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睡蓮を摘むならば  作者: 平間太郎
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第二章 風吹き荒ぶ旅路

「キリキリ運べ!」


 この日の気温は摂氏五度。しかし平均標高が千メートルを超え、マックス四千メートルまで駆け上がるガルガン山脈にはそれ以上の寒波が吹き荒ぶ。

 アレクサンドリア公国軍遊撃魔隊後衛は城下町から供物を運び込み、設営の陣を備えていた。


「開戦は明日だぞ! しっかりせんか!」


 設営場所に旗を立て大声を出すのは遊撃魔隊副隊長のサリ。女豹だ。

 先頭を数名の騎士が歩き、その後に魔女、その後ろにさらに残りの騎士の順で行軍を続けるが先は遠い。


「大丈夫? みんな」


 レイナが他の四人を気遣う。しかし誰もが口を開く余裕など無く、ただ白い息を吐くのみ。疲労は困憊しており今すぐにでも眠りにつきたいと願っている。このような雪山で瞳を閉じれば凍え死んでしまうのは誰にでも予想できることではあるのだが。


「ダリア?」


 ダリアの様子がおかしい。袋を肩に担ぐ格好で進んでいたと思っていたが、魔女最後尾のパティの前を歩く彼女は袋を地面に引きずっていた。思わずパティは声を上げる。


「体調がすぐれなくて?」

「平気……大丈夫だから」


 そうは言っても全身から疲労が漂っている。彼女の供物が砂ということも災いしているのだろう。五人の中では最も重量のある供物だ。それを大袋いっぱいに担いで登っているわけなのだから。

 加えて昼間は雲一つない青空だった影響で足元に積もった雪が融け始めている。油断すれば足を滑らせて、それが運悪く斜面であれば転がり落ちるのは容易だ。


「代わりますわ」


 パティは強引に引きずる袋に手を伸ばした。かじかんだ手に食い込む麻袋はその体重を全て細い彼女の手に預け、乾燥してひび割れた皮膚からは悲鳴が上がる。


「ご、ごめん……」

「いいんですのよ。お互い様」


 代わりに自身の樫の葉が入った麻袋を手渡した。半分もない重みを両手に感じてダリアは再び前を見つめる。


「よし! 一旦荷物を下ろし集合しろ!」


 やっとの思いでサリの元までたどり着くと息を整える間もなく命令が飛ぶ。後ろに続く鋼の部隊も含めて彼女の前に五十の軍勢が集まった。


「まず、始めに前衛部隊とは違い、我々後衛部隊は少数精鋭の部隊だ。故にそれぞれがそれぞれの任務をしっかりと遂行しなければ戦果は得られない。そのことを肝に銘じろ!」


 朦朧と意識がかすれる。サリの言葉は確かに大きいはずなのに耳の中に一枚膜が張ったようで現実感が失われている。途切れ途切れの声を理解しようとダリアは耳を必死でかたむけた。


「開戦は予告通りクェンティス大平原! 何故ここに陣取るかわかるか『隠匿』」


 顎を上げ見下すような視線で彼女はレイナに問いかける。どう見ても自身より未熟な若者であることは分かるのだが、地位や名誉というものは人を大きく変えてしまうのだろう。しかしレイナは特に疎める様子もなくそれに答える。


「平原が見渡せていざという時にサポートが出来るから……でしょうか」

「うむ。魔女にしてはなかなか聡いな。その通り、有事に備えるのが明日の我々の仕事だ! それでは兵卒共は野営の準備を整えろ!」


 サリの言葉を皮切りに魔女以外の兵たちがぞろぞろと野営の準備を開始する。慣れた手つきでテントを二重三重に組み立て、簡易暖炉を設置し地の雪がかすかに融けた。


「あの……私たちは?」


 魔女が一人、ファニが疑問を口にする。その言葉を待っていたかのように薄汚い喜びがサリの表情から顔を覗かせていた。


「お前らは魔女だ。一般兵とは訓練の量が違う」

「そりゃあだって招集されたのも二週間前ですし……」

「口答えをするな! これから先、我々はこの険しいガルガンを攻略しながら進まなくてはならない。わかるな」


 旗を棒に持ち替えて彼女はそれで肩をトントンと叩きながら五人表情を伺う。さしずめ次の獲物を狙うハンターのようだ。


「軟弱なお前らではガルガンを越えることは出来ん。しかし時間はない。よって! これより特別訓練を実施する……!」


 一人紅潮した顔で苦しむダリアの目の前でサリは口元を大きく邪悪に歪めた。


「まずはこれを担いでスクワットだな。その軟弱な足腰から鍛えてやる」

「待ってください。明らかにダリアは具合が悪く見えます。休ませてあげてください」


 目の前に騎士たちが運んでいた生肉のブロックを落とした彼女にレイナは懇願した。十キログラムは越えているだろう塊に今のダリアは耐えられない。肩で息を吐く彼女だけでも救ってやりたいのが本心だ。


「ならん。そもそも軟弱だからこそ体調を崩すのだ。『鎮静』こそ最も訓練が必要である」

「そうは言っても」

「わかりましたわ副隊長。その前に私めの魔法を使わせていただいてよろしいでしょうか」


 彼女は狂信者であり頑固者だ。そう認識した抵抗するレイナを遮りパティは強く一歩前に出ると条件を提示する。この手の輩は昔嫌というほど扱ったものだ。今その時の力を使わずしてどうするか。

