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睡蓮を摘むならば  作者: 平間太郎
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第二章 責任と無責任

「で、連れてきたと」

「ルシルだ。聖肉祭以来だなタイラーよ」


 幼い二人をメアリーの元へ預けるとアリアはタイラーが一人寝る旧キキ班のテントへ向かった。数時間早く起こされた彼女は幾分か不服そうではあったものの、緊急事態の可能性からすぐに表情を引き締めた。


「今さら何をしようってんだよ。もう四年も前のことだぜ」

「対処が遅くなってしまったことに関しては内部の管理体制が及んでいなかったことに起因する。それは素直に謝罪を受け取ってほしい。必要ならば議会を通して何かしら賠償の形も取る」


 再び兜を取り向き合ったルシルにタイラーは不快の色を前面に出した。眉は決してなだらかとは言えない。第一かの事件の事実を知っているのは集落の中心人物のみに抑えられているが、その中で彼女だけが魔法によって現場の光景を目にしてしまっている。エリンに結果を伝える彼女は悔しさで打ち震えていた。


「お前の魔法は過去の繋がりを見ることが出来ると聞いている。現役の銀騎士全員分の毛髪サンプルを持ってきた。ここからもう一度過去を辿ることは出来るか」


 ルシルは芋と別に持っていた小袋から小冊子を取り出す。中には複数本の頭髪が名前と共にファイリングされていた。


「なんでこんなものあるんだよ。あんた変態か?」

「身内の罪を裁くだかいう題目で元々本部にあるもんをくすねて来ただけだ……いくら時が経とうと罪は裁かなくてはいけない」


 彼をじっと見つめるタイラーの視線には変わらず疑念、戸惑い、怒り、濃色が絡み付いている。その全てが彼の真意を見透かそうと必死で動いていた。それは数時間前のアリアに強く重なる。


「アリア、準備手伝ってくれ」


 ひとしきり考えた後、タイラーはため息と共にそう告げる。見透かそうにも彼は真実のみを映していることに気づいてしまったのだろう。月夜を写す水面には一切の石も投げこまれた形跡がないのだから。

 アリアは小さく返事を返すとテントの中から蜘蛛の糸が入った麻袋を持ち出す。以前使用した時から幾分か小さくなったそれを集落から少し外れた広場へと置いた。


「ウチの魔法は高いぞ」

「もちろん知っているが、近衛隊の予算からの支払いだ。いくらでもふっかけていいぞ」


 余裕を見せるルシルは失敬と小さく呟くと煙草に火をつける。呆れたように笑うタイラーは少しだけ嬉しそうに見えた。白いワンピースに着替えた彼女は髪を解き向き直る。やはり褐色の彼女を一際浮かび上がらせるそれにルシルの瞳が輝いた気がした。彼から受け取った毛髪サンプルを糸の隣に開いて置き、再び重く、暗い祝詞に森は息をひそめ始める。


『結び解かれる万の糸よ』

「あ、ちょっと待て」


 振り返ったタイラーの眉間に再び酷い渓谷が出来上がる。アリアもあまりのタイミングでがくっと膝が抜けてしまった。


「その、かの時間をもう一度見れるのか」

「別にみようと思えば見れるけど。だったら何だよ」


 タイラーの乱暴な回答に初めて水面が揺れた気がした。ここまで毅然として自らの正義を貫こうとしていた彼に戸惑いが浮かんでいる。顎に手を添え考えるふりをしていたが、添えられた右手がかすかに震えていた。


「見せてくれ」

「は? 別に見なくたってこの髪の毛がありゃ犯人は分かるっての」

「いや、仲間が行った蛮行に俺はしっかり向き合わなくてはいけない。そうさ、そうなんだ」


 頬を手甲につつまれた手のひらで数度叩き、信念の炎を灯そうと彼は必死になっていた。しかし炎は燻るばかりでその背丈を伸ばすことはすぐに叶わない。


「で、どうすんの。見んのか?」

「――見る。あぁ見るとも」

「そうか。じゃあアタシの隣に来てくれ」


 タイラーが左手を乱暴に差し出す。未だ震えるたくましい右手はそれを恐る恐る掴んだ。


『結び解かれる万の糸よ。滲むは雨粒。辿るは足跡と偽の案山子』


 現れた双頭蛇の頭がもたげ、ルシルの精悍な双眸にその赤を向ける。彼には見えていないのだろうが、蛇嫌いのレイナがあの距離で見つめられたのならば卒倒してしまうに違いない。


「うっ」


 小さく呻いた。と認識した直後だった。激しくえづいたルシルは目を見開いたまま噴水のように吐しゃ物を地面に叩きつける。苦しそうに何度も何度も吐き続け、涙と鼻水、しまいに涎もまき散らしながら醜く地を転がった。


「た、タイラーちゃん止めて!」

「黙ってろ! 俺はこれを、見なくちゃ……うっ」


 目を真っ赤に腫らしながらも彼はその目を閉じることは決してせず、自らの吐瀉物にまみれながら無様なダンスは続く。タイラーは依然虚ろな瞳のままだ。糸は少しずつ乾いた空気の中に希釈されて双頭蛇の威圧感が弱まっては来ているが彼女が効力を切らさない限り悪夢はその瞼の裏に深く焼きつくのであろう。





