4話
この話のあたりから、執筆環境の変化につき文章冒頭のスペースが半角になっていたりなど、小説のルールにおける「間違い」があったりします。
全て打ち直すのは大変なので、見づらいかもしれませんがそのまま投稿させて頂きます。ご了承下さい。
土の国より遥か遠方、国土の大半を海で満たされた水の国にて一つの悲劇が起こっていた。
「竦むなっ、隊列を保て!」
とある小島での黒竜との小競り合い。何度も遠征を経験してきた第三騎士団にとってそれは、数ある殲滅戦の一つでしかない……はずだった。
小隊長が叱咤し、竜騎士もまた果敢に『敵』に挑む。
人類最強の誉れを誇り、全ての民衆に支持される第三騎士団。彼等は今、未曾有の危機と対峙している。
「回り込め、この巨体だ! 視界は狭いはずだ!」
「こ、こいつ素早いっ!」
「加速させるな、逃げられる!」
『敵』は巨大であった。
『敵』は強固であった。
『敵』は剛力であった。
『敵』は、あまりにも純粋に強かった。
空を自在に暴れ狂う暴力。騎士はまた一人、また一人と墜ちていく。
「化け物めっ!」
仲間の死に怯みつつも、躊躇わず任務を遂行せんと挑む騎士。
誰もが理解していた。この怪物を殺さねば、人類は大きく傷を負うと。
「私が行く」
一回り大きなドラゴンが前に出る。
騎士達の目に光が戻った。
「団長っ!」
「そうだ、団長ならきっと!」
第三騎士団の長、ルバート・ブライトウィル。そしてその相棒バルドディは、静かに仲間を殺し続ける『敵』を見据える。
「貴様が何者かなど知らぬ。興味もない」
静かに愛剣を構え、バルドディの脇腹を軽く蹴る。
急上昇するバルドディ。やがて頂点に達すると、いつかと同じように大岩を出現させる。
身を翻し落下を開始。大岩の下部に上下逆さまのまま着地し、跳躍体勢に移る。
土竜の強固な肉体を存分に活かした、落下中の人間投擲。あまりにアクロバティックな行為は、その妙技を何度となく見てきた同僚すら現実感を喪失させてしまうほど。
娘に披露する時以上の速度、マッハ2近いスピードで急降下しつつの斬撃。神速で突撃した英雄は、刹那の肉薄の果てに『敵』の頭部を斬る。
「ジ・アクト」
空中にて、血肉が弾けた。
まるで紅桜。血が霧となり、『敵』の周囲に広がる。
「やったか!?」
「ははっ、隊長がジ・アクトを使ってしくじったことはねぇよ!」
「クタバレ、化け物!」
喝采を上げる騎士達。しかし、血霧より現れたのは。
「っ…………!」
焦燥を浮かべ出血する片腕を押さえるルバートと、
「 ッッッ!!」
激痛と憤怒のあまり世界を震わせる咆哮を上げる、最悪の敵の姿だった。
「外した、私が。否、違う」
見れば『敵』の片目は抉れ、穿たれている。ジ・アクトは寸分狂わず放たれたのだ。
「防がれた、正面からっ……!」
常に平静を揺るがせないルバートが、声に焦りを隠しきれていない。
それは騎士達を大きく動揺させた。
「貴様、何をした。必中の速度、角度だったはずだ。防げるはずがないッ」
訊きつつも、ルバートには何故攻撃が届かなかったのか見えていた。
単純なこと。何時の間にか、両者の中間に黒竜が居たのだ。
割り込んだわけではない。ルバートとて当然、周囲の敵も考慮に入れて妨害されないよう留意していた。
それでも現に黒竜は現れ、肉壁となって『敵』を守ったのだった。
先程霧散した血霧は、この黒竜の一部。ジ・アクトは『敵』にはほとんど届かなかった。
あるいは、普通の斬撃であれば彼我の間に出現した黒竜ごと『敵』の頭部を切り裂けたかもしれない。
しかし、ジ・アクトによる斬撃は切っ先が触れた瞬間に敵の表皮と剣身が相互侵食し液化してしまう。
切り裂いただけ、貫いただけ刀身が短くなっていくのだ。
結果、残ったのはほんの一欠片。聖水剣の切っ先と柄のみが『敵』の瞼に触れるのみであった。
「 ……!?」
……だが、『敵』も無傷では済まない。
たかが指先程度の質量であれど、速度は依然音の4倍以上。そんな物質が眼球に触れればどうなるか。
鉄板のように強固な瞼を貫通し、眼球の水晶体に小さな穴を穿ち内部に侵入した切っ先は、ジェット流体となり目玉を迸った。
かき乱される硝子体。蹂躙される網膜細胞。想像を越える苦痛に、『敵』とて絶叫を上げる。
しかし、ルバート最大の攻撃もそこまでだった。
『敵』は片目を失った怒りのままルバートに見据える。墓標のように目に突き刺さった不変の聖水剣の柄。
仮にこの『敵』に悪魔染みた回復治癒力があろうと、再生し刃を取り戻している剣が眼球に突き刺さったままならば視力は戻らないだろう。
