手紙
「反撃すべきだ!」
将軍の一人が、血管を額に浮かべつつ叫んだ。
「皆判っているのだろう、このままではじり貧だ! ならば一か八か勝負に出るしかあるまい!」
彼は好戦派ではない。むしろ、保守的な判断を行うことで知られる男だ。
そんな彼が反撃を支持するのは、それこそが最も可能性の高い選択肢であったからに他ならない。
「このままでは餓死者が出る! いや、難民街では既に餓死者の死体が転がっている! 今後、犠牲は加速度的に増えるぞ!」
「財務大臣としては経済面でも限界が迫っていることをご報告します。元々我々はそういう方向での『体力』がない。ここ半年は右肩上がりでしたが、この戦争で帳消し―――いえ、むしろ負債が増えました」
「訂正だ。あいつらは国家ではない、よってこれは戦争ではない」
ピシャリと釘を刺したのは、この会議における最年少の少女。
上座の一番高価な椅子で、偉そうに足を組むのはフラン・ベルジェ・アーヴェルアである。
「いいか、もう国家なんざあたしらしかいねーんだ。国家間の古臭い慣例なんて捨てちまえ。プライドなんて歴史家は評価しねぇ。あいつらは国家を気取ったテロリストに過ぎん」
「陛下、一つ宜しいですかな?」
「なんだ。下らんことだったら許さんぞ」
「先程から、パンツ丸見えです」
優雅に組まれた、カモシカのような足。
スカートからすらりと伸びた曲線美、そしてその合間には白い花のレースによる三角州。
フランは超然とした笑みを浮かべ、堂々と指摘した。
「見せてんだよ。―――お前が勃起していることに、あたしが気付かないとでも思ったか」
見くびるな。そう主張する彼女に、大臣達は嘆息と共に反論する。
「私は不能ですが」
「僕は熟女好きです」
「我が輩は男色なのだ」
「イエスロリータノータッチ」
誰も勃起はしていなかった。
「とかく、財源も枯渇していることをご報告致します。限界です」
「他に絞れるところはねーのかよ。財源まで不能なんて洒落にならんぞ」
「陛下。ご理解下さい。限界なのです」
フランが見渡せば、そこには自身をじっと見据える重鎮達の姿。
旗色が悪い。フランはそう察した。
「反撃を、ご指示を」
「これ以上の守りは無意味です。むしろ、時間が経つほど被害は増えます」
「確かに現有戦力を動かせば、町に被害が出かねません。しかしもうそれしかないのです」
「今こそが勝機です。既に体制は立て直しております」
「初撃でどれだけ痛手を被ろうと、我々は国家であり敵は武力勢力。数の差は歴然としており、勝てる戦です」
「陛下!」
自分より遙かに長く生き、そして経験を積んできたこの国家の屋台骨。
それを前にし、それでもフランは首を縦に振ることはなかった。
「駄目だ」
「陛下っ!」
「駄目だ」
頑なに許可を出さないフランに、大臣達は厳しい目を向ける。
彼らの目は、明確にフランを非難していた。
「遠すぎる橋作戦の推移如何では、状況は幾らでも変化する。堪えろ」
「これ以上何を待つというのですか!」
「奇跡的に天候が味方するかもしれない。奇跡的に敵がミスを犯すかもしれない。奇跡的に敵の兵糧が尽きるかもしれない」
「奇跡、奇跡などに期待するおつもりですか!?」
「そうだ。奇跡が起こるなら、僅かでもその可能性があるのなら待つ価値はある」
話はこれで終わり。そう主張するように、フランは書類を手早く纏める。
「それは、現実逃避というのです」
「ならあんたらのそれは、やけっぱちじゃん」
言葉に詰まる軍務大臣。
「皆の言いたいことは解るよ。あたしだって背中が痒いのにかけないような焦れったさを感じてる。けど、もうちょっと待ってくれ。頼む」
「……承知しました。しかし、末端には更に負担をかけることになりますぞ」
「仕方がねぇだろ。この国にはもう部外者なんていないんだよ。あれだ、一億総火の玉だ」
「現在の世界人口はその十分の一以下ですが」
「昔ダチがそんな言い回しをしていたんだよ」
手をフリフリ振り、フランはにへらっと笑った。
