アスカ・ロウ・トラクトスリア2
スヴェル・クレンゲル。清奏派の最高指導者たる彼女が何故ファルシオンにいるか、それを明らかにするにはおよそ丸一日前にまで遡る必要がある。
地下都市ミソル・アメン中央の大教会。アーレイを軟禁するその一室に、スヴェルは今日もまた訪れていた。
「だから私、イリスに指摘したんです。『それは男物ですよ』って」
「あははっ、言っちゃうんだ! はは、だって、外にいるのに!」
「そうですよね、でもそれが……イリスはこう答えたんです。『今朝のパンは固めでした』と」
「ええっ! 猫の話だったよね?」
「それが、イリスはこれが馬車の話だと思っていたらしくて」
「面白い人なのね、イリスさんって!」
年頃の女子特有の、頭の痛くなるような会話。
アーレイの個室にて、少女達は談笑を続けていた。
「それで? どうやってそのピンチを乗り切ったの?」
「まあまあ、焦ってはいけません。ここからが面白いのですから」
興味津々といった様子のスヴェルを、アーレイが宥める。
長年寮暮らしをしてきたアーレイは、お姫様という割にはコミニケーション能力が高い。
対してスヴェルは求めるばかりであり、アーレイが柔軟に会話を誘導することでなんとか流れを円滑にしていた。
「スヴェル様、お茶を用意しました」
「ありがとう、そこに置いておいて下さい」
兵士が給仕が如く、紅茶を配膳する。
アーレイはその人物が練度の高い騎士であることを見抜いた。
「意外と普通の人達なのですね、清奏派って」
見た限り、訓練の度合いも自分達と変わらない。
アーレイはこれが正規軍同士の戦争であることを、強く感じるのであった。
「それはそうだよ、みんないい人達だよ?」
「普通であることは善人であることではありません」
「むっ」
ぴしゃりと言い放つアーレイに、スヴェルは解りやすく遺憾の意を漏らした。
「善人よ。勿論色んな人がいるわ、嫌な人や気難しい人だっている。でも、悪い人なんていない」
「断言しますね」
「ずっと一緒に生活してきたんだもの」
そう言って、誇らしげに胸を張るスヴェル。
肉親のいないスヴェルにとって、家族は周囲の人々を指していた。
スヴェルは文字通り、ずっと彼らを見てきたのだ。時に叱られ、時に愛され、共に生きていた。
そんな彼らは平等に、スヴェルを敬い慕ってきた。だからこそスヴェルは確信していた、家族達の潔癖を。
「だから信じられる、と?」
「そう。私は信じる、みんなのことを」
「ファルシオンの視察は認められていないのに?」
「それは……えっ?」
ぴしゃりと指摘され狼狽えるも、すぐにアーレイの知らないはずの情報であることに気付く。
「なんで視察させてもらえないことを知っているの?」
「さて、なんででしょうね?」
知りなどしなかった。ただのカマかけである。
「むう」
ぷくぅ、と頬を膨らませるスヴェル。
事態に対する彼女の能天気さに頭痛を覚えつつも、アーレイは突き崩すべく追い打ちをかける。
「スヴェル、お姉ちゃんからのお願いです。なんとかファルシオンの様子を直接確認してもらえませんか?」
「それは……みんなを疑えってこと?」
「私だって信じたい。妹の大切な人達が、悪人じゃないってことを。スヴェルが直接確認したのなら、私も安心してここにいられる」
きゅっ、っと胸の上で拳を握るアーレイ。
「ずっと不安なんです。あの後どうなったのか、この後どうなるのか。私が安心する為なので、ね?」
「……わかったわ、アイギスお姉ちゃん。なんとかしてみる」
僅かな疑心と姉のお願いという使命感に燃えるスヴェル。善は急げと、話を切り上げスヴェルは退室する。
妹が去った扉をしばし見つめ、アーレイは小さく笑った。根気よく信頼を勝ち取った成果が出たことによる笑みである。
「騎士と並び立つには、お姫様ではいられません」
呟き、アーレイは部屋の窓を封じる鉄格子へと近付く。
囚われの姫君と呼ぶには、彼女は少々すれすぎていた。
「なぜ私が、ファルシオンにいってはならないのですか?」
「奴らは野蛮な異教徒達。言葉など通じません」
「そのようなことはありません。きっと話し合えば解り合えるはずです」
ファルシオンを制圧する部隊との連絡を行う士官。のらりくらりとスヴェルの詰問をかわす彼に、彼女は焦れていく。
今までならば「そういうのなら大丈夫なのだろう」と納得していた。或いは納得出来ずとも、信じることを選べた。
しかしアーレイの揺さぶりにより、スヴェルの心境には変化が生じていた。
「そもそも、本当にファルシオンを占領する必要があったのですか?」
「それは―――」
作戦における軍事力の行使。この点においては、スヴェルは元々疑問を抱いていた。
承認こそしたものの、ずっと納得しきれない部分だったのだ。
「地上拠点が必要だった、それは聞いています。ですがそれだけですか? 地上で何かしているのではないのですか?」
「何かとは? スヴェル様は、何を仰りたいのですか?」
困惑してみせる士官。スヴェルにはそれが、どこか演技染みて見えた。
「スヴェル様。お言葉ですが、今も前線では多くの将兵が命懸けで戦っております。その者達の不義理をお疑いになるのは、その……あんまりです」