しかしそれは、最大の武器を失ったルバートにとってはつまらない慰めだ。
再度の咆哮。ルバートは予備の剣を抜く。
ルバートの生涯においてもっとも分の悪い戦闘。その顛末を見届けた者はいなかった。
61年間にも及ぶ、人類と黒竜軍の未曾有の大戦。
多くの人命を犠牲にして、人はようやく敵の侵攻を食い止める。
しかしそれは敵の落ち度に期待した脆弱な防衛戦略でしかなく。
彼等もまた、試行錯誤の果てに新たな戦法を編み出すことなど予想だにしていなかった。
崩壊はいつでも唐突に訪れる。否……事前準備すら行えないからこそ、人はそれを崩壊と呼ぶのだ。
防衛本部の寮で生活するイリスだが、時には実家へ戻る機会がある。なんてことはない、所謂休日だ。
家族は何時でも会える距離に住んでいるものの、時にはゆっくりと母に顔を見せねばなるまい。ましてや、『こんな時』なのだから。
そんな6歳児にあるまじきことを考えつつ、イリスは家の居間で時間を過ごしていた。
「はぁ……」
「母上」
久々に帰省したイリスが見たのは何度も家事仕事の手を止めて、溜め息を吐くスピアの姿。
こうも何度も母の不安そうな様を目撃する理由を、実はイリスも知っている。
数日前のこと。ルバートの相棒バルドディが、一匹だけクルツクルフへと帰還したのだ。
背中に主を乗せることもなく、バルドディ自身も大怪我を負った満身創痍の状況で。
「何かのきっかけではぐれて、仕方がなくバルドディだけが帰還したとも考えられます。何かトラブルがあったのなら、他の竜騎士も帰ってきているはずでしょう」
冷静に考えれば、単騎のみの帰還など不自然でしかない。大なり小なり、帰還者が他にいてもいいはずだった。
或いは、バルドディのみを残しての一騎残らず全滅した可能性。しかし、精鋭たる第三騎士団だからこそそれは考えにくい。
……考えにくい、はずであった。
「そうです、黒竜軍は進化しない……イレギュラーなど、そうそう起こりはしない」
敵が次々と新戦術と新兵器を考案する、随時それに対策を打ち続ける。それが人間同士の戦争というものである。
イレギュラーな事態など考慮していない異世界の人間は、人類の優勢を永遠だと盲信している。だがイリスは常に不安を抱えてきた。
遠征軍での未帰還者などありふれた話。しかし、それが騎士団丸々一つとなれば非常事態以外の何物でもない。
一部の人間は今回の異常性に感付いており、バルドディの帰還はすぐさま箝口令を敷かれた。
流石に帰還現場を見ていた者、現在彼が療養している防衛本部の厩舎で働く者などは事実を知っている。とはいえそれが何を意味しているかは理解していない。
「母上」
もう一度呼び掛ける。不安はイリスも同様だが、それを表立って晒すわけにはいかない。
「父上は遠征任務なんて何度も経験しているではないですか。バルドディなしで戦った経験もあると聞きますよ」
「そう、なのだけれど」
イリスも判っている。捕虜という概念もない黒竜軍の支配する地に取り残されて、人間が長く生きることは出来ない。
だがイリスとルバートが相乗りしていたように、ドラゴンは二人程度なら充分に乗れるのだ。ドラゴンの喪失は死に直結するわけではない。
「母上、散歩でも行きませんか? 空を見ればすぐ気分も良くなりますよ」
空を見て喜ぶのはイリスかその同類だけである。
だがスピアも娘の気遣いを察し、話に乗ることにした。
「……そうね。ちょっとお出掛けしましょうか」
スピアはエプロンを外し、外に出る準備に取り掛かった。
手を引かれ、母娘は近くの広場まで出向く。
休日故、沢山の人々が行き交う広場。様々な表情があれど、多くは笑顔を浮かべている。
間違いなく幸福な光景。しかし、何故かイリスは妙な胸騒ぎを覚え始めていた。
「いけませんね、どうも」
何時ものように、当然の如く空を見上げるイリス。
眩い日差し。快晴の空。なのに何故、こうも不安感に苛まれるのか。
「最近アレの製作が大詰めだったから、疲れているのでしょうか」
疲労とバルドディに関する心労が重なって、重い心境になっているのかと推測するイリス。
「ダメよ、ちゃんと休まないと。……ところでアレ、ってなぁに?」
しかしこんな様ではかえって母を心配させてしまうと、イリスは自身を奮い立たせる。
「父上と一緒に作っていた秘密兵器です。我ながらいい仕事をしました」
工学竜鎧と名付けられた装備は一応の完成を見た。未だ未装備の部分も多いながら、実用に耐えるとイリスは判断している。
「そうです、母上もご覧になりませんか? 友人のドラゴンを借りて実演しましょう!」
新兵器など最大の国家機密だが、現時点ではイリスの個人所有物だ。公開の如何は彼女に一応の判断権がある。一応の、だが。
