偵察3
イリス達はラサキ郊外へと移動した。
軍人といえど体力は無尽蔵ではない。全力疾走で荒くなった呼吸を沈める為、彼らは一時休憩を取ることにした。
「ああフリール、元気でしたか?」
「勝手に俺の相竜と話してんじゃねーよ」
林に隠されたドラゴンを目敏く見付け、手を上げ挨拶するイリス。
「自分の女と話すなって、どれだけ嫉妬深い男ですか」
「るせぇ」
町内と外の境界たる小径木の柵に体重を預け、ギイハルトは町景に目を細める。
「意外と小奇麗な町じゃねーか、テロリストの癖によ」
夜景といえどその明かりは乏しく、イリスの感覚からすれば色々と物足りなさを感じる。
夜間営業する店からは煙が昇り、住宅地は完全に闇が降りている。何ら変哲のないこの世界において標準的な地方都市、といった風情だ。
ただ異質なのは、やはり蠕虫の喰穴がすぐ側にぽっかりと開いていることであろう。
「あれは清奏派の通路だそうだ。黒竜も飛び込むことはあるが、主に人間が使っているらしい」
「ふぅん」
イリスの視線に気が付いたギイハルトが訊いてもいないのに解説する。
情報の厚さからみても、それなりの日数この町で偵察活動を行っていたことが伺えた。
「酒場での接触は私が本当にイリス・ブライトウィルか確認する為、ですか」
「ああ、本人だとは確信したが味方だとは信じられなかった」
だからこそ始まった戦闘。その末、ギイハルトは別の形でイリスが味方であると確信を得る。
「スヴェル・クレンゲルを殺そうとしていたな。あの女はこいつらの宗教的指導者、間違ってもナイフを向けていい相手じゃない」
「何故止めたのです? この戦争に終止符を打てたかもしれないのに」
イリスも若い娘を殺すのに躊躇いがないわけではない。せっかくの決意を徒労にされ、若干不満であった。
しかしギイハルトはかぶりを振る。
「あの女はスクトゥム将軍って男に対する視察でラサキに来ていたらしい」
「指導者直々に?」
「将軍は何かしらの失態を犯しているようだな。つまり信用がないから抜き打ちチェックされたってわけだ」
しかしその情報すらもスクトゥムには漏洩していた。故にスヴェルは更に裏をかくべく、予定日より早く、それも深夜にラサキ入りしていたのだ。
「そんな情報、よく把握出来ましたね」
「俺が優秀ってことだよバーカ!」
してやった、と言わんばかりの顔で目を上弦の月にするギイハルト。
「偉いです。大したものだと思いますよ、本当に」
「クソが」
褒めたのに汚物呼ばわりされ、困惑のイリスであった。
「まあなんだ、俺達もやったんだよ。アイツらがラサキ入りしたのは数時間前。事前に受け入れ準備していた男を尋問して、正確なタイミングも把握していた」
「宗教で支配された人間の口を、よく割れましたね」
「優秀だからな」
どのように優秀なのかは、イリスは聞かないことにした。
「まあ実際はやったのは先輩だ。階級は俺の方が上だが、先任には頭があがらねぇ」
ばつが悪そうに頭をかくギイハルト。軍隊においては、経験豊富な叩き上げの部下がエリートの上司より発言力が強いことは珍しくはない。
「で、俺達もやった、とは何を?」
「不意打ちでの暗殺だ」
「ああ……どうりで」
―――その結果を、イリスはもう見ている。
ギイハルトは、イリスと再会して以来ずっと単独で行動している。先任の先輩なる人物が、どこにもいないのだ。
「わけが解らなかった。スヴェルに魔法を撃ち込もうとした先輩が、突然消えたんだ。敵の気配なんてなかった、少し目を離した瞬間にいなくなっていた」
「先輩さんだけ?」
「そうだ、あの人だけだ。俺は無事だった。―――パニクってひたすら逃げたがな」
警告だろうか、とイリスは推測する。
それほどの手練ならば、そのままギイハルトも狩れたはずだ。しかし犠牲となったのは1人だけ。
「私がその二の舞いになると思って、思わず飛び込んでしまったのですか?」
「はぁー? 自惚れんなよクソビッチが」
「処女ですが」
「俺は諜報科だぜ? 情報色々握ってそうな奴を確保するのは当然だろうが」
男のツンデレは見るに耐えないな、とばっちいものを見る目でギイハルトを見つめつつイリスはイリスは語った。
「もう軍機もへったくれもありませんか。私は『遠すぎる空作戦』の臨時参加メンバーです。船で第四騎士団を運び、この町に打撃を与えるはずでした」
「はず、ということは失敗したのか」
「騎士団そのものが裏切り者でした。生き残りは、居合わせた民間人3人と猫1匹のみです」
「はっ!」
イリスの現状を鼻で笑うギイハルト。
「ざまねぇな爛舞騎士! 名前負けにも程があるぜ!」
「…………。」
「……なんか言えよ」
「いえ、無様なのは事実なので。甘んじて受け入れます」
舌打ちし、ギイハルトは腕を上げた。
「こうも騒ぎを起こしたら、もう諜報活動なんてご破産だ。俺はもう撤退させてもらう」
