船上生活3
船と猫は昔から密接な存在であり続けた。
貨物物資はおろか船自体をも食らうネズミを捕らえ、しかもぐんにゃりしている。
狭くストレスの溜まりやすい船内生活において心を癒し、しかもぐんにゃりしている。
世話の手間もさほどかからず、しかもしかもぐんにゃりしている。
「益獣なんやで? ほれほれ、ラブリーマスコットやで?」
「はいはい、ちょっと忙しいので話しかけないで下さい」
イリスは自室区画にて机にかじり付き、製図作業に勤しんでいた。
基本貧乏性のイリスは、船内生活において時間を無為に過ごすつもりはなかった。
甲板を走り込み、アキレウスとの慣熟訓練を行い、アキレウスに頼み真水を生成してもらいシャワーで汗を流し。
そして休息の合間にも、今後必要となるかもしれない道具や装備を書き出していく。
「今日はあのお嬢様おらへんのやな」
「医務室に行っているそうです」
「あの日か?」
「色々最低ですね貴方」
机上ながらも試行錯誤を繰り返し、図面は完成へと近付いていく。
「よし、出来た」
「なんやそれ?」
シロが覗き込む。
イリスは自信満々に設計図を開示した。
「針のいらないホッチキスです」
「この戦いと関係ないやんけ!」
びしっ、と手を突き出すシロ。
「何をいうのです。この発明を軍資金に、新たな装備を開発出来るかもしれないではありませんか」
「やっぱこの戦いと関係ないやんけ……」
ぐんにゃりとハンモックの上で捻れるシロ。
毛がついてはたまらないと、寝台上の軟体生物を持ち上げ、丸窓から海に放り捨てる。
「なにすんじゃワレー!」
カーテンの隙間から怒髪天を衝く形相のシロが再入室してきた。
「いいじゃないですかギャグ補正で死なないんですし」
「ギャグ補正も大変なんやで! 見えないところでワイも頑張っとるんや!」
「その努力に報いる為にも、これからも雑に扱います」
「うれしーのー涙ちょちょきれるでぇー!」
イリスはもう一度シロを運び、窓から捨てる。
そして即座にカーテンを安全ピンで封鎖して出入りを封じた。
「えーかげんにせーや!」
「貴方、偏在してません?」
狸型ロボットよろしく、机の引き出しから飛び出すシロ。
「ああもう鬱陶しい、船猫なら船猫らしく鼠でも掃討してて下さい」
「とうに殲滅済みや」
有能であった。
「でも別のもんを捕まえたで」
「ライ麦畑ですか?」
「これや」
猫は鼠や小鳥の死骸を飼い主に運んでくることがある。
その意図はともかく、運搬方法は大抵一つだ。
口に咥えての運搬。そしてそれは、シロも同様であった。
「おげー!」
「汚い」
口から粘液状のものを吐き出すシロ。
床に落ちたのは、アメリカのケーキのような極彩色のドロドロした物体であった。
「貴方の嘔吐物、凄い色ですね」
「スライムや。船に入り込んでたんやで」
「ああもう、せめてバケツに吐きなさい」
いそいそとスライムの残骸を片付けるイリス。
ふと思い立ち、格納魔法からガラス片を取り出しスライムの一部を掬う。
残骸を窓から捨て、ついでにシロも窓から捨て、イリスは机の椅子に戻る。
「船からスライムを捨てるべからず、って聞いたことあるけどええんか?」
「初耳です。きっと女を乗せるべからず、って程度の迷信でしょう」
「つーかそのスライムの一部、それどうするんや?」
「ちょっと気になりまして」
ガラス棒を魔法の炎で熱し、飴のように引き延ばして切る。
細くなったガラスの先端を更に熱し、丸く形作る。
穴を空けた紙に先端が丸くなったガラス棒を挟み、極めて簡単ながら完成したのは顕微鏡であった。
「なんやその……なんやそれ?」
「小さな物を観察する道具です。昔作り方を学びました、理科の授業でしたっけ」
単眼式で倍率も100倍から200倍以上の、れっきとした顕微鏡である。
原始的ながら、多くの発見をもたらした大発明なのだ。
ガラス片改めプレパラート上のスライムを、顕微鏡越しに目をギリギリまで近づけて観察する。
「……生きています」
スライムの細胞は死んでいなかった。
微かに動き、それぞれが独立して活動する細胞。
中には植物のような形状となった細胞もある。
「薄々気付いてましたけど、スライムって菌の群体なのですね」
「つまり……どういうことや!?」
「……どういうことなのでしょう?」
