脱出劇3
イリスは海中にて待機していたアキレウスを呼び、海上に大量の「真水」を生み出すように指示した。
水竜の能力の一つ、水生成。大量の水をどこからともなく出現させるこの力は、土竜の格納魔法を応用した圧縮空気機関と同様に動力源として研究されるテーマの一つだ。
しかし今回違う用途に使われる。アキレウスの発生させた大量の水は海上に降り注ぎ、すぐに海面と同化した。
「ソフィー、頼む」
「頼まれる」
頷き、氷結魔法を海面に放つソフィー。
海が凍り―――そして、僅かに喫水より上昇する。
「……もしかして、この氷に乗って逃げるんですの?」
「流氷? 確かにしっかりとした物なら人が乗れるとは聞くけどさ」
意図を理解した様子のアスカとククリ。イリスは魔法で流氷を作り船にすることを思い付いたのだ。
「でも結構混じっとるで、海水と真水。こんなんでいいんか?」
「誤差の範疇だ、そもそも塩の有無で変わる質量など微々たるものでしかない」
真水を使ったのは気休めである。多少は質量が減るはずであった。
一気に広がる氷の島。その規模は既に氷山と呼ぶべきものになっている。
まずイリスがソフィーの手を借りて船から降り、流氷の上に立つ。
寒さは思った以上に厳しく、イリスは慌てて魔法によって大きなかまくらを拵えた。
他3人は順次流氷の上に移動、かまくらに入る。老成土竜のブージと水竜のアキレウスも同様に、イリスが穿ったかまくら(というより氷山の横穴)に入り込んだ。
イリス達を乗せた流氷はやがて、波と風のままに不動の鉄城から離れていく。行き先など誰にも判らず、今はただ嵐を過ぎ去るのを待つしかない。
「不動の鉄城といえど、この高波の中では小舟だな!」
「えっー!? なんですのー!?」
「このこーり、船よりでかいけど見つかったりぶつかったりしたらご破産やないんかー!?」
「シロ、なんとかしなさい……!」
「己が眷属に対する無慈悲なる無理難題ッ! ククク、貴様も闇を宿す存在か―――!」
かまくらの中は、叩きつける雨でひどい音の嵐だった。意思疎通をするのも一苦労であり、寒さもあって次第に会話は失せていく。
状況は依然として最悪。今後の見通しも立たず、現在地はエネミーラインの遥かに先。
《あははははははははは!》
それでも。しかしそれでも、眼前の窮地に関しては完全に脱した。
《呆れたな! こんな方法で船から脱出するなんて!》
「……しつこい男は嫌われるぞ、バール」
それが楽観的な願望論でしかないことを、イリス達は直後に思い知った。
《とんでもないことをしてくれた! これじゃあ僕達が、身動きが取れないじゃないかあはははは!》
なにが楽しいのか、嵐の中で尚笑い声を上げるバール。その声色はどこか不自然で、肉声でないことはすぐに判った。
姿はなく、ただ声だけが真っ暗な空に響く。
《君は本当に厄介だよ! 幾度も僕の予定を狂わせ、何度も出し抜いて! これはお仕置きが必要だな!》
「…………。」
イリスは返事などしない。そのような余分な行動をとる余裕などない。
次の瞬間、槍で貫かれている可能性とてあるのだ。神経を最大限集中し、バールの動行を探ろうとした。
そして、結論に至る。
「見えない」
嵐は全てを覆うカーテンと化し、バールを隠してしまっていた。
一寸先は闇、とまでは言わない。だが少なくとも、半径数キロ以内にはいない。
《イリス君、再度愛を叫ばせてもらおう。好きだ!》
「ソフィー、風魔法に遠くに声を届けるようなものがあったな?」
「あるわ」
イリスが格納魔法からとある機械を取り出し、セッティングをしつつ質問する。
興味深げにその機械を覗き込みつつ、端的に回答するソフィー。
《この愛ッ! まさに春! 春一番っ!》
「ならそれだろうな。風竜ならこの悪天候でも飛行可能なはずだし、あと今は冬だ」
《やっぱり惜しいなぁ、妻にしたいなぁ! 添い遂げたい! 共に朝を迎えたい! 一緒に老いたい! 同じ場所に埋められ腐っていきたいぃぃぃ!》
4人の視線がイリスに集まった。
「あの変態を黙らせて下さいな」
「すまないが、あれは他人だから私の責任ではない」
《そうだ、こういうのはどうだろうか!? イリス君が僕のものになるのなら、僕は君のあらゆる願いを叶えよう!》
「ではお前を消す方法を」
《そうか! 受け入れてくれるか! ならば早速お母様にご挨拶にいかねばあああっ!》
どうやらイリス達の声は、バールには聞こえていない様子であった。
いつまでこの騒音は続くのだろうかと辟易していると、唐突に声のトーンが変わる。
《あと一週間だ》
バールにとって、これこそ本命。これまでの求愛など挨拶でしかない。
《アイギス・クレンゲル・ミスティリスはあと一週間の命だ》
「ほう?」
機械を調節していたイリスの手が止まる。
