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軽銀のドラグーン  作者: 蛍蛍
2章
63/85

偵察1




「現在の任務は他に引き継ぎだ。お前には別の任務に就いてもらう」


「はぁ」


 唐突な辞令に、ギイハルトは軍人にあるまじき間抜けな返事をした。

 王都クルツクルフ某所の事務所。看板もなく施設も偽装され、一見そこが特別な施設には到底見えない。

 しかし見る者が見れば、建物が過剰に頑丈に建てられていたり見晴らしが良く死角が少なくレイアウトされていたりなど、様々な配慮がなされていることを見抜くであろう。

 そんな曰く有りげな建物の一室にて、ギイハルトは上司たる『部長』と向き合っていた。


「急遽だが敵拠点の偵察をしてもらう。他一名と共にエネミーラインへ単騎侵入し、任務を遂行しろ」


 単騎侵入というリスクの高い任務に辟易しつつも、表向きは神妙な表情を維持し質問する。


「どういうことですか? 軍にも専門の偵察隊くらいいるでしょうに」


 軍隊には様々な部隊がある。ひたすらに飯を作る部隊もあれば、ひたすらに穴を掘る部隊もいる。平時ならいざ知らず、偵察隊くらい常時配備しているものなのだ。

 ギイハルトの上司は彼の疑問に首肯する。


「いるにはいるのだがな、彼らはあくまで小規模な武装組織程度を相手にする者達だ。本格的な国家相手に切った張ったが出来るわけではない」


「国家ではなく武力勢力です」


「くく、そうだったな」


 ギイハルトの所属する非公式組織『諜報科(サルファル)』。時に味方すら敵に回し、然るべき情報を探る集団である。

 彼がこの科に配属されるのは、実のところ異例である。高い正面戦闘能力を持つ竜騎士(ドラグーン)を情報収集の為に割くのはこれまで避けられており、多少の例外はあれど基本的に専門の養成機関を経て就職するか地上軍の兵卒士官から推薦されるのが通例であった。

 しかしながら清奏派(セインレイト)の出現が、戦闘能力を有する諜報員の需要を発生させた。そこで正規騎士から一部多方面に優秀な成績を残している者を引き抜き、一時的に諜報科(サルファル)に組み込んだのだ。

 ギイハルトもその1人であり、これまでファルシオンに関しての調査を請け負っていた。実際これまでの活動でも荒事を行わねばならない場面が彼の身にも多数生じており、既存の諜報員では荷が重かったであろうことは明白だ。


「他一名、とは?」


「お前は騎士としては優秀だが、諜報員としては未熟だ。経験豊富な男を付ける、互いにフォローしあって任務を達成しろ」


 つまり俺一人じゃ力不足ってことかよ、とギイハルトは舌の上で悪態をついた。


「装備や物資に関して、何か要望はあるか? ある程度ならばなんでも用意出来るが」


「……なんでも、でありますか?」


「そうだ、なんでも、だ」


 気前の良すぎる扱いに、むしろ悪寒を感じるギイハルト。

 エネミーラインといっても様々である。彼が活動していたファルシオンもいわば『敵勢力圏(エネミーライン)』であり、今更そこを強調するのは不自然なのだ。


「ファルシオン以外の遠地に行くのでしょうか?」


「ラサキだ」


 ギイハルトの顔が引きつる。

 彼も情報の端々から、ラサキの名と場所を把握している。そこが敵地のど真ん中であり、最前線の遥か向こう側であることも。


「どうした、ビビったか? 他の奴に頼んでもいいんだぞ?」


「いえ、ご冗談を」


 のせられている、と理解しながらもギイハルトは痩せ我慢で笑みを浮かべてみせた。

 ラサキまでの長距離巡航、しかも二人乗りの単騎で。楽な任務ではないのは確実だ。


「着いてこい」


 上司に促されるまま、ギイハルトは町中を移動する。


「あの、どちらに?」


「防衛本部だ。この任務には特殊装備を支給することなっている」


「なら自分だけで受領してきますが」


「俺も現物を見てみたいんだ」


 親切心ではあるまいことは予想していたものの、まさかの好奇心であったことにギイハルトは隠れて溜息を吐いた。




「―――こいつぁ……!」


 倉庫の一画を占有する巨大な装備を、ギイハルトは噂でのみ知っていた。

 6発の化学式ロケットエンジン。4発の回転式推進装置(エーディン)。推進力の化物というべき、人類最速の飛行手段。

 現物どころか図ですら見たことがなかったが、このような馬鹿げた装置はこの世で一つしか存在しない。


戦略強襲用(オーバード)超音速巡航推進装置(クルーザー)……!?」


「その量産試作型、だ」


 部長は物珍しそうに戦略強襲用(オーバード)超音速巡航推進装置(クルーザー)を眺め、こつこつと叩いてみたりしている。


「こいつを俺、自分に?」


軽銀の竜騎士ジェラルミア・ドラグーンが半年前に使用した物より遥かに簡略化・安価化しているそうだ。とはいえ大事に使えよ、お前の一生分の給料でも弁償出来るか怪しい代物だからな」


