幽霊海峡
昨日は投稿を忘れていたので、今日は3話投稿します。まあ短いのですが。
「あの生活を取り戻す為になら、敵に身を晒す覚悟なのです」。かつてメイド長は、そう言っていた。
だが彼女達は敵にたどり着くことすらなく、敵の世話をさせられた上で一方的に殺されたのだ。
どれだけの絶望か。どれだけの恥辱か。
死の間際、どれだけの怨念を抱いたか。
―――そんなものは、敵にとって擦り傷ほどの痛みにもつながらない。
彼女達の覚悟は、徒労となった。
「―――む、いけない。少し寝てしまっていましたか」
見れば、暖を取る為の焚き火が小さくなっている。イリスは固形燃料を放り込み、風魔法を使って空気を送り込んで燃焼を生き返らせる。
戦闘終了後。しばらくは気を張っていた面々も、やがて睡魔に襲われ皆かまくらの壁に背を預けて眠りこける。
どれだけ時間が経ったのか。気付けば外の雨音も消え、空は白み始めている。
夜明け。多くの場面で希望や未来の象徴として扱われる光も、今ばかりはなんらありがたみはない。
「―――ねえ。本当に攻撃しなくてよかったの?」
イリスは唐突な声に顔を上げた。
「ソフィー、寝ていなかったのですか?」
「寝てた。でも、魔法が煩くて起きた」
「魔法が―――うるさい?」
イリスには理解し難い感覚であった。
精霊言語を知覚する彼女にとって、視覚に頼らずに魔力を感知するのは当たり前のこと。就寝中であっても声として、魔力を認識してしまうのだ。
「魔法なんてほとんど使ってませんが」
「風の精霊は高い声がするわ」
「ほう」
具体的な指摘にイリスは感嘆する。確かにイリスは焚き火を維持すべく風を潤滑させていた。
燃焼の原理も科学的に解釈されていないこの世界では、焚き火に更に炎の魔法を撃ち込むことで炎を維持するのが大半だ。
風魔法の気配を感じ取っているあたり、ソフィーは当てずっぽうではなく本当に魔法を聞いていたのだとイリスにも判った。
「さっきも言ったけれど、私の魔法ならばあの位置から船を沈められた。本当に攻撃しなくて良かったの?」
「構いません」
かつて見たソフィーの『本気』をイリスも知っており、それが正当な自己評価であることも理解している。
だがイリスはそれを却下した。
「どうして?」
「それは……アスカ?」
じっと自分を見つめているアスカに気付き、イリスは頭を軽く下げる。
「アスカ。すいません、お喋りは控えるべきでした」
話し声で起こしてしまったかと謝るイリス。
しかしアスカは首を横に振る。
「起きていましたわ。……寝れませんでしたわ」
「うーん、もう食べらんなぁよぉ……」
あまりにもベタな寝言を呟くククリに呆れた視線が集まった。
よだれを垂らしてアホ面で眠りこけるククリに、一同はむしろ関心する。
「この人、実は一番図太い神経の持ち主なのかもしれません」
「骨太系女子」
「ちくわ大明神」
「鋼のメンタルや」
好き勝手言い、ひときしりくすくすと笑い合う。
「お腹が空きましたね。朝食には早いですが、何か食べましょう」
不動の鉄城の調理室から銀蝿……確保していたパンを火で炙り、適当な具材を挟む。
「そういえば。この中に、料理の経験がある人は何人いますか?」
もしやまた自分の仕事になるのではないか、と危惧したイリスが訊ねる。
幸いなことに、アスカが毅然と手を上げた。
「この前、貴女と一緒に汁粉を作りましたわ」
聞いた自分がばかだった、とイリスは思った。
しょっぱめのBLTサンドを4人で黙々と齧っていると、不意にアスカが口を開いた。
「イリス。昨日のバールの話ですが」
「いえ、彼のことは何とも思ってませんが」
「解ってますわ。あんな求愛、夢見がちな少女であっても心を動かされることはありません」
駄目出しをしつつ、アスカは確認する。
