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軽銀のドラグーン  作者: 蛍蛍
2章
48/85

船上生活1


 メイド服。

 黒のワンピースに白なエプロンが栄える、シンプルながら愛らしいデザインの仕事着である。

 元はといえば作業着というより制服としての意味合いが強く、しかしながら丈夫な生地と動きやすさに配慮した縫製は労働において行動を阻害することはない。

 とはいえ、当然船内での活動に適した服装ではなく。


「ましてや、どうして私が酒場で着たメイド服が船に積み込まれていたのでしょうか……」


 明らかに他の人が着れないであろう、子供服サイズのメイド服が、である。

 不動の鉄城(アルク=アンシム)の船員が一人となったイリス。彼女に用意された服は、イリルムの酒場にて着用したメイド服であった。







 唐突だが、イリスは実は船についてもある程度知識がある。というより、応用することが出来る。

 空気と水。まったく異なるようで、両者の性質はある程度共通している。粘度や質量が大きく異なるが、方向性は同質なのだ。

 船舶用のスクリューと航空機用のプロペラは同様の原理であるし、飛行船も海上船も浮力で浮かぶ。

 ようは、船とは軽航空機の一種なのだ。


「……というのは、流石に暴論ですね。やはり勝手が違う」


 イリスは割り当てられた船底の一画にて、机にかじり付き一枚の設計図を仕上げた。

 この世界における動力船が外輪方式であることを知り、今後に備えてスクリューの設計を試みたのだ。


「飛行機一筋の私でも、抗力を要いる外輪より揚力を要いるスクリューの方が効率がいいことは知っています」


 イリスは航空機用プロペラの設計なら可能である。そして、船のスクリューも厳密にはプロぺラである。

 ならばいける、そんな自惚れはやはり打ち砕かれたのであった。


「将来的には実用化も可能でしょうけれど、試行錯誤は必要ですね。何より需要がない」


 無論、本当の試行錯誤であった地球の黎明期よりはずっと上出来であろう。流体力学の知識と、写真などで度々見たうろ覚えの形状……文字通りの青写真から再現されたスクリューは初期の物としては充分に実用品の域に達している。

 しかしながら、やはり需要がないのは致命的であった。この航海はあくまで特別任務でしかなく、海すら奪われかけているこの世界の現状においてイリスの設計した高効率スクリューは持ち腐れでしかないのだ。

 つまるところ、今スクリュー船の実用化に関して出来ることなどない。


「無駄な時間を過ごしました」


 設計図を格納魔法に放り入れ、大きく伸びをする。


「終わりましたの?」


 相部屋の少女が、ふわぁと何故か気品を醸す所作で欠伸をした。


「むしろ終わりそうな気配がありません」


「奥が深いのですのね」


「技術発展の果てに、未だ研究され続ける分野ですから」


 スクリューの開発は現代の地球においても、軍事機密級の最先端技術である。門外漢のイリスが気軽に手を出していい分野ではなかった。

 振り向くと、そこには退屈そうハンモックに腰掛けるアスカ。

 狭い船内において個室を与えられるのは本来士官のみであり、未だに木造船を運用するこの国ではその傾向は特に顕著だ。

 当然イリスも例外ではなく、ルームメイトは前述の通りアスカが割り当てられていた。

 否、それは部屋と呼べるほど上等なものではなかった。船の乗員達が身を休めるべく用意されたのは粗末な布質のカーテンで仕切られた、ハンモックが吊るされた狭い空間であった。

 防音などほとんど期待できない間仕切り。プライバシーの欠片もない生活空間は、二人部屋に慣れたイリスにとって意外にも新鮮なものではあった。

 ちなみにソフィーは個室が与えられたらしい。追加人員である為にイリスとアスカが纏められたのは理解できるが、何故まだ余裕のあるこの部屋で3人部屋とならずにソフィーだけ別枠となったのか、イリスは少しだけ疑問を覚えていた。


爛舞騎士(ラウンドナイト)が揃えば反発する、とでも思われたのでしょうか」


「そろそろ頼まれていたお仕事の時間ですわよ」


「もうそんな時間ですか? すぐに用意します」


 急かされ、慌てて筆記用具を片す。

 彼女達は雑務を請け負っていた。働かざる者食うべからずというわけではないが、船内で英気を養うにも限度がある。貧乏性のイリスとしては、何かしら意味のある労働をしていたかったのだ。


