第一章 決意の右手
「夜逃げすると思ってたぜ」
昨日の快晴が嘘のように雨は降りしきっている。深い森がその冷たい雨を防ごうと躍起になるが開けた空間に設置されたテントは水を弾き、パタパタとリズムを刻んでいた。
「昨日の強気が嘘のように大所帯だね」
「こっちも形振り構っていられねぇのよ」
先頭に立つマグダレンの後ろには百を有に超える騎士が構えていた。それぞれが分厚い鎧を軽々しく扱う丈夫ばかりである。昨日の彼の言葉が本当ならば森の奥や、その外側にすら兵が大挙していることだろう。
「さぁ答えを聞こうか」
またしてもマグダレンはいやらしい笑みを浮かべる。断られるはずがない。そういう確信が既ににじみ出ていた。
「まず戦争には参加する。だが条件がある」
「条件?」
マグダレンの口角がピクリと跳ねる。周りの騎士は肩を震わせる者、警戒を強める者様々だったが先頭に立つ彼のみが厳重に自らの心をしまい込み隠していた。
「お前らが条件出せる立場なのか?」
「これは私たちはもちろん、貴方がたを守るためでもある。まず一つ、昨日貴方が言っていた全員参加というのは認められない。この集落には体の不自由なメンバーが多いんだ。その人物は不参加とさせてもらう」
毅然としてエリンはマグダレンを見据える。あれほどまで強い視線に凄まれたらアリアなどすぐ本心を白状してしまうだろう。しかし顎を数度さすったマグダレンは寸刻立たずに結論を出す。
「……まぁそりゃそうか。足手まといを連れてこられても邪魔なだけだな、許可しよう」
堂々と己が自負を以て放たれたその言葉に呼応するようにエリンに自信が宿っていく。
「感謝する。次に貴方がたは魔女の魔法についてどれだけのことを知っている?」
「どういう意味だ」
エリンがアレクサンドリア軍に向かい歩みを進めた。それに続きキキ、レイナも追って前に出る。
「そのままの意味だよ。魔法を使える健常な魔女にも戦闘に向き不向きがある。今回戦争に参加するのは……私含めて三人だ」
「三人……だと……?」
夕飯の前に緊急の会議は開かれた。平時とは違いレイナ班のテントの近くに集まり全員が出席。盲目のライラ、両ひざから下を失い、魔法によりライラと同じく盲目のメアリー、また魔法により嗅覚と味覚を失ったサタリナも表に集まり、何ごとかとエリンの言葉を待っている。
ユニを落ちつけた後、堪らずタイラーはテントを飛び出しエリンに詰め寄った。普段しっかりとした口調で頭に血が上った彼女を諭す集落の長もこの時ばかりは
「少し時間をくれ」
と自らのテントに籠ったことをその場にいた人間は鮮明に覚えている。
休暇だったはずのキキ班、レイナ班に声をかけ、班長四人のみでの会議が行われていた。
「みんなお腹が空いているだろうに悪いね。今日の昼にあった出来ごとの話だ」
テントから先んじて一人、姿を現した彼女は昼の顔色から幾分かマシにアリアには見えたが夜の暗さがそうさせているのか残酷な決断をしようとしているように見えて他ならない。
後をつくレイナこそ平時通りに見えたが、キキの口は堅く閉ざされ、タイラーは不服の二文字が体中からにじみ出ていた。
「アレクサンドリア軍が脅しをかけてきた。近いうちに戦争が起きるらしい」
「それはみんな知ってるよ。その先を早く聞かせてくれないかな」
班長達を中心とした半円の一番外に立っていたグリフが腕組みをしたままそう答える。他のメンバーもエリンの顔を注視していた。
「順を追って話すよ。まず彼らの要求だが……受け入れようと思う」
「本気で言ってるのかい。戦争がどれほど悲惨で残酷なものか、ここにいるみんななら知っていることだろう!」
「やめなさいバカチン。順を追って話すって言ってるでしょ」
ごく稀なグリフの苛立った声にキキが割って入る。
「ありがとうキキ。続けるよ。戦争に参加する理由は二つ。一つはこの場所が既に国にバレているということ。黙認されていたのは謎だがここまで宣言されて今後放置される保障はどこにもないから。拒否した場合は彼の言うとおり報復を受けるだろう」
エリンは自分に注がれている視線その一つ一つに応えるようにしっかりと体を向けながら話を続ける。報復を想像し、怯えた視線をていねいになだめるようにそれは行われた。
「そしてこれが決め手だけど、城下町への出入り許可書。あれがあれば生活は楽になるし、それこそ聖肉祭にも堂々と入っていける。今よりももっと人間に近い生活が出来るようになるんだ」
「だからって戦争だ! 相手は兵士、死ぬ気で私たちを殺しに来るんだぞ!」
激昂するグリフを未だかつて見たことのないメンバーたちはついに振り返り彼女の顔を目にしようとする。
「それが戦争のデメリットだった。リターンは大きいけどリスクが高すぎる」
「そうだろう! 全員で逃げるべきだ。ここ以外にも暮らせる場所はいくらでも……」
「班長会議の結果。戦争に行くのは私、キキ、レイナの三人に絞ることにした」
昨晩とは対照的に低い温度のまま淡々と話すエリンにグリフはついに笑みを浮かべた。決してそれは喜びからくるものではなく、呆れ、怒りがない交ぜになった美しいとは言えない表情に眉間が歪む。
「タイラーには私たちが抜けた後の村を取りまとめてもらう。戦闘向きの魔法でもないしね」
「……それはつまり私たちには留守番してろってことかい。集落の一大事に指を咥えてみていろと?」
