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軽銀のドラグーン  作者: 蛍蛍
2章
81/85

白化汚染個体




 長らく聖杯を追ってきたソフィーだが、その生態については謎が多い。

 だが簡単な推論から判ることもある。地下は、大精霊と化した白化汚染個体(ヴァイツァール)にとって狭すぎる。

 かつてイリスが観測したドラゴンの大精霊は、山脈を超える巨体であった。いくら変幻自在なスライムを元にしていようと、完全にミソル・アメンは容量が足りていない。

 そして一度地上に出れば、分裂する聖杯はいよいよ手を付けられなくなる。


「地上に出る前に、仕留めないと」


 箒で階段を昇るソフィーは、短時間で大教会に到達。

 そして、その場にて惨劇を目撃する。


「……食い散らかしている」


 教会には、人間のパーツが散乱していた。

 残ったアーレイ達が無事かどうかは判断が付かない。だが、血痕と残骸の数から確実に清奏派セインレイトすらも攻撃対象となっている。

 大教会の建物も見るも無残な姿となっている。城と見紛うような荘厳さはなく、天井は陥落し単なる跡地と化していた。

 ソフィーは空に小さな太陽が上がるのを見る。照明魔法である。


「誰か、まだ生きてる」


 ソフィーはとりあえず、照明魔法を放った主を探すことにした。







「犬死したくなければキリキリ魔法を撃て! あのキモい奴に食われたいのか!」


 (フィリート)(・フィリックス)の甲板にて清奏派(セインレイト)の騎士達に指示を出しているのは、こともあろうかギイハルトであった。


「くそっ、なんで襲撃者に命令されなきゃいけないんだよ!」


「仕方がないだろ、生存者が乗っているんだ!」


 聖杯に襲撃された地下都市。ただでさえ攻防戦をしていた混乱の最中、真っ先に行動を開始したのはギイハルトだ。

 彼は一時停戦を提案し、民間人を(フィリート)(・フィリックス)に収容すると言い出したのである。

 清奏派(セインレイト)からすれば異教徒の憎き襲撃犯。だが、高らかに非戦闘員の安全が第一と言い切る彼に僅かに心情を良くする。

 そしてピストン輸送にて生き延び大教会の丘に泳ぎ着いていた民間人を船へと避難させると、次にこう指示した。

 『船を死守しろ』と。


「どうよ、敵が積極的に俺達を守ってくれるっていう、この名采配! やっぱ俺は天才だな!」


「人としてどうかと思うわ」


「人じゃないけどどうかと思うわ」


 アーレイとフランシスカからは不評であったが、ともかく彼らは生きていた。

 白いスライムは全方位から海上を滑り、船へと触手で攻撃する。

 速度は遅いものの質量は大きい。一撃の度に大規模な魔法を強いられ、清奏派(セインレイト)の魔法使い達はあっという間に疲弊していった。


「くそっ、抜かれた! 誰か止めくれ!」


「アーレイさん、手を出してはいけませんよ?」


「……ええ、解ってる」


 吐き気を堪えつつ、アーレイは襲われる民間人を見殺しにすることに同意する。

 3人は自分達を襲おうとする触手だけを迎撃していた。民間人であろうと、敵を守る余裕などないのだ。

 現状はある種の籠城である。籠城とは増援の宛てがあるか敵の攻勢に限りがあってこそ有効であり、白いスライムの体積は依然として増え続けている。陥落は時間の問題であった。