「勤労精神に欠けてませんこと?」


「貴女も変わったお嬢様ですね」


 イリスとは違い、アスカは義務として労働を課せられている。この船にタダで人を乗せる余裕もなければ、そもそも客船ではない。

 しかしイリスから見た限り、アスカは労働が存外嫌いではないらしい。お嬢様然とした立ち振舞いとは裏腹に、胆力がある少女であった。


「目的があってのことですわ」


「目的?」


「べべべ、別に貴女と一緒にいたいわけではありませんわ!」


「なら別行動しましょう」


「いけずな人ですわ」


 どうやらアスカはどうやっても、イリスに着いてくる様子であった。




 船とは巨大な乗り物である。例え小型船であっても、その居住性は計器の棺桶と称される戦闘機コックピットとは雲泥の差だ。

 不動の鉄城(アルク=アンシム)の全長は精々100メートル、お世辞にも大きな船ではない。しかしそれは地球基準の大型船と比較した場合。

 イリスが初めて乗る船は空から見た以上に広く、緻密で複雑であった。


「原子力空母を一つの町だと例えることはありますが……不動の鉄城(アルク=アンシム)とて、30階建てのビルが横倒しになって動いているようなものですからね」


 船内は立体な階層構造であり、部屋数は見た目よりずっと多い。物質食料を土竜(アークリア)の格納魔法で管理していることも、船を広く感じさせる一因であろう。

 なんにせよ、今のイリスにとって船が大きなことは恨めしい要因でしかない。甲板は全長全幅に比して広く、イリスの仕事に終わりは見えない。


「そもそも何故、不動の鉄城(アルク=アンシム)なのに甲板が木なのです。全鉄製が聞いて呆れます」


 前評判とは裏腹に、イリスの見た巨船は木材を多用していた。長らく放置されていたからか腐った床板も多く、運用されながら補修されるという無茶が実施されているのだ。

 甲板上で作業しているのはイリスだけではない。同じくメイド服を着込んだ女性が、懸命に床板を擦っている。

 木造甲板の維持が、こんなに大変だとイリスは初めて知った。


「口を動かさず手を動かしなさいな」


 ぴしゃりと注意するのはアスカである。

 意外にも黙々と甲板のワックスがけに勤しむ彼女もまたやはりメイド服。

 仕事を再開しつつ、金髪ポニーテイルはメイド服にも栄えるな、と引き続きアスカを観察する。

 やがてアスカは紅潮しつつ、咎めるようにイリスへ視線を向けた。


「な、なんですの?」


「いえ、船に女性を乗せてもいいのかなと」


「……駄目なんですの?」


 首を傾げるアスカ。

 不動の鉄城(アルク=アンシム)に乗り込む女性はイリスやアスカ、ソフィーとセラミー以外にもいる。細々とした雑務を請け負う為のメイドが乗船しているのだ。

 よって、ボロ布着たきり雀であったアスカが予備のメイド服を着ているのは不思議ではない。子供サイズのイリスに合うメイド服が積み込まれていた理由にはならないが。


「しかし、変な船ですわね。帆がないのに進むなんて」


「外輪船ですから。……蒸気船ではないのですよね」


 初期の動力船に付き物な黒煙を吐く煙突がないことから、イリスは不動の鉄城(アルク=アンシム)の動力に疑問を抱く。

 時間があれば、船内を探索してみよう。イリスはそう予定を立てた。


「……ところで、お訊ねしてもよろしいですか?」


「なんですの?」


「なんで船に乗り込んでいるんですか?」


 イリスはてっきり、アスカは島に残って第三騎士団(ラ・コペル・パル)の誰かによって本国に送り届けられるものと思いこんでいた。しかし彼女は当然のように船に残り、ちゃっかりメイド服を着込んで平然と作業に加わっていたのである。