ギイハルトはフリールに歩み寄る。
しかし、足を止めた。
「見付けました! あそこです!」
何故か先頭を走るスヴェルとその一行。彼女は地の利を活かし、ある程度山を張っての絞り込みを行っていた。
この作戦は賭けであったが、勝者はスヴェルであった。現にイリス達は発見されたのだ。
しかし如何せん、距離が離れている。これならば余裕をもってドラゴンにて空に逃げられると、ギイハルトは構わずフリールに飛び乗る。
イリスは続かなかった。
「っ、おいバカ! さっさと来い!」
「ギイハルト。やはり、このチャンスは逃すべきではないと思うのです」
「んなにをっ」
イリスはスヴェルに無造作に駆け寄る。
ギイハルトはイリスの目的を察した。
「バっ、お前! だからソイツに攻撃したら、それにっ!」
それに、スヴェルの殺害に成功した後どうしようというのか。
ターゲットの周囲には正規兵。イリス1人では立ち回れるか怪しく、ギイハルトが援護するのも難しい。
それでもイリスはナイフを取った。様子がおかしいことにスヴェルが気付くも、もう遅い。
最後の一踏み。スヴェルに肉薄したイリスは―――
「―――くはっ?」
呆気なく、転倒した。
「なに……?」
足元を見る。
右足が、白い地面に埋もれていた。
「土魔法? これが、見えない護衛の正体?」
「アナスタシア……貴女!」
今更イリスが自分を害そうとしていることに気付き、ショックを受けつつも距離を取るスヴェル。
「貴様、我々を騙したのか!?」
怒り心頭の兵士がイリスに剣を振り下ろさんとするも、彼女を襲う別の存在を見て慌てて離れた。
白い地面が途端に粘性を持ち、イリスを飲み込まんと触手を伸ばす。
「あっ、あっ、ああぁ」
落下する感覚。右足は地面に膝まで飲まれ、白い地面から生じた触手は牙のようにイリスを食らわんとする。
イリスは地面に魔法を放つ。しかし、粘性を持った地面は抉れ弾けるもすぐに修復してしまう。
「ああっ、畜生」
負ける気はなかったが、抗う術もなかった。
イリスは地面に飲まれ、噛み砕かれる。
―――そうなるであろうほんの少し前に、救いは訪れた。
「やれやれ、困るな『聖杯』よ」
触手が切り払われ、イリスを拘束していた全ては霧散した。
それは棒状の得物であった。瞬き以下の時間で白い牙は切り払われ、飲み込まれていたはずの足がズボンと抜ける。
「ご無事ですか?」
それは誰への問いだったのか。
スヴェルとイリスの間に割り込んだ男は紛れもなく、イリスの知人たる騎士団団長。
「バール」
名を呼べば、彼は嬉しそうに微笑む。
「バール・ド・デュラン―――!」
「ふむ! 君は自分の身を心配した方がいいな!」
相も変わらず、語尾に感嘆符を必須とする口調。イリスはすぐに立ち上がろうとして、だるまのように転がった。
何事かと見れば、右足が太腿から存在していなかった。
「は? あっ、あれ」
地面から足が抜けた、と感じたのは錯覚であった。バールは白い地面を切り払うも、同時にイリスの足を切断していたのだ。
「――――――ーっ!!?」
右足を失い、声にならない声をあげるイリス。
「何やってんだお前!?」
ギイハルトが駆け寄ろうとするが、その前にバールが立ち塞がる。
「ここまでスパイが浸透しているとはな。せめてこの少女は捕虜とさせてもらおう」
イリスとスヴェルを背に、バールは槍を軽く振るう。
それだけで、ギイハルトは圧倒された。勝てないと、明確に理解させられた。
彼我の間には、それほどの絶望的な差があった。
「バール! でも、どうしてここに?」
想い人が駆けつけてくれたことに喜色を浮かべるも、同時に疑問を抱いたスヴェル。
「偶然この町に身を寄せていましたので。その最中、貴女様がご訪問されると聞いて挨拶に参りました」
「私が来るのは極秘だったはずなのですが……情報のプロ相手には詮無いことですね。その、ありがとう……」
「いえ、そのようなお言葉は不要です」
バールはお手本のように爽やかなスマイルを浮かべる。
「美しい女性を守るとならば最高の栄誉です。それが貴女ならば尚の事」
歯の浮くようなセリフに、スヴェルは赤面する。
彼女はいよいよ気付かない。バールの背後にいる女性は、自分だけではないことを。
「―――さて。君に恨みはないが、ここで果ててもらおう」
槍を構えるバール。ギイハルトは絶望的な戦いを強いられる。
「本当に裏切って―――いや、元々そっち側だったのか、爛舞騎士」
「心外だな、僕は何も裏切っていないさ。常に1人の女性の為に動いていた」
騎士道のつもりか、バールはギイハルトが構えるのを待つ。
正眼に構えるバスタードソード。これほどの距離では魔法は有効打足り得ず、ギイハルトはいっそ片手大剣の主義を捨て両手で握ろうかと考え、止める。