 ある意味では誉れであろう。この装備は国家からギイハルトという個人に対する『信頼』の証明だ。

 国家に対する献身に幸福を覚えるほどギイハルトは愛国者ではなかったが、これほどの物を預けられれば嫌でも気合が入る。

 未だ、この世界で10人も経験したことのない世界―――超音速。


「改めてギイハルト・ハーツに命じる。この戦略強襲用(オーバード)超音速巡航推進装置(クルーザー)を要いてラサキに潜入。諜報活動の後に帰還せよ」


「はっ! ……しかし、何故ラサキに?」


 場所こそ把握しているものの、狙うには些か突拍子もない。何かしらの根拠があるのかと問えば、部長はなんとも言えぬ複雑な表情を作った。


「まあなんだ、派閥争いというか権力闘争というか……別方向からも極秘作戦が決行されていてな」


「はぁ」


「良く言えば保険だ」


「悪く言えば?」


「功績を掠め取って後の発言力を増さんとする思惑があったりなかったり、だ」


 ギイハルトは急に勤労意欲が失せるのを感じたのであった。







 電灯が普及する以前の時代、夜は人間の世界ではなかった。

 人は日が昇ると同時に活動を始め、日没と同時に眠りにつく。この原則は人類が火の扱いを知り、夜を照らす術を得た後もずっと続いてきた。

 人が本当の意味で夜間を活動時間に含めたのは、ランプの燃料や電力を安定供給出来る近代となってからだ。そして、この異世界において人はその域まで到達していない。

 手段はあれど、わざわざ夜に仕事をするのは極一部。

 時間に追われる職種の者。時間に左右されない豪商貴族。そして、昼のお天道様が眩しすぎる者達である。


「この臭い、植物性の油ですね」


 ラサキのストリートを薄く照らすランプからは、魚油特有の生臭さがない。

 魚がいないのだから当然だが、夜に臭いを気にせず生活出来るのはイリスには妙に羨ましかった。


「普通の町」


 食堂、飲み屋、雑貨屋、服飾店、等々。他の町との交流が乏しいからか宿屋は見当たらないものの、その夜の町並みは王都クルツクルフと大差ない。

 むしろ、難民街がないだけ豊かにすら見える。実情は多くを軍に吸い上げられている為に火の車なのだが、土の国(アーヴェルア)に蔓延する重苦しさ、終末感がないのだ。


「信じるものは救われる、ということなのでしょうか」


 社会保障が機能し平均的に裕福なはずの日本より、経済的にずっと弱い国の方が国民は幸福感を感じているというデータも存在する。

 幸せに生きるのに重要なのは資産の大小ではない。自分が幸せだと感じられる環境があってこそなのだ。

 そういう意味では、宗教国家などその最たるものであろう。神の佞言甘言はあらゆる麻薬を超える耽美な酔いを与えるのだ。

 それが悪いことではない。神は人を殺さない、人を殺すのはいつでも人の悪意なのだから。

 最も安上がりな幸福システムとしては、宗教はとても優秀である。


「そういう意味では資本主義共産主義も、ある意味宗教でしょう。固執して人の幸福を二の次にしては意味がありません」


 経済学の究極的な目的は、国を富み民を安定して養うこととされている。現代の地球において悪手とされることの多い共産主義ですら、万人の平穏を望み考案された国家形態なのだ。


「あと、気になることといえば」


 イリスは地面にしゃがみ込み、地面を指先で触れる。


「なんでしょうね、この道路。アスファルト……にしてはきめ細かい」


 ラサキの地面は、どこまでも繋ぎ目なく続く白い材質で出来ていた。

 イリスは別に根っからのファンタジー世界出身者ではないので、繋ぎ目のない道路に驚くようなことはない。

 しかしながら冶金のみならず土木技術においても他国より抜きん出ていた土の国(アーヴェルア)ですら実用化していない舗装技術を、少数勢力たる清奏派(セインレイト)が持っていることは不自然である。