当然友人とはアーレイのことであり、彼女のドラゴンとは水竜のアキレウスだ。
何時も実験に付き合わせていたバルドディは治療中であるし、そもそもプライドの高い彼は主以外の人間を乗せることを良しとしない。イリスが一人で乗ろうとすれば、それこそ殺されかねない。
その点、アキレウスは実に温厚な性格だ。思慮深く、遊びや冗談にも付き合うほど大人しい。
「イリスと同い年の子よね? まだ小さくて可愛いのに、自分のドラゴンがいるなんで凄いわね」
「会ったことがないのに可愛いとどうやって判断したのですか」
少しとぼけた母に苦笑しつつ、イリスとスピアはクルツクルフ防衛本部へと足を進めた。
「初めましてお義母様、アーレイ・バークと申します」
「あらあら、イリスが何時もお世話になってます。今度うちにも遊びに来てね」
「は、はい是非!」
にこやかに談笑するスピアとアーレイ。アキレウスを借りる交渉は、イリスの予想通りスムーズに進んだ。
「でもアキレウス次第ですよ? あの子が嫌がれば、私も強制出来ません」
「勿論です」
寮の自室より台車に乗せ、少女二人でよいしょよいしょと運び出しアキレウスに工学竜鎧を装着していく。アキレウスは渋々ながらも拒否はしなかった。
「変わった意匠なのね」
「これはデザインではありません。機械という物です」
「キカイ? 魔法の技術かしら?」
嬉々と説明するイリスだが、どれだけ丁寧に説明したところでスピアには理解出来ない。それでもスピアは笑顔で相槌を打つ。
「イリスは頭がいいのね、お母さんは勉強は苦手だったわ」
「はい、流石イリスです」
「ど、どうも?」
理解すらされていないことに、この世界で機械を広めることの難しさを再確認するイリス。とはいえこの装備を普及させるには、この壁は避けては通れない。
「では実際に飛んでみましょう。アキレウス、お願いできま……アキレウス?」
イリスはアキレウスの様子がおかしいことに気付く。
アキレウスは空を睨み、静かに唸っていた。
どうしたものかと、3人もつられて空を見上げる。
『何か』が空を過った。
「……爆撃機?」
あまりに大規模な騎影にイリスは大型飛行機を連想する。
旅客機ではなく軍用機だったのは、一重にその異形が放つ悪意を感じ取ったからだろう。
「ドラゴン、ドラゴンです、今の」
震えた声で目を見開くアーレイ。
空に巨大な、あまりにも巨大なドラゴンが飛んでいた。
巨大ドラゴンは旋回し再びイリスの視界に入る。イリスはその一瞬に、可能な限り情報を探る。
全長と翼幅は目測で50メートル。旅客機のように大きなドラゴンが防衛本部を覆い、僅かな間人々を闇へと落とす。
「な、なんだあれは!」
「ドラゴンだ、黒竜だ!」
厩舎の作業員達が悲鳴を上げる。
「くそっ、見張りは何をやってたんだ!」
「落ち着け、下手に刺激するな! こっちをすぐ攻撃するつもりじゃなさそうだぞ!」
誰かが叫んだ通り、巨大ドラゴンはクルツクルフの上空を物見のように見下ろしつつ、ゆっくりと旋回を繰り返している。
このまま帰れ。そんな住人共通の願いは、当然聞き入れられることはなかった。
巨大ドラゴンはホバリングし、一際大きく嘶く。妙に膨らんだ腹部が光を放ち、無数のドラゴンが町上空に放たれた。
ごくごく普通の、最弱のドラゴンである黒竜だ。
「黒竜?」
スピアは首を傾げ、アーレイは視線を鋭く尖らせる。
人類の宿敵が突然クルツクルフの上空に現れたのだ。誰もが身の危険を感じる以上に、ただ困惑するしかない。
次々と出現する黒竜。その数は時間と比例して増えていく。
「何をしているのです! 飛べる者はすぐに飛んで、情報収集に努めなさい!」
困惑する周囲の騎士を叱咤するイリス。
「状況の混乱が予想されます! 戦闘は避け、現状把握を優先するのです!」
「な、イリス!? 民の救助が最優先でしょう!」
アーレイとてイリスに反論することもある。しかしイリスは揺るがない。
「各個で一対一の混戦に陥ることこそ最悪です! なんとしても上司に情報を伝えなさい! 間違った戦術を選択してしまえば、それこそ町が滅びます!」
少なくとも、第一被害者が食われている間は他の犠牲者が出ることはない。その猶予に正しい初期対応を行わなければ、死者は爆発的に増える。
非情と呼ばれようとイリスは指示を変えなかった。そもそもイリスに指揮権などないが、軍人として訓練された
竜騎士達はイリスの言葉の有効性を認め、情報収集に飛び立つ。
「アーレイは母上と部屋にいて下さい! 防衛本部寮はそこらの建物より頑丈です!」
