第一章 祭りの陰
『命の積み重ねの上に『白い空』を耐え抜く蓄えが成り立った。聖火を灯そう』
目の下に隈を蓄えたアレクサンドリア公国王、クレイラが従者に支えられ巨大なトーチで聖火台に着火する。台に備えられていた燃料に火は猛々しく走った。トーチよりも数段大きな炎が城下町を照らし、割れんばかりの大喝采が起きる。そんな群衆の中にグリフとキキが人目を避ける路地から少しでも寒さを凌ごうと影を避けて聖火を見つめていた。
「来るわねー『白い空』」
「そうだね。ウチのテントもしっかり補強しないといけないんじゃないかい?」
グリフの問いかけにキキ分かってないわねと言うように手のひらを天に向け、首を振る。
「『白い空』用のテントもあるのよ。知らなかった?」
「私があそこに混ざったのは前回の『白い空』の後なんだから。知るわけがないじゃないか」
「あれ、そうだった?」
今度はグリフが分かってないなと言うように片方の眉を下げて見せる。
「『白い空』どころかやっと一年だっていうのに。そんなに老けて見えるかい?」
「アンタと仲良いアリアが古株だから感覚狂うのよねー」
「あぁ。アリアは生まれた時からいたんだっけ」
グリフは烙印を隠すために左腕に装着した長い手袋越しの左手と素の右手を顔の前に当て、はぁと息を吐く。並の防寒具では堪え切れない寒波に自然と二人は身を寄せ合った。
「そうそうアタシなんかよりずっと古株で……」
『えぇ皆の衆。これより厳しい季節が訪れる……あー皆が手をとって……えぇ』
国王が口を開く。声は辺りを取り囲むレンガに反響し、聖火台から遠く離れた場所にもその声を分け隔てなく届けている。もちろん御年七十を超える老体に出せる声量ではない。彼の後ろには拘束服を着用し銀騎士に囲まれた魔女が一人控えていた。
「……あの子たちの扱いはどうにかならないのかな」
「どうもこうもあれはあの子が望んであの役目をしているんだから。覚悟の上でしょ」
強弱も無くキキはそう答える。両腕を胸の前にクロスし、両足はかかとを揃えた形できつくベルトが巻かれた彼女は目を伏せているようだった。二人からは遠く高い位置にいる布の被った彼女の表情を伺い知ることは到底できはない。
「それでも……そうだとしても」
「……この世の中どうにもならないことも多いのよ」
キキの言葉にグリフが言い澱む。料理下手なタイラーがこしらえたスープを口に運んだ時の様な表情だった。
便利な魔法を使えると持ちかけて衣食住と引き換えに自由な人生を投げ出す魔女は少なくない。聖火台でじっと耐える彼女のまたその一人。公国では近年、魔女をあのように厳重に管理下に置くことで利用しようと企む勢力、通称穏健派が力を伸ばしていた。
彼女の魔法を介して拡大した王の声はなおもレンガ街を震わせるが、よくよく聞けば会話の内容はあちらこちらに飛躍し、しゃべり口もどこかたどたどしく弱っている。
『んーあ、そうじゃ、メリダの奴がのう。軍技が強くて強くてなかなか勝てんでのう』
「はぁ……国王さんもだいぶお爺ちゃんになっちゃったわね。まともに話せてないじゃない」
「確か七十は超えているだろう。誰も歳には勝てないさ。それにメリダと言えば先代のリンドブルム王だ。もしかしたら国交断絶前の話をしているのかもしれないね」
数段先の人生という階段を上る私に対する当てつけか。グリフならばそんなブラックなユーモアを口にすることもあるとキキは睨みを利かせるが、彼女の視線は国王に向けられ、なおかつ穏やかだった。
「アンタ良く知ってるわね。国交断絶なんてアタシどころかエリンすら産まれる前よ?」
「職業柄そういったことは覚えておかなきゃいけない仕事だったからね。というより自国のことくらい常識として知っておくべきだろう?」
ただでさえ高い背が更に大きくなったように錯覚した。小馬鹿にされているのだな。そう感じたキキはとりあえず彼女の左脛を軽く蹴飛ばしておく。
まったくこの後輩はことあるごとに自分を馬鹿にしてしょうがない。客待ち中に寝ていれば風邪をひいてはいけないとていの良い言い訳をして夏季だというのにこれでもかと毛布を被せてきたり、何か失敗をしてしまえばその三日後まで同じことでなじられる。
しかしキキはそれは決して立場を下に見られているが為の行動ではなく、彼女なりのスキンシップなのだと気付いているが故に放任していた。
「……前何をしていたか、聞かないのかい?」
小さくため息をつくと彼女はいつもと同じ冷たい微笑みを浮かべて首を傾げている。
「別に。アンタが話したいなら聞くけど」
今は向かいの店で食事を楽しんでいるだろう同じ班のダリアとアイヴァン。彼女らとの付き合いもじきに三年半になろうとしているが、その過去にはキキから触れたことがない。人生がその魔法に反映される魔女にとって魔女以前の話題は雪の結晶よりも繊細で触れ方を誤ればガラスのように壊れてしまう。
