ファルシオン奪還2
絶望の町ファルシオン。悲劇より2ヶ月半が経ち、かつての住人はほとんどが死亡している。
大半が虐殺された町で、今や生き残っているのは一部の人間のみ。
よほど利用価値のあると判断された特殊な技能者か、鉄鉱石の採掘場にて働いていた男性達である。
「どうしたっ! まだノルマを達していないぞ!」
「やめ、ぎゃっ!」
「どうした! 鞭が嫌なら……なんだ、死んだのか? おい、そこのお前! こいつを片付けろ!」
清奏派がファルシオンを確保した理由の一つが、鉄の確保である。
この世界での鉄鉱石の採掘は過酷な労働だ。某異世界人の発案で防塵マスクや軍手、ヘルメットといった安全装備が普及したものの、依然として人力による重労働である。
それでも以前までは、終業時間となれば日給を受け取り、風呂に入り、いつもの酒場で騒ぐくらいの余暇があった。彼らは結婚もするし休日も与えられる普通の労働者だったのだ。
しかし清奏派がそのあたりを考慮するはずはない。男性達は昼夜問わず働かせられ、病気になろうと休息は与えられず、死ねば縦穴に捨てられた。
「―――その人、まだ生きてるの」
採掘場に似合わぬ幼い声。
「なんだお前、は……」
声に振り向く兵士は、だがその相手を見て苦虫を噛んだような表情となる。
少女の名はアロン。アロン・フォージャーであった。
「私の『意向』を無視するの?」
「……ふん、好きにしろ!」
アロンはかつてスヴェルから『この少女に配慮せよ』と命令が下っていた為、多少勝手に振る舞っても処分出来ない立場となっていた。
清奏派の最高指導者直々の命令である、無視しようものなら大事になりかねない。それならば、ある程度好きにやらせておいた方がまだいい―――そう現場では判断されているのである。
「大丈夫なの?」
「だいじょうぶに……見えるかよ」
ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返す男を、アロンは適切に治療する。
「なあ、嬢ちゃん」
「なの?」
「安楽死とか、出来ねぇか?」
思わず、治療の手が乱れそうになった。
「ここにいたって使い潰されるだけだ、助けも来ない……俺の嫁さんも嬲り殺された。もう、生きてる意味もないんだ」
男はすすり泣いていた。
アロンはしばしそれを見つめ、汚れた布で男の顔をゴシゴシと拭く。
「痛、いてぇよ、なにしやがんだ!」
「生きてる証拠なの。汗をかいてたから拭いただけなの」
治療を終えたアロンは立ち上がり、近くの兵士に命じて男を救護室に運ばせる。
「助けは来るの。お姉ちゃんも、お姉さんもきっと来てくれるの」
アロンは採掘場から空を見上げる。
冬の澄んだ空。このような状況下において、空だけはあまりに美しく透き通っていて。
それを汚すように飛ぶ風竜もまた、ハエのように落とされていく。
「―――えっ?」
アロンは目を疑った。
高速で飛ぶ風竜、最強と名高い空の覇者たるドラゴン。
それを、超高速で飛行する何者かが容易く撃墜していく。
アロンは周囲を見渡す。タイミング良く空を見上げていた者は彼女以外におらず、占領軍もまた誰もこの惨劇に気付いていない。
完全な奇襲攻撃。それが破られるのは、やはり空からの報せ。
ドン、と爆発のような音を轟かせながら肉塊となった風竜がファルシオンの中心地に堕ちる。
空を覆わんがばかりに騎竜が編隊を組む。互いの死角をカバーする合理的な空中配置は、最小の労力で最大の成果を得んとする狩人のそれだった。
「制空権確保は第七騎士団に一任する! 我々は地上設備の殲滅を最優先に飛ぶぞ!」
『了解!』
魔獣の天敵。人を狩る者。蹂躙部隊。
対地攻撃に特化し、重装甲の工学竜鎧を纏う第六騎士団。決して騎士としての一対一の空戦といった華やかさはないが、それでも彼らを畏怖の目で見る者は多い。
緻密な連携、完成度の高い指揮系統。ひたすらに地上を蹂躙することに長けた彼等第六騎士団は、その荒い気性も相まって他の騎士団とは異なる扱いを受けることも多い。