《君は気付いていたな? 君の相竜を、我々清奏派がバルドディを捕らえていることを! 清奏派は水の国の王族をバルドディに食わせるこそで、悲願が達すると考えている!》
「―――はあ? バルドディにアーレイを食わせる? その行為にどのような意味が?」
疑問ばかり浮かばせるイリスに答えるわけではないが、バールは何故か上機嫌に続ける。
《水の国の王族には古来より巫女としての役割があった! あの国の末裔はずっと望んでいたんだ、世界を本来の持ち主たる種族へと、ドラゴンへと引き渡すことを! 狂信的な精霊信仰の極地だな、人の幸福を二の次にするとは本末転倒もいいとこだと思わないか!?》
「他人の不幸を顧みないお前が言えた口か」
《その扉を開く『鍵』と『鍵穴』こそ、アイギス様とバルドディだ! 他にも条件が合致する個体がいないわけではないが、一番手軽なペアというわけだな!》
突拍子も道理もない清奏派の本懐。
ただただ、『無理だ』とイリスは思った。
バルドディのプライドの高さはブルジュ・ハリファ以上だ。人間、それも顔見知りを食らうくらいならば餓死を選ぶと確信があった。
《さあどうする! 友が友を殺すのだぞ? 助けねばなぁ、止めねばなぁ! 知ってしまったからにはなぁあああっ!》
バールは知っていた。イリス・ブライトウィルが、知ったら止まれない人間だということを。
躊躇するだろう。後悔するだろう。恐怖するだろう。
それでも、最後には必ず動く。そう確信していた。
《それでは失礼するよイリス君! また会おう、愛してる!》
撤退を開始したのであろう、煩わしい嵐の向こうの気配が遠ざかる。
全ての準備を終えたイリスはアキレウスに跨り、踵でかるく合図を送った。
「―――いや。願わくば、これが貴方と私の最後の縁であらんことを」
イリスとアキレウスは、躊躇うことなく嵐の空へと飛び込んだ。
「―――むッ?」
バールが最初に感じ取ったのは、雷雲の中を走る奇妙な気配であった。
正確に察知出来るわけではないが、いることだけは判った。それも複数だ。
警戒を強めるバールだが、時は既に遅い。
「うおっ……!?」
彼の相竜を掠めるように、遠くから正体不明の攻撃が放たれる。
直線状の攻撃が薙がれ、曇天をチーズのように切り刻む。
バールは慌てて回避運動を取るも、元よりこの悪天候の中を無理に飛行していたのだ。ほとんど動けず、謎の攻撃に晒される。
謎の空を裂く長大な刃。バールは正体を、部下の報告書から察した。
「これは、不変の聖水剣―――不変の聖水剣・機械仕掛けの神刃!」
水の国と縁のあるバールは、不変の聖水剣についても当然知っていた。イリスがそれに無茶な改造をしていることも。
当然である、イリルム国防軍基地におけるアーレイ誘拐を指揮したのはバールなのだから。
雲を風を切り裂き、馬鹿げた長さの刃は空を奔る。さながら夜空を貫くサーチライト。
「なるほど、本来はこうやって使うものなのだな! 魔力切れのない高威力の工学輪唱銃というわけか」
バールの推測は正しい。というより、イリスが戦闘において空戦を前提としないはずがない。
白兵戦においてあまりに使い勝手の悪い超長剣は、完全に対空目標を前提としていた。
「だが、この攻撃が届くということは」
バールの部下がイリルムの戦闘現場を検証した結果、この魔改造兵器の射程は数百メートルほどと計測されている。
即ち、そこまで接近を許しているのだ。この視界がほぼ0の中、的確にこちらを指向して。
「ばかな、この嵐の中でどうやってこちらを捕捉した!?」
視力オバケのイリスとはいえ、この中で充分な戦闘など叶わない。そう判断したからこそ、バールもわざわざイリスを煽りに来たのだ。
挑発のつもりが返り討ちにあっては笑い話にもならない。バールとてその境界を見極めた上で遊びに来たつもりだったのだが、イリスの行動は常に凡百の斜め上を飛行する。
「―――馬鹿な男だ。なあ、バール」
不意に耳朶に聞こえる涼やかな声。この期に及んで、バールは愛しい女性の声に頬を綻ばせてしまった。
「っと、っと、と! 熱烈なラブコールだな!」
視界ゼロの中で翻弄されるバール。直撃がないことから完全に視認しているわけではないと想定するも、明らかに常に見られている感覚がバールにはあった。
「くっ、そこだっ!」
勘のままに槍を放つ。
不自然なタイミング、曖昧な目標。それでも尚、彼の投擲は呪いに等しく空を飛ぶ物体を貫く。
弾け、回転しつつ落ちる物体。
やってしまったか? と目を凝らすも、そこにいたのはイリス達ではなく。
「作り物の鳥、だと?」
バールが見たのは、地球でいうところの模型飛行機であった。
直線から構成されたシンプルな主翼、小型星型空冷エンジンによってプロペラを回す全長全幅共に1メートルほどの無人飛行機。
バールにはそれが何なのか、全く判らなかった。ただ、首筋に刺さるような殺気が、自分が完全に狙われていることを示唆していた。
「―――どうして、空で私に挑もうなどと思い上がった?」
