ep001 人生、変わる……?
東京某所――
高校3年、8月の夜。
まさに、青春の只中たる僕の、その1ページを彩るのは……
「付き合ってる男女の薬指と薬指とに、赤い糸の両端をそれぞれ結んで、それを切ると……1週間のうちに絶交するらしい。」
……大学の不思議研究会なるサークル所属。
チャームポイントは細目、黒ぶちメガネ、ついでに仏頂面。
1つ上の先輩、山川大翔のくだらないことこの上ない話。
「へーそうなんですかすごいですね。」
そして、そんな先輩しか友人といえる友人はいない。
特にチャームポイントはないが、強いてあげるならここまででも落ち着かせるのに2時間はかかるこのくせっ毛。
テキトーに相槌を打つ僕、五十嵐幾夜の虚しさ。
この二つである。
そして、いっそ自分の部屋より落ち着く気さえする先輩の部屋は、秒針の音だけが響く、何とも居た堪れない空間となる。
何、気にすることも無い、いつものことだ。
あと5秒もすれば、くだらない話が再開するだろう。
それから5つ、秒針が刻む。
「直径14㎝・高さ7㎝のホールケーキを3等分して、3日間に分けて食べると……3日後には人生が変わるらしい。」
「へ~そうなんですかすごいですね。」
変わらずテキトーに返事をすると、
「興味があるようだね。」
先輩は細い目をさらに細め、突然、にたりと笑みを浮かべた。
ビクッとする。
いや、明確に興味を抱くと、どうもイントネーションが違うらしく、見抜かれるのはいつものことなのだが。
その表情の変貌ぶりが何とも不気味で、毎回恐怖なのだ。
そして、この話に興味を抱いたのは、先に述べた通りの。
つまり無論、”年齢=恋人いない歴”たる負け組人生を変えるのに、ホールケーキ1個の出費で済むというのなら、そんなに美味しい話はないと思ったからだ。
……まあ、言ってしまうと、実のところというか、その~当たり前ではあるのだが。
この類の話、ろくな結果は出なかったのだが。
ただ、3年生のくせ、エスカレーター式だからと、成績危ないくせに余裕ぶっこいて暇を持て余している僕にとっては、ちょっとした暇つぶしになるのだ。
あーつぶす暇があったら勉強しろというその忠告は、一切合切この耳は受け付けない。
……そう。
暇つぶしのために今まで、
心が浄化されると6時間、ただひたすら月を見上げ。
運命の人に出会えると一昨年の7月7日に川の辺で対岸に女子が現れるのを待ち続けて、「若造よ、早まるでない!」と、髭ボーボーのホームレス爺さんにこっ酷く叱られ。
引き締まった体になると、別に太っちゃいないが真冬の夜に川につかった結果、例のホームレス爺さんに、「簡単に人生を投げ出すな!」と、またこっ酷く叱られた。
……いや、思い返すと何とも虚しい限りである。
黒歴史を巡らせ赤面していると、気付けばその間に先輩は席を立っていた。
そういえば思うが、今までのくだらない話は、まあ、くだらなくはあったけれども、それとな~く筋は通っていた。
思い返したついでに例にしてみよう。
月光には浄化作用があるというし。
7月7日といえば七夕物語が有名だし。
麺を冷水に通すと締まるし。
今日の話でも、運命の赤い糸を切ったら――といった感じでこれはわかる。
だが、ケーキを食べるのと人生が変わるのとで何の関係があるというのだろうか?
腕を組み、身体ごと首を傾げて考えてみるが……全くさっぱりである。
考えていると先輩が戻って来た。
その手には円盤状の何かが。
「それ、何ですか?」
尋ねると、また不気味に、にたりと笑って、
「等分メジャー。」
とだけ答え、「ほいっ」と差し出してきた。
おずおずと受け取ると、透明なプラスチックの円盤にその中心を通る線が何本も書かれていて、その線の上には、5、6、7、8、と数字がある。
これはあれだ……そう、ケーキとかを等分するときに便利なキッチン用品。
「使うといいよ。」
ニタニタとそう言うので、僕は「はあ……」と苦笑いを浮かべるしかない。
いやはや、今日の先輩は異様なまでに気味が悪い。
こんなに笑みを張り付けたままの先輩は、滅多どころか以前に一度として見たことない。
それだけ楽しいのだろうか。
……この話が?
