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軽銀のドラグーン  作者: 蛍蛍
2章
57/85

脱出劇2



 推進手段の喪失、それは船の死を意味する。

 海面を縦横無尽に駆け回り、強大な兵器や多くの兵士を高速で運搬する戦闘艦は即ち動く城に等しい。

 城、即ち要塞とは人が作り上げた理不尽なまでに強大の兵器の一つだ。それが自在に動き回るなど、なんて出鱈目であろうか。

 想像しがたいかもしれないが、時代によっては船は核兵器のような戦略兵器として扱われていたほど。莫大な予算と労力をつぎ込んだその出鱈目は、場合によっては生半可な国家をすら消滅させうる方法論となる。

 しかし城とは補給の宛があってこそ真価を発揮する。つまりは戦闘艦はいつまでも海上にいることは出来ず、定期的に母港へと帰還する必要がある。

 その強大さに比べ、なんともお粗末な弱点であろうか。しかしながらそのお粗末さを、船という兵器は有史以来ずっと抱え続けてきたのだ。

 衝角にて敵船を砕く手漕ぎのガレー船から、数十年以上の燃料補給を必要としない原子力空母まで。

 一つの例外もなく―――その弱点を、常に抱えてきたのである。




 敵の補給を阻止する方法の一つが、推進手段の喪失。例え沈めずとも、身動きの取れなくなった船は無力に等しい置物と化す。

 だからこそ、戦闘艦には多くの『保険』がかけられている。機関が複数搭載されていたり、重要区画を重装甲で守っていたりなどはその典型であろう。

 だが、不動の鉄城(アルク=アンシム)には機関たる動力生物は一匹しかいない。信頼性の高いシンプルな外輪船というシステムは、マストを張って風で進むという手段を放棄させるに至った。

 イリスはこの設計思想を設計者の怠慢だと思ったことはなかった。複数の動力を搭載するということは、運用コストが跳ね上がることを意味する。船に詳しくはないイリスだが、この法則は戦闘機にも当てはまる極めて合理的な思考であった。


「貴女のお話はつまらないですわ」


「味方となりうる人間が生き残っているとすれば、そこに飛び込んでいる算段が高いということだ。彼らが水の国(ミスティリス)の敗残兵だというのならば、漂流の恐ろしさを知らないわけがない」


 アキレウスを先頭に、2人と1匹は不動の鉄城(アルク=アンシム)の甲板へと続くスロープを登る。

 体のいい盾役を押し付けられたアキレウスであったが、か弱い(?)少女達に前を進ませるわけにはいかない。彼の矜持からしても、それは正しい判断であった。

 外に出た彼らは、真っ先に目的地たる船の後部へ目を向ける。


「む、あれは」


「船の上の建物が吹き飛んでますわ」


 不動の鉄城(アルク=アンシム)の後部には、ブリッジや士官室が収まった構造物が設置されていた。それが大きく抉れ、燃え盛っているのだ。


「アキレウス、海へ。我々は予定通りあそこへ向かう」


 唸り声で返事をして、飛び込みの選手のように躊躇いなく船から降りるアキレウス。

 冬の波は荒れているが、それで竦むような水竜(ミスティ)ではない。イリスは彼に関しては心配していなかった。

 元より水中を住処とする魔獣だ。逃げに徹して、人に遅れを取ることがあろうか。


「動力厩舎室は火災の下ですわよ、危ないんじゃありませんの!?」


 イリスの判断に食って掛かるアスカ。


「知っているか、バカと煙と有毒ガスは上に昇るものだ。火災が発生しても下には安全さ」


「本当ですの?」


「…………。」


「自信ないんじゃありませんか!」


 イリスの首根っこを掴みガクガクと揺らすアスカ。だが、イリスとしては安堵する判断材料でもあった。


「希望的観測だが、ソフィーは無事かもしれないな」


 何故か? と視線だけで訊ねるアスカにイリスは手早く説明する。


「ソフィーのような爛舞騎士(ラウンドナイト)を安全確実に仕留めるなら、部屋の外から大魔法で室内ごと消し飛ばせばいい。私ならそうするだろうし、私とソフィーを離れた部屋に配置したということはやはりそうしたのだろう」


