第二章 雪解けのエプロン(後編)
「エリンにさ、長老任されるって言ったって何をすりゃいいか分からなかったよ。今でもわかってねぇけどな」
「……うん」
「でもさ、事実やるしかねぇんだよな。アリアもライラもユニもアタシらが守ってやらなきゃいけないんだ」
ファネットの肩口から見上げる彼女は目を閉じて話していた。ついこの間までは粗暴がさつ、かっこいい一面やふとした瞬間に女性らしいかわいらしさは覗かせていたものの、今アリアが感じている『綺麗』という印象は彼女から初めて感じた気がする。
沈む夕日はその右手で紫のカーテンを空にかけていた。
「でもせっかくのお肉が……」
「また買えばいいじゃねぇか。最初はアリアとかに作ってもらいながら勉強してさ。いつかお前も作れるようになればいい」
ぽんぽんと一定のリズムで背を叩くタイラーの手がいつもより大きく見える。
「……待って」
だからこそ今アリアの心は悲しみで満ちていた。タイラーとファネットの抱擁で雪解けは済んだのだろう。それでいいではないか。一言を挟んだアリアに体を離した二人と、座ったままの視線が緩やかに刺さる。
「……どうした? アリア」
タイラーはこの環境になってから責任感が芽生えた。以前の粗暴な態度はなりを潜めて別人のように。それは彼女の心に深く優しさが根を張っているからだ。
素っ頓狂な声をだすタイラーと穏やかな空気に背を向けたアリアは陶器のコップを一つ取り出して液体を注ぐ。それを彼女へ手渡した。
「飲んで。タイラーちゃん」
「ど、どうした急に?」
「感想聞かせて欲しいの」
環境が変わって自らも変わらなければと奮い立ったのはタイラーだけではない。いや、奮い立つなど改めた奮起はしていないのだが自然と培われてしまった感覚だった。それはアリア、そしてライラがこの集落で生れ落ちて十六年間生きてきたからこそ身に着いた感覚であり、恐らくエリンやレイナも持ち合わせている感覚だろう。
魔女に長く携わってきた人間がもつある種センサーのようなものだった。
「…………」
「ねぇ」
「……わかった、飲むよ。そんなに急かすなって」
そりゃあ不思議な目も向けてしまうだろう。だがその感覚が表面化したアリアにはとても見過ごすことは出来ず、タイラーという人間を良く知っているからこそその条件に当てはまる。彼女は今重要なことを隠しているのだから。
それを隠している理由もあるのだろう。しかし状況が状況であること、何よりも"あのタイラー"が自らを含めた集落の全員に隠し事をしているという事実が心をじわりじわりと締め付ける。
「ん……紅茶だな。葉っぱ変えたのか? アタシは美味いと思うぞ」
あぁ。やっぱりだ。
どうせならば当たってほしくは無かったと言うのに。こんな感覚思い過ごしや、気のせいであってほしかった。自然と涙が零れる。
疑念の目を向けていたファネットやメアリーの視線に驚きも交じったことはぼやけた視界で確認できないが、それとなく感じ取れた。
「タイラーちゃん……それ、お水だよ」
「は……?」
タイラーの左手に握られていたカップがその落下速度に反して土に柔らかく着地する。
「味分からなくなってるよね?」
「…………」
「なんで教えてくれなかったの? そんなに夜お客さん来てたなんて知らなかったよ私たち」
集落でも随一で出されたものは残さず全て平らげるどころか余した料理があればテーブルの端だろうと手を伸ばして貪り倒すのが彼女の食欲だ。
そんな彼女でも到底美味いとは言い難いこの料理をアリアの出す料理と変わらないペースで食べるのには違和感があった。ファネットには悪いがそれほどまでに食の進まない料理なのだ。たとえファネットの処女作故の気遣いだとしてもだ。
「……鋭いな。参ったよ」
タイラーは観念したように大きな音を立てて椅子に座る。目元が乾きつつあるファネットも恐る恐る着席した。唯一立っているアリアだけが場を見下ろしている。
「……お金の管理は私がさせてもらってるけど、夜の売り上げってそんなに無いよね? どうして、何かに使ってるの……?」
「夜に客はきてねぇよ。これは本当だ」
もちろんタイラーが私腹を肥やす為にそのような不正を行う人間じゃないということは全員が分かっていることる。ファネットは俯き、メアリーは眉尻を下げて乗り出していた。
「ほら、エリン達が行く前からきっとギリギリだったんだ。前回の客が来た時で切れちまったみたいでよ」
大げさな身振りでタイラーは口にする。言葉を切ると無味の水を鋭く飲みほした。
「メアリーもサタリナも気がついたらって感じだったろ? アタシも一緒だよ。ほんとコップの水みたいにさ、最後の一滴が乾いたら無くなっちまうんだ。だから――」
「嘘。タイラーちゃんの供物の減りが早すぎるもん」
コップを握っていた手にピクリと血管が浮かぶ。
「おかしいなって思ったんだ。少しずつだけど確実に袋が小さくなってくの。朝私が起きて、すれ違って眠る前のタイラーちゃんは『今日も暇だった』って笑ってテントに控えていくのに」
「それは」
「お願い。本当のことを言って」
背後にいるライラの様子に彼女は気づいていないだろう。班は違えど双子としてこれまでの人生を同じ歩幅で歩んできたと思っていた。むしろアリアの半歩先を行き、引っ張っていく場面すらもあったという自負に近い感情がライラには芽生えていた。
それがどうだ。目の前にいる彼女の背中は線の細さを霞ませるほどにたくましく見えるではないか。
「……自分の願い、だね」
静かにテーブルの隅で一番の年長、メアリーが口を開く。
「そうだろう? タイラーが着服するなんて私らはこれっぽっちも思っていない。あるとすれば自分の願いを毎日叶えてるんじゃないのかい。優しい子だもの」
「…………」
「しかし、供物の減りには気付いてなかったよ。よく見ていたねアリア」
メアリーの穏やかな視線に包まれると宵闇が訪れつつあるこの森の中で唯一温もりを感じることが出来た。
きっと既にファネットが丹精込めた肉も、アリアが用意した米もスープも冷めきってしまっているだろう。それでも確かに体の内側がほんのり暖かかった。
「……悪い。メアリーの言うとおりだよ。毎日自分の為に魔法を使ってた」
「何のために」
タイラーの告白に思わず自然な疑問が口をつく。その問いかけにタイラーは頬を少し赤らめてにはにかんだ。
「言わなきゃダメか?」
「どうしてもって言うなら聞かないけど……」
その言葉に彼女はひとしきり頭を掻きむしったあと、小さく呟いた。
「悪い……いずれ、話す」
彼女の決心に誰も文句は言わない。彼女の根源は『結合』だ。きっと誰かの死や不幸を願うものではないのだから。ただ単純に恥ずかしいのかもしれないが。しばしの沈黙ののち、ユニが静かに食事を再開した。それが合図のようにそれぞれが箸を進める。
アリアも改めて着席すると、凍えたような肉に箸を突き立てた。
「肉固くなっちゃったな」
「スープも冷え冷えだよ」
食器が触れ合う音を聞いていると改めて今この集落は七人しか存在していないのだなと実感する。正直な心情を吐露すれば寂しいの一言に尽きるが、それもこれも未来の為。そう自身に語りかけることで全員が不安定な心を表面張力で保っているのかもしれない。
決して舌は満足していないが、体の内側が温まる食事を数か月ぶりに堪能した魔女の民はこの日全員同じテントで就寝した。