「イリスはどうするのですか!?」
「飛びます!」
瞳に闘志をみなぎらせるイリス。アキレウスは反射的に身を低くし、イリスを受け入れた。
「イリス、何を考えているの!? 騎士団に任せなさい!」
聞き分けのいい娘を怒鳴るのは、スピアにとって初めての経験。とはいえそこに躊躇いなどありようがない。
「私は正規の軍属ではありません。指揮系統に加われません、露払いが精々でしょう」
「ならどうして!」
イリスの答えは、産まれる前から決まっていた。
「自衛官だから、ですよ」
アキレウスに飛び乗り、離陸を指示する。
放たれた矢のように、一人と一匹は戦場へと飛び込んだ。
「まるで妊婦ですね、まだ召喚しますかっ……!」
巨大ドラゴンの懐より、次々と空に黒い飛竜が増えていく。空は黒点に埋まっていき、その数は遂に三桁にも至っていた。
出現した黒竜はどう見ても成体。それにあの巨体といえど、百匹以上のドラゴンを腹に抱えられるとは思えない。
よって敵が召喚魔法を操れる変種の黒竜だと、イリスは推測した。
「それなら奴が突然クルツクルフの上に現れたことも説明がつきますし、ねっ!」
正面より迫る黒竜。まずは小手調べといわんばかりに、イリスは高速詠唱用人工言語による魔法を放ち頭部を吹き飛ばした。
肉の焼かれる場違いに美味しそうな臭いが掠め、ドラゴンは絶命する。
「そういえば初の撃墜マークだ! 味気ないものだな!」
本来の男性としての気質が浮上するのか、荒事の時、なぜかイリスの口調が男性的に変化する。
見渡せば襲われ、補食される人々。町全体が地獄と化し、逃げ場などどこにもない。
「竜騎士の多くが遠征に出ているこのタイミング、運が悪い! ……いや、まさか」
イリスは推測する。召喚魔法を使用出来るということは、あの巨大ドラゴンにはそれなりの知性があるということだ。
「まさか、第三騎士団の遠征を狙った?」
黒竜軍が順当に侵攻してきたのならば、必ず事前に情報が入っている。それがなかったということは、巨大ドラゴンは黒竜軍占有地より直接このクルツクルフまで襲来してきたことを指し示している。
「浸透戦術による首都襲撃」
イリスは確信した。巨大ドラゴンには明確な知恵があると。
「だとすれば、敵は確実に王都を落とせるように相応な兵力を投入してくるはず」
即ち、それは召喚される黒竜は更に増えるということ。
「国家機能を喪失すれば、連携が出来ずに黒竜軍に押し負けるかもしれない……そうなれば」
人類滅亡。前世ではあまり聞き覚えのない単語に、イリスは一層血の気が引く。
「アキレウス! 慣れない装備ですまないが、悩んでいる暇はなさそうだ!」
手元のスイッチを次々と入れ、装置を起動させていく。
鉛電池によってモーターが回転。高速再生する工学輪唱杖が数百の魔法を発動させ、魔電演算機が必要な情報を処理していく。
情報投影器がイリスの正面に浮かび上がる。敵の多さに警報が幾つも表示され、イリスは咄嗟に正面やや左の黒竜を狙う。
「アキレウス、前の黒竜を撃ちます! 追って!」
アキレウスは不可能だ、と思った。距離があり、到底剣は届かない。それどころか魔法であっても当てるのは至難の技であろう間合いだ。
しかしイリスは自信があった。
「距離測定、同調装置、ジャイロ全て問題ないっ! 当たれぇ!」
イリスは情報投影器中央に表示された照準に黒竜を収め、引き金を引いた。
互いに旋回する状況下。ただ真っ直ぐ撃つだけでは逸れてしまい決して当たるはずのない工学輪唱杖による魔法機銃の連射。
だが、魔法は完全な見越し射撃の末にほぼ全弾が黒竜へと直撃した。
きりもみ状態で墜落する黒竜。
「いけるっ」
新兵器が黒竜に有効であることをイリスは確信。次の目標を探す。
「運動エネルギーを喪失しないままに、スマートに敵の後ろに」
一度高度を上げ、速度を落とし方向転換。
滑り落ちるように加速し、次の獲物の後ろに入る。
普通の竜騎士なら絶対に当てられない角度と距離。しかしイリスは3匹を続けざまに落とす。
「5匹目、これでエースとは張り合いがないっ!」
イリスとアキレウスの活躍は、まさに一騎当千であった。
空を埋め尽くす黒竜。しかしイリスは獰猛な笑みを深めるだけ。
「狩りがいが、あるというものだ!」
集中力を限界まで研ぎ澄ませ、血は熱く心は冷めたく。即席コンビの限界を見極めつつ、最大公約数的な戦果を求め続ける。
水竜は速度に優れたドラゴンではない。しかしアキレウスはかつて水の国の王が駈ったドラゴンであり、黒竜に能力は大きく勝っている。
