第一章 来客
空は高く森の中に木漏れ日を落としていた。日は確かに温かいはずなのにそれを取り巻く空気は酷く冷え、じっと動かずに客を待っていると体が芯まで冷えて仕方がない。定期的に温かいお茶を班員に提供するアリアはかじかんだ手にはぁと息を吐いた。
「暇だなぁ……」
大方の予想通りタイラーの調子は翌日には元に戻っており、客待ちはいつもの様に永遠の様な時間を彼女らに与える。
「夜ですらあんまりお客さん来ないもんね」
ただ時間を潰すのも暇だろうと話題を投げかけてみた。パティとユニはそれぞれ読書に夢中になっており、せめてタイラーとやり取りできればこの長い長い客待ちの時間も紛れるだろうから。
「せっかく人がいっぱい来てんだから城下町の前でビラでも配ればいいのに」
「多分そんなことしたら国に見つかって追い出されちゃうんじゃないかな……」
「そりゃそうか……」
昨日のキキの様に机に突っ伏すタイラーはお茶に手を伸ばす。よくその体制でお茶が飲めるなとは言えなかった。
すると本に夢中になっていたユニがぱっと顔を上げる。次のページを捲らんとする格好のまま静止し、じっと森の奥を見つめていた。
「ユニちゃんどうかした?」
「……誰か……来る」
ユニがそう告げたと同時、木々の隙間から大柄な男か顔を覗かせる。身長はタイラーと同じかそれ以上、あごに髭を蓄え、だらしなく肥えた体の至る所に金銀の装飾品をこれ見よがしに着けていた。
「本当にあるとはな……」
男は目を丸く広げている。彼はおそらくこの集落を探して森の中を彷徨っていたのだろう。しかし噂は噂。実体があるとは信じていなかったのかアリアたちの姿を確認してユニの様に同じく固まってしまった。ゆっくりとした動きでタイラーは重い腰を上げる。
「こんにちはおっちゃん。『今日はいい天気だね』」
「……え、あ、あぁ。『雲も降ってきそうな空だ』」
タイラーの言葉にようやく感覚を取り戻した男はある言葉を口にした。
アレクサンドリア領に伝わる魔女の噂。それに紐付けられた合言葉。タイラーにそれを告げた男は魔女の力を縋ろうとここまで足を運んだ客だった。
タイラーはその言葉を週に一度の肉の様にゆっくり飲み込むと二歩、三歩と視線は男に残したまま歩き、テントの入り口を広げる。
「……ようこそ。魔女の集落へ」
昨日の成果は"ボウズ"だったようでキキは憤慨していた。日頃から頻繁にお客が集落を訪れてくれるならばもっと広くて分厚い上質なテントで毎日を過ごすことができるのだろう。故に客が一人も来ないという日はザラで、皆それを承知の上で動いている。が、聖肉祭の特別シフトが敷かれている間にボウズというのがキキは気に気に食わなかった様だ。
男は素直にタイラーの誘導に従いテントの奥へ腰を下ろす。入り口側に班長が腰かけ、他の三人も黙って後ろに立ちその交渉を見守る。
「まずアタシはタイラー。ご覧のとおり魔女さ」
彼女は昨日祭りを途中で締め出される原因となった烙印を人差し指でトントンと指した。
「アタシらがアンタの願いを叶えよう。その代りおっちゃんはアタシらに金を支払う。その金額は願いの大きさによって変更させてもらう……ここまではいいかい?」
男は黙って頷きタイラーに次を促す。
「種類にもよるけどここにいる魔女だけで叶えられない願いの場合もある。悪いけどそん時は他のやつが帰ってくるまで待ってもらうか、日を改めてもらうしかないからそこんとこよろしくな」
アリアは言葉の段落を待って男の前にお茶を差し出した。暖かな湯気と香ばしい香りがテントの中に広がる。
「じゃあ、アンタの願いを聞こうか」
タイラーがようやく主導権を手放すと男は俯いた。少しだけ薄くなった頭頂部が露わになる。
「……嫁が浮気しやがったんだ。あの野郎俺の稼ぎで飯食ってる癖に……」
掻いたあぐらの膝の上に置かれた拳は爪が手のひらに食い込みそうなほど怒りで握られており、かすかに震えていた。
「しかも相手はフレディなんだ信じらんねェ。恩知らずもいいところだぜまったく。あぁ恩っていうのはその昔フレディに金を貸してやったのよ。経営が傾いてたからな。嫁も嫁だがフレディもフレディだぜ」
話しが苦手という人間は一定数必ず存在し、アリアもその一人だった。Aという結論に至るまでいくつかの段階を踏もうとしているうちにいつの間にかAから遠ざかっている。この男の話しも全くと言っていいほど要領を得ず、泥沼の中から金貨を見つけ出せと言われているようだった。
「小父様。して願い自体はなんですの」
困惑していると隣で腕を組むパティが声を上げた。言葉遣いは変わらず丁寧なのだがどこか棘を感じる言い方だ。その言葉に男はさらに癇癪を起す。
「愚痴ぐらい言って悪いのか。俺は客だぞ!」
「長い話は女に嫌われましてよ」
「パティ、客の前だぞ」
タイラーは冷たいナイフのような言葉をパティに向ける。アリアは三人の顔を交互に見ることしか出来ないでいた。
「悪いねおっちゃん。若いから許してやってくれよ」
「ふん……」
この男が仮に客ではなく、昨日祭りに紛れた時に難癖をつけてきたならば一番に文句を言っていたのは恐らくタイラーだろう。しかし数が決して多くはない客の前である以上、逃がす訳には行かない。仕事をもらい、報酬を得るまでは彼は丁寧にもてなさなくては。それがエリンからのお達しであり、それが出来るからこそタイラーは班長を任されていた。