「敵対空部隊を撃破!」
「司令部に強襲を開始!」
「降下予定地点周囲に脅威は確認されず!」
「降下! 降下! 降下!」
「お世話になりましたぁー!」
「第三分隊は地上支援に回れ! 本隊はこのまま清奏派が潜伏する建築物を粉砕する!」
「確保!」
「確保!」
「確保!」
「司令部の制圧を確認!」
一方的に空からの攻撃を降り注がせる第六騎士団。逃げ回る敵兵は現状に泣き言をいうことしか出来ない。
「制空圏を確保していたんじゃないのかよ!?」
「違う、敵は風竜より高い空から侵入してきたんだ!」
「3500メートル以上だと!? 不可能だ、肺活量を鍛えてどうにかなる高さじゃない!」
工学竜鎧にはコンプレッサーが搭載されており、空気を圧縮し騎士に吸引させることで5000メートル近い最高高度を発揮出来る。生身の人間が跨る風竜は3000メートルが限界であり、この差はあまりに大きい。
上という選択肢は敵部隊にとってあまりに想定外であった。完全に意識を向けていなかった方向からの攻撃に、警戒中であった騎士達も一方的に蹴散らされる。
だがここは戦争の要所。配置されている騎士兵士もラサキの比ではなく、空からの強襲だけでは敵航空戦力を完全に封じるには至らない。
「離翔しろ! 一騎でも上がれば流れは変わる!」
風竜の優勢を信じて疑わない兵士達は、ホバリングして空に昇る竜騎士に歓声を上げる。
しかし離陸直後の航空戦力とは、得てして脆弱なものである。空戦とは運動エネルギーの奪い合いであり、如何に生物として最速の風竜でも最初からトップスピードで飛べるわけではない。
魔法機銃の掃射を喰らい、雑巾のように朽ちながら堕ちる風竜。その上を悠々と甲高い推進?の音を響かせながら土竜がフライバイする。
「流石は風竜、身が軽いからどこでも離翔可能というわけか」
第六騎士団とは対照的に、第七騎士団の団長は冷静に戦場を俯瞰していた。
クルツクルフ防衛本部という養成機関があるとはいえ、正規騎士となった後に訓練がかせられないかといえば当然そんなことはない。
他の騎士団に対して教育を行う。それが、第七騎士団の役割である。
歴戦の猛者を前にして教鞭を振るわねばならない彼らは、故に他の騎士団を圧倒する練度を維持している。1人1人がエース級であり、爛舞騎士に準じる実力者達だ。
騎士の中でもエリート中のエリート。本来前線に出るような騎士団ではないが、今回の大規模作戦においては第六騎士団を御する役割を期待され指名されたのであった。
「とはいえ制圧部隊に被害があれば笑い物だ。油断なく警戒を厳としろ」
清奏派は土の国軍が地上から奪還作戦を進行すると予想していた。これまでの知識ならばそれは正解であり、空からの侵入が不可能である以上地べたを這って進むしかない。
しかし予想外の空襲はファルシオンを極短時間で制圧するに至る。これまでの諜報活動によって得られた情報を元に司令部を潰し、指揮系統を分断し、完全に頭を叩き潰した。
こうなっては最早、ファルシオン周辺に展開していた騎士団など条件反射で動くオマケでしかない。
「本部との連絡は!」
「依然復旧しません!」
「どうなってる!? まさか、噂は本当なのか!?」
数刻前から、ファルシオンの司令部がにわかに騒がしくなったことは清奏派軍の末端までなんとなく把握していた。
一介の騎士にまで情報が行き渡ることはないものの、ラサキが襲撃され、甚大な被害を被ったという噂が広がっていたのだ。
最もそれを真に受けた者は少ない。ラサキはあまりに遠く、伝令の騎士が行き来する程度ならばともかく、町を制圧可能な大部隊を送り届けることは極めて困難。
よって、何らかの緊急事態が発生していることは薄々感じながらも、占領軍は楽観視を続けていた。
―――そこに背後から、即ちファルシオンからの攻撃である。
暇を持て余していた兵士達は、途端に恐慌状態に陥った。
「敵の魔法火力が想定以上だ! 頭を上げたら死ぬぞ!