「なら駄目ではありませんの。部屋が吹き飛ばされてますわ」


「あれは多分、ソフィーの魔法だ。自分ん家に放つには少し派手すぎる」


「念を押して大きな魔法を使ったかもしれませんわ、敵はこの船に価値を見出していないのかもしれません」


「派手な魔法と強力な魔法は違うよ、アスカ。大魔法っていうのは詠唱が手間の割に、効果ばかりが広くて火力に乏しいことも多い。まして壁の向こうにいるのは魔法のスペシャリストだ、私なら短時間で詠唱出来る少範囲高火力の魔法を使う」


「でも大きな爆発音は一回だけですの。ソフィーが奇襲を防いで反撃したのなら、2回以上爆発音があって然るべきですわ」


「頭のいい子だ。だが、前提条件を忘れている」


 話しているうちにイリスの推理は確信となる。

 やはりソフィーは無事だと。彼女は奇襲を凌いだのだと。

 ならばどうやって奇襲を察知したか。相手の最低でも速読詠唱(ミルテックスペル)であったと予想される攻撃を上回り、上級魔法で後部構造物を吹き飛ばしたか。


「ソフィアージュ・アンドリュースは爛舞騎士(ラウンドナイト)だ。根拠などそれだけで充分だろう」


 それをアスカは否定出来なかった。何せつい先程、バールの超人的な槍捌きを目の当たりにしたのだ。

 槍の達人たるバール。そして魔法の達人たるソフィー。立て続けに見た人類最高峰の力を比べ、そして隣で走る少女もまたそれと同格であったことを思い出す。


「……この船に乗り込んで見てきた爛舞騎士(ラウンドナイト)で、貴女が一番いいとこナシですわ」


 この状況で減らず口を叩くアスカに「やかましい」と吐き捨てつつ、イリスは甲板を駆け抜けた。




 扉を魔法でぶち抜き、後部構造物に突入するイリス達。


「荒っぽいですわ」


「バックドラフトで炎が吹き出してきたかもしれないが、それで構わないのなら君がドアノブをひねるんだな」


 炎の洗礼こそなかったものの、騎士は未だ多く船に残っている。甲板を一切の妨害も受けずに走り抜けたが、むしろそれは敵が室内戦に持ち込もうとしている根拠にすらイリスには思えていた。