ましてや黒竜は愚直に敵を追うだけだ。エネルギー空戦理論を心得えた本物のパイロットであるイリス、そして優秀なアキレウスにとって彼ら獲物は余りに鈍重な的でしかなかった。
「な、なんだあのちっこい騎士は!」
「速い、風竜の生き残りか!?」
「魔法を連射!? それに一発も外してないなんて、どんな魔法使いだよ!?」
何故イリスがこうも一方的に高精度の攻撃を放てるのか。それは本人の技量もさることながら、情報投影器によるところが大きい。
工学輪唱杖による魔法機銃はかなり初期に開発されていたものの、それをドラゴンに取り付ければ早速実戦で使用出来る、なんてはずはない。
機銃を備え付ければ必ず必要となる装備、それは照準器である。
原始的な照準器は丸印の中心に十字を書けば完成するが、高速で飛行するドラゴンで使用するのならばそんな陳腐な物は使えない。
自らが乗るドラゴンも敵である黒竜や魔獣も、縦横無尽に大きく移動する。竜騎士は常に様々な方向に体を揺すられるので、目の位置は常に一定しない。
よって、ある程度頭が揺れても敵を狙い続ける照準器が必要なのである。
それだけではない。双方が動いているということは、照準の通り撃ったところで弾道は逸れてしまうということだ。
これを解決するには、照準器に様々なセンサーを組み込んで誤差を補正する必要があった。
イリスがなにより苦心したのがこの部分だ。機械式ジャイロを組み込み、正確に敵との距離と自分にかかるGを計算に組み込むことで完璧な見越し射撃を可能とする高性能照準器を実現するのは容易な道のりではなかった。
特に技術的に困難だったのが彼我の距離測定である。
離れた物体との距離を計測する手段は幾つか存在する。電磁波や音波、レーザーの反射時間を計るのもその一つであり、所謂レーダーやソナーなどと呼ばれる技術である。
しかしそれらを中世レベルの技術力しかないこの世界で再現することは困難極まる。そこでイリスが採用したのは、カメラのピント合わせを応用した計測方法だった。
いわゆるオートフォーカスの原理だが、対象が鮮明に映る瞬間、つまりコントラストの高低を判断するのはコンピューターが不可欠。しかし、魔法や精霊の曖昧さは機械ですら苦手なピント調節を高精度かつ高速で実現した。
本来数十メートル単位の距離をオートフォーカスの原理で測定するには大きなレンズが必要となるが、幸いそれも魔法で目処が立つ。光を自在に屈折させる魔法が存在したのだ。
これにて一応の完成を見たわけだが、バルドディに装備させての実験では更なる問題が浮上する。
イリスはドラゴンが羽ばたいて飛行することを失念していたのだ。
魔法機銃と照準器は固定されている為、それ自体が狂うことはない。だが大きな上下の揺れはどうしても狙いそのものを狂わせる。
戦闘機が一度も対面したことのない問題。イリスも解決策を提示するのは簡単ではなかった。
ドラゴンが羽ばたこうと、照準の延長線上は常に一点で静止させ続ける技術。生物であるドラゴンに揺らぐな、などと命じることが出来ない以上は解決策など一つしかない。
翼の動きと連動させ、機銃と照準器を上下に動かす。それ専用の同調装置を開発したのだった。
戦闘機の機銃とは普通、正面にしっかりと固定されている。それは機銃自体が重く射撃時の反動も大きい為に、とても可動させられないからだ。
しかし工学輪唱杖は軽量かつ反動もない。可動式に作り替えることは、さほど困難ではなかった。
どうせ動かすならと更なる駄目押しに、精霊を組み込んだ若干の補正機能も付加。僅かな角度ながら自動で上下左右に工学輪唱杖が可動し、敵を追尾するのだ。
竜騎士とドラゴンの連携に生じがちな齟齬や時間差を埋める為の工夫だが、気休め程度には命中精度が上がったとイリスは考えている。
イリスの今実現しうる全てを詰め込んだ火器管制装置。高度なシステムによるアシストは、人造の英雄をクルツクルフに降り立たせていた。
しかし、いくらイリスが黒竜を落とそうと悲劇は終わらない。
「……いい加減にしろっ、食うな、人間を食うなっ!」
町の様々な場所に血痕が広がり、時には空中で放られ哀れに落下していく者もいる。
止まぬ悲鳴。それ以上に煩い、黒竜の飢えから解放された歓喜の嘶き。
敵がどれだけ脆弱なドラゴンであっても、数の前には些細なこと。
クルツクルフは今、黒竜の餌場であった。
「いつまで増える気だ、大本を叩くしかないか……!」
未だ悠然とホバリングし続ける巨大ドラゴン。その懐からは、依然と黒竜が召喚され続けている。
工学竜鎧の魔法機銃もイリスの魔力で放たれている以上、いつかは尽きる。判断を迷っている時間はなかった。
「アキレウス、慎重に接近しなさい。敵の能力は不明瞭なままです」
