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睡蓮を摘むならば  作者: 平間太郎
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第二章 儲け

 特に何もない。特に異変は感じられない。

 睡眠という心地のいい沼から自然と突き放されるとアリアの瞼はゆっくりと開いてその瞳に薄暗いテントの天蓋を映し出す。

 アレクサンドリアへ買い出しに行った日から五日が経った。聖肉祭で出会った壮年の銀騎士、ルシルと再開し、彼がこの集落へやってきて昔の事件を解決すると息を巻いてから五日である。

 その後の進捗は無くまたいつもの日常と思っていたのも束の間、待っていたのは現集落の長タイラーと、健常な魔女の中の実質ナンバー2、ファネットのいがみ合いだ。

 長として徐々に責任感が芽生えつつあるタイラーと、あくまで享楽的で利己的なファネットの意見は相容れることは無く、徐々に言葉は減り二人が同じ空間に存在するときの会話は目に見えて減っている。


「あの……」


 朝食の準備をしなくては。そう思い立ちすっかり食事当番となったアリアがエプロンを片手に外へ出ると朝靄が足元に立ち込めていた。湿気の充満を告げている。それは十代の柔肌が裂けるほど厳しい寒波が徐々に去っていく足音と同じだった。

 その中に誰かがテントから離れた位置に背中を向けて立っている。タイラーだろうか。

 濃霧と言っても差し支えない霧に思わず目を細めるが確認できたのは女性、しかし予想していたタイラーとは違いしっかりとした生地の布に身を包んだ名も知らぬ女性だった。


「こんにちわ、あ、おはようございますですね」

「あなたが魔女……?」


 心なしか暖かい風に覚醒したアリアは努めて明るく挨拶をした。ゆっくりと歩み近づく。呼びかけに少しだけ驚いた様子の彼女はゆっくりと振り返ると想像していたよりもずっと小柄な魔女に少しだけ安堵したように見えた。

 集落からすれば十中八九客なのだが、夜間客待ちをしているタイラーは寝てしまっているのだろうか。それか催して席をはずしているに違いない。


「正確には違います。でも似たようなものですよ。魔女の力が必要ですか?」


 胸元まで伸びたスカーフの端を両手で触った彼女の視線は右へ左へ激しく動いている。この鬱蒼とした寒い森の中をひた歩いてきたのだろう。彼女の靴は酷く汚れて、脛のあたりには葉で傷ついたような切り傷がうっすらとにじんでいる。

 相手の言葉を待てども待てども答えは得ることが出来ない。人間観察が趣味ではないアリアがこのようなことに気付く程度に時間は経過していた。


「お茶、飲みますか?」

「えっ」

「魔女もお茶飲むんですよ。あ、嫌でしたら断わっていただいて全然……」


 彼女をリラックスさせるつもりで言った一言だったが、しばらく前に客としてやってきた傲慢な男のことを思い出す。魔女の出したお茶や食事をとりたいなど思う人間がこの広い世の中にどれほどいるだろう。並の神経をしていれば人間であることを捨てた存在と同じ空間にいるだけで心を害するというのに。

 自らの発言を湯気をかき消す時の様に身振りが激しくなったのと裏腹に、女性は口元に笑みをうっすら浮かべていた。


「元は人間じゃないですか。お茶飲むことくらい知ってますよ」

「そ、そうですけど」

「それにあなたは魔女じゃないんでしょう? だったらぜひいただけると嬉しいわ」


 少し待っていてくださいね、と女性に声をかけたアリアはベンチに腰掛けるよう促すと、持っていたエプロンを広げて腰につける。

 荷物用となったテントから火打ち石と打ち金、カップとお茶の葉をまとめて取り出して手早く準備を進める。


「魔女じゃない人もここにいるんですね」


 気が付くとその様子を遠巻きに見ていた彼女は席を立ってアリアの後方へと歩みを進めていた。あくまでお茶の様子に気を遣いつつアリアは答える。横目で確認した限りその瞳には好奇心が少なからず含まれていた。


「私はワケアリというか、表現し辛いんですけど」

「いいんです、全てを話さなくて。でも言葉遣いもしっかりしてるし……若いのに立派」

「そんな……」


 ぐつぐつと音を立てる湯を茶葉を零したカップに注げばゆったりと香り高く蒸気が舞う。それをテーブルに置くと再び女性は着席し、アリアもその向かいに腰かけた。


「いただきますね」

「粗茶ですが……ここに来たのはやっぱり魔女への依頼ですか?」


 女性がふぅと息を細かく吐きながらカップへ口をつける。

 細かいことを気にすれば魔女が使ったやもしれぬカップに疑いもなく口をつけられるあたりこの女性も相当な変わり者なのだろう。


「はい、旦那はアレクサンドリア軍の弓兵部隊で戦争に行ったんです」

「それは……」

「まだ開戦して間もないことは知っていますが、どうしても心配になって無事かどうかが知りたいんです」


 殺しの依頼でないことを知り一先ずは安堵のため息をついた。

 今集落に残っている面々ではどうしてもコストがかかりすぎる。複数人の魔法を連携して達成しなければ到底殺しなど出来ない。


「分かりました。担当の魔女を起こしてきますね」


 人について知りたい。という一点においてはタイラーの右に出る者はいないだろう。

 一つでもその痕跡があればその人物に辿り着ける汎用性は様々な依頼に貢献する。故に彼女の負担が上がりすぎていなければいいのだが。

 仮眠をとっているというアリアの勘は外れた。タイラーの個人テントを覗くがそこはもぬけの殻で彼女の少し高めの体温はどこにも残っていない。


「すみません、少々お待ちくださいね」


 念のため他の面々が静かに眠るテントも覗くがタイラーの姿は無い。外気が侵入した気配に入り口の近くにいたファネットがもぞもぞと毛布の中に潜り込んだ。


「どこに行ったんだろう……」


 夜番をしている彼女が普段どこで太陽が出てくるのを待っているのか知らないことに胸の奥がキュウと苦しくなる。てっきりテントの前で出しっぱなしになっていたテーブル周りで孤独と戦っているものとばかり思っていた。