「話す義理はありませんわ」


「それもそうですね、失礼しました」


 あっさりと興味を失ったイリスは、引き続き床板を擦る。

 アスカは眉を吊り上げ立ち上がった。


「訊きなさいな!」


「面倒な人ですね」


「せっかく表向きの理由を考えましたのにっ!」


 数秒の沈黙。


「は、謀りましたわね、イリス・ブライトウィル!」


「濡れ衣です」


 アスカはこれを誘導尋問と解釈した。


「やはり一筋縄ではいきませんわね、さすがは爛舞騎士(ラウンドナイト)というべきかしら?」


「濡れ衣です」


 アスカはイリスに対して、どうにも色眼鏡で見ているようであった。

 どうしたものかと思案するも、どうでもいいかと考え直す。


「空に関係ありませんしね」


 知らず知らず、イリスは右手を握り締めていた。

 イリスはこのところ、どうにも欲求不満であった。

 この世界にイリスを満足させる航空機など存在しない。ドラゴンは戦闘機の代用品には力不足である。

 イリスというパイロットは戦闘機が好きなのではない。航空機が好きなのだ。

 しかし、空を飛ぶという仕事において、戦闘機はやはり全航空機中最高峰であることは疑いようがない。

 バルドディですら、飛行性能において第4世代戦闘機に劣る。それが現実であった。

 ―――もっとも仮にイリスとバルドディが戦闘機と戦った場合、落とす算段は付けられるのだが。


「どうしましたの? 急に黙りこくって」


「ん、ああいえ。どうにも……手の平の感触とは消えないものですね」


 右手を何度か開閉させる。ボタンが幾つも集中配置された操縦桿の独特の形状は、手に染み着いて離れることはない。

 イリスはアスカと話してなどいなかった。その瞳はいつも空しか見ていなかった。

 多くの人間は、イリスにとって有象無象でしかない。


「手の感触……いやらしい」


「その発想こそどうかと」


 斜め上のアスカの発想にイリスは呆れる。

 そもそも『いやらしい』意味での手の感触に覚えがあるのかよと内心呟き、アスカが性的暴行を受けた形跡があるというセラミーの言葉を思い出す。


「貴女って、いっつも遠くを見ているんですのね」


「視力を落とさない為の心得です」


「他人にそんなに興味が沸きませんこと?」


「興味が沸かない相手のことを、他人と呼ぶのでしょう」


 参りましたわ、とアスカは溜息を吐く。

 そして、提案した。


「イリス・ブライトウィル」


「なんでしょう?」


「特別に、私の下僕にしてあげますわ」


「自主退学します」


「えっ? ……えっ?」


 どうやら懐かれたらしい。それほど好感を得ることをしただろうか、と首を傾げるイリスであった。

 イリスは強引に話題を変えることにする。彼女にはデリケートな話題で火遊びする趣味はなかった。


「ところでお気付きですか?」


「なんですの?」


「私達の上に、ずっとソフィーがいました」


「は?」


 何を言っているんだ、と思いつつも空を仰ぐアスカ。

 途端、ソフィアージュが空から落ちてきた。


「推参」


「呼んではいませんけどね」


「上から落ちてくるなんて、非常識な人ですわ」


「何をいっているのです、美少女は空から落ちてくるものでしょう」


「し、知ってますわそのくらい! 世間知らずだからってバカにしないで下さいませ!」


 軽やかに甲板に降り立ったソフィー。その手には箒が握られている。


「上で何をしていたのですか?」


「シロを探してた」


「いないんですの?」


「まあ猫ですから。近所をふらふらしているんですよ、きっと」


「近所は海よ」


 三人は大海原を眺めた。


「まあ猫ですから。近海をふわふわしているんですよ、きっと」


「土左衛門ですの?」


 かしましく他愛もない会話をする少女達。

 与えられた分の仕事を終えたイリスとアスカは、ソフィーのシロ探しを手伝うことにした。







 船は三層構造となっており、下層は居住区となっている。

 ならば中層上層はといえば、本来ならば地球でいうところのガンデッキであった。

 ガンデッキとは戦列艦側面の、大砲が並んでいる部屋のことだ。魔法戦列艦であったこの船の場合、ここにありったけの魔法使いを乗せて敵船に向けてぶっぱなすのだ。

 今作戦においては輸送艦か強襲揚陸艦としての役割を与えられているが、本来は側面から無数の杖により魔法を叩き込む戦艦であった。

 とはいえ魔法が届くということは、敵からも攻撃を受けかねないことを意味する。戦闘行為の究極的な目標は一方的にダメージを与えてこそであり、損害覚悟で殴り合う戦列艦は時代遅れの兵器であった。

 この航空戦力(ドラグーン)全盛期に、魔法戦列艦など使い道がないのだ。


「要するに魔法使いの変わりにドラゴンを積んだ、急造軽空母みたいなものですね」


 イギリスがかつて行った戦法である。

 イリス達は甲板から最下層まで降り、まず船首からシロの捜索をすることにした。

 下層は居住区であるが、船首など狭く傾斜が大きい、どうしても人が生活するのに適さない場所はある。そんな場所は倉庫として活用されており、雑多な物資が詰め込まれていた。


「大きな船とはいえ、節操のない積み荷です」


 不動の鉄城(アルク=アンシム)の船内に収められていた物は多岐に渡る。

 予備の乾燥保存食、魔法杖、魔法陣の製図道具、金属工作機械、木材及び鉄材、更には4連装対空(フルークアップヴェア)工学輪唱銃(スペルカノン)、果ては2・5寸口径実弾砲(マテリアルカノン)まで。


