第二章 敵とは
烙印を隠してしまえば魔女は街行く女性と何ら変わりがない。禁止はされているといえど、城下町にはこれまで何度も入り込み買い物だけではなく、その景観を楽しんだものだ。そんな町並みを記憶の彼方にすっ飛ばしてしまうほどアレクサンドリア城は堂々と構えていた。門が轟々と重く開き、近衛兵の敬礼を片手でいなして歩みを進める。マグダレンが先頭を切り、次いでラナール、魔女の軍団、そして先程の大所帯から選抜されたラナールの部下の順で城の内部を進んでいくと、広い一室に通された。
冬季の寒波が嘘のように熱を放つ暖炉、上質な椅子の数々、調度品。演劇の中でしか見ることのなかった風景が彼女らを迎え入れる。短編の一番奥にマグダレンは座り、テーブルに地図を広げた。
「前提としてグルグ大陸全体を見たときに国土の七割をうちが持ってる状況だ。負ける道理は微塵もねぇ」
椅子に浅く腰を掛け中央に据えた地図に被るほど大きく足をテーブルに乗せたまま切り出す。
「実のところ開幕を控えた水面下で武力の衝突が既に各地で起こっている……が、現在うちは押され気味だ。その原因がこいつ」
表情に乱れは見えないが、その声色には明らかに澱んだ色が表れている。マグダレンは自らの後ろに立てかけてある一本の槍を親指で示した。
「これは……?」
「正式名称は知らねェ。俺らは伸身槍と呼んでいる」
「伸身槍……」
後ろに控える魔女たちから疑問の声が上がる。面倒くさそうに彼は立ち上がるとその槍をひょいと持って構えて見せた。現代の主兵装である長槍よりも幾分か太く設計されているらしく、マグダレンのその手は中指と親指が僅かに接することなく添えられている。
「見てろ」
その言葉を言うか言わないか、携えられた槍は低い排出音を立て、鋭く、その身丈を一メートルほど伸ばして見せる。その速さはさながら突風のようで、重厚な鎧すら貫通してしまいそうな勢いだった。
その槍の一番近くにいたダリアはキャッと小さく悲鳴を上げる。
「狭い国土、周りをガルガン山脈に囲まれた地形、リンドブルムは決して恵まれた土地にあるわけではないのに何故俺たちアレクサンドリアと張り合えるまで強国になったのか。それがこの理由だとよ」
「科学力……それが敵だと言うんだね」
伸びた柄を左手で押し込んで縮め、再び壁に立てかける。エリンは大げさな音をたてて座り直すマグダレンの目を見据え、そう確認した。
「あぁ。その通りだ。始まるまでは余裕ぶっこいてたんだがな正直。だがそんな未知の科学力にうちは数と魔で打ち勝つ。策は練る。繰り返すがお前らは兵器だ。言われたとおりに動きゃいい」
さてと、と区切りマグダレンは給仕にハーブティを要求した。総勢二十余名の前に湯気を立たせたお茶が上品な金属音を立てて配られる。
「すごく……いい香り」
レイナが呟いた。茶器もそうだが葉自体も良質なものを使っているのだろう。温暖な海に吹く潮風を感じさせる爽やかな香りが鼻腔と口内を侵略する。
「言ったろ。美味いもん食わせてやるって」
「私たちは魔女だ。こんな扱いをしてもらえるなんて夢にも思ってないからね」
呆れた顔のマグダレンにエリンは苦笑して答えた。事実迫害されることはあれど、歓迎されることは天地がひっくり返らない限りありえないのが現状だ。ご機嫌取りというわけではなかろうがなりふり構っていられないのが本音なのだろう。
「武器はしっかり手入れするタチなんだよ俺は。それが魔女だろうが関係なくな」
そう言うと彼はまだ熱いだろうハーブティを一気に飲み干し顔を引き締める。
「はぁ……脱線したが、具体的な話をするぜ。基本的には俺の指示をラナール経由で受けて遊撃してもらう」
「パシリじゃない……」
「なんか言ったか?」
キキの小言にけん制しつつマグダレンはラナールにその後の説明を求めた。指名を受けた彼は先ほどの槍のように立ち上がると直立不動のまま虚空を見つめ口を開く。
「うぇっほん! 私が尖兵遊撃隊改め、アレクサンドリア公国軍遊撃魔隊長、ラナァールである! お前らの直属の上司だ。心に刻んでおけい!」
「うるせぇよ。さっさと説明しろ」
「失礼致しました! うぇっほん! 任務に当たり貴様らを小隊に分ける。『隠匿』レイナ、『霧散』ファニ、『盲信』ジャネット、『鎮静』ダリア、『錯誤』パティ、五人は我が部下、サリに続き後方部隊へと配属する。主に前線には立たず支援活動に重きを置いてもらう!」
前線には立たないという言葉に安堵を浮かべる者、不安を浮かべる者、様々だがエリンの隣に座するレイナだけがラナールを変わらず見つめていた。
その中で、細身の鎧に身を包んだ女が一人立ち上がる。
「私が遊撃魔隊副隊長、サリだ。隊長の紹介もあった通り元は尖兵遊撃隊、後方部隊での判断は主に軍団長と隊長が、緊急時には私が出すことになる。しっかりと指示を聞くように」