一定距離まで接近し、安全圏より観察する。巨大ドラゴンの視線ははっきりとイリスを捉えていた。
はっきりと知性を感じ、イリスは警戒を更に深くする。
「水」
簡潔な命令。アキレウスが空気中より水をかき集め、水球を構築する。
「『 』『 』『 』ミルティホール」
敵の能力を窺う為、コストパフォーマンスに優れた攻撃魔法を放つ。水球が奔流へと変貌し巨大ドラゴンに突き刺さる。
本来ならば威力を期待出来ない魔法だが、水竜のサポートさえあれば数ランク上の魔法と肩を並べられる……はずであった。
しかし巨大ドラゴンは身を捩り、容易く魔法を避けてしまう。
「はあ?」
猫のようなしなやかな動きに、イリスも一瞬目を疑った。
小さく舌打ちしたイリスは姿勢を崩したことによりわずかに高度が下がることを予測し、魔法機銃の見越し射撃を敢行する。
魔法機銃は巨大ドラゴンに直撃。だが有効なダメージは通らない。
「見掛けによらず身軽、しかも堅い!」
残り少ない魔力、強力な魔法は打ち止め。
だが巨大ドラゴンを食い止めることは必要。やらねば、町が滅ぶ。
「やるしかない、か」
覚悟を一つ。イリスは情報投影器各種スイッチを切っていく。
正面の数字や図形が消失し、同調装置の補正も無効化される。
「アキレウス、奴の正面から突っ込んで!」
自暴自棄ともとれる指示。アキレウスは驚くが、イリスの意思に溢れた瞳に遂行を決意する。
互い互いを見据えるイリスと巨大ドラゴン。敵にとっても彼女は未知であり、故に身構えるしか出来ない。
「さて、真っ正面は得意でな。精々竦め」
高速で飛び交う双方、すれ違うのは一瞬。
しかしイリスはこの真っ向勝負が一番の得意であった。
誰にも邪魔されぬ決闘。恐怖を度胸で捩じ伏せ、敵の急所一点のみを狙うフェンシング。
相対速度時速400キロなど、なんと鈍足なことか。
邂逅は刹那。チャンスは一度。
だがイリスは寸分狂わず、その機会を手中にする。
補正なしで放たれる魔法は、吸い込まれるように巨大ドラゴンの左目を抉る。
「 」
それは、人間には発声不可能な悲鳴だった。
最も近くにいたイリスは思わず耳を塞ぐ。高く鋭い音は、脳を貫くように痛い。
視界を完全に喪失した巨大ドラゴンは、堪らず町へと落下する。
建物が二桁損傷するが、幸いにもドラゴンは街道の合間に落ちた。避難済みの区画につき墜落による人的被害はない。
「嘘だろ、あのチビがデカブツを落としたぞ!」
「よっしゃあっ! 後は黒竜を掃討するだけだ!」
歓声を上げる竜騎士達。最も脅威と思われる目標の墜落は、彼らの士気を復活させた。
イリスは墜落した巨大ドラゴンの鼻先に着地し、アキレウスより降りる。
この世界ではもう見慣れたはずのドラゴン、しかしそれが通常より遥かに巨大となれば言い様のない違和感と恐怖が付き纏う。
イリスの魔法で焼かれた左目は煙を上げている。そしてイリスが右目を狙わなかった理由……何故か最初から失明していた右目は、一振りの剣が突き刺さっていた。
「私より先に、どなたかが挑んだのでしょうか……? そんな様子はなかったですが」
どこか見覚えのある剣の柄に、注意深く観察する。
不変の聖水剣であった。
「……なん、で?」
答えなど一つしかない。
イリスは察する。父は自分より先に、この化け物と交戦したのだと。
―――そして、殺しきれなかった。
「とどめを、とどめを刺さねば」
魘されるように手を翳す。きっと今この時は、千載一遇のチャンスだった。
ルバートの安否に関する不安を無理矢理忘れ、行動に移す。
「『 』『 』『 』―――」
構築される高速詠唱用人工言語詠唱。
魔力が高まり、魔法が発動寸前まで達した瞬間。イリスは蛙が潰れた時の断末魔に近い声を出して詠唱中断せざるを得なかった。
「ぅげごっ」
アキレウスがイリスの襟を噛み、自分の背に放り乗せたのだ。
「ア、アキレ―――?」
上空よりイリスが居た地点目掛け、剣が地面に突き刺さる。
選定の剣が如く、石畳に深々と突き刺さるそれ。直撃すればイリスは血肉の破片となっていただろう。
イリスの前に、巨大ドラゴンを守るように剣を投擲した『敵』が舞い降りる。
天より舞い降りる天使のように、しかし本能的に感じ取れるほどの邪気を振り撒きつつ。
それは、黒竜に跨がった竜騎士であった。
「……なっ、にん、げん?」
それは、この世界の常識に反する光景であった。
黒竜は無秩序に暴虐を振るう存在であり、人を乗せるなどありえない。誰もが、イリスですらそう思い込んでいた。
巨大ドラゴンのような変種は想定していたものの、人間が直接助力する光景など考慮出来なかった。
