第二章 再開、遭遇
聖肉祭以来となる街の様子はすっかり普段通りに戻っていた。あれほど空を漂い彩っていたペナントもすっかりとなりを潜めている。空だけが突き抜けるように青かった。
「どこから周ろうか」
両手にユニとライラの手を引くファネットは街の中をきょろきょろと見回しながら呟く。
「うーん、荷物になるから重たいものは後で買って、かなぁ」
「重たいものなんて何かあったっけ?」
「芋は買い込みたいよ。なかなか買い物にもこれないし」
街に忍び込むことは容易ではあるがリスクがないわけではない。戦争のムードが街の活気を氷のように冷やしているせいか歩く人の群れもどこか閑散としているし、何よりきれいとは到底言えない格好の少女二人に若い女一人ではどうしたって目立ってしまうのが現状だ。
「芋くらい大丈夫でしょ。私こう見えて結構力あるし!」
「うーん……本当に?」
「ほんとほんと!」
そう強く言われるとアリアは口を開くことが出来ない。年上に対する誤った遠慮が洋服にこびりついた血液のように身に沁みついてしまっていた。
「おっちゃーん! これちょうだい」
「いらっしゃい! どんくらい持ってく?」
集落の面々が揃って――正確にはエリンが――いるときには見せない元気で店主にファネットは話しかけた。
「アリア、どのくらい必要なの?」
「二十袋くらいあればいいかなぁ」
「そんなに!?」
そうか。彼女はきっと普段の料理当番もしっかり働いていなかったのだな。エリン班は他班に比べて一人人数が多い分、サボっていたのだろう。事実買い物というのは重労働なのだ。
集落からここまでやってくるのにそれ相応の時間もかかるし、帰りは重たい荷物を持って帰らなくてはならないのだから。
「結構買っていくねぇ。お遣いかい?」
決して他意はないのだろう。が、この男のみならず距離感の近い店主は少女だらけの買い物客に興味を示すことが多かった。
「はい。クレイラから来たんです」
「はぁー! また遠い所から来たねぇ。気を付けて帰るんだよ」
アリアは集落のある森よりさらに西へ行ったところにある街の名前を口にする。実際にその街の姿を目にしたことはないのだが、アリアは尋ねられた時に毎度この名前を口にしていた。見聞の広いエリンやレイナに聞いた限りでは離れ小島にイーファという教会を建造して独自の文化を築いているらしい。
建築もアレクサンドリアが用いるレンガ調ではなく木造が主だというのだからいつかはアリアもそこへ足を運んで見たいと思っていた。
「そうそう! クレイラから来たんですよー。私たち孤児院の仲間なんですけどね、シスターに頼まれちゃって!」
「フ、ファネットちゃん」
額を中心に一瞬で熱がこもり、頬と耳が赤さを増す。背筋には対照的に冷や水のような汗が一滴流れた。調子に乗って同調したファネットを諌めるが彼女はまだ事態に気が付いていない。
「ん? クレイラに孤児院なんてあったっけ……」
「え、あ、あははー! やだなぁ最近出来たんですよ」
「そうか。戦争も始まるし嬢ちゃんたちも気をつけなよ?」
迅速に会計を済ませ芋を受け取った一同は逃げるようにその場を後にする。普段よりも少し足を運ぶスピードが増していた。
「いやぁ焦ったー。クレイラって孤児院ないんだね。バレなくてよかったー!」
大量の芋を背中に担いだファネットはしかめっ面でそう答える。しかしその声色には決して反省だとか後悔といった感情は含まれていないことは容易に察することが出来た。
先程のファネットに変わり二人の手を引くアリアは静かに発生した苛立ちをどうにか抑え込む。余計なことなど言わなくて良い、自分よりも世間を知らない彼女へ単純に怒りを覚えた。今の声量一つをとってもまだ店からさほど距離は離れていないというのに。
「結構重いねこれ。家まで体力もつかなぁ」
「だから最後にしようって言ったのに」
アリアなりに少しだけ棘を向けたつもりで言ってみる。しかし彼女には一切届いていないのか眉の一つも動いた様子はなかった。
「あ、ちょっとトイレ行きたいかも」
ファネットが呟く。指摘したことに対しての返答としてはまったく意味を持っていないことにさらにアリアの心にさざ波がたった。
「あ、私も」
「ライラも?」
ここまで口数の少なかったライラがファネットに同調する。苛立った感情をライラに向けそうに逸る自らを押し殺した。生理現象なのだから仕方がないじゃないか。
「じゃあ休憩しよう! ライラと私はトイレ行ってくるから、アリアとユニはここで待ってて!」
そう言うと彼女は芋を乱雑にアリアの足元に置くとライラの手を引いて街の奥へと消えてしまった。
「ユニちゃんはトイレ大丈夫?」
「……うん」
大袋の中から五袋を取り出し、ユニに預け残りの芋を運ぶ。いくら人が少ないとはいえ、往来は少なからずある道へ貴重な食料を放り出す人間がいるか。少しは考えて行動してほしい。