「―――なんだ、どういうことだこれは!」


「んげっ」


 ギイハルトは、上から降りてきた人物に変な声を漏らしてしまった。


「なんでこいつがここにいるんだよ……」


「スクトゥム将軍! スクトゥム将軍が来て下さったぞ!」


「知将スクトゥム万歳! 清奏派(セインレイト)万歳!」


 げんなりと萎えるギイハルトとは対照的に、まるで増援部隊であるかのようにタイミングよく現れた敵将スクトゥムに清奏派(セインレイト)の人間は歓声を上げた。


「す、スヴェル様! これは何事ですか!」


「えっ? あ、はい、私ですか?」


 瓜二つの顔と服装から、アーレイをスヴェルと見間違えるスクトゥム。

 アーレイはしばし考え、命じた。


「我が忠臣スクトゥム。あの白き魔獣こそ、我らが最後の障害です。貴方の叡智を以てこれを打ち払いなさい!」


「あっ、えっ、そんな!」


 いきなり期待を押し付けられ、困惑するスクトゥムだが。


「やった、これで助かるぞ!」


「スクトゥム様ならきっとなんとかして下さる! あんな訳の判らない奴になどやられてたまるか!」


 士気が上がった清奏派(セインレイト)兵を前に、泣けなしのプライドが刺激され後に引けなくなる。


「お、お任せ下さい。 これより私が指揮を行う! 我ら精強なる清奏派(セインレイト)、このような苦境笑い飛ばしてみせるわ!」


「見事! 敵ながら天晴である!」


 すかさず、ギイハルトがよいしょした。


「貴方達の姫たる彼女は、我々が守り抜きます。存分の戦って下さい!」


 ギイハルトがフリールに跨り、アーレイも続いてアキレウスに飛び乗る。


「頑張って下さい、スクトゥム。きっと貴方ならやってくれると信じています」


「おじさん、ばいびー」


 最後にフランシスカと黒曜竜(ナイドイルヴドラゴン)が甲板から飛び立ち、上空待機に移行した。


「……なんだ、どうしてこうなった!?」


 頭を抱えるスクトゥムだが、聖杯は待ってはくれない。

 バラバラであった防衛体勢をセオリーに則って整え、彼は迎撃戦の指揮を開始した。




「……上から見てたけど」


 翼箒(ブルーム)に跨ったソフィーはギイハルトを白い眼で見る。


「大した判断力。ほんと、凄いと思う」


「その目やめろ」


「ソフィー、あれは何?」


 訊ねるアーレイに、気負いもなくソフィーは答えた。


「貴女の妹の成れの果てよ」


「……食われたの? でも、あれは」


 困惑するアーレイ。スヴェルが鍵となることは可能性は考えていたので驚きこそしないが、あの粘体が大精霊だと言われても困惑するばかりだ。


「鍵はスヴェル。でも鍵穴はスライムの白化汚染個体(ヴァイツァール)


