第一章 罪と罰と
「あぁー暇だぁー……」
テントは大の字に伸びる褐色肌に占領されていた。物静かな少女は隅ですやすやと眠っており、もう一人の少女は椅子に座って品よく貸し出された哲学書を読み進めている。アリアは一人てきぱきと投げ散らかされたタイラーの服を畳んでいた。
「タイラーちゃん。本読まないとまたエリンさんに怒られるよ?」
「知るかそんなもん! 別に儲かったんだからいいだろうに……十年後の生活より今日の飯だろ? 思い出したらムカムカしてきた……」
どうやら彼女はこの集落の長と価値観から違うらしい。昨日の肉よりも分厚い本を枕にタイラーは不満を口にした。
「あぁあ。演劇は見れなかったし、パティに服くれてやれなかったし……」
「私に服?」
本に視線を落としていたパティが驚いたように顔を上げる。タイラーは苦笑いを浮かべ鼻の頭を恥ずかしそうにかいていた。なかなかお目にかかれない表情にアリアも意味が分からず次の言葉を待っているとタイラーが歯切れ悪く座り直す。
「あ、いや、ほら……お前誕生日じゃんもうすぐ。服好きみたいだしなんか買ってやろうかなーって思って」
昨夜のように頬をかく彼女の言葉にアリアの胸は熱くなった。粗暴に見える彼女は意外とこういったサプライズ好きという一面は昔からあったのだが。
どこからその情報を仕入れたかは知らないが普段かわいがっている班員の誕生日を知った彼女はきっとにやけ面であれこれ策を講じていたに違いない。
パティの顔が綻ぶことを予想して顔を向けるとその先にいたのは思いがけない気の抜けた顔だった。
「はぁ……呆れた」
「はぁ?」
予想しない返事にタイラーが片方の眉をピクリと上げる。
「売り上げは一度エリンに渡るでしょうに。私へのプレゼントを考えてくれていたところで彼女を通さないといけなくてよ」
パティの指摘も尤もで、売り上げは個人ではなく集落全体の利益。そこから食料や施設、もろもろの備品を調達するのに消費された上で余った金銭がお小遣いとして各自に配られる。
多少年齢によって――幼いユニと、成人済みのタイラーとでは――金額が上下するが、その額は決して多いとは言えず、
「そこは私の話術で交渉してだなぁ」
「体術の間違いではありませんこと?」
パティの言葉に寝転んでいたタイラーは立ち上がり、その勢いのまま距離を詰めると威圧的に見下ろす。パティも本をゆっくりと机に置くと立ち上がり美しい瞳を鋭い光に変えてタイラーに返した。一瞬の静寂がテントを支配する。
「てめぇこそあんなやっすい挑発に乗りやがって!」
「自分の力を示しただけですわ! 貴女のような短絡的思考で動いてませんの!」
「ちょ、ちょっと二人とも……」
今日の客待ちはエリン班だ。この喧騒が外でくつろぐエリンに知られでもしたら……更なる罰は避けられない。どうして、昨日は丸く収まったじゃない。
この騒ぎを抑えられなかった自分にも連帯責任としていよいよ罰が与えられると遠くない未来をアリアが悲観したその時。
「ダリの村の魔女エリン! 出てこい!」
テントからの声をかき消すように外から男の声が木霊する。聞き覚えのないその声に一瞬にしてタイラーとパティ、アリアは顔を見合わせ恐る恐る外を伺うと、朝からの晴天は変わらず暖かい日が森に降り注いでいた。
しかしそれに似つかわしくない鎧に身を包んだ五人の騎士がテーブルの辺りへ集まっている。状況が呑み込めずテントの入り口から顔だけを出して辺りをきょろきょろと観察していると、隣のテントから流れるようにエリンが姿を現し騎士の元へと歩いていく。
「エリンは私だが……客ではなさそうだね」
「私はアレクサンドリア公国軍尖兵遊撃隊隊長、ラナール! 貴様がエリンか」
相手を目の前に据えて兜のてっぺんからつま先までじっくりと観察して放った一言に間髪を入れずラナールと名乗る細い口髭を蓄えた男は直立不動の姿勢を取る。その大声に日光浴を楽しんでいた森がざわめき出した。
「聞こえなかったのはその重苦しい兜のせいか? もう一度言おう。私がエリンだ」
「貴様、生意気な口を……!」
ラナールの兜の頂上についている赤い羽根がプルプルと震えている。
やたらと長い階級に反比例してどうやら気は短いようだった。
「わりいな躾がなってなくて。俺はフォッシル・マグダレン。軍団長だ」
そのラナールは彼の後ろから伸びた群青の鎧によって退かされる。乱暴に押しのけられラナールは片足でバランスを必死に保っていた。
「ぐ、軍団長……!」
声の主は視線の先にいるエリン達ではなく、存外近い人物からのものだった。焦りをタイラーも同じく感じ取ったのかパティを見下ろして様子を伺う。
「偉いのかアイツ」
「偉いなんてものじゃありませんわ……自国の広い領地を各地で統治するアレクサンドリア軍、話が本当ならば、その頂点に立つ人間があの方ですわ」