黒い渦のようにアリアの感情は加速度的に中心の深く暗く重い場所へと沈み込んでいく。どうにかして噴水の近くまで運び終えると、それを支えていた両手は真っ赤になっていた。
「ふう。ユニちゃん手伝ってくれてありがとう」
「平気……」
ユニは腕をまくって自身の右手を見せてきた。彼女としては力がついてきたことをアピールしたかったのだろう。しかしその腕は満足に栄養を吸収できていないのか決して健康的とは言えない太さであった。
「……ユニちゃん、焼き鳥食べる?」
その言葉にいつもは気だるげなユニの両の目が輝きを増す。アリアはタイラー達へお土産を買うために持ってきていた個人的な小遣いの出番だ。あの腕を見せられては少しでも食べさせてあげたいという感情は姉心なのだろうか。
「ここで待っててね。買ってくるから」
「……うんっ」
両手を握りそれを上下させながらユニはアリアを見送った。大丈夫。大量の芋が近くにあるおかげで買い物に来た母親を待つ子供にしか見えないはずだ。
しかし、心配は心配。小走りで店へ駆け込むとアリアは銅貨八枚と引き換えに焼き鳥を一つ注文する。
薄い木を巻いた焼き鳥は香ばしい色と、食欲をこれでもかとかきたてる香りを漂わせていた。ぶつ切りにはなっておらず、腿から腹にかけてまるまる一匹の鶏が使われた豪華なおやつだ。噴水へ戻るとユニはしゃがみこんで芋をじっと見つめている。
「お待たせ。どうしたの?」
「……見張り」
振り向いたユニの目は普段通りの色に戻っていたが、苦笑するアリアとは逆に焼き鳥を確認するなりやはり輝いた。手渡すと大きな口をあけて頬張る。
「もう、いただきますは?」
「い……だきます……」
夢中で口を動かすユニに自然とアリアの口角は上がっていた。それと同時にやはり満足のいく食事は与えられていないのだな。と再認識する。
アリアとて普段の食事に満足しているかと言われれば素直に頷けないのだがそれよりも育ちざかりの彼女を心配してしまっていた。
魔女とはいえ彼女の人生はまだまだ長い。この先ユニがどれだけ美味しい食事という幸福を得られるのか。
「……ごちそう……さま」
言い切るや否やげっぷするユニに気が付くと先程まで存在感を保っていた焼き鳥は姿を消していた。美味しかったと呟く彼女を見ていると黒い渦はいつの間にかその色を薄く、どこか回転も弱まったように感じる。
「美味しかった?」
「うん……アリア、ありがとう」
集落の教育がしっかり成果に結びついているのか、ユニは物静かとはいえしっかりとした礼儀を持っているというのに……。いや、こう比較してしまうのは悪い癖だ。ユニにはユニの、ファネットにはファネットの良さ必ずあるはず。
しかし――
「遅いなぁ」
ファネットとライラがトイレへ向かってからしばらく経っている。二人とも腹の調子でも悪いのだろうか。
アレクサンドリアの下水はある程度整備されており、俯瞰した時に円状に続く城壁の根元に水路を引いている。屋外だが衝立のようなもので仕切りは設置されており準個室といった具合だ。地下を流れる流水のお蔭で糞尿が街に残ることもない。
「ユニちゃん、ちょっと迎え行ってみようか」
「わかった」
エネルギーを補給したユニは普段の二割増しのスピードで先程渡した五袋を担ぐとアリアよりも先導して歩みを進める。なかなかに頼もしい。城壁周りに存在するトイレは無数にあるが、一番近い場所から壁沿いに歩いていればそう時間はかからずに合流が出来るはずだ。
先を歩くユニに並び、二人で城下町の中心から外側へ向かう。
「アリアは……おなか、すかない……?」
「私? 平気だよー朝ごはんいっぱい食べたからね」
エリンに日頃から嘘はついていけないと言われているが、この程度の嘘ならついてもいいはずだ。というよりもこんな年端もいかない少女に気を使わせたくはない。
ユニとちらほら会話をやり取りしながら広場を抜けて路地へ入っていくと、銀騎士が一人少女に目線を合せるように膝をついて向き合っていた。こちらには背を向けているがユニの服装を一度確認する。
右胸に刻まれた彼女の烙印はタイラーやパティのと違い、よっぽどのことが無い限りは露わにならない。大丈夫。再び刻むリズムを早める心臓の音が外に漏れぬよう、平静を装ってその脇を通り抜けようとした。
「ライラ?」
「えっ、アリア?」
少女と銀騎士のちょうど真横を通り去ろうとした。しかし銀騎士と話をしていたのはスカーフを首に巻き光の失われた両目の少女、ライラだった。目を閉じたまま名前を呼ばれた方――アリアへ驚きの表情を向けている。ガシャと背後で銀騎士が立ち上がる音が聞こえた。
「良かったな。姉妹か?」
「うん! おじちゃんありがとね」
銀騎士がライラにそう声をかける。振り向けない。本当ならば今すぐにでも振り向いてお礼を言いこの場をやり過ごして、ライラと立ち去るのが正解だと頭では分かっている。それは出来ない。別な策を考えなくては。
何故ならこの銀騎士の声にアリアは聞き覚えがあったから。