黒竜に竜騎士などはありえない。しかし、目の前には確かにドラゴンに騎乗する騎士がいる。
「何者です、敵、なのですか」
鱗のようにも見える、どこか有機的な黒い鎧。フルフェイスの鉄仮面によって容姿も表情も窺えない。
人の形をした黒竜だとイリスは認識した。彼の気配は、完全に黒竜軍と合致していたのだ。
嫌が応にも彼が黒竜側の存在なのだと理解させられる。イリスは敵対戦力に人間の存在を受け入れた。
黒い鎧の竜騎士は剣を地面から引き抜き、ゆっくりとイリスに歩み寄る。
「近付くなっ」
イリスは恐怖した。チンピラ程度なら捩じ伏せられる格闘戦技能を持っていようと、生粋の騎士に敵うはずがないと彼女は知っている。
逃げるべき。恥も外聞もなく、不得手な間合いから離脱する。それこそ最善手であった。
命を賭した『地上戦』などイリスも初体験。不慣れな感覚に困惑を拭えず、イリスの思考は纏まらない。
どうやって離脱するのか。答えは、やはり風が教えてくれる。
微風を頬に感じ、見れば幅10メートルほどの川があった。
街道の先に横切る、人々の生活を支える川。
「アキレウス、この街道を水で満たしなさい!」
水精霊の扱いは水竜の本領であった。数十トンもの水が沸き出し、イリスと黒騎士を押し流す。
川へと転げ落ちたイリス。水で揉みくちゃになりつつも、アキレウスの手綱を手放しはしない。
一気に増量した河川。増水時を想定して左右はしっかりと石で固められているので、水は町に戻ることはなく鉄砲水となって下流へと進んでいく。
アキレウスは荒れ狂う水の中、魚のように機敏に泳ぐ。やがて水位が下がると、そのまま水面を滑走し離水した。
「ごほっ、ぷはっ」
少し飲んでしまった水を吹き、イリスは手綱を引く。解っている、と言わんばかりに上昇するアキレウス。
飛行能力に優れているわけでもない水竜だが、離水はどの種族より早い。水面を走ると水が吸い付く性質があるが、それを引き剥がすのが上手いのだ。
水竜の能力を活かした、強引にアドバンテージを得ての逃走。イリスもしてやったり、と得意げに後ろを見る。
黒騎士はイリスを容易く追い越した。
「……速い」
イリスには理解しがたかった。何故スペックで劣る黒竜が、航空力学を熟知した自分を出し抜けるというのか。
これ以上とない完璧な離陸だったはず。なのに、敵はその先を行った。
黒竜の鱗が濡れているにも関わらず黒騎士の鎧の表面が濡れていないことに気付き、イリスはやっと事態を解す。
「水に落ちる前に、ドラゴンから飛び降りていたというわけかっ」
パワーがなければその分軽くすればいい。鉄製の工学竜鎧を纏うアキレウスと裸馬である黒竜では装備の重さが桁違いだ。黒騎士が離水の時に降りていたとなれば更に飛び立ち易かったであろう。
しかし、低速であろうと飛行中のドラゴンに飛び乗るのは正規騎士でも難しい技術だ。イリスにとっては不都合なことに、黒騎士はそれを成せるほどに器用だと証明された。
イリスは逃走を諦め、徹底抗戦を覚悟する。
「くっ、最初から飛ばし過ぎたか」
無計画に魔法を乱用したことを悔やむ。幾ら冷静を心掛けようと、イリスも焦っていたのだ。
眼下で繰り広げられる殺戮は、彼女から余裕を失わせていた。
イリスと黒騎士は互いの背後を取ろうと、巴戦に突入する。
戦闘機の戦いと聞いて普通の人が想像する、犬の喧嘩のように背後を狙い合う旋回の応酬。しかしこの戦い方はイリスにとって不本意なものだ。
巴戦の勝敗を決めるのは旋回性能。それらを決定付けるのは推力の大きさ、飛行体の軽さ、そして揚力の大きさである。
空気中でどれだけ頭の向きを変えても、進行方向が変わるわけではない。翼でしっかりと体重を支え慣性を逸らさなければ進行方向は変えられないのだ。
体重を支えるには当然、揚力が大きい方が有利。しかし黒竜とアキレウスの翼の大きさはほぼ同一である。
揚力は同じ、重量はアキレウスが上。となれば―――
「―――やはり、あちらの方が身軽かっ!」
身軽な相手と得意分野で争ったところで、勝率は低い。
現在イリスとアキレウスが有するアドバンテージは少ない。だが、それを活かさねば事態を打破出来ない。
黒竜がいよいよ、アキレウスの背後に着く。剣を構え突撃する黒騎士。
「いいですね、アキレウス」
打ち合わせを終え、小さく首肯するアキレウス。
黒騎士の剣が振るわれる瞬間、イリスは合図を出した。
「今です!」
アキレウスが90度ロールする。縦となった翼に揚力を生み出す力などない。
鉄製の工学竜鎧を纏うアキレウスは、その重量に引かれ数十メートル一気に高度を下げた。