 警戒しながらの突入。しかし、室内は火の海でもなければ騎士達の待ち伏せもない。

 そのかわり、2人を出迎えたのは凄惨な光景であった。

 通路を抜けるとそこは士官用食堂。会議室や有事の医務室としても設計されている為、船内ではかなり広く作られている部屋。

 この士官用食堂が、赤かった。


「……ひっ」


 それが何なのか、脳が理解するのに数瞬を要する。

 つん、と生臭さが鼻をつく。現実味のない景色の中、生々しい嗅覚がそれをリアルであると強く主張する。

 それでも尚、イリス達は眼前の物体が何なのか、判らなかった。判りたくなかった。


「うげっ……」


 アスカが顔を青くして口を抑える。

 室内はひたすらに赤かった。肉片が散り、血が充満するまでに滴っていた。


「―――残念だ。生存者はなし、か」


 死体の山であった。

 見慣れた顔ぶれ。彼らの共通事項は、船に乗り込んだ人間のうち第四騎士団(メルオン・パル)所属ではないこと。

 船を扱う為に雇われたイリルムの漁師達。そして、ファルシオンの受難を運良く逃れた女性達。

 効率的に処理すべく、一度ここに全員を呼び出したのであろう。全員が等しく、肉塊に帰していた。


「雑な殺し方だ。軍人ならもう少しやりようがあっただろうに」


 片腕を切断された者。頭蓋を砕かれ脳漿を散らす者。腹から腸が溢れた者。

 イリスはとにかく急いで適当に殺した、という印象を覚える。事実、この死体はすべてアスカの『時間稼ぎ』の間に作られたものだった。


「屠殺でももう少し丁寧にやるぞ。匪賊に死者への礼を求めるのは過ぎた話ということか」


「げえっ、うっううっ」


 胃の内容物を吐くアスカだが、イリスはそれに目を向けることはしない。

 嘔吐は連鎖するのである。余計な体力を消費する余裕などなかった。

 ショートしてしまいそうな脳細胞をなだめ、色々なことから目を背けながらイリスが前進する。

 何かを踏み付けて、イリスは足元に目をやった。

 一番年上の、まとめ役のメイド長の眼鏡であった。


「――――――。」


 イリスはそれを踏みにじり、見なかったことにした。

 感傷に浸るのは後でいい。今は成すべきことを成さねばならない。

 さもなくば、イリスとアスカもこの肉塊の一員となるだけなのだから。


「…………?」


 タラップを降りて下に進もうとした時、イリスは奇妙な音を聞いた。

 ばばっばばばっ、と何度も響く、鈍い音。どこかで聞きた覚えのある音だった。


「銃撃?」


 イリスが連想したのは前世において世界的にポピュラーな歩兵の兵器、小銃だ。

 いつだったか、陸自の訓練を見学した時のそれに近いものを感じる。どういうことかと疑問に思いつつも安全を確認し下層へ飛び降りた時、第四騎士団(メルオン・パル)の騎士達は無遠慮にイリス達の前に現れた。


「げえっ、イリス・ブライトウィル!?」


「出会い頭に失礼な、死ね」


 自衛用の瀬戸物で試作した手榴弾を投げ、物陰に隠れて爆発をやり過ごす。

 白兵能力が致命的に低いことを自覚している彼女が用意した、せせこましい戦闘手段。しかし擬似的な無詠唱魔法の如き即時性は、短距離遠隔攻撃手段が魔法か投げナイフ程度しかないこの世界においてはそれなりに役に立つ。