彼女の説明にさすがのタイラーも生唾を飲む。腰に帯びた剣はどれだけの血に塗れているのか想像もつかない。
「貴方はまだ会話が出来そうだ」
「綺麗な花だけに棘があるな。別に喧嘩しようってわけじゃない」
刃の鋭さを変えないエリンに対して、まぁ座らせろよとマグダレンは一言、朝から広げっぱなしになっていた朝食セットの椅子に腰かけると兜を脱ぎ去りテーブルに置く。露わになったその顔には皺や刀傷の一つも刻まれていなかった。
「で、何の用があってここまで」
「長い話は好きじゃないんだ。単刀直入に話すぜ。近いうちにリンドブルムと戦争になるんだわ」
エリンの言葉を遮り、平々凡々な日常の一部を切り取ったかのようにマグダレンは欠伸をしながらそう告げた。その内容にエリン班の一人、ジャネットが堪らず声を漏らす。
冷戦状態にあった隣国リンドブルムと戦争になる――つまりこの森も戦火に包まれるやもしれないということだ。
「もう五十年くらい続いてる関係だからな。そろそろ清算しねぇといけねぇ訳よ」
「…………」
「リンドブルムを落とせばグルグ大陸統一も見えてくる。負けられねぇ。そこでだ」
エリンは利き手である左手を口元に沿えて隠し、視線はマグダレンから逸らさない。意識を循環させる時間を与えまいとマグダレンはやはぎ継ぎに会話をまくし立てる。
「お前ら全員をうちの軍に加えて攻め立てる。今日はその交渉にやってきた」
時間が止まったような感覚に陥る。その感覚はアリアの隣にいる――正確には縦に並んでいるわけだが――二人も共有しているようだった。殺しの仕事は数えきれないほどしてきたがそれもこじつければ生活の為、加えて戦争となれば相手は一般人ではなく殺意を持った軍人。
返り討ちに合う可能性は低いとは言えない。
「もちろんタダとは言わねぇよ。勝ったあかつきには金貨五千枚に、城下町への出入り許可書を発行する」
「ご、五千枚……」
再びタイラーの唾を飲む音が聞こえる。昨日の話を盛り返すのであれば、リンゴ飴七十五万個に相当する。恐らくユニの一生をかけても食べきれないほどの量だ。
「きょ、拒否した場合は?」
エリン班サタリナが口を挟む。戦争という言葉に過敏になっているのかその言葉はまるで子犬ように震えていた。その様子にマグダレンはいやらしく目を細める。
「……ここに来た時点でわかってんだろ? お前らの命は上の一言でどうにでもなるんだ。言ったよな"ダリの村の魔女"エリンと。お前ら全員の過去も罪も全部わかってんだよこっちは」
釣り上げた眉で一息に言い切るとマグダレンは椅子に深くもたれ掛り、鎧の隙間から煙草を取り出す。すかさず脇に控えていたラナールが火をつけた。紫煙を深く吐き出すとエリンが静かに口を開く。
「……貴方はまだ賢いのかと思ったけどそうでもないな」
テーブルに肘をつき手を握って思案していた彼女はゆっくりと立ち上がり、目の前の五人を鋭い視線で射抜く。
「貴方は魔女の力を侮っている。その気になればまばたきする一瞬でここにいる五人をばらばらに切り刻むくらいの芸当は出来るんだ。私たちを殺そうなんて」
「そりゃ出来るだろうな。別に侮っちゃいねぇよ」
またも繰り返しの様にエリンの言葉を遮ってマグダレンも同じく立ち上がる。ドンと大きな音を立てテーブルに手を付くと、上体を彼女に近づけて先程よりも大きく口元を歪めた。
「だからこそ欲しいのさ、人知を超えたお前らの力が! 生意気なリンドブルムなんぞ完膚なきまでにぶっ潰してよ、大陸統一すんのさ。その次は世界だ! 言っておくが俺らが戻らなかったらアレクサンドリアの全軍でここを攻めるよう手筈は済ませてきたんだ。五人は殺せるだろうなぁ? 一瞬だろ? だが千は? 二千は? 果たして二十人いない頭数で捌き切れんのかい村長さんよぉ!」
泥よりも汚く、しかし宝石よりも輝きを放つ双眸にエリンは思わず後ずさりした。更に挑発をするようにマグダレンは紫煙をエリンに吹きかける。
「悪い話じゃあねぇはずだぜ。お前らはいつものように人を殺して、いつもより多い報酬を得られるんだ……明朝に返事を聞きに来る。身支度も済ませておけよ」
吸い切った煙草をテーブルに押し付け吸殻はそのまま、彼らは来た時と同じように列を成し嵐のように去って行く。
「……どうしたの?」
部屋の奥で寝ていたはずのユニが目を覚ましている。他人は干渉しないはずの彼女が気にせずにいられない雰囲気を感じ取ってしまうほど、集落に重い霧が立ち込めていた。
アリアがどう答えるべきか迷っていると赤髪の班長はゆっくりと彼女に歩み寄って抱きしめた。
「なんかうるせぇ客が来たんだよ。あんまりうるせぇからエリンがおっぱらっちまった」
「そうなの?」
「あぁ。だからなぁんもお前が心配することはねぇ。安心しな」
背中をトントンと静かに叩くタイラーの背中からは慈愛がにじみ出ていた。