「白くて妙につるつるしています。コンクリートでしょうか、古代ローマ帝国でも実用化していたと聞きますし」


 不自然である、が有り得ないわけではない。だがイリスにはこの物質がコンクリートとはまた異なるように思えてならなかった。


「なーんか違うのですよね」


「なんだいアンタ、道の真ん中でブツブツ呟いてからに」


 声に見上げれば、そこには薄着の女性がイリスを訝しげな目で見つめていた。

 その衣服や気怠い雰囲気から、娼婦であるとイリスは直感する。


「もうアンタみたいなガキが出歩く時間じゃないよ。さっさと家に帰んな」


「おとーさん、おなかすいたって。ごはん買いにいかなきゃいけないの!」


 イリスは舌っ足らずの口調で臆面もなく子供になりきった。

 14歳の冬の夜である。


「こんな時間に飯ぃ?」


「おとーさんね、風邪になっちゃった! だからわたしがお世話してた。でもおとうさんのお腹、ぐうぐう鳴ってお腹すいたって!」


 支離滅裂ながらもおおよその事情を察した娼婦は、面倒な奴に声をかけてしまったと嘆きつつもイリスに構うことを止めない。


「母親は……いたら子供に買い物行かせるわきゃないか。金はあんのかい?」


「うん! おとーさんのサイフ持ってきた!」


 自信満々に粗末なサイフを掲げるイリス。つい先程裏路地でボコってカツアゲった物である。


「こんな時間にやってんのは飲み屋だけだよ。あそこの、赤い看板の店に行きな。ボラれる心配のない真っ当な店だ」


「ほられる?」


「掘られるじゃなくて……まあいいや。飯を調達したら真っ直ぐ帰るんだよ」


「うん! ありがとう、きれーなお姉ちゃん!」


 年甲斐もなく赤面する娼婦。

 ちょろい、とイリスは内心ほくそ笑んだ。

 そして色々と嘆きたい気分となった。何やってんだ自分。




 日中は食堂としても営業しているのであろう、紹介された店は飲み屋と呼ぶには小奇麗でうらぶれた雰囲気がない良質な店舗であった。

 店に入るとつい壁に視線を走らせ、落胆する。イリスは新しい店に入るとよくこの行動を繰り返す。

 飲食店の魅力の一つは、やはりメニュー選び。しかしこの世界の物流は地球ほど発達しておらず、メニューなど選ぶ余地はないのだ。

 その日集まった食材で適当に一品。大抵そんなレベルである。


「ん? なんだてめぇ?」


 酒臭い店内においてあまりにも異質な少女は、客達の視線を強く集める。

 酒場は情報収集の基本だ。フィクションにおいても仲間集め、地下ギャンブル施設、いよっおだいじん! など飲食以外に様々な需要を満たす重要施設として扱われるが、やはりここほど珠玉混合とはいえ情報が集まりやすい場所はない。

 クルツクルフでは似非下戸の癖に職人ドワーフ達とよく入り浸っていた酒場だが、この街は完全にアウェーだ。奇異と好奇の視線は露骨かつ厳しく、これからの自分の役割を果たす困難さを垣間見ているようにイリスには思えた。

