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睡蓮を摘むならば  作者: 平間太郎
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第一章 曇天と背中

「なんだようるせぇな」

「す、すみません軍団長! しかし木が!」

「はぁ?」

「木が消えたんです!」


 口を塞ぐ右手から伝わる温度はやはり冷えていた。彼女はしきりに末端冷え症だとぼやいていたから。


「預かっておいて。行ってくる」


 声の主は静かに口から手を離すと今度はアリアの固まった手に半ば無理やり左の手袋を預けた。いつものように冷たくて柔らかい笑顔は徐々に離れていく。

 止めなくては。彼女のどこでもいい、掴まなくては。

 そう思っているのに体が動かない。


「ま、待って、グリフちゃん」

「必ず帰ってくるから。待ってて」


 雨は地面激しく地面を穿ち、立ち込める霧がさらに彼女のシルエットをぼやけさせていく。


挿絵(By みてみん)


 アリアを追い越した彼女はキキの横へと並び立ち、左手を前に出した。キキもまた眉を大きく上げて声を発しようとしたが間もなくグリフの烙印が迸る。人毛を供物とするグリフの悪魔は彼女のウエストポーチからそれを掠め取り、奇怪な鳴き声を上げてその多腕を振るう大猿だ。

 木へ貪るように飛びついた彼はそれを根から引っこ抜き、彼女の真似をするように腰の方へしまって見せる。目の前で消失する大木に雑兵からは畏怖と感嘆の声が上がり、マグダレンは興奮を露わにした。


「私はグリッドフィールド。『消去』の根源を持つ魔女だ。きっと役に立つよ」

「ほう! 使えるのがいるじゃねぇか。生意気に隠しやがって」


 グリフの意図を察知したのか、アリアの近くにいた他の魔女も前へ走り次々に魔法を行使する。消去、鎮静、暴力、霧散、感知、様々な魔法により森は地獄の蓋を開いたかのように悪魔が跋扈していた。エリンが呆気に取られても、レイナが止めさないと叫んでもそのお披露目会は続く。


「行ってきますわ」


 ただただ首を横に振ることしか出来ないアリアにまた声がかけられる。その言葉遣いは彼女がこの集落に来てからの半年で夢で見るほどよく聞き馴染んだ声。

 そんな別れにアリアは声を絞り出すことすらできなかった。

 愛おしい人が遠くへ旅立っていく。決して簡単ではない茨の中を突き進もうと、仲間と共に戦おうという強い足取りだけをアリアは見守っていた。


「ちょっとアンタ……」

「これは私の意見だ。キミたちが無視しようとしたね」


 グリフは一切キキを見ずにそう告げる。

 眉を落とし、影が掛かったオッドアイがやれどうしたものかと思案に耽っていると、不意に脳裏に電流が走り振り返った。やはり彼女の予想通り蜘蛛の糸が積まれている。その奥で膝をつくタイラーを捉えた。

 口元は小さく動き、それが魔法を行使するための祝詞を述べていることは容易に想像できる。

 確かに戦闘向きではないのは事実だがタイラーの汎用性の高い根源はきっと戦争においても役に立つ。状況は混沌を極め、もはや魔法を披露などしなくとも共に旅立とうと思えば十分ついてこれる。

 良いのだろうか――否。

 彼女が来てしまえば集落に残されるのは傷病者三人に、テントの陰で怯えているユニ、そして状況を傍観することしか出来ないアリアだけだ。

 生活は破たんし、魔女たちが戦争から戻るころに集落が無事に残っている保障すら無くなる。キキは素早くある人物の肩を掴んだ。





「まぁこんだけいれば十分だろう。協力感謝するぜ。エリン"殿"」


 マグダレンの言葉に何も返すことが出来ない。エリンはまだ地を見つめ、微動だにせずその肩をレイナが抱いていた。


「さぁついて来い。景気付けに美味いもんをたらふく食わせてやるからよ」


 マグダレンがアゴで指示を出すと鎧の群れが二つに分かれ道が出来た。その間を行く彼の後を続いて愛おしい魔女十人は旅立って行く。

 アリアの元には温もりが消えつつある手袋だけが残った。温もりのそれに反比例してどんどん後悔の感情は存在を増す。あの時手を掴んでいれば、少しでも何か引き止める言葉を言えていれば。グリフは貯水池のせきだった。彼女さえ止めていればダリアもアイヴァンも、パティですら戦争に赴こうとは思っていなかったはずだ。

 果たしてそうなのだろうか。彼女があの行動をとったことで衝動的に動けるものなのだろうか。魔女になった背景に戦争による貧困、家庭環境の劣化は色濃く影を落とす。そんな存在に劣情に身を任せていこうと決断できるものなのか――。


「畜生!」


 重苦しい鎧が完全に森を去った後、背後からの大声でアリアは我に返る。下向きの螺旋に陥っていた感情をニュートラルに戻したそれはタイラーのもので、その体には双頭蛇がきつく巻きついていた。


「タイラーちゃん?」

「レイナの奴……」


 今の今まで存在を認知出来なかったが、膝の上で握られた拳は今にも手のひらを破りそうなほど力がこめられ細かく震えている。なるほど、血気盛んな彼女がついていかなかった理由はエリンから託された責務を感じて、ということではなさそうだ。


