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軽銀のドラグーン  作者: 蛍蛍
2章
77/85

突入戦





 地下都市ミソル・アメン。

 海の更に深く、何層にも連なる岩盤の下に築かれた町に突撃せんと意気込んでいたイリス達は―――


「右方から来ますわ!」


「気泡が崩れかけてる! 非戦闘員も甲板にいろ、水が入ったら溺死するぞ!」


「敵は波状攻撃をしています! このままではジリ貧です!」


 ―――地下都市まであと一歩のところで、立ち往生を食らっていた。

 蠕虫の喰穴(ワームホール)を突き進んできた(フィリート)(・フィリックス)だが、いつまでもサーフィンのように流れ込む海水に乗って進めるわけではない。何度も側面に引っかかり、周囲からの触手の攻撃に晒され、障害物を魔法で吹き飛ばしながら前進したのだ。

 いっそ船を捨ててドラゴンに乗っていけないかとも考えたが、何時間も襲い掛かってくる白い触手を回避し続ける算段は低い。可能だとしても無駄な消耗は避けたいことから、やはり(フィリート)(・フィリックス)を身を守る鎧としながら進み続けた。

 だが、次第に異変が起こる。均等な直径であったトンネルが徐々に狭くなり、触手の数や太さも増していたのだ。

 そして、極めつけが彼女達の前に立ちふさがった白い『壁』である。蠕虫の喰穴(ワームホール)を完全に封鎖するそれは、明らかに元々あったものではなく急遽拵えられた防壁であった。

 壁などあっては海水は満ちるしかない。蠕虫の喰穴(ワームホール)は完全に水没し、イリス達も哀れ溺死―――となるほど、潔くはない。

 (フィリート)(・フィリックス)は現在、巨大な気泡に包まれ、その気泡の下部に船としてのまま浮遊していた。


「ソフィー、この気泡魔法はいつまで維持出来ますか?」


「イリスが応援してくれるなら何時までも」


 そう応えるソフィーだが、額には汗が滲んでいる。

 白化汚染個体(ヴァイツァール)のデメリットに対してあまりに矮小なメリット―――ソフィーの場合、精霊言語による高い魔法適正―――があるからこそ巨大な船を包む気泡などという大魔法を使いこなせるのだが、それも無限ではない。

 まして、先程から『敵』に攻撃されっぱなしなのだ。早急に対処する必要があった。


水竜(ミスティ)が来るぞ!」


 ギイハルトが叫ぶと、気泡の外側から水竜(ミスティ)に跨った竜騎士(ドラグーン)が再度突撃してきた。

 その手には数メートルに及ぶ長槍。水中で振り回すべく細く長く発達したそれは、むしろ『銛』を称するべきなのかもしれない。

 ギイハルトはアスカの前に飛び出し、手にした巨剣で銛の側面を両断する。まさかそんな器用な真似をされるとは思わなかったのか、敵竜騎士(ドラグーン)は驚愕しつつも再び水中へと逃げ込んだ。


