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軽銀のドラグーン  作者: 蛍蛍
2章
64/85

偵察2



 ランプ油の瓶が余波で割れ、明かりから着火して裏路地が赤く燃え上がる。

 炎が道を照らし、ギイハルトの整った顔を浮かび上がらせる。


「怯える必要はない」


「はい?」


「殺しはしないさ。情報が引き出せなくなる」


 呟くギイハルト。彼は、自分の絶対的優位を確信していた。


「ふむ」


 イリスはおおよそ事情を察した。しかし確証はなく、こんな形で出会ってしまった以上は主導権を握らねばならない。

 戦場において信じられるのは自分だけ。イリスはギイハルトを正しく評価しているが、熟知しているなどと自惚れてなどいないのだ。

 ギイハルトが敵か否か。それはもう問題ではない。

 敵対した以上はふんじばってでも捕獲して、優位を保った上で情報の照らし合わせをする。この戦いが無駄であったとしても、その無駄さを放棄するわけにはいかなかった。

 ―――この思惑、ギイハルトにとっても同じなのだろうなぁ。そう考えるとこの戦いの不毛さに嫌になるイリスである。


「はっ!」


 ギイハルトはやおら、片手大剣を突き出す。

 彼の愛剣は分厚いバスタードソードだ。このサイズの剣を刺突に使うのは難しい。

 重い上に取り回しにくく、貫いたら貫いたで抜けなくなる可能性も高い。片手となれば尚更だ。

 それを絶妙なバランス感覚で成すギイハルトの剣技の冴えは相変わらず見事であったが、それでもイリスを下すには力不足。彼女は掌底で剣の腹を叩き、迫る鉄刃を逸らす。

 そのままギイハルトと背中合わせとなるように半回転、彼の脇腹目掛けて肘鉄砲を放つ。


「ぬおっ!?」


 格下であるはずの少女の、思わぬ反撃に狼狽するギイハルト。彼は劣等生としてのイリスしか知らず、刃物を素手で捌いてからの反攻など予想だにしていなかった。

 脇腹は人体の弱点だ。横隔膜と直結しており、チェーンメイル越しではあったが衝撃は伝わる。

 一撃で呼吸困難に陥ったギイハルト。追撃をかけようとしたイリスだが、そこに魔法が放たれる。

 悶絶するギイハルトが放つ魔法。しかし闇雲な牽制であっても脅威には違いなく、イリスは回避行動を余儀なくされた。

 イリスが飛び込んだのは炎が照らさぬ物陰。そこから更に闇の深い道へと入り込む。


「身内相手だ、欲張るものではないか」


 ギイハルト確保も不可能ではないと踏んでいたイリスだが、予想以上に彼の練度は高かった。

 そもそもイリスがギイハルトを翻弄出来たのは不意打ちに近い。バールほどの達人ではないが、実地座学共に優秀なギイハルトにイリスが近接戦闘で勝るわけではないのだ。

 数で劣り、白兵戦能力でも劣る。こうなってはもうリスクしかない。

 イリスは走る。後ろからギイハルトの気配が追ってくるが、彼女に追いつく様子はない。イリスの足が速いというわけではなく、闇夜の中で全力疾走を出来るイリスが特殊なのだった。