「で、おっちゃん。具体的にはどうしてほしいんだい。その奥さんと冷え切った仲を取り戻したいのか、間男に罰を与えたいのか……」
このような深い森の奥までやってきて、虐げられている魔女に対し高額な金額で頼むことなど後ろめたいことに決まっている。
人が死ねば輪廻を繰り返し、人の道から外れたもの――殺人者などは地獄で朽ちることなく罰を受ける。生は天で修行するまでの休憩というのがアレクサンドリアの死生観である故に自ら手を汚すことのない魔女を介した殺人は少なくないのだ。
「あぁ簡単な話だ。嫁の視力を奪ってくれ」
鳥のさえずりが聞こえない。木々ともうすぐ今季の役目を終える薄いテントがアリアの心に冷たい風を届けていた。先程淹れたお茶が一瞬で冷めてしまう程の冷たい風を。
「……ま、たエキセントリックだね」
「他の男が見えなけりゃ浮気の心配もないだろ。それにいなくなられたらいなくなられたで夜の相手に困るだろうが。体は抜群なんだようちの嫁は」
集落で過ごした年数はダントツに多いアリアが認識しているだけでも殺人は一番多い依頼。時点で失せもの探しや移動手段など比較して平和的な依頼が印象だった。が生に対する感覚は麻痺している。
その中でこの男の光を奪う願いはなかなかに外道な企みだった。生かす理由も自分本位。もしこの場に男嫌いのグリフがいたならば吐き気を催していただろう。いや、吐いていたに違いない。
「じゃあアンタの奥さんの視力を奪う。これが望みでいいね」
タイラーは淀みなくその言葉を口にした。
出来うることならば誰もが人を殺めることなどしたくはない、が魔女が生きる術はこれしかないのだ。
「あぁ。それで頼んだ。言っておくが傷は残すなよ。抱くときに萎えるからな」
彼は懐から煙草を取り出し火をつける。既に冷めたお茶の湯気をかき消すように匂いが立ち込めた。
「オーケー。それじゃあ……そうだな。パティいけるか?」
「えぇ」
タイラーが任せようと彼女の名を呼ぶと男は眉間にしわを寄せる。
「おい、ちょっと待て。その小娘がそんな魔法を使えるのか? 大丈夫なんだろうな」
先ほどの小競り合いも含めて彼女の若さを不安視しているようだ。対するパティを恐る恐る見遣ると沸々とした激情をなんとか抑えていた。
「言葉を返すようですが小父様。視界を奪うだけでよろしくて?」
「……どういう意味だ?」
パティの申し出に空気が張り付く。また何か失言するんじゃないかとタイラーは次のナイフを突きつける準備をしていた。
「甘い言葉を囁かれては奥様もまたなびくやも知れませぬ。……ついでに聴力は如何? 私ならば視力も聴力も完璧に消し去って見せますわ。もちろん傷痕一つ残さずに」
パティは一息で言い切ると深く、細く息を吐いた。毅然としてはいるが自分のプライドを守ろうと躍起になっているのが見て取れ、アリアは左の人差し指を右手で胸の前にきゅっと握る。
「おい、パティ……」
タイラーが男に背を向ける。が、険悪な彼女からの進言に対して彼は醜悪な笑みを浮かべた。
「ほう……やれるもんならやってもらおうじゃねぇか。いい話だ」
「えぇ。私に任せてくださいまし」
「よし。ならすぐにでも頼んだぞ。金はいくらだ」
口角をさらににやりと上げ、少しばかり上機嫌になった男が逆の懐から財布代わりの巾着を取り出す。猫背でため息を一つ付くタイラーもジャラジャラと音を立て姿を覗かせる金貨に再び調子を取り戻した。
「そうだね、金貨……十枚をいただこうか」
「金貨十枚!? 高ぇな。足元見てんのか?」
金貨十枚。芋ならば百二十キログラム、肉ならば七キログラム半の食料品に変えることができる。リンゴ飴換算ならば実に千五百個。
殺人の依頼が多いがそれは割合としての話しであり、全体数として一人頭この程度の金銭を要求しなければ二十人弱の集落を賄うことは到底不可能であった。しかし――。
「二枚くらいまけてくれや」
「悪いけどオマケは出来ない決まりでね」
「ちっ、ケチな輩だなまったく……」
渋々巾着から金貨十枚を取り出した男はそれを大げさなほどに苦笑いをするタイラーの元へ投げ捨てる。ふっと一息ついた後タイラーは丁寧にそれを拾い上げ、アリアに手渡した。
「さっそく始めよう。パティは着替えを、アリアは準備を手伝ってくれ」
二人は頷くとそれぞれ準備を開始する。立ち上がった彼女らにつられて男も腰を上げるが、ユニだけが一点を見つめてその場に坐したままだった。
「……お茶、飲まないの?」
ここまで一言も言葉を発してこなかったユニがアリアの淹れたお茶を見つめて呟く。時間の経過によって既に温度が失われたそれを男は一瞥した。
「……もったいないよ?」
「そ、そうそう! うちのアリアはお茶入れるのだけは上手くてさ、よかったら飲んでやってくれよ」
ユニのフォローを試みたタイラーの言葉を遮るように男は蔑んだ目のままコップに唾を吐く。
「魔女が出してきたもんなんぞ飲めるか。娼婦の小便を飲むほうがまだマシだぜ」
そう捨て台詞を残し、男は四人を押しのけてテントを後にした。