イリスが見出だしたアドバンテージ、それは本来ハンディキャップとなるはずの『重量』だった。
アキレウスは地面に激突する寸前で姿勢を正し、水平飛行に移行する。イリスは即座に魔法機銃を前面上方へ向け狙った。
高度と速度を失ったアキレウスは、黒騎士の背後下方に回っているはずだった。
だが、照準器の先に黒竜はいなかった。
背後より迫る殺意。イリスは、作戦が読まれていたことを理解した。
「『 』『 』『 』『 』レングセル!」
第七級魔法。土が薄い板を形成し、強固な盾となる。
ほぼ同時に黒騎士の剣先が魔法の壁に激突。辛うじて退けるが、逸れた切っ先はアキレウスの鱗を何枚か抉り取る。
痛みを食い縛って耐え、悲鳴も漏らさぬアキレウス。ドラゴンが精神を乱すことは搭乗騎士の大きな妨害となてしまうことを、彼はよく知っている。
しかしイリスもアキレウスも、もう限界だった。即興のコンビで果たした成果として、むしろ称賛されるべきものだ。ここまでやって、破綻は既に避けようはない。
黒騎士の猛攻に晒され、墜落するアキレウス。イリスも頭を切り、流血にて視界を赤く染めつつ黒騎士を睨む。
地面に降りイリスに迫る黒騎士。アキレウスを庇うように立つイリス。
「貴方は逃げなさい。相竜でもない私に付き合ってくれて、ありがとう」
イリスは最期にそれだけは伝えることにした。ドラゴンは誇り高い生物であり、主ではない者と戦うなど本来ありえない。アキレウスは意思を曲げてでも、イリスに付き合ってくれたのだ。
アキレウスは動かない。ここでイリスを残して撤退するなど、彼の矜持が許すはずがない。
黒騎士はイリスの前で立ち止まる。手にした剣が振るわれれば、イリスの細い首など簡単に飛ぶだろう。
震えそうになる手を握り締め、イリスはそれでも睨む。最後まで抵抗の意思を緩める気などなかった。
……どれほど、睨み合っていただろうか。
黒騎士は踵を返し、イリスに無防備な背中を見せて黒竜に飛び乗った。
驚愕するイリス。
「な、な、どういうつもりです!」
このまま逃がせばいいものを、それでも声を出してしまったのはイリスの未熟だろう。
黒騎士は答えない。ただ、無言で飛び去る。
理由がどれだけ不明瞭であっても、それは命拾いであった。言い様のない釈然としない思いを抱きつつ、イリスは腰を抜かす。
「あ、はは。立てません―――あっ」
空の向こうに、無数の点を発見する。
規則正しく等間隔に並んだ竜騎士は、精根尽きたイリスを以てしても見間違いようがない。
人類側の戦力、つまりは援軍だった。
「他の町に駐屯した騎士団が、救援に来ましたか……」
竜騎士達は慣れた様子で黒竜を追い込み、掃討していく。
イリスは視線を走らせ、最も驚異となるであろう標的を探した。
「あっ」
巨大ドラゴンは撤退を始めていた。左目は見開かれており、機能していない様子はない。
「……復元している。仕留められていなかったか」
イリスは悔しかった。
強敵の生存。この禍根はやがて、人類の驚異として再び目の前に現れるであろう。
悲劇の唐突な終演。数十分後には、黒竜は全て死骸へと変えられる。
しかしクルツクルフの町に、巨大ドラゴンと黒騎士の亡骸は存在しなかった。
少々の後日談を記そう。
ルバートは最終的に、戦士としての死を迎えたものとして決着が着いた。
その最期を見たものはいない。巨大ドラゴン―――公式呼称『マザーフォートレス』との交戦にて、部下を逃がす為に殿を務め消息不明となった。
だが、結果第三騎士団は多くが生き延びた。彼等はしばしの間前線基地で身を潜め、安全を確信した後にクルツクルフへと帰還した。
マザーフォートレス襲来の際、救援に駆け付けたのは他の町の騎士団ではなかったのだ。そも、他の大都市にも援軍を送る余裕などなかった。
『フォートレス』、巨大ドラゴンの出現はクルツクルフだけではなかった。
幾つもの町に同時に出現したフォートレスドラゴン。外見も能力も異なる彼等は、例外なく人類の生活拠点に深刻なダメージを与えた。
中には滅んだ町も存在する。クルツクルフは、まだマシな部類だったのだ。
人類は脳裏に刻まれた恐怖を思い出す。人の世が滅亡の危機に晒されたことを。二つの国が滅ぼされたことを。
そんな今更すぎた恐怖に駆られ、国は軍拡を主とする政策を推し進めることなる。
生活は皆厳しくなり、どこか暗い雰囲気が付き纏う時代。
だがそれに文句を口にするものはいない。戦わねば死滅する、誰もがそれを肌で感じていたのだから。
やがて、4年の月日が流れる。
イリスは10歳となり、より一層の研究と鍛練に励んでいた。
そんなある日、彼女はとある再会を果たす。