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睡蓮を摘むならば  作者: 平間太郎
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第二章 乾いたシャツと濡れた靴

 落日。角度がない西日はガルガンの影を伸ばしエリンに重なる。

 開戦を一言で表すならば圧勝。リンドブルムがどれほどの兵を集めているかは考えが及ぶところではないが、今日葬り去った敵兵は千や二千では足りないだろう。流れた血は更にその色を黒く変え地に染み込んでいくが、吸収が間に合っておらず、歩く度に下卑た水音がかかとから発せられる。


「撤収!」


 先頭のラナールが彼の一番の武器であろう大声を上げる。その言葉を合図にアレクサンドリア方面へ戻る銀の波、エリンとロイはそれをかき分けながら単身特攻したアイヴァンを探した。

 逆方向へ進む2人の周りは自然と空間が出来た。それが出来たのは恐怖が原因なのか。細い兜のバイザーから覗く無数の瞳はエリンの頭のてっぺんから足先まで絡みつくようで、普段から迫害されて温度の無い視線に慣れているはずの彼女を形容しがたい不快感で包む。


「おぉお疲れエリンさん」


 それをかき消すように明るい声のダリアが姿を現した。彼女の周りも同じくスペースが出来ており、比較的快適にここまでを歩いてきたようだ。両手は血にまみれていたが全てが返り血によるもので目立った外傷はなく見え、眉毛までどす黒く汚れた顔を除けば彼女が無事でいたという事実に安堵のため息が漏れる。


「お疲れ様。無事だったかい」

「もちろんだよ。残党狩りだもの」


 彼女は復讐、怨恨が絡んだ殺しの依頼の際に度々仕事に駆り出されている。いうなれば集落の中でも殺しに慣れている魔女だ。と、言えどこれほどまでに大量に手をかけたことは少ないだろう、赤い拳は小さく震えていた。隠すように、自ら遠ざけるように彼女はキャメルのズボンでそれを拭う。


「……さぁ帰ろう」

「うん、疲れたなぁ。さすがにこんなに働いたんだから腹いっぱい飯は食わせてくれるよね」


 努めて明るくふるまう彼女も自身の半分、もしいたとしたならば娘ほどの若さなのだ。平気なはずがない。ロイも併せてしっかりとケアするのもエリンの仕事に含まれるのだろう。

 マグダレン、ラナールと打ち合わせした限り、開戦を皮切りに三人はひたすら前衛に張り付くことが要求された。中衛のキキとグリフや、険しいガルガン山脈を進む後衛の五人とは違いただひたすらに相手の命を奪うこと。それがエリン達の使命だ。


 私はいいのだ。何故なら快感に浸れるから。頭が異常をきたしてしまっているから。

 でも彼女たちはそうじゃない。魔女というただ一点を除けば普通の、平凡な女なのだ。結婚や子どもに憧れることもあれば、きれいなアクセサリーに心を奪われることもある。

 ただ、ただ普通の女。


「圧巻ね」


 ロイの肩を抱き野営する為のテントへと足を運ぶと、後方に控えていたキキとグリフが同じように彼女らの帰りを待っていた。腕を組むキキはそう言うとエリンに水の入った革製の水筒を放る。


「お疲れ様。怪我はなかったかい」

「当たり前じゃない。何にもしてないんだから」


 しっかりと水筒を受け取ったエリンは言葉を紡いでからそれに口を付ける。気温が低いと言えど酷く乾燥したこの空気に喉は知らず知らず乾いており、水を歓迎していた。喉を、胃を駆ける冷や水に自然と瞳を閉じる。

 次いでアイヴァンにそれを渡すと彼女もまた同じように喉を大きく揺らして体内に押し込めた。


「そうさ。後ろでキキとお茶を飲んでいたよ」

「いいね、お茶も飲みたいな」

「テントに戻ったら淹れてあげるさ」


 グリフが軽口を叩いた。山脈の合間を縫った夕日が差し込み彼女の細い髪を照らす。エリンは働けと言わんばかりに足元のおぼつかないロイをむき出しの烙印が刻まれた左腕に預けた。彼女はロイをしっかりと受け止めてお疲れと小さく呟くと、彼女を強く柔らかく抱きしめる。


「……さぁ、帰ろう」


 野営したテントは既に見えている。生活を切り詰めてこしらえた集落のものとは比べ物にならない一級品できっと寒さからしっかりエリン達を守ってくれるのだろう。簡易的とはいえ温かい食事も同じく待っている。

 五人はそれぞれの歩幅を寄り添うようにゆっくりと血の海を歩んでいった。





 軍の携帯食糧に舌鼓を打っているとテントに声が投げかけられる。既に日は落ち、外は厳しい冬の夜が闊歩しているというのに。せっかくの温度を少しでも逃したくはない五人がテントを開くことに躊躇っているとカチャカチャと音が鳴り、足踏みをして寒さをこらえる様子が目に浮かんだ。


「早く開けんか愚図共め!」


 開口一番罵倒を浴びせたラナールはテントの中に侵入するとそれでも丁寧に入口に蓋をする。


「隊長殿。こんな時間にどうされました?」


 キキがあえて取り繕って尋ねる。グリフはその様子に堪らなくツボを刺激されたようで口を手で覆い伏せていた。あくまで現在の上司の登場に重い腰を上げて話を聞く備えを蓄える。