甲高い声とは裏腹に落ち着いたトーンで述べられたそれは場を引き締めるのに十分な威力だった。外見からして歳は二十前後か。同じ落ち着きをタイラーにも身に着けてほしいとエリンは一瞬考える。
「ご苦労。えー続けて、『切断』エリン! 『暴力』アイヴァン! 『崩壊』ロイ! 貴様らは前衛部隊に追加する。貴様らの働きは最前線でリンドブルムの畜生共を蹴散らすことだ。名誉に思えぇい!」
「だからうるせぇっての。声量考えろや」
「はっ! 失礼致しました!」
このラナールという男にきっと太鼓持ちのような性質なのだと魔女たちは揃って気が付く。加えてこの男の指示に従うということに些かの不安を感じた。
そんな中未だ名前を呼ばれないキキがおもむろに口を開く。
「あのさ、アタシたちは? 呼ばれてないけど」
エリンの向かいに座るキキは自身を指さしてラナールに問いかける。彼は機械仕掛けのように素早く視線をキキに落とすと、中途半端に伸ばしたあごひげを手で一撫でした。
「最後の一班が貴様らだ。『燃焼』キキ、『消去』グリッドフィールド、貴様らを中衛と呼称し、前衛と後衛の中間を担ってもらう。状況に応じて出される指示に柔軟に対応するよう心掛けい!」
ラナールの言葉にグリフは片眉を上げて見せた。キキも肩をがっくりと落とし大きな、大きなため息をつく。
「一番のパシリは私たちだったね」
「はぁ……そのようね」
冗談めかして落ち込む二人をよそにラナールは続ける。視線は再び虚空を指し、髭から手を離した彼は背中に腕を組む。
「そして遊撃魔隊記念すべき第一の使命は前衛、および中衛部隊がクェンティス大平原、後衛部隊がガルガン山脈西部、それぞれの設営である!」
「設営?」
レイナが小首を傾げる。
「始めにリンドブルム軍との開戦は二国を跨ぐクェンティス大平原が予定されている。貴様らが術を使うに当たり必要な資材の運搬をするのだ!」
マグダレンは気だるげに身を起こし、片手で頬杖を突きながら、もう片手で地図を指した。赤と青、それに白の木材を用いて先の展望を口にする。
「まずはクェンティスで圧倒する。そのまま進軍し問題が無い限りは前衛中衛はペアでそのまま特攻だ。後衛は前線の戦況を鑑みつつ山脈を伝い、リンドブルムの南西にあるドナ湖沿いに城を落とす準備を進める。前衛中衛の主力が到着次第、リンドブルムを落としチェックメイト」
早けりゃ三ヶ月で終わる。と彼は最後に付け加えた。
三ヶ月――冬季が過ぎ、穏やかな夏季前節が訪れるころにはまたあの集落へ帰れる。その希望が魔女たちの目に力と光を宿していく。
「じゃあここから部隊を分けるぞ。前衛中衛はこのままここで、後衛は隣の部屋で別の打ち合わせだ。その後それぞれ出発する」
机に手を付き立ち上がったマグダレンに反応し、ラナールの部下が部屋のドアを開く。乾燥した空気が地を這って脛を撫でた。
「質問……いいかな」
移動を開始しようとする人の群れの中から声が上がる。またしてもグリフだった。
「中衛は行き来をするから別だと思うけど、前衛と後衛の人間が次に会うのはリンドブルム城でということで相違ないかい」
「あぁその通りだ」
「ならば、少し時間をくれないかな」
提案に彼の額に険しい皺が寄る。先ほどの呆れにも似たその表情は長身のグリフより頭一つ分高い位置から見下ろす山おろしのようだ。
「お前らいつまでたっても仲良し子良し出来ると思ってんのか? 戦争だぞ?」
「私は孤児だ。戦争の悲惨さ、過酷さを知っているからこそ今生の別れになるかもしれないこの時間を大切にしたい」
今生の別れという言葉にほんの少し場が荒れそうな気配を覗かせる。彼としても思ってもみない反論だったのか、五分だけだぞと不服そうに言い放つと勢いそのままに椅子に強く座り直した。
それを皮切りにそれぞれ親交の深い魔女同士が手を取り合い、会話を始める。
「レイナ」
振り返ればエリンとレイナの付き合いは十数年に上る。貧しい時も少しだけ裕福になった時も将来の集落の中核として二人は密に連携を取り合い、またお互いがお互いの友人として過ごしてきた。
「そっちは任せたよ」
「えぇ、エリンも。一人で頑張りすぎちゃダメよ?」
「わかってるさ」
次に会う時にはどちらかが屍になっているかもしれない。いやどちらもという可能性もある。アレクサンドリアの死生観がもしも真実であるとして、地獄でまた会おうなど口が裂けても言わない。タイラーが、アリアが、皆が待つ集落で次の聖肉祭を楽しむまでは死ねない。わかるわよね? そうレイナの瞳は語っていた。
いつからかそれぞれが班長として責務を果たし、村を支えてきた。人生の半分以上を集落に注いできた。その間柄にもはや言葉は必要ない。
「時間だ。さぁ、行け」
マグダレンが時計をパタンと閉じる。きっと大丈夫。私たちは魔女なのだから。人知を超えた術を使い、並みの武力とは一線を画す魔女なのだから。
サリが先頭となって部屋を後にする。最後尾を歩くパティの金糸が目に焼き付いた。