生物学者でもないイリスにとって、どうしようもない知識であった。
飽きたイリスはスライムのサンプルとシロを窓から海中投棄し、実験終了となった。
イリスは時々厨房に立つ。
大抵が必要に迫られてだが、場合によっては趣味嗜好の為に時間を割く。
「なまじ食事に関して、前世が豊かすぎました」
船内調理室にて、茹でた芋をひたすら潰すイリス。
「甘い、甘ったるい……吐き気がしそうですわ……」
その隣では、何故かふらりと現れて手伝いを申し出たアスカがヤケクソ気味に大鍋をぐわんぐわんかき回している。
趣味の範疇であった為に小鍋で自分の必要量だけ作るつもりであったイリスだが、「そんなことでスペース使うな。作るなら全員分作れ」という主計長の睨みに屈服し大量生産している次第である。
「男でも甘い物は好きなのです。男性は甘い物が苦手、なんて迷信です」
「君、女の子じゃない」
隣で別の調理をしていたメイドがツッコミを入れた。
大鍋の中身は透明なシロップ。カラメルにならないように慎重に火を通し、柑橘系の果汁で風味を付ける。
「こんな感じでいいんですの?」
「味の具合はお任せします。別に私の舌が特別優れているわけでもないので」
イリスの担当は具であった。貴重な白玉粉を大量には使えないので、沢山ある芋で代用する。
茹でた数十個の芋をひたすら潰し、少々の塩、そして片栗粉をバサバサと放り込んで再び捏ねる。
「重労働です」
「厨房は戦場よ」
イリスの愚痴に、無駄に精悍な表情で呟くメイドさん。その横顔はさながら歴戦の老兵。
気分で料理を始めたことを後悔し始めたイリスであった。
「アスカまで付き合わなくても良かったのですよ?」
「私の勝手ですわ」
のし棒で生地を平らに伸ばし、剣のように巨大な包丁で一口サイズに切っていく。もう色々適当である。
カットした生地を作業的に再び茹で、火が通り浮いてきたものから回収していく。
器に魔法で冷やしたシロップと賽の目状の芋団子をよそえば、代用汁粉の出来上がり。
「もう原型ありませんね」
かつて小豆がないのでシロップで代用した汁粉の話を聞いたことありそれを再現したのだが、団子まで代用したことで完全に別料理と化していた。
冷たいシロップできらきらと煌めく芋団子。スプーンで一口食せば、芋の微かな風味と甘い爽やかさが鼻を抜ける。
「まあ汁粉なんて料理、この世界にはありませんし。これでいいでしょう」
「あら美味しい」
舌の肥えているであろうアスカにとっても、悪くない出来であった。
つるりとした喉越しと冷たさが軽く、本能的に次の一口を求めてしまうようなシロップの甘みもまた更なる食欲をそそる。
趣味以上の調理の大変さに挫けそうになりつつも、それなりにいい出来となった汁粉に満足しつつイリスは食堂へと移動する。
船内での当直は6時間ごとに3チームで交代する方式であり、イリスの食事時間はまだ先だ。よって彼女はあくまでおやつとして汁粉を味わうこととなった。
「さて、どの席に座りましょうか……おや」
数名で食事をするメイドさんを発見し、せっかくだからと近付く。
イリスの船内での普段着と化したコスプレメイドではなく、様々な雑用をこなす本物のメイドである。
「ここ、いいですか?」
「あ、はい、どうぞ」
メイド達は驚きつつも、イリスとアスカを招き入れた。
イリスは時々手伝うことはあれど、あくまで騎士なのでメイドの仕事をするわけではない。
メイド達にとってイリス達は何故かメイド服を着ているだけの謎の人物なのだ。
「ちゃんとお話する機会もなかったなと思いまして。あの、皆さんはどうしてこの船に? そもそも本職の方なのですか?」
「本職って……変な言い方をしないで下さいませ」
眼鏡をかけた年長のメイドがイリスの言いように呆れる。
「かつてはファルシオンで働いておりました」
「え、そう、なのですか」
若干動揺し、それを咄嗟に押し隠す。
聞いてはいけないことだった、とイリスは軽率な質問を後悔した。
メイドはそんな機微に気付きつつも、構わず打ち明ける。
「本職のメイドは私だけです。他の娘は普通の子ですよ」
「私は商人の娘だよー」
「あたしの父は役人なの」
「違法ギャンブルの元締めよ」
「今完全ブラックな人いましたよね!?」
それぞれに自己紹介をするメイド達。