「チッ、すぐ逃げやがって。仕留めきれねぇ!」


 魔法を放つには近すぎ、剣で叩き切るには遠いい。ヒットアンドアウェイを繰り返す敵に、イリス達はなんとか攻勢を凌ぐしか出来ない。


「これが水竜(ミスティ)による水中戦―――水の国(ミスティリス)のお家芸ですか」


 イリスは唸る。失伝したとされる水中戦闘技法だが、まさかテロリスト集団にて受け継がれているとはイリスも思ってもみなかった。


「イリスぅ、なんとかならないのー?」


 フランシスカが手鏡で化粧を直しつつ訊ねる。交戦距離が近すぎて魔法使いの彼女が完全に戦力外なのをいいことに、円陣の中心に座り込んでリラックスしていた。


「貴女、そんな度胸座ってましたっけ!?」


「失うものがない人は強いのよ」


「あの壁、少し光が透けてませんこと? きっと目的地はすぐ向こうなんですわ!」


 同じく戦力外だが、なんとか突破口を見つけようと周囲を観察していたアスカが舳先の向こうを指差す。


「これまで進んできた距離からしても、本当にミソル・アメンは目と鼻の先なのでしょう。あそこを魔法でぶち抜けば状況が変化するかもしれません」


「水圧がかなり高いわ。小さな穴でも開ければ、きっとそこから決壊する」


 ソフィーが杖を揺らす。魔法の手応えから、イリスは周囲の海水が高圧力になっていることを感じ取っていた。

 見れば先の白壁は悶え、蠢動している。まるで膨らんだ水風船のようだ、とイリスは連想した。


「水圧に耐える為でしょうか、白いアレがこの場に集まっているようです」


 イリスの意図したところではないが、これこそが各地で蠕虫の喰穴(ワームホール)が崩落した理由であった。

 海水の水圧に耐えるべく、大陸全土に広がっていた白い地面はその四肢をミソル・アメン周辺に集結させざるをえなかった。そして支えを失った蠕虫の喰穴(ワームホール)は、あえなく自重で崩壊してしまったのだ。


「待てよ、穴開けたら地下都市とやらが水没するだろ。あいつらが溺れようが興味ないが、アーレイさんはどうなる」


「かつてこの都市に強行突入した際に見ましたが、教会らしき建物は中心の丘の上にありました。ちょっとくらい水が入ったからって大丈夫ですよ、『たぶん』」


 最後の三文字にギイハルトがアヒルのような顔をする。とんでもない比喩表現だが、まさにアヒルのような顔でイリスの正気を疑った。


「はぁー? そんないい加減な根拠に命かけんのかよ?」


「どの道、我々がここにいることが察知されているのです」


 水竜(ミスティ)部隊がこの空間に侵入していることこそ、ミソル・アメンの防衛部隊がイリス達の動向を正確に把握している証拠である。


「奇襲は破綻、ならば突貫するのみ」


「お前が何言ってんのか判んねぇ」


 アキレウスに跨ったイリスは、改めて海水越しに敵の位置を確認する。


「おい、どうすんだよ」


「―――少し相手をしてくる。何、すぐ戻って来るさ」


 イリスは仮面を装着して意識を切り替える。

 手綱を振るい、イリスとアキレウスは水中に飛び込んだ。

 そして戻ってきた。


「水圧ヤバイです! 全身雑巾になって絞られたような感じでした!」


「何しに行ったんだよお前は!?」


 敵水竜(ミスティ)はソフィーと同じ気泡魔法で空気を確保し、水圧も軽減している。規模はソフィーより遥かに小さく、自分の体を包む程度だ。

 むしろ、本来はこの程度のサイズしか気泡を生じさせられない魔法なのである。船ごと包んでいるソフィーが異常なのであって。


「お前はあの魔法使えねぇのか?」


「使えるが、攻撃が不可能となる。接近戦は苦手なのでな」


 イリスの装備は精々不変の聖水剣(リオ・ミスティリス)かランス謹製ナイフ程度。武器は扱えるが『平均よりマシ』程度の腕前であって、専用の銛に敵うとは考えにくい。

 そう主張すると、ギイハルトは小さく舌打ちした。


「とにかくその魔法を使え。俺が攻撃する!」


 アキレウスに駆け上り、イリスの後ろに跨るギイハルト。

 アキレウスはその太い尾でギイハルトをはたき落とし、ついでに足の爪で蹴った。


「痛だぁ! んだよこのクソドラゴン!?」


「アキレウスはこれで誇り高いドラゴンだ、アーレイとて最初は乗せてもらえなかったほどだぞ?」


「お前は気を許されてんだから、説得しろ!」


「無茶を言うな。私も、アーレイを助けるという名分あってこそ背を許されているんだ。平時なら単独騎乗は許されないさ」


 何せ、かつては水の国(ミスティリス)の王を背に乗せた名ドラゴンである。その能力は同種の中でも群を抜いており、乗り手にも相応の資質を求めるのだ。

 ギイハルトもまたかなりの実力者ではあるのだが、断りもなく背に乗ってきたので不興を買い叩き落とされたのである。


「アキレウス、今回だけだ。彼が品性に欠けることは否定しかねるが、それでも水中における攻撃手段が必要なのは事実に違いない。どうか私の顔に免じて、今回だけでいい、このつまらない男を背に乗せることを許してはくれないだろうか?」