 爆発し、焼き物の破片が四散する。だが手榴弾に本来使われるべき金属をケチったことが災いし、騎士は眼球に致命的な損傷を負っただけで死には至らなかった。


「目が、目がぁあ!」


「ふむ、これは失敗作かな」


 続けて更に瀬戸物手榴弾を放り込む。

 何者からか逃げてきた複数の騎士がそれに巻き込まれ、今度はしっかりと死に絶えた。


「イリス、もう降りていいんですの?」


「ちょっと待っていろ。どうやら向こう側でも誰かが暴れているらしい」


 誰か、と濁したものの、この状況で騎士相手にバカスカ魔法を撃って追い立てる者など一人しかいない。


「くそっ、退却、退却しろ!」


「仕留め損ねやがって! 爛舞騎士(ラウンドナイト)相手に油断したっていうのか!?」


爛舞騎士(ラウンドナイト)が敵に回ること自体が想定外なんだよ! 隊長はどこにいるんだ!」


 這う這うの体でイリスの待ち構える通路に逃げてきた騎士達。

 手榴弾の残数は心許なかったが、詠唱時間は稼げたのでイリスはきっちりと魔法を叩き込むことが出来た。


「マニュフェイト」


 上級局地崩壊魔法。精霊が壊死し、空間ごと塵と化していく。手加減のなさから決定打としてイリスが好む、強力な魔法である。

 声もあげることすら叶わず、騎士が多数消滅する。船の側面に大穴が空き、冷たい風が吹き込んだ。


「10人は巻き込みたかったのだが、発動を少し急いでしまったか?」


「ブライトウィル!? そんな、隊長は―――!?」


「バールは死んだ!」


 イリスは咄嗟に嘘を吐いた。


「私を仕留めるには役不足だったようだな!」


 とりあえず調子のいいことを言って、動揺を誘ってみる。

 事実イリスはここにいるのだ。騎士達は絶句し、致命的な時間を浪費した。


「それを言うなら力ぶそ……」「クロックブム!」


イリスは無感情に騎士を殺す。

やはり見知った顔であった。イリルムの酒場で、給仕を務めるイリスをからかっていた男だ。

 アスカの指摘を聞かずに魔法を放つ。廊下が業火に包まれ、燃える衣服に混乱した騎士が数名壁の穴から海に飛び込んだ。


「よし、これで……」


「誰が死んだだって? ははは、ひどいなぁ」


「―――むっ」


 声に振り返れば、アスカに槍先を突きつけるバールがいた。

 身体を後ろから太い片腕で締め上げられ、足が床から離れた状態で運ばれるアスカ。どうやら上階で確保され、そのままタラップを降りてきたらしい。


「惚れてる女の前で、他の女を抱き締めるのかい?」


「触れてるのは腹だよ、勘弁してくれ!」


「こっ、の、離しなさい、苦しっ……!」


 もがくアスカ。自身の体重を支えるほどの力で締められているのだ、鍛えているわけでもないアスカにはかなりの負担であった。


「この娘を殺されたくなければ、武装を解除したまえ!」


「見ての通り、武器など持っていないが?」


 嘘である。イリスは騎士服に暗器や道具を幾つも隠している。


「僕は君の身体が見たい! 全部脱げ!」


「結局は身体目当てか、男という奴はまったく」


 悠長な言動とは裏腹に、イリスはかなり困り果てていた。

 アスカを切り捨てるような態度を見せ、人質としての価値を暴落させ解放させるのももう難しい。ここまで散々振り回したのだ、突拍子もない言動で困惑させる作戦はもう通じないであろう。

 ならば実力で奪い返す、というのもどだい無理な話。イリスとバールの戦闘能力は歴然としている。

 幾つもの作戦がイリスの頭に気泡のように浮かび、そして却下されていく。そのいずれもが奇策の部類であることはいうまでもない。


「ああくそっ! 空の上でなら負けないというのに!」


「まったくだ! 君と空で戦いたくはないな!」


 空狂い(フリールウァスデッド)との空戦など、バールとしても最大限避けねばならない事態であった。例え本来の相竜(バディ)ではなかろうと、空で勇名を轟かせた戦士との戦いなど命が幾つあっても足りない。

 イリスがバールを警戒するように、バールもまたイリスを正しく警戒していた。


「さあ! 今すぐ服を脱ぐんだ!」


「くっ……」


 打つ手なしとなったイリスは、しぶしぶ騎士服を脱ぐ。

 元よりフランとアーレイの趣味で、かなり露出度の高いドレスであった。幾つかの固定具を外せば、ワンピースのようにすとんと床に布が落ちる。

 イリスはあっという間に、下着だけの姿となった。


「ふくつしい……なんて神々しさだ、ビューテフルマイリトルレディー……」


「ちょ、お尻に何か硬いものがあたってますわよ、変態っ!」


「貴様に欲情しているわけじゃないんだ、少し黙ってろこのマントヒヒが!」


 怒鳴るバール。

 イリスはその、一瞬の視線の逸れを見逃さなかった。

 素早く手を動かし、小さな布を掲げる。


「これを見ろ!」


「そ、それは―――っ!?」


 イリスが手に握る布切れ。紛れもなく、彼女の履いていたパンツであった。


「すっぽんぽんですわ!」


「取ってこい!」


 下半身丸出しで、パンツをバールの横めがけ投げるイリス。バールは思わずアスカを放り投げ、パンツに飛び付いた。


「うほーっ!」


「アスカ、こっちに!」


 むせながらも、イリスの後ろに隠れるアスカ。

 バールはイリスのパンツを拾い、頭に被りながら再び槍を構える。


「やれやれ、男の純心を弄ぶとはいけない子だ」


「貴様の行動原理を理解し始めている自分も大概嫌になるよ」


 さてどうするものか、と思案するイリス。アスカは奪還したものの、前進するには自分で穿った大穴があり。後退するにもバールがいる。

 まるで背水の陣。


「いや、前門の虎後門の狼、といったほうが正しいのだろうか?」


 どちらにせよ、バールを突破するくらいなら背後の穴に飛び込んだ方がまだ生き残る可能性は高いとイリスは考える。少なくともイリス一人で下せるほど、バールは甘い存在ではない。