彼女達の身内の職種が、町を行き来しうるものであることにイリスは気付く。
「あの日、皆さんはファルシオンにいなかったのですか?」
「はい。私はあの日、領主様の付き添いとして別の場所にいて難を逃れました」
年長のメイド長はともかく、他のメイド達は皆年若い。
全員、親に同行した結果ファルシオンの悲劇から逃れたのだ。
同時に、大人のしがらみがないからこそこの作戦への参加が許されたともいえる。
果たさねばならない強い動機があり、国家としては死んでも構わない人間。とはいえ、彼女達は全て同意の上でこの船に乗り込んでいる。
「我々は生まれも育ちもファルシオン。多くのものを、いえ、全てをあの地に残してきたのです」
「だから、この作戦に参加を」
メイド達は頷く。
その瞳には、一様に強い決意が宿っていた。
「あの生活を取り戻す為になら、敵に身を晒す覚悟なのです。―――故郷を取り戻す力添えが出来るなら、片道切符でも構いません」
メイド長の言葉を、イリスは悲しむ。
やはり、イリスの根は自衛官であった。
食堂の一画に重い空気が満ちる。
しかし、メイドの一人がすぐに根を上げて話題を変えるべくイリスのおやつに注目した。
「ところで君、美味しそうなものを食べてるね!」
「いえいえ、料理人の偉大さを痛感する次第です」
「一口ちょーだい」
「全員分ありますよ」
「そなの? ちょっと私持ってくるね!」
メイドの一人がそそくさと机全員分の汁粉を配膳し、それぞれに評価する。
「あはは、雑だねー」
「味は悪くありませんわ」
「不味い。もう一杯」
「はは、恐縮です」
苦笑しつつ、でも若干誉められて喜ぶイリスであった。
「というわけで、生物学の専門家としてはどう思いますか?」
「唐突ねぇ」
セラミーに会いに行く、と話すアスカ。
イリスはスライムについての見解を専門家に訊ねることを思い付き、彼女に同行し医務室へと足を運んでいた。
「私は学者じゃなくて医者よぉ?」
溜息を吐くセラミー。完全に無茶振りでしかなかった。
イリスとしても、専門外であることは重々承知している。有益な情報が得られる期待などしていなかった。
そもそも、スライムの生態など知り得たところで益などどこにもないのだが。
「そうねぇ……私も詳しくはないのだけれど、動物と魔獣の違いについては知ってるかしらぁ?」
くねくねとしなを作りつつ、セラミーは問う。
「動物っぽいのが動物です。魔物っぽいのが魔獣です」
「違うわぁ」
「貴女、結構脳筋ですわよね」
セラミーに即座に否定され、アスカには呆れられる。
「いいか嬢ちゃん、マホーを使えんのが動物や。そんでマホーを使えんのが魔獣やで」
シロがどや顔で解説する。
「貴女の訛りが強くて、どっちがどっちだか判りませんわ」
「しかも結局間違いだしぃ」
だがしかし、シロも不正解であった。
「その定義では、人間も魔獣ということになりますよ。ほんと無能な畜生ですね」
「不正解の先人たるイリスやんが、どうしてそんなに偉そうなんや」
「動物と魔獣の違いはねぇ、生物として魔力が組み込まれているか否か、なのよぉ」
どうにも理解しきれていない様子のイリスに、セラミーは更に解説する。
「魔力を空間から枯渇させる結界ってあるじゃない?」
「ありますね」
魔封じの結界と呼ばれるものがある。対象が魔法使いかどうかなど外見からは判断出来ないので、牢屋などには必ず張られている結界だ。
「あと、大きな魔法を使ったりしても魔力枯渇しますね」
「あの空間にしばらく置いといたら、魔獣は死んじゃうのよぉ。密閉容器に閉じこめられた人間がやがて窒息するみたいにねぇ」
なるほど、とイリスは得心した。
魔獣は魔力なくして生きられない、魔力を生体に組み込んだ生物なのだ。
「その代わりぃ、魔獣は時に物理法則を無視した特性を持つわぁ」
「物理法則を無視、とはつまり魔法を使えるという意味で?」
「そんなの普通の動物だって使えるわよぉ」
人間以外の動物は知能が低くて使えないけどぉ、とセラミーは補足する。
「無視っていうのは、文字通りの意味よー。例えば遠く離れた仲間と会話したりぃ、手足が胴体から離れて浮遊している魔獣だっているわぁ。シャドーアーマーだってそうじゃなーい?」
シャドーアーマーとは文字通り、人型の鎧の魔獣だ。