「落ち着いたかい」

「あぁ、無様なところを見せた」


 三人がベンチに腰掛けお茶をすする頃には辺りは暗く、夜を迎えていた。体の内から温まり落ち着いた心情を吐露するように息を吐くと冬季の乾いた風がそれを散らしていく。


「血が苦手なんだよ」


 どれくらい経ったかはわからない。気付けばルシルは口を開き始めていた。


「騎士は憧れていたんだ。成長するにつれて血や他人を傷つけることへの拒否反応が強くなり前線部隊への入隊は諦めた」

「…………」


 同じ辺に座るアリアに体は向けたままタイラーは微かに視線を彼に向けて静かに話を聞いていた。


「幸いなことに座学は優秀でな。まぁ近衛隊に入ったはいいがこの有り様だ。情けない話だろ」

「優しいんですね」

「……臆病なだけだ」


 自嘲的な笑みをやめてほしくてアリアはそう告げる。昼間まではこの男を憎んでいたというのにそんな慰めをかける自分が少し不思議に思った。


「だがおかげさんで犯人は割れた。ルーカス、マーカス兄弟にシナの野郎の三人。明日にでも議会にかける」

「でもどうすんだよ。魔女が証人じゃあアンタただ魔女にかどわかされて頭イカれたって思われるだけだろ」


 穏健派が息を巻く現在のアレクサンドリアではあるが、魔女に認められているのは最低限の人権だけだ。こと議会においては発言すら認められておらず、証人にはなりえない。


「言っただろう。頭だけが取り柄なんだ」

「んな言ったって……」

「そう心配するな。しっかりやるから任せておけ」


 彼はテーブルに置いていたびしょ濡れの手甲を付け始める。吐しゃ物で汚れたそれを川で洗い流したものだ。皮と銀で構成されている手甲は筆舌にしがたい、擦れた高音を奏でながら彼の右手を自身の中に受け入れる。


「げっ!?」


 手甲の皮紐を全て結びきろうとしたときだった。森は魔法の行使が終わり、とうに息を吹き返し始めているのだがそれとは違う動物のざわめきが三人に届く。がさがさと大げさに音を立てこの場から遠ざかっていくように聞こえた。

 アイコンタクトのみを飛ばしてタイラーとルシルはその主へと疾風の如く迫る。あっという間に制圧された主は見覚えのあるそばかすを蓄えていた。


「ファネットちゃん?」

「アリアぁ助けてぇ……」


 首根っこをタイラーに掴まれた彼女は素直に応じて先程のベンチへと腰掛ける。向かいにタイラー、隣にルシルを配置されたその席はまさに孤島だった。


「お前アリアたち放っておいてどこ行ってたんだよ。まさか今の今まで糞してたわけじゃねぇだろ」

「いやぁ……その、ね?」

「他の銀騎士に捕まっていなくて何よりだが理由は聞かせてもらわんと納得せんぞ」


 威圧をかけるタイラーに対してルシルは落ち着いた様子で問いかける。しかし当事者は肩を竦め小さくなるばかり。


「いい加減にしろよ! てめぇが目を離さなければこんな危険な目にはあってねぇんだよ!」

「タイラーちゃん」

「落ち着け、タイラー」

「これが落ち着いていられるか!」


 煮え切らないファネットに対し椅子を蹴り飛ばしながら立ち上がる。派手な音にさらに彼女は委縮した。


「ち、違うんだよ……」

「何が違ぇんだ言ってみろ!」

「ライラがスカーフを落としたんだ……それ探そうとしたら向こうから銀騎士が来て……」


 話し始めると彼女の声は次第に涙交じりになる。変わらずタイラーは目の前で腕を組み威圧的に見下ろしていた。

 エリンと比較してはタイラーに申し訳がないが、彼女の腕組みは自分自身を制しているようで、つまりは手の出やすさを自重しているようで別な恐怖感を対象にもれなく与える。眼前のファネットも同じ様に畏怖しているのだろう。


「ライラ今烙印むき出しだし、逃げ出すのも無理がある距離だったし、怖くて……逃げた……」

「じゃあ何か? ライラは捕まっても、殺されてもしょうがないって判断したのか」

「だって怖かったんだもん!」


 ルシルが目元を抑えて首を振っている。いつの間にかタイラーの腕も解かれそれは力なく落ちていた。刹那、褐色の喉元に血管が浮かび上がる。


「今の集落ではアタシとお前しか動ける大人はいないんだぞ! お前がしっかりしないでどうするんだよ!」

「急にこんなことになっちゃって私だってどうしたらいいかわかんないじゃん!」

「んなアタシだってわかんねぇよ! でも手探りながらやっていくしかねぇだろうが!」

 一度吹っ切ったことでタカが外れたのか、今度はカウンターと言わんばかりにファネットがタイラーの視線を涙交じりに捉えて離さない。


「この間までエリンさんとか頼りになる大人がいたのにほっぽりだされてわかんないよ!」

「残る決断をしたのはお前自身だろうが! だったら今の状況で出来ることくらいしてくれよ!」


 こんな時エリンならどうするだろうか。レイナは、キキは、グリフは。そんなことばかり考えてしまう。恐らく四人が控えるテントにもこのやりとりは届いているのだろう。

 拳を振り上げることもできずただ小さくなって震えるしかない自分自身がアリアは悔しかった。

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