 彼女の目は下手な暗視装置よりよほどに鮮明に、夜の街道を映していた。


「さてどこに逃げたものか」


 ギイハルトは間違いなく、今夜忍び込んだイリスよりラサキについて詳しい。追いかけっこは土地勘のないイリスに不利。

 どこまでも逃げることは出来ない、かといって安直な打開策は術中に嵌まるだけ。

 流れを変える方法も思い浮かばぬまま、イリスは再び大通りに出る。

 目の前に現れた大きな建物。その正門から数名が内部に入ろうとしていることに気付き、イリスはこれ幸いと小さな身体を建物内部に滑り込ませた。


「なっ、なんだ君は!?」


「助けて下さい! 男の人に追いかけられてるんです!」


 幼く可憐な少女が突然そんなことを宣えば、大抵の者は守らねばと考えてしまう。

 男達は顔を見合わせ、慌てて建物に入り内側からロックをかける。


「大丈夫かい? ここは安全だ、後で家まで送ってあげよう」


 1人が優しくそう笑いかける。


「ぐすっ、ぐすっ」


 ここで殊勝に礼をすれば返って胡散臭い。あえて返事をせず泣き真似をしつつ、イリスは周囲を伺った。

 その建物は教会であった。クルツクルフでも馴染み深い精霊教会とはまた異なる調度品が並び、イリスはここに至りラサキで初めて異国情緒を感じる。


「この建築方式は確か……」


「こっちに来て。貴方達、ここはお願いします」


 巻き込んだ一団の中で唯一の女性に手を引かれ、イリスは別室に移動する。

 女性はこの団体で最も偉い立場であった。男達は無言で頷き、外のギイハルト達に備えた。

 彼らとギイハルトが戦闘になったらどうしよう、と焦るも、ギイハルトはイリス飛び込んだ教会の危険性を正しく理解していた。

 よって不用意な行動をとらず、建物の周囲からの観察に留める。

 教会側の男達はといえば、変質者呼ばわりされたギイハルトを追うには如何せん数が足りない。護衛対象を放置して不審者の捕縛に向かうわけにもいかず、結果として両者の衝突は避けられることとなった。




「大丈夫? 今お茶煎れるわね」


「あ、お構いなく……」


 あくまで庇護対象のか弱い少女を演じつつ、イリスは驚愕をひた隠す。

 イリスは目の前で湯を沸かす少女を知っていた。空中会談(フィリクスフォルト)にて、清奏派(セインレイト)の代表として見たことがあった。

 アーレイと同じ顔、同じ蒼い髪の少女。名は―――


「スヴェル・クレンゲル……ちゃん?」


 清奏派(セインレイト)内部での彼女の立場敬称がいまいち判らず、とりあえずちゃん付けするイリス。

 スヴェルはそれがツボに嵌ったらしく、くすくすと笑う。


「うん、スヴェルちゃんよ。君のお名前は?」


「え、ええっと、あ、あー……アナスタシアです」


「アナスタシアちゃん?」


「はい、アナスタシア・ドレッドノートと申します!」


 咄嗟に名乗ったのは昔読んだ小説の登場人物の名前。

 幸いスヴェルは地球からの転生者ではなく、その名に聞き覚えはないらしかった。


「アナスタシアちゃんを追いかけてきた人のこと、もう少し詳しく聞いていいかな?」


 申し訳無さげに訊ねるスヴェル。

 根は悪人ではないのであろう、その瞳に一切の他意はない。


「あの、実は、彼とは一応昔からの顔見知りで」


 嘘を信じ込ませるには、真実を混ぜるといい。

 有名なこの原則に従い、イリスはギイハルトの素性を思い返しつつ話していく。


「昔からよく突っかかってくる人で、最近では無理矢理力づくで乱暴されそうになったりもして……」


「ひどい! 女の敵だわ!」


 イリスの嘘のない嘘に憤るスヴェル。彼女もまた乙女であり、そして世の女性達の味方であった。


「あの、ところで前に会ったりしたこと……あったりなかったり?」


「えっ? ごめんなさい、どこからで会ったかな?」


「あ、いえ。たぶん勘違いでしたすいません」


 何故スヴェルは自分に気付かないのだろうかと不審に思い、前回は仮面をしていたことにようやく行き着く。

 あの軽銀の竜騎士ジェラルミア・ドラグーン変身キットにそれほどの印象操作効果があるのかと大いに疑問なイリスである。フルフェイスではなく、目元だけを隠すマスクなのだ。