「貴女の相竜、清奏派に捕まっていますの?」
「はい。前々からそうだろうとは考えていましたが、昨日のやり取りで確信しました」
あのひねくれものに敵がどれだけの価値を見出しているのかは判らないが、何にせよ無事であることは確認された。イリスの目的である一人と一匹は、共に敵の本拠地に捕らわれていることがはっきりとしたのだ。
問題があるとすれば、―――バールの言っていたタイムリミットの件。
「イリス。……奴らは、ドラゴンに人を餌として与えてますわ。たぶん、貴女の相竜にも……」
言い淀むアスカ。だが、その危惧は杞憂であるとイリスは知っていた。
「バルドディはプライドの高いドラゴンです。人を食らうはずがありません」
「どうして確信出来ますの? 追い込まれた時、プライドを持ち続けられるのは本当に一部の頑固者か世間知らずだけですわ」
「解ってませんね。バルドディのプライドの高さはエベレスト以上です、絶対に食べてません」
「バールの口ぶりでは、バルドディさん? はまだ生きているご様子ですわ。食事を拒絶しているなら、どうして今も生きながらえているんですの?」
「それは―――」
言葉に詰まる。
まさか本当に、と疑念が過り、頭を振って否定する。
「それでも、信じます」
「貴女の嫌いな非論理的な解釈ですわね」
皮肉を言われ、言い返せないイリス。
そこにソフィーが割り込んだ。
「白化汚染個体」
「ソフィー?」
「バルドディが白化汚染個体となっているのならば、辻褄は合う」
白化汚染個体。種族に一体のみ発現する、特殊変異体。
能力が増強されることと食事の摂取が不要となることとを引き換えに、常に強烈な飢えを抱える存在。
バールは他にも条件が合致する個体がいないわけではないと言っていた。その条件が、白化汚染個体だとしたら?
「白化汚染個体が水の国の王族を害した時、大精霊が召喚されると?」
憶測ばかりの考察。しかし、イリスには不思議と腑に落ちる部分があった。
「―――まあ、今考えても仕方がありません。今は問題の先送りに甘んじましょう」
ただ、気になるのは。
この仮定が正しいとすれば、バルドディは紛らわす術もなく―――ずっと飢えに苦しんでいる、という推測が成立することであった。
ズシン、とかまくらが、というより流氷が大きく揺れる。
「うわっ!? 何!? 地震!?」
「おはようございます、ククリ」
「海の上で地震ってありますの?」
「サンドイッチ、食わんのならわいが貰うで」
「卑しい猫ね……」
今更起きたククリが慌てる。イリスは外に出て周囲を確認した。
「ここは―――ソフィー、来てください!」
ソフィーに箒を頼み、空高くに上がる。
東に陸地が確認される。流氷はこの大地に引っかかって止まったのだ。
そしてずっと西に見える陸地。かなり遠いいが、イリスの目なら辛うじて見えた。
左右に陸地を望む海。つまり、海峡。
「幽霊海峡。なんだかんだで、ここまで来てしまったのですね」
大陸の内海全域を国土とする水の国、その内海と南の外海を繋ぐ海路が幽霊海峡だ。
岩礁が多く難所とされることからそう呼ばれるようになったこの地は、遠すぎる空作戦の通過予定箇所であった。
「ここから数百キロ東へいけば、もうラサキです」
「遠いね」
「不動の鉄城の足なら、丸一日もかかりません。もう目前、作戦前の準備を考えれば到着していたも同然です」
予定通りであれば、今頃はもうラサキの穀倉地帯を吹き飛ばしていたかもしれない。
実行されていればかなりの打撃となったであろう、だがそれはもう破綻したプランだ。
兎にも角にも、何時までも流氷の上を住居とするわけにはいかない。
東側の半島に上陸した生存者達は、今後の方針を打ち合わせることにした。
「ここはもう風の国の国境、暗黒領域の侵食範囲内です」