慣れぬ付け焼き刃の技で凌げる相手ではない。それくらい、相対するだけで痛感した。
技量差は天と地。ギイハルトは僅かな可能性に賭け、初撃にて渾身の一撃を放つことを決める。
「爛舞騎士第六位、バール・ド・デュランだ」
「ただのギイハルトだ。お前にとって最悪の名前になるから、精々覚えておけ」
そして放たれる疾槍と巨剣。
物理法則の限界に迫るかのような気迫を孕むギイハルトの大剣を、物理法則すら超越しかねないほどの神速の槍が迎え撃つ。
勝てないことなどギイハルトは解っていた。
勝てないことは、彼にとって命を諦める理由足り得なかった。
「はああああぁぁぁぁっ!!」
「シッ―――ッ!」
激突せんと駆ける二人の戦士。
その決闘を汚すように、魔法が一帯を吹き飛ばした。
「―――っ!?」
魔法を避けるべく、急制動をかけるバール。
生半可な術者では成し得ない見事な制御。魔法はギイハルトやイリスを避け、見事にバールを追尾する。
バールは長く重い槍を物干し竿のように軽々と振るい、魔法を切り払う。危なげないその作業は、しかしそれだけで神業であった。
これだけの魔法の使い手はそういない。イリスの味方たる魔法使いとならば、その結論はただ1人。
「ソフィアージュ・アンドリュースか!」
この場に彼女がいたところで不思議ではないが、だとすればタイミングが遅い。バールはイリス達に何らかの齟齬問題が発生しているとバールは推測する。
だとしても、ソフィアージュは間違いなく難敵であろう。
ところが。こともあろうか、魔法を放った『彼女』はといえば。
「ハズレぇ、ばっかみたーい」
バールを嘲笑う声は、自分がソフィーなる少女であることを否定する。
事実その声色も口調もソフィーとは異なり、どこか気怠けで軽い感覚を聞く者に与える。
空から落ちてきた声、誰もが空を見上げ、唖然とした。
「誰だ!?」
ギイハルトもやはり驚いていた。作戦の生き残りを民間人としか聞いておらず、援護の可能性を完全に想定していなかった。
「てゆーか動かないで。マジで。全員死ぬわよ」
空に羽ばたきホバリングする、黒く巨大なドラゴン。
月明かりに煌めく黒曜石の鱗。その背後に立つ1人の少女。
「私に『予防接種』は効かないし。とりあえず、その子から離れてくんない?」
そう言って、倒れるイリスを指差す癖っ毛の少女。
「ほう?」
「黒曜竜―――お前は、フランシスカ・フォージャー!?」
ギイハルトは目を疑った。
彼の援護のように魔法を放ったのは、黒竜軍の変種個体。
黒曜竜、そして汚染兵。
紛うことなき、人類の敵たる存在。かつてギイハルトとも面識のあった、準騎士の少女。
「珍しい。汚染兵が人類の味方をするだと?」
「味方じゃないし。その子は私の得物だし」
ギイハルトとバールの間に降り立つ黒曜竜。フランシスカの所作は無駄が多く、容易くその首を折れそうだとバールには思われた。
だというのに実行出来ないのは、その隙そのものが『裏』の存在を匂わせているからに他ならない。
「つーかさ、いいの? 私なんか構ってて」
「なにを―――」
ざわり、と。
気配を感じ、バールはラサキの町に目を向ける。
「黒竜、けしかけといたから。弱いのばっかだけど一般人じゃ勝てないよ」
むぅ、とバールが唸る。
フランシスカは選択を強要していた。この町の不特定多数を救うべく行動するか、イリス1人を確保するか。
「バール!」
「…………民間人の保護を優先します」
「ええ! そうね、アナスアシア……ちゃん! 今度会ったらお説教なんだから!」
撤退を開始する両陣営。
軽症の者が大半だが、1人右足を失い大出血している娘がいる。
「おい、生きてるか馬鹿騎士!」
フランシスカのことを気にしつつも、ギイハルトはイリスに応急処置を施す。
ふざけているとしか思えないほど大量のリボンが飾られたスカートを捲り、白い太腿に支給品の止血帯を巻く。以前は適当な布を巻き、棒で回して締め上げるといった面倒な工程が必要であったが、近年導入された軍用止血帯は使い勝手が随分良くなったと現場で好評な装備であった。
治療の間に、フランシスカは結末を見届けることもなく撤退する。ギイハルトはそれを横目に見送った。
「あいつの話が本当なら、この場にも黒竜が来る。予定通りA4地点から帰投するか? いや、だが……」
ギイハルトは、イリスが口にした民間人の生存者のことを思い出す。
「……知るか、運が良ければ助かるだろ。現時刻は―――九つってところか」
どう運が良ければ敵の勢力圏内で助かるのかギイハルト自身大いに疑問だったが、考えても仕方がないことであった。
止血帯に時間を書き込み、ギイハルトはイリスを担ぎ上げる。
「フリール、屈め! 移動するぞ!」
号令と共に、ギイハルトの相竜は即座にその場から飛び立った。
またイリス殿が死にかけておられるぞ!