だから彼女は自身からそれについて聞こうとしない。もちろん誰かに話してストレスを発散したり、背負った十字架を下ろしたいと願う人物の――ダリアはそれに該当した――はけ口代わりに夜通し過去の懺悔を受けたことはあるが。
「じゃあこの話は取っておくよ」
「そんなに面白い話なの?」
「あぁ。私のとっておきさ」
レンガに映える氷細工のような彼女は思い出したようにふっと笑うとこの話を切り上げた。掴みどころがあるようでないグリフの面倒はやれ心労が溜まる。まぁ心地のいい疲労感故に嫌いではないとは口が裂けても言えない。言えるものか。
「そういえば軍技って昔のボードゲームだっけ?」
「そうそう。昔それこそ仕事で覚えたけど頭の体操にはなかなかいいゲームだったよ。キキも覚えた方がいいんじゃないかい?」
『きゃあああぁぁ!!』
まだなじるか。いい加減彼女に対する仕返しの仕方を身に沁みこませなくてはという思考が頭を過った瞬間、穏やかな街並みに似つかわしくない叫びが木霊する。
反射で逃げ出す準備をするキキと戦闘態勢を取るグリフが声の発信元を探すと、聖火台に直立していた拘束服の彼女が、瀕死の芋虫のように身をよじっていた。
『静まれ! おい、貴様!』
『何これ! 何なのこれ!』
銀騎士が槍を喉元に構えるが布越しの視線ではそれを知りえない彼女は激しく抵抗する。
「……魔力切れね」
何が起こっている。必死に遠く聖火台で起こっている事象を認識しようと静止して頭をフル回転させるグリフの傍で小柄な班長はそう呟いた。
「あれが……?」
「多分ね。見るのは初めて?」
頷くと、自身が見つかったわけではないと安心したキキは警戒を解いて腰を下ろす。
「魔女には魔法の限界量があるのは知ってるでしょ。魔法の力ってことで魔力なんて言ってるけど、例えるならコップの中の水よ。小さな魔法でも使えば使うだけその水は減っていく」
「コップが空になった時が私たちの死ぬ時だとエリンに教えてもらったけど」
合せてグリフも腰を下ろすと大きな目を伏せて彼女は首を横に振った。
「言葉足らずね。まぁ敢えてそうしたんでしょうけど。正確にはコップの中が空になった時、悪魔は私たちの魂の一部を食らってコップに水を注ぐの」
「魂の……一部?」
「そう。アタシたちの魂の一部。この世界と干渉するための大切なもの。何だか分かる?」
いい機会ではあったが、その問いかけにグリフを小馬鹿にした様子は見受けられない。彼女なりに真面目な話とそうでない話での切り分けがあるのだろう。
グリフが先程のキキの様に首を横に振るとその大きな目を半分ほど伏せた。
「五感よ。目、耳、鼻、口、あとは触った感覚だったっけ。それが悪魔の好みで没収されるってわけ」
「じゃあレイナ班の彼女たちは」
「そう。魔力が切れてそれを補充するために感覚を失ってる。捧げるモノが無くなった時。それがアタシ達の寿命よ」
低くなった日が路地に半分ほど影を落とす。それはキキだけを優しく包み込んだ。それを知ってか知らずか、響いていたエレジーがピタリと止まる。
歌い手に振り向くとそこに拘束服の姿はなく、ただ紅で濡れた槍を携える銀騎士がそこにいた。荒天の森の中のように群衆はざわめき、子供の目を隠すようにして立ち塞ぐ親の姿が見える。
「……アンタも気を付けなさい。汎用性の高い魔法の方が死にやすいわよ」
「……肝に銘じておくよ」
日没はキキだけでは飽き足らず、もう一人をも飲みこもうと加速する。
遠く聖火に照らされた国王は遥か日が沈み切りそうな山脈を見つめながら未だ笑顔で口を動かしていた。
「っていうか、なんでそんな大事なこと早く聞かないのよ」
「いや、なんとなくさ。なんとなく聞き辛い話題じゃないか」
グリフが言葉を濁す。見ると珍しくその色白の頬が赤らんでいる。何が理由で照れているのかはキキに推し量ることは出来なかった。
「それはそうだけど自分の命に関わることよ?」
「それもそうだ」
まるで他人事のような言い草にキキは顔をしかめるしかない。どうもこの女性には"抜けている"箇所がちらほら存在する。それが抜けているで済むのか、それとも何か触れられたくないさらに繊細な氷細工を胸に秘めているのかは知らないが。
ふと視線を落とすとグリフすらも陰に飲みこまれていた。あとは闇が世界を包むだけ。
名残惜しいが家路に着く時間がやってきたようだ。
「さぁ、そろそろいい時間よ。食いしん坊二人を回収して戻りましょうか」
「そうだね。にしてもすごい食欲だ。何時間食べているんだろう」
二人は陰から逃げるように立ち上がると、明るい広場へ向けて歩き出す。
左の手袋がずり落ちていないか確認したグリフは、数歩先を行くキキの背中に駆け寄った。既にその頬は普段の色を取り戻している。
「他にお金使うこともないから今の内に詰め込んでるんでしょ」
「にしても食べ過ぎさ。明日から感覚を戻すのに大変だよ」
「それは直接二人に言ってあげなさい」
あと何回この祭りを楽しめるのだろうか。
考えてはいけない。それがこの道を選んだ自分に対する罰であり、慰めなのだから。