 早急に決断せねばならない。アスカの腕を掴み、いざ飛び降りんとした時―――


「―――しゃがんで」


 聞こえた声に、イリス達は咄嗟に身をかがめた。

 頭上を掠める無数の魔法。先程聞いた、小銃のような音。


「むっ」


 直撃弾を槍で弾き、空いた空間に身を滑り込ませてタラップを走り登るバール。猿のようなその動きに、イリスは安直に突撃しなくて正解だったと改めて胸をなでおろした。


「助かりました、ソフィー」


「いい―――なんで裸?」


 ソフィーは何ら変わりなく、当然のように平然とそこにいた。

 何時もの魔女ルック。戦闘の埃で若干白っぽくなっているが、ローブに損傷らしい損傷もない。

 室内の移動に箒を使うのは如何なものかとイリスは思うが、小回りの良さは生身と変わらず、転倒の心配もないという意味では合理的かもしれない。


「奇襲されたのですよね。信じてはいましたが、よく感知出来たものです」


「元々シロが警戒していたわ」


 ソフィーが魔法を乱射するまま、のんびりと姿を現す。五体満足のその姿にイリスは安堵する。


「褒めてくれてもええんやで? ほれ、ラブリーマスコットのお出ましや」


「それよりソフィー、貴女は先程から……」


 何をしているのか、とイリスはソフィーの魔法に目を凝らし、呆れてしまった。

 彼女の使う魔法は、最初級の第十級魔法アーク。小石や破片を勢い良く撃ち出す、ただそれだけの魔法だった。

 船の鉄骨が千切れてマシンガンのように飛んでいく光景はかなり不可思議だったが、それでも拳銃弾程度の威力はある。生身の敵相手ならば牽制には充分。

 異常なのはその弾数だ。本来のアークは僅か十発で撃ち止めだが、ソフィーはそんな道理など知ったことかと言わんばかりに無節操に撃ち続けている。


「接近戦もこなせるとは」


 室内戦でガトリングガンを使うような所業だが、近距離戦を的確にこなしていることには違いない。


「いよいよ貴女が本当に爛舞騎士(ラウンドナイト)なのか、疑わしくなってきましたわね」


「何を言っている、何度もバールの攻撃を真っ向から凌いでいたではないか」


「真っ向……?」


「乗って」


 二人はソフィーの箒に乗り、イリスが開けた大穴を突破する。

 イリス達はようやく、動力厩舎室へ飛び込んだのであった。




「やれやれ、逃してしまったか」


 さして落胆した様子も見せず、バールは部下の生き残りを助け起こす。


「ごほっ、ごほ……隊長、よろしいのですか……? 動力室に立て籠もられると、我々も迂闊には……」


 騎士はイリスの狙いを指摘する。

 この船の生命線たる動力厩舎室には無理やり攻撃することは出来ない。ここを突破されれば、状況が面倒になることは当初から予想されていたことだ。

 しかしバールは、これをさほど危惧してはいなかった。


「あそこに籠城してどうなる? この船は動く密室だ、出ることも入ることも叶わない。我々は待てばいい、彼女達が焦れて出て来るのをな」


 優勢を確信するバールであった―――が。




「さて、どうしたものかな」


 動力厩舎室ではエルフが悩んでいた。


「どうしよう、第四騎士団(メルオン・パル)がテロリストだったなんて聞いてないよ……逃げなきゃいけないけど、どこにいけばいいやら」


 困り果てた様子の竜御者ククリ・キャピアン。この人物なしで船を動かすことは不可能であることから、ククリは虐殺から逃れていたのだ。

 無論ククリを監視するべく騎士は配置されていたが、先程逃げ込んできたソフィーに吹き飛ばされている。文字通り物理的に、船の外、極寒の海へと。

 壁に開いた人型の穴を横目に、イリスは朝の挨拶のように気軽な様子で話し掛ける。


「生きていたか、漆黒の王虎(ティーゲル・ナハト)。仰々しい二つ名は伊達ではないようだ」


「へっ? あ、ふふふ、えっと、フフフハハハハ!!」


 咄嗟にかっこいい台詞が思い浮かばずに、笑って誤魔化すククリ。

 うるさい、と目を冷ややかに細めるソフィー。イリスは厩舎室を一望し、落胆した。


「私とアスカ、ソフィーにククリ。……たった、たったの4人か」


 付け加えるならばククリの土竜(アークリア)ブージ、アスカの水竜(ミスティ)アキレウスを加えて4人と2匹。

 あまりに少ない生存者に、イリスも悲観を禁じ得ない。これだけの人数で何をしろというのか。


「5人ですわ!」


「アスカ」


「セラミーを勘定に入れ忘れてますわよ!」