 散々な物言いに悪態を口にしそうになるギイハルトだが、それをぐっと堪える。

 アキレウスは僅かにイリスを見つめ、すぐに身を低くして伏せた。


「……んだよ、へへっ。最初から素直にしやがぐへっ!」


 生意気な態度を見せたギイハルトは再度吹っ飛んだ。




 水中へと再突入するアキレウス。今度はイリスが気泡魔法を維持し、背後のギイハルトが大剣を横薙ぎに構える。


「変なところに触れるな、アーレイに言いつけるぞ」


「なんだ、これ胸かよ。てっきり腹筋かと思ったぜ」


 ふん、と鼻を鳴らすイリス。気泡は水中メガネのような役割も果たし、意外なほど歪みはない。

 とはいえ光源はほとんどなく、水の透明度もたかが知れている。まさに一寸先は闇状態だ。


「おっと!」


 イリスは自慢の動体視力を活かし、既のところで敵の細い銛を回避した。

 遅れて見える敵竜騎士(ドラグーン)の巨大な影。この距離まで敵の巨体が見えないことに、イリスも肝が冷える。


「っと、おおおっ?」


 軽い回避のつもりが予想以上にロールしてしまい、慌てて手綱を操りアキレウスを安定させる。


「水中では揚力も抵抗も大きい、空気中のようにはいかないか」


 想像以上に異なる飛行感覚に、イリスは癖の補正を強いられるのであった。


「おい、大丈夫なんだろうな!」


「理屈は空気中と同じだ、ただあまり強引に動いてはキャリブレーションでエネルギーをロスする。重力は空ほど考慮しなくていいわけだから……」


「上だ!」


 ギイハルトの声に、再び回避するイリス。

 しかし右90度ロールをしている間に敵は接近し、僅かに間に合わない。


「ふんっ!」


 ギイハルトが剣を振るい、銛を切断する。

 ついでに切れた銛を掴み、二人が入る気泡へと引き摺り込んだ。


「ぬおっ……!?」


 水の壁を失い、初めて聞く敵の肉声。


「死ねやっ!」


 落ちてきた敵竜騎士(ドラグーン)を殴り、水中に落とす。

 彼はしばし藻掻いていたが、水中では魔法詠唱も行えずやがて動かなくなった。


「手間をかける」


「しっかりしろ!」


「ああ、どうするべきか何となく判ってきた」


 やはり飛行機とは違う、と認識するにイリスは至った。

 どうせ速度も遅く、無理な機動を行っても重力加速度はたかが知れている。

 水中運動に必要なのは、移動量ではなく如何に無駄な動作をしないかなのだ。

 左右に移動したければラダーのみ。降下も逆落としなど必要ない。とにかくシンプルな操縦を心掛けねばならない、小細工が効かないからこそ繊細で手の抜けない操舵を求められるのだ。


「まるで黎明期の飛行機だな。とにかく、理解した!」


 一度要領を得てしまえば、アキレウスの機動は見違えるようであった。


「ギイハルト、9時方向に敵がいるはずだ!」


「クジってどこだ!」


「左手だ、左!」


「こなくそっ!」


 坑内を縦横無尽に駆け抜け、敵を誘い出し、一騎一騎確実に撃破していく。

 近接格闘戦(ドッグファイト)を反射神経と操縦技術の競い合いだと勘違いする者も多いが、そうではない。空中戦とは駆け引きであり、戦術だ。

 剣術などでも同様のことがいえるが、1つのモーションが遥かに長いドッグファイトはその要素が更に濃い。どれだけ愛機を自由に操れても戦術的に敗北してしまえば、エースといえど簡単に堕ちる。

 その点、イリスはこの分野において適正があった。

 イリスは操縦センスという面においては天才には及ばない。努力型のエースである。

 だからこそ空中戦術は、それに連なる戦術論は熟知している。


「上から被るぞ、逃すなよ!」


「応ッ!」


 水中を降下し、敵ドラゴンの背から急接近する。

 人間もドラゴンも、背後とは認識しにくい弱点である点においては共通だ。ギイハルトはその大雑把な剣には似合わない繊細な切っ先にて、敵竜騎士(ドラグーン)の首を軽やかに刎ねた。


