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睡蓮を摘むならば  作者: 平間太郎
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第二章 快進撃の宴

「では、明日以降も変わらぬ勝利を願って! 乾杯!」


 ラナールの大声が勢いよく彼の口から飛び出した後、それは直線的に闇に溶け込んでいく。夏季後節の足音が少しずつ聞こえてきた影響か日中は穏やかになってきた。しかしながら元々寒冷地であるアレクサンドリア領の夜はいずれにしてもよく冷える。それをかき消すように温めた酒が全員の手元に配られていた。宴会である。

 快勝に快勝を重ねたアレクサンドリア軍前衛部隊は、グルグ大陸を南北に分かつガルガン山脈の切れ目を目前に捉えていた。ここを境にグルグ大陸はアレクサンドリア領とリンドブルム領に二分されている。

 つまりは、幾日か後には敵地へとついに進軍するのだ。


「酒なんて飲むの久しぶり」


 うっとりとした表情でキキはお猪口に収まった液体を一気に胃に流し込んだ。喉の入り口が一気に熱を持ち、その熱は胃の中へまで伝搬する。ふう、と一息つくとアルコールの混じった吐息が鼻から漏れ、改めて自分は今酒を飲んでいるのだという幸福と優越が体中に染み渡る。

 そんな情緒など一切気にも留めずに隣では徳利が次々に空けられていた。


「若いのになかなかイケる口じゃないか。グリフ」

「若いからこそかな。君こそ明日に残るから無理しない方がいいんじゃないかいエリン」


 無言の火花を散らせる二人とアイヴァンは静かに距離をとる。


「な、なんかあの二人には絡まれたくないなぁ……ね、ロイ……ロイ?」


 寄り添ったロイの意識は既に乾いた地に飲みこまれていた。お猪口からの端には"舐めた"という印だけが残っている。集落の暮らしでは贅沢品でめったなことが無い限りその姿を現さない酒だ。慣れていないのも無理はない。


「こんなに酒弱かったのかロイ……」

「飲みなれていないんでしょ。あとあの馬鹿二人は放っておきなさい。酒は静かに楽しむモノよ」


 視線もくれずにキキはそう答える。ほんのり色づく頬から、彼女もまた量という面ではそこまでお酒を楽しめないのだろう。しかし別な楽しみ方を知っている。歳はそれほど離れていないキキと自らを比較するとその発育の進んだ胸も含めて憂鬱が心に差した。


「貴様ら!」

「ひゃい!」


 アイヴァンの背後から唐突な大声。例にもれず直立不動と言えばこの男、ラナールである。


「何の用? 今構ってられないんだけど」


 明らかに普段の様子ではないグリフは立ち上がるとラナールの右肩に肘を載せてよりかかる。幾分か背の低いラナールの肩は収まりがいいのか、体を揺らしながらもそこから動こうとはしなかった。


「貴様もう酔っているのか」

「酔ってない!」

「酔っているではないか……まぁ良い」


 彼はため息の後に初陣の時と同じく小袋を腰帯から取り出し、グリフに握らせる。


「軍団長からだ。とっておけ」

「何これ、つまみ?」

「食えるものなら食ってみろ。明日からも頼むぞ」


 ラナールは言葉少なに背を向け男の群れの中に去っていく。普段の精密性は崩れているようで、彼もまた酒に浸っているのだろうとエリンはどこか思う。前線に立つ魔女程ではないにしろ、残党と相対し槍を振るう他の兵卒たちもみな平等に宴に一時の夢を見ているようだった。

 支えを失ったグリフは少しよろめいたが、小袋の中を覗くとにんまりと笑う。


「思っていたより結構な待遇よね」

「あぁ……想像していたよりずっと」


 金貨を見つめてゲラゲラ笑うグリフを余所にキキは呟いた。人として扱われることは皆無、悪魔に身も心も捧げた人の道から外れた存在という常識がアレクサンドリアには深く、深く根付いている。いくら静かに暮らしていても存在自体が否定されるのだ。

 アレクサンドリア城内で話したマグダレンの言葉も心の内では半信半疑どころか信じていた魔女はいないはずだ。

 しかし彼の言葉は戦争が進むにつれて真実味を増し、働いた分だけ魔女たちを評価する。評価してくれる。血生臭いものではあるものの、認めてくれるのだ。存在を。


「レイナたちも今頃飲んでるのかな」


 ふと遠く山脈を進んでいるだろう半分に分かれた仲間に思いを馳せる。

 夏季後節が近づいているとはいうものの彼の地は厳しいはずだ。雪解けすることもなく、吹雪いているやもしれない。


「わからない……が、ちゃんと守ってくれているはずさ。私たちは彼らにとっての剣なのだから」


 彼女らの安否を知る術はないが、今はマグダレンを信用する他ないのだろう。しかし自分たちがこの待遇を受けられていることこそが彼を信用する理由になった。

 きっと、無事だ。

 お猪口にいちいち注ぐことを諦めたエリンは直接口をつけていた徳利を静かに着地させた。ぼーっと笑い転げるグリフを見つめて静かに笑みを浮かべている。


「それよりも」


 エリンの美しい程度に緩んでいた口元がキュッと引き締まった。


「君は戦えるのか? ……キキ」

「はぁ? 今さら何言ってんの?」


 まなざしは酒の影響かとろんとまどろんでいるが、その中に潜む瞳は強い輝きを放っていて、酔った故の世迷言かと笑みで返すキキの表情を改めさせるほどに真剣さを伴って言葉を紡いでいることが予想できる要素だった。