「暗黒領域ってなんや? 美味いんか?」
「黒竜の勢力範囲という意味合いです。イマイチ定義も原理も判ってはいませんが、ここに入るとまずは動物が、深部では植物すらも枯渇してしまいます。ここではまだ植物は無事のようですが、動物はいないみたいですね」
生態系の破綻した土地。植物の楽園といえば肯定的だが、どうにも不自然に歪んた異常さを隠しきれていない世界。
だがそれでも、多少滞在することは不可能ではない。イリスは経験的にそれを知っていた。
「はい皆さん、ちゅーもーく!」
間の抜けた声で視線を集めて、イリスはまず提案する。
「とりま、不動の鉄城を奪還しましょうか」
嵐の翌日。第四騎士団は昨晩の顛末を改めて検証していた。
「船体のダメージは上部構造物が大半です。船殻の被害はないので沈みはしませんが、『動力』を喪失したので航行は絶望的かと」
部下の報告を、バールは大きな布を顔に押し付けながら聞いていた。
「はぁ……甘い……蕩けるように甘いぞ……」
「あの、団長? その布は?」
「イリス君が使っていたシーツだ。実に芳しい……」
バールは刮目する。
「スイィィットォォ!」
「報告、もう一度繰り返しましょうか?」
バールは部下をじろりと睨んだ。
「君は僕を馬鹿にしているのか? 聞いていたさ、ちゃんとな」
「理不尽です」
「理不尽ではないことが未だかつてあったものか。人は全てを理不尽と解釈する動物だ」
彼の瞳には自嘲も侮蔑もない。そも、バールに人類に対する興味すらない。
「自分は裕福で不幸だ。自分は貧しくて不幸だ。自分は平均的で不幸だ。そんなことばかり主張してきたからこそ、人は世界に見限られた」
バールはシーツを丁寧に畳み、騎士服の中に仕舞う。
「あの若い……かはエルフだから判らんが。あの御者、想像以上に優秀な人材だったのだな」
「土竜は海を嫌いますからね。まさか海に飛び降りさせるとは想定外でした」
「よほど信頼を勝ち取っているのだろう。ぱっとしない少年だったはずだが、人は見た目に寄らないものだ」
船員がいれば帆で動かせたが、こんな事態想定しておらず皆殺しにしてしまった。
清奏派にはこのような大型船を扱える人材はいない。動かすには力業しかない。
「仕方がない、まぬけな話だが……少数でラサキに飛んで応援を呼ぶぞ。なんとか曳航するんだ」
「船を放棄してもよろしいのでは?」
「バカを言え、イリス君が何故動力たる土竜を持っていったと思う。彼女はこの船を諦めてなどいないよ」
イリス達は船を沈めようと思えばいつでも沈められていた。だがそうはせず、リスクを犯しながらも脱出を実行した。
この地の果てのような海で、身一つで放り出されれば生きては返れない。イリスの判断は客観的でかつ先を見越していた。
「そこまで。そこまで考えて逃げ出したのですか、あの少女は」
「どうだ? 可憐だろう」
意味不明な解釈だが、慣れっこの部下は気にしない。
「それと、シーツを仕舞う場所はそこでいいのですか?」
「何か問題でもあるのかい?」
「いえ、寒いですから防寒としては間違ってないのかと思いますが」
お腹がもこもこに膨れたバールは、愛おしげに自身の腹部を見下ろす。
「まるでイリス君を受胎しているようだ。なんと温かい」
「知っていましたが、団長って相当アレですよね」
「正気のフリなどするなよ、この船の乗員は皆狂っているだろう?」
バールは部下の肩を叩く。
「君はどんな不幸に妬んで第四騎士団に入団したのだったかな?」
「大したことではありません。ただこの世の全てが憎くなっただけです。よくあることでしょう」
「違いない。僕は評価するよ、その傲慢を」
くつくつと笑い、バールは行動を開始するのであった。
「第一小隊は不動の鉄城より離翔する。帰還準備を開始しろ」
「了解!」