 唇は血色を失い、滑らかに動かすことも出来ないがそれでも仲間を守るためならばたとえ血の滴が落ちようと惜しくはなかった。


「ならん。自らの肉体で乗り越えてこその訓練だろう」

「ですが私共の中でも一番の軟弱であるダリアが副隊長殿の厳しい訓練に耐えられましょうか。その前に死んでしまいます」

「訓練の果てに死ねるならば本望ではないか?」

「違います。この非常時、国の為に力を発揮するのが本望にございます。それまでは死んでも死にきれません」


 訝しんだ視線をパティに向けるサリ、表面上は取り繕っているが仮面の下は微かに笑っている。それは先ほどのような邪悪なものではなく、恍惚とした優越感の色。


「私が出来ますのも所詮は『錯誤』体調が良くなったと錯覚させるだけですわ」

「では全快時と同じように動けるというわけだな」

「えぇその通りにございます」

「……良かろう! すぐさま準備して訓練を開始する」


 一先ずダリアを救えたことに安堵するが、自らも体力が有り余っているわけではない。いっそサリにばれぬよう五人分魔法をかけてしまおうか。


「ありがとうございます。少々お待ちくださいませ」


 固まった表情筋を無理やり動かしてパティは笑顔を作る。





「ダリア、ごめんなさい。先はとても失礼なことを言ってしまいましたわ」


 一時間。スクワットに始まり、雪が積もる中、短距離走、長距離走と足腰を苛め抜き訓練は終了。普段鍛えることのない彼女たちに暖を取りながら遠巻きに嘲笑する兵士たちの視線がまとわりつき、息を吸い込むたびに凍えた空気が肺に突き刺さった。

 もちろん彼女らのテントが用意されているはずもなく、小鹿のようにプルプル震える両足に鞭を打ち、隣のテントを見様見真似で設営したのである。テントが完成した後大の字に寝転んだのは言うまでもない。


「ううん。そんなことないよ。逆に助かった」

「パティちゃん私からもお礼を言わせて。彼女に対抗するしか私には出来なかった」


 レイナがパティの両手を包む。少し前に着火した簡易暖炉で蓄えた温もりを二人でまた分け合うとじんわり胸の奥にも熱が籠る。


「でもすごいよパティの魔法。ほんとに何も感じなくなるんだから」

「そうなの?」


 ダリアの証言に興味を持ち始めたのはファニ。どんな調子に変わっていったのかを事細かに聞いている。


「頭がぼーっとしてたんだけどさ、それがスッと無くなって。楽しい演劇を見た後みたいに楽しくなってきちゃってさ」


 事実後半になっても『錯誤』の魔法を受けたダリアは一切息を切らすことなく訓練を終えた。傍から見れば雪の中を半笑いの表情で駆け巡る彼女は気が触れた人間に見えていただろう。

 パティ自身も少し強く効果をかけ過ぎたと後悔していた。


「えー私にもそのうちかけてねパティ」

「ふふっ機会があれば」


 そんな状況は冗談の中だけにしておいてほしいとレイナは静かに願う。

 今こうして班の垣根を超えて交流が進んでいる。この戦争を無事に乗り越えられれば集落はより強固に、より楽園じみた存在に変わっていくのだろう。そこにあなたが居なければ意味がないのよ。エリン――。


「みんなちょっといいかしら」


 レイナがそんな思いを秘め、四人に呼びかける。


「また訓練?」

「ファニだけ訓練にする? ちょっとお話ししたかっただけなんだけど」

「わぁごめんなさい! もう冗談言いません!」


 小さなテントが華やぐ。簡易暖炉の柔らかい温かみがテント中を包んでいた。


「あの副隊長はこれからも無理難題を押し付けてくると思うわ。でも自分を大事にね。特にパティ」


 今日ヒーローを名指しすると、珍しく彼女は驚いたような表情を浮かべている。


「魔女になった日も浅いからまだ先だとは思うけど、魔法は使えば使うほど自分の感覚を犠牲にしている。出来るだけ魔力は抑えてリスクを回避してほしいの」

「えぇ。もちろん心がけていますわ」

「ならいいわ。でもみんな気を付けてね。私なんかは年齢的にこの戦争中にいずれかの感覚を失うわ。でもそれ以上は失わない。みんなで生きて帰らなくちゃ」


 テントが激しくはためき始める。入口を少しだけ開けて外を見ると先程までの晴天が嘘のように吹雪はじめ、急に夜が訪れたと錯覚するほどだった。

 五人はそれぞれ配られていた食料を口にする。どれもが日持ちするように乾燥させたものだけであったが温めたお茶と一緒に含めばささやかながら幸福を感じることは出来た。


「明日かぁ」


 ファニが呟く。

 もちろん戦争に行くと意思を示したのはそれぞれの判断だが、その中で実感が湧いているのは数えるほどもいないだろう。だが明日の光景が、明日の出来事がみんなの意識を自然に変えさせてしまう。逃げたくても逃げられない戦争に足を踏み入れてしまったんだと後悔がそれぞれに押し寄せる。

 そんな津波の防波堤になりたいとレイナは願った。

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