 静かに、しかし堅牢に、騒いでいた男たちの笑い声や喧騒とキキの間を意識のフィルターが隔てた気がする。


「君は……リンドブルムの父上をもっているだろう」

「それがなんだって言うの」

「君には半分リンドブルムの血が入っているんだ。抵抗はないのかい」


 事実として彼女の双眸が黒と茶という混色の理由は血に由来する。アレクサンドリア生まれの母とリンドブルム生まれの父を持つと彼女は以前班長の四人に打ち明けてくれた。といっても本人としてはそれほど隠すべきこととは思っておらず、興味を持った他の魔女から瞳の謎を聞かれた際には特に抵抗することもなく話していた。


「別に。私が物心ついた時にはアレクサンドリアでの暮らしだったもの。父がいくら自分がリンドブルム人だと言ってもだからどうしたってしか思わなかったし」

「そうか……余計なお節介だったね、すまない」

「ほーんと。気を使い過ぎよまったく」


 どこ生まれだろうが、何色の血がその身に流れていようが大した問題ではない。長い間苦楽を共にしてきた新しい家族を傷つけられるようなことがあればキキはためらわない。ためらうはずがないのだ。それほどまでに集落の仲間を愛しているのだから。


「…………」


 気の迷いを払しょくしようと更に酒を煽る横でキキは夜空を見上げる。しかしそれは悪手だったようで、澄んだ星空がやけに眩しく感じてしまった。班長としてどうどうと、冷静にこれまでやってきた自分はどこに行ったのだろう。悔しい気持ちを大きな波で攫ってしまおうと手元の酒瓶を握った。





「伝達部隊のものです!」

「入れ」


 広々としたアレクサンドリアの玉座はさぞ居心地がいいのだろう。しかしそんなものは本質として必要ないのだ。格式高くいねばならんなど理由をつけてただただ見栄を張りたいだけなのだと私は思う。

 リンドブルム城に備えた部屋はどれも機能性ばかりを求めた故に必要以上の広さを持っておらず、女から見ればいささか殺風景に映るのだろう。この設計室も私と、付き人扱いのデレクの二人が定員だ。


「報告致します! クェンティス大平原での」

「――まァ落ち着け。ご苦労だった。おい、茶を出してやれ」


 部屋に入ってきたのは伝達部隊のものだろう。情報は力という名のもとに結成した伝達部隊、戦争においても十二分に働いてくれていると感じている。ただそれが実を結ぶのはこの後だ。今はただ我慢の時。

 設計と確認が忙しく彼に向き直ることは叶わないが、背中越しでも報告は受けることが出来る。時間は有限なのだから。

 私の言葉にデレクは返事もせず、されど流れるように茶を差し出した。喉を激しく鳴らしてそれを飲み干したのを感じ取れる。


「あ、ありがとうございました」

「落ち着いたか。では報告を聞こう」

「はっ、クェンティス大平原での開戦から約二ヶ月が経過致しましたが以前我が軍は敗走を繰り返しています。現在リンドブルム領の数里手前、ガルガン山脈の途切れ目めがけて進軍しているようです」


 なかなかに遅い。予想よりも遥かに鈍足なのだなアレクサンドリアの軍は。いやそれとも足並みが揃っていないということだろうか。


「そうか」

「エルツーをも届かぬ遠方から攻撃されては手も足も出ず……というのが前方部隊からの報告になります」


 アレクサンドリアも隠し玉を用意していたようだ。まさか時代錯誤な奴らが魔女を兵として扱うなど柔軟な姿勢を見せるとはな。

 我がリンドブルムでも魔女の存在は確認されているが彼女たちは女性だ。子を残す存在である。それを死地に向かわすなどこの私、ルー・リンドブルムが許さん。


「デレク、実開発の方はどうなっている」

「ジェイワンは既に最終テストをクリアし、量産体制に入っています。エスワンは先日試作1号機が完成したところです」


 デレク、お前も皺が増えたな。

 しかしここが踏ん張りどころ、国土の狭く、資源の少ない我が国が勝つには数ではなく質で上回るほかあるまい。事実エルツーは実戦投入され、射程に入りさえすれば、アレクサンドリア産の鎧を貫くほどの威力は達成しているのだ。水面下の戦闘でも威力を発揮している。


「ジェイワンは出来たものから前方部隊に渡していけ」

「手配致します」

「加えて試作で構わん、最低限の動きが出来るようならばエスワンも実戦投入していけ」


 そう指示を出し、背伸びをしながら椅子を回転させると新しいとは到底言いきれない椅子はキィと小さく悲鳴を上げる。


「マキセだなァ。確か名は」

「な、なぜ私の名前を……」

「自国の民だぞ。覚えているに決まっているだろォ。ご苦労ねェ」


 王と民、一般的に見ればその立場はかけ離れているのかもしれないがそんな関係無駄しか生み出さないというのが持論だ。フラットな同じ目線こそが民を心から動かすことが出来ると今でも信じている。窮地に追い込まれれば追い込まれるほど恐怖による弾圧は崩壊しやすくなるのだから。


「馬が疲労しているはずだ。蔵にデレクの馬が繋いであるからそれを使うといい」

「そんな宰相様の馬をいただくなど恐れ多い!」

「何を言っている、貸すだけだ。必ず返しに来い。なァお前も良いだろう?」


 デレクに視線を向けると先程のルーと同じく設計図に目を落としたままコクリと頷く。馬とて資産ではあるがこの状況において誰のものかなど拘っている時間は無いのだ。


「いかに効率的に情報を運べるかを考えろ。最短ルートで道を往け。良いな」

「はっ!」


 さぁ行け未来のリンドブルムを背負う者よ。グルグ大陸をこの手に収めるために。

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