どう見ても生物ならざる存在だが、その生物としての原理は魔力を組み込んでこそ成立する。
「では、微生物の菌とスライムはどのような差が?」
「知らないわよぉ、私ってば医者だものぉ」
がくりと崩れ落ちるイリス。結局徒労であった。
「セラミー、終わりましたわ」
「どれどれ、どうかしらぁ」
アスカが満足げな表情でセラミーに紙を渡す。
紙面に目を通し、セラミーはふーむと唸った。
「なんですか、それ」
不躾だと知りつつも、イリスはセラミーの持つ紙を覗いた。
「テスト?」
それは答案用紙であった。セラミーの書いた問題と、アスカの解答が数十行に渡って羅列されている。
専門用語が並ぶ問答は、医学関連であることはイリスにもすぐ気付く。
「全問正解よ。やるじゃなぁい」
「当然ですわ。この程度、余裕ですわ」
「昨日夜遅くまで読んでいた本は医学書だったのですね」
「水面下での努力を即座にバラすスタイル乙やでぇ」
アスカ船に乗り込んで以来、セラミーに医学を教わっていた。
セラミーは戦闘が起こらない限りは時間に余裕がある。とはいえ対価も要求せず余暇を消費して教えているあたり、セラミーはアスカを気に入っているらしい。
「どうなのでしょう、実践に出せるレベルに達しましたか?」
前線とはいわずとも、後方支援が増えることは望ましい。治癒術師は貴重なのだ。
しかしセラミーは首を横に振る。
「私が戦死したらそうねぇ、代わってもらおうかしらー」
「無理ですか」
「経験不足よぉ。座学は優秀だけれど、それにしたってまだ基礎段階だしぃ」
実技は百年早い、ということであった。
当然である。付け焼き刃の素人が、どれだけ座学でいい成績を残そうと実際の治療を行えるはずがない。
「まあ、いざとなれば軽傷の治療くらいなら任せるけどね」
「……セラミー! 次は何を勉強すればいいんですの!?」
セラミーの率直な評価は、アスカの負けず嫌いっぷりを刺激した。
イリスはアスカが医学の勉強を現実逃避であると称したことを忘れてはいない。しかし、本当にそれだけなのかとも疑問に思っている。
医学書を齧るように読むアスカ。その真摯な横顔を、イリスは守ろうと誓う。
彼女は自らの意思で船に乗り込んだ。だが、それでもイリスにとっては民間人なのだ。
民間人は守るもの。その考えが揺らぐことはない。
なにせ―――
「私は、ラウンドナイトなのですから」
翌朝。
「我が国の料理は、朝食だけは本当に美味しいですわ」
「そうですか? 私としては、まだ改善の余地があると思いますが」
食堂にて、向かい合わせで朝食に勤しむイリスとアスカ。同室ともなれば、必然的に生活リズムは同調してくる。
そんな何度目かの朝に、今回は第三者がいた。
「やあイリス君……おはよう」
「おはようございます、バール」
バールの挨拶に頭を上げる。
彼はイリスの向かい側、アスカの隣に座った。
「イリス君は美食家だね、今度君の手料理が食べたいなアハハ……」
「……どうしたのですかバール?」
いつも無駄に威勢のいい騎士団長バールが疲れ切っていることに、イリスは不信げな視線を向けた。
アスカは無言で席を立ち、イリスの隣へと移動した。
「いや、実はだね」
バールは語った。
イリスが暢気に眠る間に、この船を襲った悲劇を。
「スライムだ」
「スライム?」
「船底にスライムが繁殖していたんだ。おかげで昨晩はスライムが食い破った船底の修理で徹夜だったよ」
「へ、へえ……スライム程度で穴が開いてしまうのですね」
イリスの頬に汗が流れた。
スライムはシロが駆逐したはず。そうではないなら、それはシロの怠慢でありイリスに責任はない。
そう咄嗟に自身に言い聞かすものの、バールの言葉は無意識にイリスを糾弾する。
「内側には結界術式が張られているのだが、何故か船体の外側に付着していたんだ。海水ではスライムは長時間生きられないから、きっと船内に潜んでいたスライムがどうやってか外に貼り付いたのだろう」
「そそそそ、そんなこともあるもんなんですねぇ。いやぁ運がない」
「まったくだ。前途多難だよ、まったく」
「……なんですの、その変な反応?」
訝しむアスカに、イリスの挙動不審に気付かずウトウト食事をするバール。
イリスは終始視線を逸らし続けた。