「その、それは……」
スヴェルは正しく温室育ちであった。人が人をどう苦しめるのか、そもそも理解できていなかった。
彼女の中の暴力とは、せいぜい子供同士の喧嘩レベルなのだ。
「無意味に勇敢な将兵を貶めるのはやめていただきたい」
「やはり、許可は出せませんか」
「お引き取り下さい、スヴェル様」
取り付く島のない態度に、スヴェルは鼻白んだ。
スヴェルの有する軍部への伝手は、すべからく上記と同様の対応に終始した。
スクトゥム将軍へのホットラインから、妙に情報通なことで知られる末端の兵士まで。例外なく『問題はない』という返答を繰り返すのだ。
まるで、そうするように予めマニュアルが用意されているかのように。
「みんなは、本当に何かを隠しているのかな……?」
スヴェルは相談すべき相手も判らず、結局アーレイの部屋へと戻ってきていた。
アーレイとしては予想の範疇である結果。当然、次手も考えている。
「ファルシオン制圧を行っているのは清奏海上軍という組織でしたよね?」
「うん。清奏海上軍は主に地上軍だから、町の占領とかはこっちじゃないと出来ないの」
対となる航空戦力主体の清奏騎士団は、その組織形式故に遊撃戦や支援戦は得意であっても、長期の地上支配などは不得手である。単純に数が清奏海上軍より少ない上に、地上戦闘訓練に重きを置いていないのだ。
スヴェルが主にコンタクトを図ったのは、清奏海上軍の将兵士官であった。
「清奏騎士団の人に頼むのはどうでしょう」
「えっ? でも、清奏騎士団の管轄はまったく別よ?」
「視点が違うからこそ、また別のものが見えているかもしれません。スヴェルの意を尊重してくれる可能性はあります」
あえて清奏騎士団のことを悪くいうことはしない。
アーレイは狡猾であった。このような組織が複数存在する場合、どうしても対立が発生することを理解していたのだ。
スヴェルの言葉からはそんな様子は窺えない。当然である、最高指導者にそのような醜態を晒すはずがない。
だからこそ、そこに付け入る隙があるとアーレイは考えた。
「清奏騎士団……うん、そうだね。こっちには私が一番信頼している人もいるし、ちょっと相談してみるわ!」
アーレイは「しめしめ」という擬音が漏れないように、努めて殊勝に首肯した。
清奏海上軍に何らかのスキャンダルがあれば、それは清奏騎士団の利と成り得る。故に、この軍はスヴェルの提案に肯定的に示しうると予想したのだ。
その時、ドアがノックされる。
何時ものお茶を運ぶ給仕かと予想するも、すぐに覆される。
「スヴェル様。お久しぶりでございます、定期連絡に参りました」
「あ、ちょうどいいところに!」
スヴェルは声色だけで誰かを判断し、喜色を浮かべる。
跳ねるように扉を開けると、廊下に立っていたのは長身の仮面を付けた男性であった。
「貴方―――」
「ねえ、私、ファルシオンを見たいの! なんとか出来ないかしら?」
「唐突ですね。ご視察となれば、相応の準備が必要です」
「お忍びでいいの! 貴方のドラゴンに乗って、行って帰ってくるだけでいいから」
その無防備な口調から、スヴェルがどれだけ男性を信頼しているかは見て取れる。
しかしアーレイは一目見た時点で、その男に警戒を最大限向け続けていた。
「しかし、私はすぐに作戦指揮に戻らねばなりません」
「お願い! ねっ? ねっ? ねー?」
男性はやれやれ、と肩を竦める。
それは彼が姫の我儘に降参する、といういつもの合図であった。スヴェルは結局は要望に応えてくれる彼に頼って正解であったと喜び、思い出したようにアーレイに振り返る。
「あ、紹介するねお姉ちゃん! この人は私の補佐役で、清奏騎士団団長の―――」
スヴェルが男性、補佐役の名を口にし、補佐役は仮面を外しつつ恭しく頭を下げる。
アーレイは直感した。この男は、あらゆる意味で自分の敵であることを。
そして、補佐役の手引きによってスヴェルのファルシオン訪問は果たされる。
制圧こそすれ、非戦闘員には決して手を出しはしない。統治者が変わっただけで、住人の生活と安全は保証されている。
それらが全て欺瞞であることは、足を踏み入れてすぐに明らかとなった。
「私が、私がしっかりとしていれば……」
「…………。」
治療を受けるアスカとアロン。彼女達に付き添うスヴェル。
和解もあり得るように見える平和的な光景だが、その実アスカは今まで以上に困惑していた。
「……狂ってますわ」
スヴェルは救済措置として、囚われていた女性達の扱いの変更を命じた。
女性達が入れられたのは、老人や子供が閉じ込められていた区画―――通称『飼育小屋』。
飼育し崇められている黒竜の餌、それが新たな彼らの役割である。
「同じ女性として、このような扱いは見過ごせません。正しい方法によって救済することこそ、彼女達への真の謝罪となるでしょう」
そう自愛の笑みで告げるスヴェルに、アスカは恐怖した。
「使者様。どうか、この哀れな迷い子をお救い下さい」
「いやっ、いや、あぎゃあっ」
また一人、黒竜に啄まれ四肢が泣き別れる。
「使途の旅団に安泰が訪れんことを。人の未来が白く染め抜かれんことを」
こうして、スヴェルにとってはこの問題は解決済みとなった。