「乱暴な言い方をすればその通り。若いメンバーだけでこの集落を守ってほしい。それが私の願いだ」
「班長以外にだって戦闘向きの魔法が使える人間は私を含めているし、エリンが私たちを守りたいと思うように私だってこの集落を守りたいと思っている」
普段温度を感じさせない熱が籠っていた。それは親しいアリアだけではなく集落の魔女たちに伝播しグリフに続けと血の気の多い数名は賛同の声を上げる。
「分かってくれみんな」
「いいやわからないね」
グリフが乱暴に左手の手袋を掴み、投げ捨てる。露わになった左腕、無数に刻まれた無数の直線は忌々しい烙印だ。
「歳が上か下かの前に、私だって、私たちだって同じ魔女だ」
「……逆だよグリフ。魔女である前に私が年長者なんだ。それに私が守った集落、勝ち取った未来に君たちがいなければ意味がないんだよ」
「それは私たちだって同じだ!」
留まることを知らない声にエリンの背後から一人が歩み出た。肩を並べた彼女は普段通り優しくグリフを視線でえる。
「まず前提としてこれは班長の総意で決定したことよ。異論は認めないわ」
柔和な表情と発する内容が一致せず、アリアは目の前に立っている人間が昨日話した人間――レイナでないのでないかと錯覚する。グリフはまたしても嘲笑っていた。
「あぁそうかい。私たちの意見は無視ってことか。必要ないってことか!」
「この場においてはその通りよ」
「…………」
「これはこの集落の決まりでもあるわ。重大な決定は各班長が話し合い、総意によって決定する」
外気よりも冷たい風が防寒具など突き抜けて心の臓へと突き刺さる。しかしグリフは負けじと地に根を張って耐えていた。
「それは班長が班員の意見も吸い上げたうえで話し合いに臨む時の話だろう。今は違うじゃないか」
「別にそれは習慣になっていただけであって、本来班長の会議はこういうものよ?」
普段怒らない人を怒らせると一番怖いと言っていたのはタイラーだったろうか。もしやレイナは今腹心で怒りに燃えているんじゃないか。
そう疑ってしまうほど日常のレイナとはかけ離れた姿に押せ押せムードが高まっていた班長以外の面々の熱が勢いよく冷める。
「さ、時間も遅くなっちゃうしご飯にしましょうか。作り始めてもらえる?」
レイナは一転、困ったような顔をして今日の食事当番、にそう告げた。
移り身の速さにまたしても口が半開きのまま収まらない。
「ちょっとまだ話は終わって――」
「終わりよ、グリフ?」
「……恨むよ」
「……ちょっとまたお話してくるから、ご飯が出来たら先にご食べていて。あっ私たちの分も残しておいてくれなきゃ嫌よ?」
グリフを制しながら空気を和まそうとレイナはあえて昨晩のようにおどけて見せた。その言葉を皮切りに食事当番だけではなく、エリン班の人間が中心となり夕食の準備に取り掛かる。ほとんどの肩が重そうに落ちていた。
その中でアリアは神妙な面持ちで後をついてエリンのテントへ向かうタイラーとキキを見守ることしか出来ない。
「ごめん」
不意に背中に重さを感じる。同時にうっすらと温もりが伝わってきて、背中から回された両腕からそれはグリフなのだとアリアは気づく。
「……どうして、謝るの?」
「……私らしくなかった」
自身より幾分か年上とはいえ、彼女もまだ年端のいかない少女。しっかりと頼りがいのある風体と言動に翻弄されがちだが今のような年相応の一面も持っているのだとアリアは少しだけ安心する。
腕の中をゆっくりと回転し、少しだけ距離を離してグリフの頭を優しく撫でてみる。くすぐったそうに彼女は目を閉じていた。
「私だってみんなを守りたいんだ」
「うん」
「なのに大人はすぐ自分を犠牲にしようとする」
「……うん」
彼女の過去なのだろうか。さらに強く抱きしめられたアリアは少しばかりの息苦しさの中思案をこねてみる。
「グリフちゃん」
呼びかけたグリフは自身の肩に顔を埋めたまま離れない。
「きっとね。みんな帰ってくるよ。エリンさんが約束を破ったことないでしょ? だからご飯食べ終わったら二人で約束しに行こうよ」
これが子供じみたまじないの類ということは知っている。ただそれでも今の彼女には必要なまじないにアリアは感じた。きっとエリン達はやり遂げる。いつか彼女達が帰ってきた頃、集落の全員で聖肉祭に大手を振っていくんだ。
今はそう縋りたかった。
「そう、三人。"ダリの村の魔女"エリンと私が見初めた二人、キキとレイナだ」
「よろしく」
「よろしくお願いしますね」
無愛想なキキとは対照的にレイナは愛想良く笑顔を振りまく。だが相対する彼はこれっぽっちも納得をしていないようで腕組みをした肘を人差し指でトントンと叩いている。
「三人は少なすぎるだろうよ。もっといるはずだ……なんなら多少血が流れる結果になってもこっちは構わねぇんだぜ」
「それはお互い不利益にしかならないはずだ。分かってほしい」
苛立つ心を脅しの言葉で塗り隠す。
しかし自信を取り戻したエリンは大樹のように強く、一歩も譲歩せずに立ちふさがった。マグダレンが距離を詰めてもなお彼女は揺らぐことはない。が、その時。
「なっ、なんだっ!?」
控えていた兵のうちの一人が情けない声を上げる。彼の指差す方向には"何もなかった"
きっと一番始めに事態の全貌を理解したのはアリアだったのだろう。アリアが口を開きかけたその時、優しい右手がその口を塞いだ。