 彼女のテントの裏、茂みの奥、どこを探せども見つからない。

 ひょっとして獣に襲われたんじゃ……。そんな不安が苦しがっている胸の奥から徐々に姿を現した。


「よう、早いなアリア」


 あと数瞬で涙が零れそうとアリアが自覚した時、投げかけられたのは探し求めていた声。振り返れば赤髪をほどいたタイラーが普段より細くなった目を擦り立っていた。


「タイラーちゃん……」

「わりいわりい、なんかあったのか?」


 あくまで軽口だが瞳を潤ませているアリアの姿に、タイラーの声はワントーン下がった。しかし客が来たということを知ると腕に巻いていた紙紐で普段通りに高い位置で一つ結び目を作り、烙印を隠していた上着を脱ぎ捨てて広場へと向かう。道すがらテント脇に置いていた供物を忘れずに拾った。


「すみませんお待たせしました」

「あなたが……」

「はい、ご覧のとおり魔女にございます」


 かつてのように粗暴な様子は一切見られない。

 自然と女性の双眸がタイラーの右肩を捉えると、彼女の細い喉からゴクリと音が聞こえた。


「この子から伺ってますが、旦那さんの安否が知りたいという願いでよろしかったですか?」


 タイラーは麻袋から蜘蛛の糸を一摘まみ取り出すと、テーブルの上に広げる。


「はい、それが願いです」

「分かりました。少々お待ちください」


 流暢な祝詞にあれほど充満していた靄が姿を失い、木々も同じく息を潜める様に気付いた様子の彼女は上体を少し引く。

 椅子に腰かけたまま行われる魔法に呼応するように双頭蛇現れた。相も変わらずタイラーにきつく巻きつき、客の女性につぶらな瞳を向けている。チロチロと姿を現す先割れした舌は本能なのだろうか。


「お待たせしました。あなたの旦那さんですが――」

「も、もう分かったんですか?」

「えぇ、それほど込み入った希望でもありませんでしたし、場所もある程度絞れていたので」


 タイラーは軽やかに地図を個人テントから取り出すとガルガン山脈の一点を指さした。


「この辺ですかね、ここで旦那さんは行軍してらっしゃいます」

「よかった……」

「ただ山脈をひた歩いているようですから厳しい天候の中にいらっしゃることは確かです」


 得意げに舌を再び出した黒蛇はその周りに並べられた蜘蛛の巣を巻き込んで地面へと吸い込まれていった。

 タイラーの言葉を聞くと女性の肩から力がフッと抜ける。下ろされていた手はゆっくりと対岸のタイラーの両手を握った。


「えっ」

「本当にありがとうございました。安心しました」

「あ、アタシ魔女だよ?」


 思いがけない彼女の行動に今度はタイラーが身じろぐ。アリアとしてもそれは目を疑う光景だ。

 息を吹き返した森の中に暖かな日差しがやっと注ぎ込み、テーブルの周りを照らす。


「……実を言うと、何年か前に姉が魔女になったんです。当時は軽蔑しましたが今となっては他の人ほど嫌悪感はないんですよね、あなたに対しても、あぁ姉と同じ悩んで魔女になった人たちなんだろうなって」


 そう話す彼女の顔は集落にやってきたような緊迫感とは無縁で、慈愛すらも感じさせるまなざしを繋いだ両の手に落としていた。


「あ、すみません初対面なのに」

「い、いや驚いただけだよ……」


 いつの間にやら取り繕うことを忘れたタイラーが恥ずかしそうに人差し指で頬を掻く。


「それで代金は……」


 女性は腰を少し浮かせると硬貨の入った小袋を取りだした。慌てて顔を引き締めたタイラーはこう告げる。


「銀貨三枚になります」





「よかったの? あんなに安くて」


 女性が姿を消した後、気を取り直して朝食の準備を進めるアリアは鍋をかき混ぜながら先程と同じ位置に座るタイラーに問いかける。だらっと上体をテーブルにもたれかけたタイラーからは先程見せた大人な様子は見てとれない。


「いいんだよ。内容的にあの奥さんは旦那の様子を定期的に知りたがるだろう」

「あ、そっか」

「そうそう。旦那が無事でいる限り、戦争が終わらない限りあの人はここにくる。だったら安い方がいっぱい来てくれる」


 仮に音声を保存しておける魔法があるとするならば、今すぐ使ってエリンに聞かせたくなるほどアリアは驚いた。


「タイラーちゃんが先のことを言うとは……」

「どういう意味だよ」

「……熱でもある?」


 重たく体を起こしたタイラー、眉は片方が下がり、片方が吊り上り、その配置は彼女の暴力の合図だった。がアリアは甘んじてゆっくりと近づくタイラーから逃げずにいると、ヘッドロックが頭に決まる。抗議と笑い声で目を覚ましたのか、それとも匂いにつられたのかライラとユニもテントから顔を覗かせていた。ファネットもこの輪に入れることが出来れば――。

 それがいつか叶うことを願ってアリアは鍋を火から離した。

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