「レイナちゃんの魔法……?」

「あぁ。どさくさに紛れてアタシのことを隠しやがった」


『隠匿』

 それがレイナの魔法だった。


「アリア……」


 うな垂れる彼女にどう言葉をかけようか迷っているうちに、背中の布を引っ張られる。振り返ると鏡が目の前に広がっていた。


「アリア、どうなったの? なんかすごく人が減っちゃった気がするよ」

「大丈夫だよライラ、ちょっと予想外の出来事が、ね」


 ひそめた眉のまま彼女を静かに抱き寄せる。グリフとは正反対にぽかぽかと柔らかい温度を感じて少しだけ睡魔がその影を覗かせた。微睡みそうな意識を覚ますように離れて見ていたユニがおずおずと冷たい頬でその輪に加わる。


「…………」


 これからどうすればいいんだろう。ライラを含めた傷病者三人を抱え、頼みのリーダーは雨に打たれたまま立ち上がることすら出来ないでいる。

 そんな中、どこからかすすり泣きの声が静かに雨の隙間を縫って耳へ届いた。


「タイラー……アリア……私……」


 あまりにも精神的に脆く、小さな争いごとも苦手なエリン班のファネットがユニの様にテントの陰から姿を現した。

 タイラーとは違い、自らの意思でその姿を隠していたのだろう。強く唇を噛みしめ、眉は悲哀に歪んでいる。


「ファネットちゃん」

「怖くて……戦争なんて行きたくなくて……」


 アリアより年上にもかかわらずその背中は卑屈で包まり、小さくなってこのまま消えてしまいたいという彼女の願望があふれ出しているようだった。

 雨は激しさを増し、このまま全てを洗い流してくれればいいのに。そうアリアは願った。




「エリン、怒っているかい」


 ピントが合わずにいた視界を強制的に引き戻す様にその声は投げかけられた。

 怒っている――のだろうか。哀しいのか。自分でもよく分からない。それを口に出してしまえれば楽になるだろうが私はそうしてはいけない。何故なら私は『エリンさん』なのだから。

 声をかけたグリフは威勢の見る影もなく、ただただ降り注ぐ懺悔に似た雨に打ち震えているように見えた。


「少し、ね。だが過ぎてしまったことは仕様がない。みんなで協力して無事に帰ろう」

「……あぁ」


 行進は続く。方角的には城下町へ向かっているのだろうか。マグダレンを先頭に前後左右を騎士に囲まれた私たちにはそれを推し量る術はなかった。

 特に拘束などされない状態で移動が出来るのも決して温情などではなく、我々が反旗を翻した際にも十分対応できる自信の表れなのだろう。

 もちろんそんなことはしない。出来ない。集落の未来のために私たちは大きな一歩を踏み出したのだから。


「タイラーが上手くまとめてくれてるといいわね」


 レイナは濡れて張り付いた前髪を小指でかき分けながらそう呟く。

 タイラーは若い。身体能力という意味では発達しているが、精神的にはまだまだ未熟だ。だがそれを少なからず把握して改善しようという気概が感じられる。彼女は信用に値する人間なのだ。いや、魔女か。


「おい」


 いつの間にやら先頭を歩くマグダレンが隣までその歩みを落としていた。変わって変なちょび髭を蓄えたラナールという男が大股で闊歩しているようだが。


「まずは城に向かう。そこで今後の作戦を伝えるからな。今の内に戦力を教えろ」


 その言葉に私は誰がこの戦いへ向かう群れに着いてきているのか把握していないことに気が付いた。日常ならばありえない失態だ。

 私を説得しきり、大手を振って参じたレイナとキキ。他の面々を引き連れる口火を切ったグリフ。他はダリア、アイヴァン、ファニ、ジャネット、あの弱気なロイも来たのか。最後にパティ。


「私は『切断』の魔法を使う。この中では一番直接的な戦闘系の魔女だと自覚している」「だろうなぁ。ダリの村の件は詳しく聞いたぜ。狂ってるよお前は」

「……他は『隠匿』『燃焼』『消去』『鎮静』『暴力』『霧散』『盲信』『崩壊』『錯誤』の魔女だ。それぞれ――」


 私がどう蔑まれようが構わない。過去に犯した罪を忘れたわけではないし、狂っていることも承知の上だ。

 この男始め、アレクサンドリアという国に利用されるのは私だけで十分。魔法を用いた暗殺なら露知らず、こと戦争のような大規模な戦闘に関してはマグダレンに一日の長があるだろう。

 こちらも存分に利用させてもらうぞ。


「なるほどな。まぁお前らは小難しいこと考えんな。お前らは俺の手足であり兵器であり、道具だ。お前らが言われたとおりに動けば必ず勝つ」

「……年寄りの戯言だが忠告しておくよ。この世に必ずや絶対は存在しない」

「はっ……」


 森を抜けると雲の切れ間がアレクサンドリアの荘厳な城をを照らしていた。それは勝利の栄冠を先払いで落としたようにも見えたが、続く曇天がどこまでも地平に続いている。

 泥濘が左足に重く絡みついていた。

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