 それでもやらねばならない。イリスはぐっと拳を握り込み、適当なカウンター席に向かう。

 しかし道中、客の1人が足を出してイリスの歩みを邪魔する。

 やはり因縁をつけられたか、とイリスはその客を睨む。


「待ちな糞ガキ。そこは油っこくて滑るぜ、命が惜しければそっちの席にすることだ」


「……あ、ご丁寧にどうも。ご忠告感謝します」


 つい、育ちの良さが漏れているイリスである。

 椅子に辿り着くと、注文してもいないのにコップが目の前に置かれる。


「ここはガキが来るような場所じゃねぇ。こいつを飲んだから帰りな」


「……わーい、ありがとー」


 サービスとして提供された果実汁をちびちびと啜り、イリスはおのぼりさんのように店内を見渡す。

 あえて視線を隠さなかったのは、自分の外見が年不相応に幼いと自覚しているからだ。幼い少女が油断なく周囲に視線を走られていたら、そちらの方がよほど怪しい。


「―――あそこの奥さん、いよいよ産まれそうだってよ」


「―――マジか、贈り物考えてなかったわ」


「―――この戦争、勝てるのかな」


「―――ばっか、そもそも勝つのが目的じゃねーだろ」


「―――はいはい童貞おつおつ」


「―――どどど、童貞じゃねーし! この前ファルシオンで筆卸ししたし!」


 交わされる会話は下品で節操がなくて、しかしありふれた光景でしかない、その程度でしかないもの。

 情報としての価値はなく、ひたすらにノイズ染みた雑音。

 あまりにその様が銃後の体現を呈していて、イリスはここが敵地であることを失念しそうになるほどだった。


「……やりずらいなぁ」


 ずきん、と頭痛を覚える。

 彼女の機微が漏れたように、グラスが少しだけ揺れた。

 誰の心にも天使と悪魔が住んでいる。テロリストにも良心の欠片くらいあるし家族だっている。

 そんなことはイリスは知っていたし、直接見たところで動揺もしない。けれどそれでも、大義名分はあるに越したことはない。

 敵は悪魔だ、故に殺しても構わない。そんなプロバカンダ(いいわけ)に縋れるほど、イリスの生きた前世は単純ではなかった。

 そして、それはきっとこの世界でも変わらないことも知っていた。

 敵にも正義があり、言い分があり。そしてそれが理解し難いものであっても、人の数だけ挟持がある。


「偵察すべき内容ではありませんね、これは」


 イリスはここで見聞きしたことを、仲間達に伝えないことにした。

 戦争に正義はない、だが大儀は必要なのだ。まあすべては勝ってこそ、だが。


「酒だっ! 一番いい酒を持ってくるのだ!」


 怒声に店内の視線が集まる。

 そこにいたのは、多くの勲章をぶら下げた初老の男性と枯れた老人であった。


「くそっ! 何故私がこのような土地を守らねば、そもそもラサキに何者が攻めてくるというのだ!」


「クケケ、フエッフエッ、面白いなぁスクトゥム! 変わるぞ、不変などないのだぞ! 落ちるも昇るも同じこと!」


「面白いものか! 貴様、私を愚弄しているのか!?」


「するかバーカ! この天才は暇ではないのだ! あはは、酒だ! 酒はまだか!」


「そうだ、酒だ! 飲んでやる、飲んだくれてやる!」


 左遷されたスクトゥムと、元より後方のラサキを拠点としていたエンヘキが周辺に迷惑をかけつつ荒れていた。

 その背後には護衛と思しき数名の兵士。彼らの表情もまた優れず、この任務が心労を伴うものと如実に語っている。

 それでもやはり一般客からすれば迷惑でしかなかった。軍のお偉いさんなど、大多数は迷惑がられ一部が有難られるだけの存在である。

 くぴっ、と飲み物を含みイリスは監視を続ける。その瞳は面白いものが見れそうだと好奇に染まっていた。


「あの若造め! 軍を空中分解させる気か!?」


「ウヘウヘ、お前等全員わしからすれば糞ガキだ! ちゃんと名詞を使え名詞を!」


「バールだ! バール・ド・デュランだ!」


 イリスは飲み物を吹き出した。いきなりビンゴである。


「あの男の行動は清奏騎士団(ユニット・セイレイト)団長としての立場を完全に越権している!」


「大丈夫かいお嬢ちゃん」


「あ、お構いなく」


 ハンカチで口元を拭い、イリスは改めてドリンクを一口飲む。


「スヴェル様はあの男に騙されているのだ!」


 イリスは再び飲み物を吹き出した。いきなり大当たりである。


「そも、私はずっと清奏騎士団(ユニット・セイレイト)が気に入らなかった! 土の国(アーヴェルア)に対して必要性の薄い制空部隊でありながら、いつの間にか情報部まで兼任している! 何故全軍に関わる情報を全て奴が管理している!?」