 そう主張するアスカだが、イリスはもうセラミーのことを絶望視していた。


「アスカ。あの場にバールがいたということは、セラミーは……」


「捕らえられているかもしれませんわ! あの男にとっては一応身内ですもの!」


「そうだったとして、この面子で助けに行くわけにもいくまい。それにセラミーは裏切り者だ。お前はセラミーを信用出来るのか?」


「出来ますわ、してみせますわ!」


「それはそれは高潔なことだ。だが私は信じない。お前一人で信じていろ」


 アスカはイリスを睨む。

 アスカとて理解している。セラミーを信じてはいけないことを、もしもの時そのツケを払うのが自分だけではないことを。

 頭では、理解している。


「冷たい人ですわ。もっと、何かありませんの?」


「裏切り者が、更に裏切ったというだけだ。セラミーは自分の人生の負債を命を賭して帳消しにしただけ、それだけだ」


 マイナスに転じたのを、再びプラスして0に戻っただけ。

 どうせ裏切るならば、遠すぎる橋作戦が始まる前に軍部に伝えれば良かったのだ。そうすれば、土の国(アーヴェルア)は物量で第四騎士団(メルオン・パル)を押し潰した末に補佐役という重要人物を捕虜にすら出来たかもしれない。

 セラミーは最後まで迷い、迷った挙句に裏切った。その最後の1ピースは、結局は情であった。

 決断のトリガーを引くのは、何時だって自分ではなく他人なのだ。


「もし……セラミーが生きていても、貴女は受け入れることはありませんの?」


「いや、受け入れる」


 あっさりとアスカの予想を覆す回答をするイリス。


「この状況だ。あまりに人手が足りない、味方をしてくれるなら猫でもなんでもこき使わせてもらうさ。全てが終わってセラミーが軍事裁判所に立つことになれば、法廷で彼女の減刑を訴えても構わない」


 無論、裏切らぬように呪いでもかけるつもりであったが。

 それでも、その場で切り捨てるような真似をするつもりはなかった。


「……(わたくし)は」


 アスカは震えた声で呟く。


(わたくし)は、セラミーのことが好きですわ。あの人が罪人でも、生きてほしいですわ」


「断っておくが、別に私もセラミーのことは嫌いではないからな」


 ただ、とイリスは続ける。


「私だったなら、美化も下卑もされたくはない。セラミーが命懸けで何かを成そうというのなら、ひたすらに客観的に評価するだけ」


 ―――それが弔いというものだろう。

 イリスも、そう言葉を続けることには流石に躊躇った。


「イリス」


「ん、どうしたソフ、っと」


 魔女のマントを被せられ、自分がほぼ全裸であることを今更ながら思い出すイリス。

 男子たるククリの前で堂々と肌を晒してしまっていたが、見られて減るものでもないかと気にしないことにする。


「感謝する、ソフィー。さて、辛気臭い顔を突き合わせている場合ではないな」


 バールの予想に反し、イリスはこの部屋で籠城などする気は全くなかった。


「海に降りるぞ」


「君頭おかしいよ!?」


 イリスの提案を真っ先に否定したのはククリであった。だがそれも当然、外は大時化である。


「無理だよ、無茶だよ! いいかい冬の海っていうのはあっという間に体力を奪うんだ! それに船は幽霊海峡(ウーディン・ストーク)に突入している! ここはもう人間世界ではないんだ!」


 無駄に叫んでばかりのククリだが、その反対意見自体は間違ったものではない。

 冬の海の水温は氷点下まで下がる。大気の温度が氷点下になったところで人間はある程度ならば耐えられるが、水と空気では熱の交換効率が段違いだ。

 人体の表面という表面から熱を奪い、数分で死に至らしめる。それが冬の海というものだった。


「大丈夫、シロは何度も落ちているがケロっとしている」


「そんなナマモノと一緒にしないでくれ!」


「冗談だ」


 しれっと告げて、イリスは先のソフィーが騎士ごとぶち抜いた壁の穴から海を見下ろす。


「船を作るんだ」


「船ってあーた、無茶いうのう。そんな資材も時間もあらへんで?」


 ソフィーの頭に乗ったシロが指摘する。この荒波を耐えられる船を即興で作るなど、あまりに無茶な話であった。

 だがイリスには宛があった。この海のど真ん中で、大量に手に入れられる資材が一つだけあった。


「飲み物に入れた氷が浮かぶのって、よく考えると不思議な現象だと思わないか?」




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