「えーうぉっほん! まず初めに今日はご苦労であった。マグダレン軍団長の慧眼に誤りはなく貴様らの力も十分発揮され、さぞリンドブルムの畜生共は畏怖したことであろう」

「はぁ」

「軍団長のお心配りにより、本日の働きを称え特別手当を受けている。受け取れ」


 一週間前、城での会議のように直立し、なおも固く言葉を連ねていた彼は機械仕掛けのような動きで腰帯から小袋を外しテントの床に投じた。

 ジャリと小さな音を発して部屋の中心にたたずむ小袋からは金貨が姿を覗かせている。


「あ、ありがとうございます」

「明日以降も畜生共を蹴散らすことに心血を注げ! 以上だ!」


 そう言うとラナールは一転人間らしい柔らかさを取り戻した動きでこの寒さの中を自らのテントめがけて駆けていく。

 グリフに寒いと文句を言われるまでその背中をエリンはぼんやりと見つめていた。


「意外ね。よっぽど魔女様の力が気に入ったのかしら」


 テントをしっかりと閉め、部屋の中央に向き直るとラナールが放った小袋を手で弄ぶキキがいた。

 その手に着地するたびに煌々ととしたきらめきと音を発する小袋。これは未来へを明るく照らす松明の光。


「どうだろうね。でも改めて私たちの力を認識したんじゃないかな」

「私たちってアンタ何にもしてないでしょ。エリンとダリーとロイだけよ頑張ったのは」


 その言葉にロイは一人だけきれいな上着を着ていることを恥ずかしそうに俯いた。あの池を歩いてきたズボンの裾が対照的に黒く冷たく濡れている。


「でもこうしてしっかりと評価してくれるのはありがたい。これからもこういう小金も稼いでみんなで帰ろう」


 エリンの言葉に改めて頷く者はいなかった。ただその言葉を深く心に刻みつけて憧憬に思いを馳せる。

 陽の漏れる深い森、にぎやかな笑い声、仕事は楽だとは言えないがあの場所には間違いなく家族愛が存在する。まったくの他人が似た境遇というだけで寄り添いあい支えあいながら生きている。


 食器を手早く片付け寝るためのスペースを作った五人はそれぞれ布団に潜り込んだ。やはり集落の安テントとは違い、地の冷たさがまったく侵入してこない。少しだけ、もう少しだけ話がしたいが疲労は確実にその体に蓄積されていて瞼が兵卒たちの鎧のように重く圧し掛かる。隣からはダリアの寝息が既に漏れていた。





「まだ起きてる?」

「あぁ」


 ダリアとエリンは瞬殺。ロイは少し泣いていたようだった。ゆっくりと起き上ったキキは三人を起こさぬよう慎重に保温された水筒からお茶をカップに注ぐ。


「アンタだけには話しておくわ」

「何を?」


 注いだお茶をグリフに手渡すと訝しげに眉を曲げながら口を付ける。キキも一口お茶を口に含んだ後、話を切り出した。


「エリンについてよ。班長だけにしか伝えられていないこと、要するに口外厳禁よ」

「何さそんなに念をおいて。実は同性愛者だとか?」

「それはアンタでしょ……冗談はここまで。ダリの村の大量殺人は知ってるわね」


 その言葉にグリフの眉がまたしても反応する。視線はカップの水面に落としたまま次の言葉を待った。


「あれの犯人はエリンよ」

「本気で言ってるのか?」

「冗談言うと思う?」


 あの人格者のエリンが――信じられない、信じられるはずがないというグリフの渦巻く思いはキキの強いまなざしに撹拌される。


「人を殺すこと、彼女はそれに心を奪われているから」

「どういう意味だ? 何を言いたいんだい」

「エリンは明日からもハイペースで人を殺す。何故なら殺したいから」


 言葉は喉の浅い部分につっかえてなかなか口から出ていかない。少しだけ靄がかかったように睡魔の影を感じていた自分はどこかへ消えたようだった。


「私が話した理由はただ一つ。アンタの『消去』でエリンのその感情を消してほしい」

「…………」


 キキは普段から自主性やその人の主張を慮る。内気なアリアやユニにだって感情は備わっていて、内に秘める思いはそれぞれ千差万別なのだから。じっくりと辛抱強くそれを育てたいと以前言っていたような気がする。


「今日見て確信したわ。あのままじゃ集落に帰るころには感覚なんて一つも残っちゃいない。快楽漬け廃人の出来上がりよ」


 視線は逸らされず、それがグリフには苦しく感じた。この視線が強ければ強い程に彼女の話は真実だと思い知らされてしまう。

 普段から正しい、筋の通った彼女がこんなタチの悪い冗談を言わないことはグリフが一番よく分かっている。それでもなお、信じたくはなかった。


「……君にそこまで言わしめるとは本物なんだろうね」

「……えぇ」


 左手の烙印が疼いた気がして、それをかき消すように右手でさする。

『消去』の魔法で消せないものは無い。しかしそれはグリフがそこに『ある』と認識したものだけなのだ。つまりグリフ自身の心でエリンの感情を正しく捉えなくては不発に終わる――そしてそのことをキキは知っている。


「わかった。明日から観察してみるよ」

「……ごめんね、聞きたくなかったでしょうに」


 静かにカップに口をつけ現れたのは普段より少ししおらしい班長の姿だった。先ほどまでの強い意志は感じられず、伏せられた表情は森に巣食った蜘蛛の巣の様に絡み合っていた。

 しかしそう悩んでまで決断した彼女もまた、エリンを守りたいのだろう。


「あぁ聞きたくなかったね……でも聞けて良かったよ」


 出来ればこれは夢であってほしいと願う反面、このお茶の熱さは現実だ。もっと冷めていてほしかったよ。

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