実弾砲(マテリアルカノン)なんて、艦砲射撃でもするつもりですか?」


「艦砲射撃ってなんですの?」


「文字通り、艦から砲を射撃することですよ」


 艦砲射撃とは戦闘艦からの砲撃全般を指す言葉だが、昨今では船から陸上への火力投射を意味している。

 とはいえこの世界には土竜(アークリア)が存在する。地上へ攻撃したければ、質量爆撃を行えばいい。

 一発あたりの与えられるダメージは爆弾や砲弾より遥かに小さいが、土竜(アークリア)の格納魔法は容量が無制限。よって、投下式の爆弾などはこの世界においてあまり意味をなさない。

 極一部の例外を除いて。


「そもそもこの砲は空対空用ですし」


 空対空用の2・5寸口径程度では焼け石に水なのだが、実弾砲(マテリアルカノン)全般の特徴として魔法より射程が長くアウトレンジからの攻撃に適している。これらを積んだ者の采配は、一概に間違っているとはいえない。


「きっと、船を動かすのが久々だったから……何を積み込めばいいのか判らなかったんじゃない?」


「そんなことってありますの?」


 ソフィーの予想をアスカは冗談だと解釈したが、イリスにはその通りなのだろうと思えた。


 軍隊とはノウハウの集合である。不測の事態ばかり起こる戦場にて、信じられるのは経験則のみ。

 例え装備が残っていようと、それだけで軍隊としての運用は出来ないのだ。


「とはいえ、水竜(ミスティ)専用装備の予備までもが積み込まれていたのは間違いなく幸運でしょう」


「シロ、シロー?」


 名を呼びながら先行するソフィー。お馴染みの魔女っ子ルックが実に歩きにくそうだ、とイリスは思った。

 特につばの広いとんがり帽子は、船内との相性は最悪であろう。何度か引っ掛けて、その度に角度を直している。


「ん?」


 イリスはふと気付いた。

 ソフィーの銀髪に紛れ、太い白毛の棒が帽子の下から垂れていることに。


「エクステというやつですね」


 イリスは気にしないことにした。

 毛の棒はくねくね動いていた。




「さて、居住区は最後尾まで見て回りましたが……シロはいないようですね」


 居住区を一通り見て回ったものの、イリス達はシロと遭遇することはなかった。

 あまり人の寝床を観察するわけにもいかなかった為、3人で名前を呼んで歩いただけである。だが頭がいいシロならば、名を呼ばれて気付かないことはないであろうと予想される。

 無視したパターンは充分に予想されるが。


「なら上?」


 3人は天井を見上げる。

 上層、中層は境界の床板を外され、丸ごとドラゴン用の厩舎に改造されている。


「ソフィー、あの白猫のことは諦めた方が良さそうですわ」


「なむ」


 小動物が歩き回って、長時間生存していられる環境ではなかった。

 早々に諦める飼い主とお嬢様を白い目で見つつ、イリスはタラップを登る。

 薄い扉を開けると、獣臭さが一気に増した。

 騒音の域に達した鳴き声。下手くそなバイオリンのような響きが重なり合い、慣れないアスカは思わず眉を顰める。


「うるさい動物ですわ」


「こんなものですよ」


 さすがによく手入れされている、とドラゴンを関心しつつ見るイリス。

 勇猛で知られる第四騎士団(メルオン・パル)のドラゴン。水の国(ミスティリス)出身者が多く在籍することから土竜(アークリア)以外のドラゴンも多い。


「シロ、いませんかー?」


 イリスが呼ぶと、がうがう、と小さく返事があった。


「……シロ、声変わりの時期だったのですね」


 声の方へと歩く。

 そこにいたのは、イリスにとって馴染み深い水竜(ミスティ)であった。


「アキレウス。こんにちは」


 腹の虫のような音で唸り応えるアキレウス。

 猫のように丸まった彼は、大人しいながらに不機嫌であった。


「何を遊んでいるのかって顔ですね。解っています、私もアーレイ救助の為の最善手を模索します」


 だから心配するなとイリスは笑いかける。

 アキレウスはイリスの顔をまじまじと見つめ、彼女の顔を思い切り舐め上げた。


「い、痛いですって。ラングドシャってレベルじゃないんですから」


 アキレウスの首を抱いて何度か撫で、イリスは苦笑しつつ離れる。

 ソフィーとアスカが、イリスをじっと見つめていた。


「な、なんですか?」


「……なんでもありませんわ。それより貴女、白い猫を見ませんでしたこと?」


 生まれながらの偉そうな態度で、アスカはアキレウスに問う。

 アキレウスは首をくいくいと揺らし、ソフィーの方を示した。


「いえ、そうではなく……とかく、ご協力感謝しますわ」


 メイド服のスカートを摘み、頭を下げるアスカ。

 こうして3人は、厩舎より後部へと進むことになった。


「…………。」


 イリスはソフィーの帽子を注視した。

 肉球付きの白い腕が飛び出ていた。


シロ探し、もうちょっとだけ続くんじゃ

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