「そりゃあの、あれは優秀だからの! 我らは慢性的に人手不足だからの!」


 イリスはふと疑問を抱いた。清奏派(セインレイト)には、クルツクルフ防衛本部のような士官養成機関はあるのだろうか、と。

 ないはずはない、と理解している。しかしその割に、人材に厚みがないのだ。

 盗み聞きをする限り、店の隅で悪酒に興じている彼らは相当上位の指揮官である。しかしその年齢は大きく差があり、そして尖りすぎている。

 少数精鋭。聞こえはいい四文字熟語だが、ようは個々の能力に依存した危うい組織管理体制である証明でしかない。

 事実、どうやらバールは組織内を好き勝手に独断行動しており―――結果として、清奏派(セインレイト)全体が機能不全を始めているらしきことが伺えた。

 そも、バールの目的と組織の目的はイコールではない。ならば彼の真意は、と考えてイリスは深々と溜息を吐いた。

 彼個人の目的については、既に堂々と告げられている。実に迷惑な話であった。


「ま、短期決戦の為の組織であるならば後進を育てる必要もないのかもしれませんが」


 迷惑な客であり続けるスクトゥムから逃げるように、客足が店から引いていく。イリスの目の前で店主が実に苦々しげな表情をしていた。


「嬢ちゃんも、もう帰った方がいい」


「うん、これ飲んだらね。あ、おかわり」


「…………。」


 無言でイリスの前に二杯目のコップが置かれる。真っ黒な濃いコーヒーであった。

 飲むととても苦く、子供が飲める代物ではない。

 京都でいうところのぶぶ漬けのような意味合いだろうか、と考えつつイリスは平気な顔でコーヒーを啜る。


「渋い」


「ガキめ」


 笑う店主だが、イリスとしては『苦い』ではなく『渋い』と言ったのだ。

 苦味に関しては問題なかったが、豆のカスが混ざっており焙煎も甘く風味も悪い。グルメなイリスの舌を満足させる味ではなかった。

 それでも高級品、眠気覚ましにもなる為残さず飲んでいると背後の会話がヒートアップしていく。


「そうだエンヘキよ、例の新兵器は使えるのか?」


「知らんわい! 使ったことないからなぁ!」


 げらげらと嗤うエンヘキ。いい加減な奴だと憤るスクトゥムだが、なまじ彼の発明は実績を残しているので一概に非難出来ない。


「そもそもこんな土地、どうやって襲撃しようというのだ? 可能性があるとすれば船だが、それもバールが対処しているので無問題!」


「そんなことは判っている! だからこそ閑職なのだここは!」


 ドン、と拳を机に落とすスクトゥム。


「あの劣等民族にこの地を攻撃する術などない! 土の国(アーヴェルア)支配範囲からこのラサキ、最短でも1500キロはあるのだぞ!」


「確かに、通常装備では遠すぎますね。飛び石作戦をするにも敵性領域の奥地すぎる、陣営を築いてのんびり寝られる環境ではないでしょう」


 スクトゥムの断言に、イリスは独り言で返事をした。

 格納魔法にて物資を大量に運搬出来るとはいえ、四方八方からの黒竜(ダークドラゴン)を凌ぎながら休息を取るということは人間の優位である戦術の放棄に等しい。戦術的・陣地的にアドバンテージをお膳立てしたヘスコ島ですら防衛戦が精一杯なのだ。

 というか、出来るなら黒竜軍(リストダーク)に対して遊撃作戦を行っている。

 スクトゥムの戦術論は実に教科書通りであり、だからこそ一般論では反論し難い。凡庸な兵法は決して批判されるべき点ではない、イリスはスクトゥムに対して警戒を強めた。


「チッ。好き勝手言いやがって」


 イリスの隣で、男が小さく呻く。

 ちらりと目を向けると、ギイハルトが果実酒を飲んでいた。


「…………!?」


 柄にもなく、無言のままとはいえ驚愕するイリス。

 口を奇妙にぱくぱく開閉させていると、背後でスクトゥムとエンヘキが席を立つ。


「私は明日の準備がある。店主、領収書は清奏派(セインレイト)で頼むぞ」


「この町全員が清奏派(セインレイト)なのですがそれは」


()(きた)る迎える我らが聖女! 祝福なり、きっとご褒美ありきだアハハハ!」


「ただの視察だ! 我々の信頼は失墜している、こちらで真面目にやっているのか疑っているのだスヴェル様は!」


「『我々』!? 疑いの対象は貴様だけだバーカ! ゲケケケ!」


 口論しつつ店を出る二人に、イリスの注意がそちらへ向かう。

 そして再び目を戻した時、隣の席には誰もいなかった。


「……ギイハルト、何故貴方がここに」


 店から飛び出して周囲を探す。遠くに見覚えのある背中を見つけ、イリスは夜の町を駆けた。

 入り込む路地裏。途端に減る人影。

 まずい、とそう判断した時には既に遅かった。

 直上より叩き付けられる大剣。それを紙一重で躱すイリス。

 イリスの金髪が僅かに切られ舞い散り、その数本分の間髪すら入れずイリスは襲撃者に蹴りを放とうとする。

 しかし敵は速かった。巨大な剣はその質量に見合わず返す刀にて振るわれ、イリスは反撃を切り上げて回転レシーブのように転がって距離を取る。


「小さいだけにすばしっこいな」


「褒めても何も出ないぞ」


「褒めてない―――なんだその口調」


 対峙するイリスとギイハルト。

 唐突に始まった戦闘は、ある意味因縁の結末でもあった。



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