「はっ、意外といいコンビではないか?」


「さすがは爛舞騎士(ラウンドナイト)様ってか、クソっ!」


「ええぇ……」


 いいコンビだと思ったのはイリスだけであった。

 この短時間で水中戦闘に適応したイリスに、ギイハルトは歯軋りする。


「次だ次! まだいるだろ!」


「目的を取り違えてないか?」


 周囲の脅威をある程度一掃したと判断し、イリスは白い壁に取り付く。


「―――耳を澄ませ、それは破滅と慟哭の唄。昏い深淵より覗くのは、忘却されし赤子の詩」


「何する気だ……?」


 呪文とはその魔法の性質そのものである。

 故に、それなりの術者ならば呪文のみで魔法の本質を見抜くことが出来る。

 ギイハルトは魔法を特別得意とする騎士ではない。だが、イリスの紡ぐそれが尋常ならざる魔法であることは感じ取っていた。


「誇りは明白なる使命。記録されぬ葬送曲。―――故に裏面へ刻む。大憲章の片隅に彼の鎮魂歌を」


 イリスはちらりとギイハルトを見やり、そしてウインクした。

 その意味を計り知る前に、気泡魔法が解除される。


「―――!?」


 押し寄せる水圧。

 それが気泡を押し潰すより早く、イリスは魔法の銘を叫んだ。


「マニュフェイトっ!」


 白い壁が、内側から抉れるかのように崩壊した。

 水圧が穴に押し込まれ、アキレウス、そしてイリスとギイハルトは排水口に吸い込まれるかのように穴に突入する。

 翻弄される水流の中、イリスが頬に感じ取ったのは風。


「空気―――!」


 即座に姿勢を立て直し、アキレウスを安定飛行させる。

 そこは広大な地下都市。そして、壁からダムの放水のように吹き出す海水。


「ついた、ついに辿り着いた―――」


 達成感に声を上げようとした時―――(フィリート)(・フィリックス)が壁を突き破り、穿たれた穴をこじ広げ、ミソル・アメンに滑り込んできた。

 伴う莫大な海水。地下都市はあっという間に浸水し、城下の町は水没する。


「……見ていて気持ちのいい光景ではないな」


「そうか? 最高だろ」


 突然の水害に、地下都市の住人は逃げる猶予などあろうはずもなく流される。

 どれだけの日常が一瞬で奪われたのか。イリスは想像しようとして、止めた。


「くそっ、俺達の故郷が!」


「お袋! 実家があそこに!」


「悪魔め! 血も涙もない悪魔めぇ!」


 イリス達と同じように流されたのであろう水竜(ミスティ)部隊の騎士が、口々にイリスを罵る。

 もう彼らは戦意喪失しているようであったが、敵を見逃して禄なことなどない。きっちりと撃墜してから、アキレウスは船に降り立った。


「―――寒い」


 イリスは身震いする。

 その寒さは、ただ水に体を晒しただけが理由だとは到底思えなかった。

 感覚のない右足を見る。痛みがないのは結構であるが、四肢の一つを切断しているという危機感までも鈍化してしまっている気がしたのだ。

 この寒気は、その警告なのであろう。


「あと少し、もう少しだけでいい―――」


 ―――もう少しだけ、戦う力を。

 気合を一つ入れ直し、イリスは顔を上げる。

 目的地は中心の丘の教会。どのように攻略するかと観察し、彼女の優れた目は『彼女』を発見した。

 見間違えようもない。そっくりさんもこの地にいるはずであったが、その片割れでもない。

 イリスはアキレウスに飛び乗り、離翔した。


「お、おい!? せめて打ち合わせを―――」


「すまない、でも行かないと!」


 アキレウスは教会へ向けて飛行する。

 その麓にいる、蒼い髪の少女を目指して。


「―――自力で脱出してきたのですか?」


 そして驚愕で染まる彼女に、つい呆れたように声をかける。


「なんとも、助け甲斐のない姫君です」




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