その瞬間、勝負は付いていた。
両断されるバールの相竜。空を奔り翻る不変の聖水剣・機械仕掛けの神刃。
何故負けたのか、どのように切られたのかいよいよバールは知ることはなかった。だが、敗因だけは理解した。
「ははははは! 君は! 君という奴は!」
どれほど有利な状況であっても。どれだけ相手がハンデを背負っていたとしても。
イリス相手に空から挑んではいけなかったのだ、と。
「ただいま戻りました」
飄々と流氷のかまくらに帰還したイリスに、残された者達は安堵の息を吐いた。
まるで散歩から帰還したかのような気軽さ。
「うふ、あははっ」
むしろ空を飛んだことで多少上機嫌なことに、周囲は不審気な視線を向ける。
「どうでしたの? バールを仕留めましたか?」
「うーん、あの嵐に放り出されたら常人なら確実に死にますが……彼も爛舞騎士ですからね」
確実に撃墜したが、手応えはないという矛盾。現代戦などそういうものだと言われればそれまでだが、どうにも釈然としないイリスであった。
「ところで、結局それ、何?」
「ん? ああ、気になりますか?」
イリスが抱えた小さな飛行機。小さな、といっても小柄なイリスと比べればかなり嵩張って大きく見える。
「試作兵器の先行無人偵察機です」
なんじゃそりゃ、と首を揃って傾げる面々にイリスは説明を試みる。
「要はラジコンですよ、ラジオコントロールカー……ふむ」
うまく説明出来ず悩んでいると、シロが的確に補足した。
「ようは使い魔やろ? 視界や感覚をリンクさせて偵察する為の」
「ええ、まあそんなところです。たぶん」
現代戦において小型無人機による偵察は既に珍しくない技術となったが、この分野に限ればこの異世界は地球より先駆者であった。
かつてより魔法使い達は鳥や虫を操り、敵の動向を探るべく試行錯誤してきた。イリスはそれを半機械的に行ったのだ。
「地上の敵を探るには鳥や虫で充分ですが、竜騎士の様子を探るにはあまりに能力不足でしたから」
「確かに使い魔を対竜騎士戦で使うなんて、あまり聞いたことがないね」
この先行無人偵察機、視覚情報や操縦信号の送受信には電波ではなくネズミの屍骸を使っている。
遠隔操作に関しては使い魔の技術をほぼ流用しており、イリスとしては色々と不満の残る出来であった。
「意外と軍事方面に明るいですよね、ククリって」
「軍属の仕事を色々やってたから。ドラゴンの飛行速度は最近だと時速600キロにも達すると聞くけど、これもそれくらい出るのかい?」
「ぼちぼち、ですね。絶対的な速度の優位といえるほどではありません」
ドラゴンの飛行速度は数百キロから500キロ以上まで。対して、鳥の最高速度は精々150キロ。
使い魔を行使しても空中戦ではどうしても置いて行かれることから考案された、おニューの新装備なのである。
いつまでも直接的な目視で敵を探す時代でいられるわけではない。イリスは、対空探知を重要な研究対象と定めていた。
「まあ、レーダーを再現出来なかったことからの妥協案なのですが……」
数機放った先行無人偵察機のうち、バールに破壊されず回収されたそれをざっと点検する。
「ジャイロがいい仕事をしました。この嵐の中でも安定して飛行するなんて、予想以上です」
逐次制御しなければならない使い魔と違い、先行無人偵察機は半自動操縦にとって最低限の制御で飛行可能となっていた。
以前イリスが開発した魔法式コンピュータ、魔電演算機による高度な制御技術。空冷レシプロエンジンによる高速飛行性能も相まって、この無人機の飛行速度は時速600キロにも達する。
「ほう、素晴らしい。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗くというが―――深淵の闇を一方的に観察する術を人は得たか」
危機が去ったからか、調子を取り戻しつつあるククリ。
この世界にもニーチェがいるのかよ、と思いつつイリスは首を横に振る。
「超長距離を高速で偵察する装置なのですが……高価で。量産化するかは微妙です」
「ほう。どれくらいかね?」
訊ねるククリに、イリスは耳打ちする。
「……それ、割に合うの?」
「それを判断するのは上層部ですよ」
あまりの高額っぷりに素に戻ったククリは無人機を胡散臭げに見やる。
「空飛ぶ金塊だね」
「どこぞの全翼機みたいな称号付けないで下さい」
恐るべきは、この空飛ぶ金塊と呼べるほどの新兵器が『使い捨て』を想定していることである。
偵察といっても、術者の視界に風景が直接投射される。カメラのフィルムを持ち帰る必要もなく、作戦によっては片道で運用することも可能しているのだ。
無論、操縦して帰還させることも出来る。しかしそれでは最大の長所たる探索距離は文字通り半減。
最大限活かすには結局莫大な予算を必要とする、悪い意味で近代的な兵器であった。




