ……」
どうやら夢うつつで話しているらしい。
「行こうな。俺たちが、遠く離れちまう前に」
ぼんやりと紡がれた言葉が、僕の心の中核を撃ち抜いた。
もう涙を止めることはできなかった。
ウールの紺色のマフラーが、湿気ではなく水滴そのものを吸う。
和樹はそのまま、またすうすう寝息を立てた。
バスは走り続ける。
僕たちの未来に向かって。
今はまだ微睡む十五分間を乗せて。