「空からは執拗な質量爆撃、このままでは全滅する!」
「完全に挟み撃ちをされている! まさか、ファルシオンが落ちたのか!?」
アーヴェルア国防軍で使用されるのは古き良き間欠的な詠唱魔法ではない。工学輪唱杖による組織的な制圧射撃であった。
ファルシオンを防衛する陣地の頭上を、小さな魔法が流星のように通過していく。
殺傷力は小さく、見た目ほど数も多くはない。もし立ち上がっても魔法の餌食になる可能性はかなり低い。
しかし、その可能性があるという事実は兵を竦ませるには充分な効果がある。この威圧により敵は身動きを封じられ、アーヴェルア国防軍は悠々と前進していった。
無論、清奏派軍もやられてばかりではない。
「踏破せし教化がきたぞーっ!」
誰かの声に、小さく喜びの声が上がる。
地上最強の機動兵器、踏破せし教化。歩兵相手には最強の兵器は、質量爆撃の前にあっさりと沈黙した。
岩が落下してくるという、単純ながら強烈な衝撃。装甲板は貫けなくとも直径9メートルの車輪は、そのシャフトは耐えきれない。
車輪が外れ、あっさりと行動不能に陥る踏破せし教化。画期的といえど所詮は『地上』最強でしかなく、運用には制空権の確保が大前提なのだ。
「あんなガラクタ、俺達の敵じゃねぇよ!」
「目標、鉄竜車! 進路良し、軸線乗った!」
「対空魔法なんざにびびんじゃないぞ! 対地攻撃は1に度胸2に度胸だ!」
「ダイブ開始!」
急降下し、ピンポイントで踏破せし教化、コードネーム鉄竜車を撃破していく第六騎士団の竜騎士。敵も必死、魔力の限り魔法を打ち上げ対処するも高速で迫るドラゴンにそうそう当たるものではない。
また一両鉄竜車が撃破され、清奏派軍内に絶望感が漂う。
しかし彼らには更なる切り札があった。
「蹂躙せし正義だ! 蹂躙せし正義が来たっ!」
今度こそは、と期待を込めた目で新兵器を見上げる清奏派軍。
新たに現れた兵器に、第六騎士団の騎士達も驚愕した。
「で、でけぇ……!」
「なんじゃありゃ!? 船かよ!?」
「ミーティングで聞いたろ! 敵がファルシオン制圧後にここの鉄で作った、化物兵器だ!」
蹂躙せし正義。それは清奏派の切り札。
踏破せし教化の発展型にして、本来の姿。6頭引きの竜車であり、火力・防御力ともにフォートレスドラゴンに匹敵する。
重さ188トン。全長35メートル、幅14メートル、高さ11メートル。装甲厚は20センチもあり、如何なる魔法でも武器でもほぼ突破不可能な完全兵器であった。
フォートレスドラゴンに匹敵、というのは過大評価では決してない。試験運用中に襲撃してきたプロビデンスフォートレスと交戦し、攻撃に耐え抜き追い払った実績があるのだ。
この事実は友軍内でも広く広報され、土の国にも当然伝わった。長らくフォートレスドラゴンと戦い続けてきたかの国だからこそ、その情報は驚愕を以て迎えられたのである。
地面を進む巨大な要塞。その様はまさに陸上戦艦。
この異様の怪物を、第六騎士団は。
「フォートレスドラゴンに匹敵だと? くだらない」
嘲笑で立ち向かった。
騎士達は驚きこそすれ、恐れなどしなかった。
「俺が行く、掩護しろ!」
飛び出すは騎士団団長。一気に6000メートルまで急上昇、雲一つない薄い空気の空にまで上昇。
身を捻り、一転、そのまま急降下に移行。
曲芸飛行においてはハンマーヘッドターン、或いはストールターンと呼ばれる機動。高度を速度に変え、一直線に蹂躙せし正義へと落ちていく。
部下達は団長を狙う対空魔法を封じるべく、より地上への攻撃を激化させる。
けっして蹂躙せし正義そのものは攻撃しない。皆、団長の攻撃が成功すると確信している。
急降下の風圧の中、団長が手を横に振るい合図を送る。
それに従い、彼の相竜は魔導血界領域より巨大な鉄柱を出現させる。
直径1メートル以上。重量10トンを超える、超重の槍。
「味わって喰らえ―――対要塞竜投擲槍ッ!」