「まあ確かにスライムねぇ。きんもー」


「どうすんだよ、どっちみち人間は滅亡なのか?」


 ソフィーは首を横に振る。


「まだ安定していない。サナギが蝶となるのに時間がかかるように、まだ能力を十全に発揮出来ているわけではない」


 むしろ、だからこそ人間の力で食い止められているのだとソフィーは主張する。

 完全に大精霊となってしまえば、それこそ手を付けられなくなる。だからこそソフィーは急いだのだ。


「ソフィーの魔法ならあれを消せるのね?」


 安堵するアーレイだが、ソフィーの見立てではそれも困難であった。

 白化汚染個体(ヴァイツァール)同士ならばともかく、大精霊と成りかけているスライムは世界からの加護を得ているといっていい。単純に火力負けする可能性が高かい。

 だからこそ。ソフィーは、その打開策も考案していた。


「アーレイ。貴女の協力が必要」


「私の? はい、なんでも言って下さい」


 生来の人当たりの良さもあって、当然のように要請を受け入れるアーレイ。

 ソフィーは小さく頷き、箒を降りてアキレウスの背に乗る。


「あ、あの?」


「じっとして」


 アーレイの両肩を掴むソフィー。心なしか紅潮した頬に、アーレイは何故か危機感を覚える。


「あの、ソフィーさん? 協力は惜しみませんが、何をするか説明して頂けるとありが―――」


 アーレイが言葉を続けることは出来なかった。

 ソフィーはアーレイに唇を重ね、しかも舌まで入れてきたのだ。


「ふぐっ、むー、うにゅー!」


『お、おう……』


 じたばたと暴れるアーレイ。視線を逸らすギイハルトとフランシスカ。

 唇を離すと、ややあってソフィーは消沈した。


「……汚された」


「どうして貴女が落ち込むんですか!?」


 顎が外れたかのような顔をするアーレイ。


「私、私……ファーストキスだったのに!」


「私はファーストじゃない。イリスとした」


「その話、詳しく」


 アーレイは据わった目でソフィーの肩を掴む。

 しかしソフィーは、悪びれた様子もなく答えた。


「何度もした」


「この泥棒猫っ! というか、何の契約儀式ですか!?」


 魔法使いにとって、キスは契約としての意味がある。故にソフィーの行為が何らかしらの魔法であったと考えるのは自然だ。

 しかし、これは契約ではなかった。正確には、これから儀式を行うのだ。


「これで、私は『鍵』を捕食した」


 ごくん、とアーレイの唾液を嚥下するソフィー。


「皆は下がってて。安全は保証出来ない」


 3人は警告を受け、素直に離れた場所に相竜(バディ)を移動させる。

 おそらく歴史上初の、大精霊同士の戦い。どれほどの被害を周囲にもたらすかなど想像すら付かない。


「んっ」


 ソフィーは湧き上がる世界からの加護を感じる。

 自分が広がるかのような万能感。アーレイの魂までも捕食したわけではないからか、融合に際する副作用も現状現れてはいない。


「手順も踏んでいないこんな子供騙しの融合で、どれだけ世界を騙せるか判らないけれど……」


 ソフィーは杖を虚空から取り出し、無詠唱で第一級魔法を数十発顕現させる。

 これまでのソフィーには不可能だった、正しく神の如き御業。加護の恩恵を目の当たりにし、その力に身震いしつつもソフィーは杖を振るった。


「……任せた、って言われたから。任される」







 イリスは満身創痍であった。

 イリルムで就寝中に夜襲を受けたことから始まり、ヘスコ島での戦いをくぐり抜け、第四騎士団(メルオン・パル)の裏切りで負傷しつつ、果てには片足を失い、慣れない水中戦やバールとの決戦にて力をほぼ使い果たし。