「とにかく! 女の子をそんな乱暴に扱うなんて、バールの紳士っぷりを見習ってほしいわ!」


 あれ見習っちゃだめだろ、と素で返答しそうになるイリス。


「バールってどちら様でしょうか?」


「あれ、知らない? 清奏騎士団(ユニット・セイレイト)団長のバール・ド・デュラン。とっても落ち着いていて優しい、素敵な人なの」


 そう語るスヴェルの表情は愛らしく、まさしく恋する乙女のそれであり。


「お付き合いされているのですか?」


「そ、そんなのじゃないわよ、もうっ!」


 簡単な誘導で、イリスの直感は間違いでないことが証明された。


「そうですか、彼を……」


 バールの本性を知るイリスには、目の前の小娘が哀れに思えた。

 ―――否、正しくは男女関係にのみおいてではない。この少女をこの立場に追いやった全ての事情を含め、哀れんだのだ。

 それは、多くの場合『余計なお世話だ』と疎まれる感情。イリス自身、同じことを指摘されれば怒りを覚えるであろう。

 しかしそれでも、アーレイという比較対象が近くにいたばかりに、その感情を禁じ得なかった。


「それはまあ、私だって若い身だし! ちょっとは憧れるというか、そういうのもいいなって思ったりするけど!」


 赤面し、体をくねらせるスヴェル。しかしこの娘が、救済と称しファルシオンの人々を処刑台送りにしているとアスカは話していた。

 イリスはこの少女が解らなかった。ただの狂人か、黒幕の傀儡か。狂気に染まった一面と極平凡な一面が同居する、言葉を交わせば交わすほど理解から遠のく存在。


「ま、何にせよ……殺すか」


 イリスは考えるのを止めた。

 どっ、と疲れた表情となるイリス。心底もううんざりだ、と言わんばかりに深々と溜息を吐く。

 改めて決心すると、今度は苛立ちが湧く。

 同胞は、戦う術も持たない民間人達はこんな糞ガキの名の元に死んでいった。それが糾弾しやすい、分かり易いだけのスケープゴートであったとしても。


「紳士的なのは素敵だけれど、それでももう少し距離を狭めてほしいわ。あの人、食事の誘いも受けてくれないのよ?」


「まあ、そうなのですか」


 生返事で返し、イリスは最期にもう一度スヴェルを見る。

 アーレイと同じ顔。しかし別人。ずっと同居してきたのだ、そっくりなだけの他人と見間違えたりなどしない。

 ―――殺して、さっさと終わりにしよう。イリスの瞳に剣呑とした光が宿る。

 それは、職業軍人としてあるまじき感情であった。


「アーレイは、君みたいに空っぽではない」


 今なら殺せる。確実に。まさに千載一遇のチャンス。

 この指導者を殺せば清奏派(セインレイト)は瓦解するか? あるいはこの場で拉致して交渉の材料にするか?

 様々な事柄を天秤に掛けつつ、イリスはナイフを引き抜く。

 分厚い刃に鋸を備えた、折り畳み機構もない単純かつ強固な設計の一品。欲張った多機能さがないが故に、ひたすらに実用的で高い信頼性を誇る職人(ランス)による逸品。

 扉の向こうから気配が迫ってくる。拘束する時間は迷っている内に失われた。

 ならば殺せばいい。イリスはナイフを構え―――


「…………っらぁ、あああぁっ!!」


 ―――ステンドグラスをぶち破り乱入してきたギイハルトに、思わず刃を止めた。

 雨のように降り注ぐガラス片。驚愕するスヴェルは、しかし乱入者の視線がイリスを射抜いたことに気付き怒気を放つ。


「へ、変質者! 本当、ロリコンってしつこいわ!」


「誰が!? 俺にだって選ぶ権利はある!」


「……そうだな、そして私にもだ」


 ガラスを撒き散らし大剣を構えるギイハルト。同時に駆け込んでくる先程の兵士達。

 ギイハルトはイリスが握るナイフ睨み、僅かに悩んでから要求した。


「そこの金髪チビ、こっちへ来い!」


「アナスタシアちゃんは渡さないわ!」


「誰……ああ私か」


 この流れでギイハルトに駆け寄ることも出来ないので、やむを得ず無力なアナスタシアを演じるイリス。


「い、いいから来い! 来いって馬鹿!」


「…………もしかして、お母さんを人質に!?」


 ギイハルトの焦った様子に、とりあえず助け舟を出す。


「お母さん? あ、ああそうだ! お前の母親を助けたければ来るんだ!」


「卑劣な変態っ!」


 スヴェルはギイハルトを汚物を見る目で睨む。兵士達もそれに倣い、ギイハルトに罵声を浴びせた。


「ロリコン!」


「鬼畜野郎!」


「フラン・ベルジェ・アーヴェルア!」


「性犯罪者!」


 くっ、と歯ぎしりするギイハルト。

 イリスはスヴェルの注意がギイハルトに集中していることを確認し、そそくさと彼の元へと移動する。


「だめ、アナスタシアちゃん!」


「ごめんなさい、スヴェルちゃん。でもお母さんがぐえっ!?」


 イリスの首根っこ掴み、そのまま窓から飛び出し撤退を開始するギイハルト。


「ちょ、締まって、苦じっ」


「くそっ、なんで俺がこのバカをっ!」


 闇を駆けていくギイハルト。逃走ルートは事前に把握していたのであろう、足に迷いはない。


「ギイハルト、貴方……諜報科(サルファル)ですね?」


「ああそうだよ、んでお前は何者だ!」


爛舞騎士(ラウンドナイト)を少々嗜んでいます」


「真面目に答え……ろ」


 イリスは首から勲章を提示する。

 首掛けタイプの、メダルのような勲章。

 偽造は法的に許されない、黄金柏陽剣付金剛双翼勲章騎士の証明。

 ギイハルトは勲章とイリスの顔を何度も見比べ、更に見比べ、ダメ押しに見比べる。

 そして、イリスを放り捨てた。


「ぎゃっ、女性に対する扱いではありません!」


爛舞騎士(ラウンドナイト)なら自分で歩け! くそっ、冗談だろ!? ふざけんなクソ!」



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