対フォートレスドラゴン用に開発された、局地的には世界最強の攻撃手段。
この世全ての装甲、岩盤、城壁を貫くことが可能な常軌を逸した鋼鉄の槍が蹂躙せし正義に突き刺さった。
―――反応は、なかった。
不発かと団長は疑うも、それは一瞬の後に否定される。
地面が、大地が揺らぎ蹂躙せし正義は跳ね上がる。
数十メートルの高さまで舞う蹂躙せし正義。投げた本人ですら、何が起こったか解らなかった。
対要塞竜投擲槍は、蹂躙せし正義を完全に貫通したのだ。
上面20センチ、下面20センチ。合計40センチの装甲板など、対要塞竜投擲槍にとって有って無きに等しい。槍は鉄箱を貫通し、岩盤に突き刺さり、地下30メートルで炸裂した。
その結果が地震。そして莫大なエネルギーは真上の蹂躙せし正義に直撃し空に放り上げた。
攻撃が成功したと知り、安堵した団長はニカッと笑う。
「フォートレスドラゴンの万倍当てやすかったぜ。そんな貧弱な機動力でどうしたかったんだよ」
かつて同様の攻撃を行い、フォートレスドラゴン撃破に成功したことのある団長にとって蹂躙せし正義はただの的に等しいといえる。
フォートレスドラゴンの脅威は、最強の戦力が空を飛ぶことにある。地面を這うことしか出来ないなど、強固な装甲を持とうとどうとでもなる相手でしかなかった。
何を隠そう、そう―――人類はこの半年間で、確認されているフォートレスドラゴンの3分の1を撃破している。
イリス・ブライトウィルの才気よる戦果ではない。個々の能力は当然加味されるが、人は技術と戦術によって犠牲を払いつつもフォートレスドラゴン討伐作戦を成功させていったのだ。
全ての手札を失った清奏派軍だが、彼らに降伏という選択肢は存在しない。
ここから先は記すにも値しない、ただの殲滅戦であった。
「なんだ、これは」
スクトゥムが蠕虫の喰穴を飛びファルシオンに着いた時、既にファルシオン司令部の旗は土の国のものへと変えられていた。
「何があった! おい!」
戦場跡地に移動したスクトゥムとその部下は、なんとか生存者を見つけ出し詰問する。
「閣下……?」
「何があったのだ! ファルシオンは、ここの駐屯部隊は!」
「攻撃され……制空権を、完全に……」
それ以上の言葉はなかった。だが、スクトゥムには心当たりがある。
奇妙な音を伴う、風竜を凌ぐ超高速飛行を行うドラゴン。ラサキでも制空権を奪うところから戦いは始まったのだ、同様の戦術がこの地で再現されたと考えるのは自然。
これは、ラサキにて船ごと突撃させるという意味不明な作戦を立案実行した者達のみならず―――敵が、同様の戦術を画一的に行うことが可能だと意味していた。
英雄ほど脆弱な兵士はいない。だが、一平卒まで強い軍隊はどこまで削っても強いままだ。
スクトゥムは、ここにきてこの戦争に勝ち目がないことをいよいよ理解した。
「に、逃げる! 私は逃げさせてもらう!」
「ど、どこにですか?」
「地下だ! ミソル・アメンだ!」
それは当初の予定通りでもあった。ファルシオンにて援軍を得ようという魂胆は破綻したが、元より地下都市へ向かう予定ではあったのだから。
「あそこが我々の最後の砦、籠城すればきっと、きっと―――!」
最早希望的観測でしかない。だがこのまま地上を逃げ回るのも現実的ではなく、部下達はスクトゥムに従うしかなかった。
鳳翔の地下突入とククリの帰還飛行開始は同時。しかし空路と海路では前者の方が遥かに速く、情報の伝達は更に速い。
結果として、ククリの伝えた情報は鳳翔を追い越し、クルツクルフのフランに伝わり、ファルシオンの制圧が成される。
清奏派は蠕虫の喰穴が各地で崩落、水没したこともあり、制圧範囲を短時間で一気に縮小させられた。
彼らの勢力圏は大きく削がれ、地下都市ミソル・アメンもまた孤立を強いられる。
―――そうして、最後の戦いが始まろうとしていた。