 今の彼女は魔法も使用出来ず、慣れない片足で辛うじて立っているだけの少女。魔法の一発すら放てない、剣の一撃すら振るえない無力な存在。

 戦闘能力でいえば、同年代の非戦闘員以下。無理矢理縫合した全身の傷がどこか開けば、それだけで出血死しかねない死に損ない。

 この場にいるイリス・ブライトウィルとは、そんな者でしかなかった。


「さあ、来なさいバルドディ」


 それでもイリスは凄絶に笑う。自身の勝利を確信し、その行程を微塵も想像出来なくとも戦うつもりでいる。


「その汚いケツを拭ってやります。私は、遺憾ながら貴方の相人(バディ)なのです」


「     ―――ッッ!!」


 相対するバルドディに、そんな覚悟など理解しようもない。

 長らく食欲という衝動に晒され続けた彼に正気な理性などなく。ただ本能のままに餌を探す獣と化している。

 イリスは一歩踏み出す。歩く度に包帯に血が滲み、脳が擦り切れそうな激痛が走る。

 バルドディもまた、一歩踏み出す。イリスのそれとはあまりに違う、鈍重な一歩が教会を揺らす。

 瞬間、バルドディは跳んでいた。

 飛行ではない。筋肉の石柱とすら形容しうるほどの強靭な筋力は、白化汚染個体(ヴァイツァール)となり更に強化されている。

 一歩である。助走もなく、ただ一歩でバルドディは教会の端から端―――イリスに肉薄した。

 開かれる顎。全身苦痛に苛まれようと機能低下を起こさないイリス自慢の目は、迫る白いドラゴンをスローモーションのように観察し続ける。


「―――っ」


 反応なんて出来てはいなかった。偶然正面に構えていた不変の聖水剣(リオ・ミスティリス)が、バルドディの顎からイリスを守ったに過ぎない。

 彼が上手く捕食が出来なかった少女は、だが勢いのままに吹き飛び壁に激突。地に落ちる。

 バシャンと海水に落ちた少女は僅かに気を失い、すぐに立ち上がろうと身を起こす。

 彼女の身体は、彼女の意志に沿うことはなかった。


「は、は。本気、出したらどうです。貴方の、一撃はこんなものじゃないでしょ」


 得意とする真正面から、一切の反応が出来なかった。

 その事実にイリスは震える。武者震いなどではない、戦慄の悪寒である。

 顔を覆う仮面は何処かに飛んでいった。不変の聖水剣(リオ・ミスティリス)の鞘はへし折れた。

 ―――動け。

 自分を叱咤する。動かない自分を軽蔑する。

 ―――2歩目などいらない。1歩、全力で動け。


「動け、動けよ、なんで」


 ここで動かねば、ここまで来た意味がない。

 動くか動かないかではない。動かす以外に選択肢などなかった。

 だというのに。戦わねばならないのに、身体はもう微動だにしない。

 イリスの抵抗も、そこまでだった。

 バルドディは間抜けな失敗は繰り返さまいと、イリスの側まで近付き倒れ伏す肉塊を咥え上げる。


「―――。」


 イリスは声も出せなかった。

 肺が軋み、臓器が破裂し。ただの甘噛みで、イリスという人間の多くの機能が喪失した。

 水中では食べにくい、という判断からバルドディは力なくなすがままにされるイリスを咥えて祭壇に登る。

 雑に儀式用の台に放り出されるイリス。あたかも、彼女をこれから生贄に捧げるかのよう。

 地下教会内のランプの光は、ぼやけた彼女の視界の中では前世の夜景のようにきらめく。


「綺麗」


 場違いに、そんな言葉が漏れた。

 バルドディはイリスを食し始める。

 自らの腹あたりを、グチョグチョと頭部を突っ込んで漁るバルドディ。彼が顔をイリスの腹部から引き抜く度、イリスの大切な何かが物理的に失われる。

 長いのは腸か。黒っぽいのは肝臓か。

 死ぬんだ、と実感した。

 食われていく自らの身体。イリスはそれを、うつろな瞳で眺めていた。


「美味しそうに食べて、もう」


 ―――負けた。イリス・ブライトウィルは負けたのだ。

 元より、勝ち目などなかった。イリスはただ、アスカを生かす為に死地に残っただけだ。

 その死の理由に不満はない。国民の盾となる、実に自衛官的だ。


「痛くはない、んだ」


 苦痛はないが、暗示魔法などを使用しているわけではない。

 痛みとは警告。既に手遅れならば脳が痛みを感じない場合もある。

 腹部を牙で漁る感触が、臓器が千切れる感触が嫌に生々しい。

 ―――ふと見れば、バルドディの顔が手で届く距離にあった。

 一心不乱に食事を続けるバルドディ。イリスは彼の鼻面に触れる。

 バルドディの抵抗はなく、なすがまま。

 そしてそんな彼にイリスが向ける視線は、慈しみすら秘めるほどに優しかった。


「―――覚えていますか、初めて会った時のこと」


 何故、そんなことを話し始めたのかイリスにも判らない。

 朦朧とした意識のうわ言、と言われればそれまでなのだろう。


「父上の訓練を見てて。父上が大臣に呼ばれて、私と貴方だけが残って。あの時の第一印象、正直いって良くはなかったですよ」


 はは、と掠れた息でイリスは笑う。


「なんでこんなトカゲが飛べるだって。今でも気に食わないです、不条理マジカルトカゲです」


 でも、イリスはそれだけではないことを知っている。


「寮に引っ越す時は手伝ってくれた。父上と遊覧飛行する時はいつも乗せてくれた。貴方はプライドばかり高い子でしたけど、でも優しい子です」


 見上げれば、教会定番のステンドグラスは暗く濁っている。

 このガラスが日の光を透かし綺麗に輝くことはない。朝のないこの地下に、空などないのだから。


「地面を毛嫌いしていた貴方が、こんな場所に閉じ込められたら……そりゃあ、つらいですよね」


 バルドディが顔を上げる。

 血肉のこびりついた頭部。食えども満ちることのない腹に、バルドディは更なる食事を求めイリスの顔を見つめた。

 先程から何か音を発している部位。あまり美味そうではないが、肉には違いない。

 バルドディの顎が、イリスの頭部を捉える。


「成長のない奴です。馬車馬にされていた頃と同じ、無意味に生にしがみついた無様な―――」


 そして、バルドディはイリスの頭蓋を噛み砕いた。




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