「帰らなくていいのかい。」
無駄と分かりながら思考を働かせていると、まだ笑みを張り付ける先輩が時計を指して言う。
見ると、もう9時になる頃だった。もう帰らなくてはならない。
いや、僕は一人暮らしで、誰に心配をかけることも無いのだが、先輩はいつも10時には床につくという、「小学生か!」とつっこみたくなるほど早寝であらせられるのだ。
邪魔しちゃ悪い。
……ああそうだ、一応、訊いておこう。
気になったままじゃ、ろくに帰途にもつけないだろうし。
何せ僕は、疑念はとことん晴らさなくては気が済まない、面倒な奴だから。
言うと、以前に試した先輩のくだらない話というのは、やはり言った通り、暇だから試したのであるが。
「本当になるのだろうか」という疑念が付きまとったからこそ、試してみたのであるr。
だが、大して興味のないことは、疑念すら抱かないから、試さない。
それと、流石に他人に迷惑をかけることもしない。
例えば、今日の赤い糸の話みたいな。
いや無論、リア充なんて、己らの熱で爆発したところに爆竹1000万本……としたいところだが、非リアの慈悲だ。1000本をぶっこんで、真っ黒焦げになったそれらを残らず太平洋めがけて放ち、そのまま海の藻屑となって消えて欲しいとさえ思うが。
それ以前に海の藻屑同然である僕が何をするもその程度なので、しない。
ていうか、本当にしたら御用だ。
……あー先輩は確かに謎だが、疑念は抱かない。つまり……そういうことだ。
(”そういうこと”ってどういうこと? って思っているそこのあなた! 2つ上のかたまりの3行目をチェック! ……しなくてもいいけど)
それはさておき。
疑念を尋ねることにしよう。
「ところで、その、”ケーキ”と”人生が変わる”っていうのは、一体、どうして関係あるんですか。」
その瞬間、ゾクリと。
南極大陸に寝ころびでもしたかと錯覚するような冷たさが、僕の背筋を走り抜けた。
一層気味の悪さを増す、先輩の嬉々とした笑みに。
いや、もう、笑っているというより、引きつらせていると言った方が適切だろうか?
先輩は、そんな口を大きく開けると、周囲のありったけの空気をはっ、と吸い込んで、
「直径14㎝・高さ7㎝のホールケーキを3分の1に分けると、角度では120度ずつに分けることが出来るが、体積では、(7㎝×7㎝×3.14×7㎝)÷3=359.066……㎝ と割り切れない、じゃあ、その差に特異点が発生しているのではと考えられ、あわよくばその特異点によって人生が変わるのではと推測されるのだ、あ、ちなみに――」
――そんなこんなで、帰途についたのは、9時15分となった。
いやあ、珍しいこともあるものだ。
蝉の頻りに鳴く中、先輩にもらった等分メジャー越しに前方に注意を払い、“出来る限り人通りのない路地”を行く。(理由は想像にお任せする←訳:言いたくない)
先輩があんなにも嬉々とした様子で、一度であんなにも……そう、まさに疾風迅雷の勢いで喋るなんて。
何せ、玄関での見送りの時には、ゼーゼーと息を荒上げていたほどだ。
それが自分が尋ねたせいだと思うと、少しばかり申し訳ない。
さて、そんな先輩の説明を聞くに、割と筋の通っているように思えるが、ケーキを食べるだけで人生が変わるなんてどうにも考えられない。
勿論、本当にそんなことがあれば願ったり叶ったりなのだが。
しかし、本当に変わったとして良い方に変わるとも限らないのではないか。
考えているうちに、唯一、どうしても通らなければ家に辿り着くことのできない大通りが目前に迫る。
つまり、先輩に教えられた直径14㎝・高さ7㎝のホールケーキが売っている"Fourteen"というケーキ屋が見えてきた。
丁度、ほんとに丁度、いつもの帰路の途中にあるのだ。
大通りに出るのは横切る一瞬だというのに。
僕は壁に沿うようにして角を曲がり、ガラス張りの入り口に辿り着く。
店内はオレンジ色の光に包まれていて、可愛らしい感じの内装だ。
先輩に言われなかったら一生知ることも無かっただろう。
すぐそこにあるショーケースの左側には、派手なポップと共に例のホールケーキと思わしき箱が2つ。
曰く、直径14㎝のケーキは珍しく、ここの看板メニューらしい。
直径なんて気にする人はいるのだろうか?
………ここにいるけど。
なんて考えながら、じっと、ガラスの扉越しにショーケースを見つめる。
………………………………………………………………………………………………はっ、いやいや、今回ばかりはさすがにバカだ。
ぶんぶんと首を振り、自分に言いつけるように呟く。
「……いやいや、人生が変わるなんて可能性を抱くにも、さすがに限度を超えているし――」
――チャリーン
「ありがとうございました~!」
『チャリーン』というのはこの場合、実際はない擬音であるが、僕は確かに聞いた気がした。等分メジャーも一緒に入れた右手の袋に目を遣って思う。
まさか、たかがホールケーキが、1か月の自由に使える金額の4分の1もするなんて。
今ハマっているネットゲームが、丁度、URアイテム獲得イベント中で、ちょこちょこ課金をしているのだが、今月いっぱいで終わってしまう。
このケーキ分あれば、イベントガチャをあといくらか回せただろうに。
だが、もしこれで人生が良い方向に変わるというのなら、安いものだ。
と、もう買ってしまった今となっては、自分で藁だと言ったような可能性に縋るしかない。
……されど結局、藁は藁。
大きくため息をつき、がくりと肩を落とす。
「毎回こんな感じで先輩の話に乗るんだから、いい加減学んだらどうなんだよ……」
嗚呼、夜空に点々とある星が、僕をせせら笑うように瞬いている……
「……人生、変わるかな……」
僕は無気力に、袋の中のホールケーキ、ついでに等分メジャーに呟きかけた。