苦境ほどふてぶてしく嗤う女であった。
会議の後、フランはせっせと机に向かって作業を進める。
今後の方針を定める重要な集まり。それが終わろうと、彼女には休憩する暇などない。
小さな紙片。その一枚一枚に文字を書いていく。
『み』。たった一つの音、たった一つの文字を書いた紙が大量に用意された。
その一枚を手に取り、フランは両手の平で挟みこねこねと丸める。
そして―――投擲。
放射状に宙を舞う紙玉は、ゴミ箱の縁に当たり―――そして弾かれ、床に転がった。
「くそっ」
聡い者が見れば、ゴミ箱の周囲に大量の紙クズが転がっていることに気付いたであろう。
そう。フランは会議終了後から、ずっとこの動作を繰り返してきたのだ。
『み』と書かれた紙を、ただひたすらにゴミ箱へ投げ入れるフラン。されどそれが報われることはなく、床は紙片に占領されていく。
やがて観念したように、フランは机に力なく突っ伏した。
「駄目だ、『み』が入らねぇ……!」
「そんなこともあろうかと、軍より借りてきた精神注入棒がここにありますが?」
笑顔であったものの、スティレットのこめかみには血管が浮いていた。
珍しく真面目に仕事をしていると思いきや遊んでいた上司。スティレットはおこであった。
フランは慌てて書類を取り出し、処理済みの物を提示する。
最低限仕事はしていましたアピールの甲斐あり、スティレットはため息と共に怒気を沈める。
怒られるか怒られないかのぎりぎりをきっちり見極めるあたり、フランはなるほど有能であった。
「会議はどうでしたか?」
「一応予定通りだ、担当大臣があたしに欲情しちまったが滞りなく終わったよ」
スティレット魔法大臣。彼もまた一介の大臣職と同等の立ち位置だが、判断に迷った時は直接相談を請け負うことがある。
フランは自らの無知を知る王であった。人に訊ねることは恥ではないと知っているのだ。
「所詮王なんて、専門職と国民の中間職よ」
「時々真理を突きますな、貴女は」
「とりあえず時間稼ぎはしたけど、リミットは以前厳しいぞ」
「その時はその時、でしょうな。私としてもあの少女に期待をしていますが、今回ばかりは無条件に全賭けするわけにはいきますまい」
二人を悩ませている理由。それは、イリスから届いた手紙にあった。
『拝啓
寒さが一層深まり、芋の美味しい季節となって参りました。日々敵の猛攻に晒されている皆様が、せめて手紙が届くまで健やかにお過ごししていればと願うばかりであります。
このたびは第四騎士団慰問任務を完遂するに到らず、大変申し訳ありません。
バール殿よりの報告によりご存じのことと存じますが、私共はイリルム国防軍基地にて就寝中襲撃され、同行者アイギス・クレンゲル・ミスティリスを拉致されるという醜態を晒しました。
私もまた死の淵まで追い詰められ、水中投棄の後に漂流。行方不明とされた爛舞騎士第四位ソフィアージュ・アンドリュースに救助され一命を取り留めました。
現地協力者と共に研究を行っていたソフィアージュ殿から、重要と思われる情報を多数得たので記載しておきます』
手紙には、イリスがソフィーから教えられた情報が羅列している。
白化汚染個体の解釈、黒竜の生態。その他、説得力のある新説から与太話のような推論まで。
イリスとて全てを鵜呑みになどしていない。だからといって、現場の独断で報告しないわけにもいかなかった。
何が真実かを判断するかは上の仕事であり、それを誤るほど祖国の上層部は無能ではないとイリスは判断している。
『尚、これらの情報を踏まえ私は『遠すぎる橋作戦』への同行を決意致しました。
これは決して大局を見据えたものではなく、私個人の衝動から来る自分本位な判断であると言わざるを得ません。
正直申し上げて、私は不安でならないのです。彼女が明日をも知れない命と知らされ、それでも尚暢気に後方へ下がり打開策を練るなど出来ません。
私は他の爛舞騎士である方々と比べ、地力で劣っていることは自覚しております。私の能力を十全に活かせるのは兵器開発の現場であり、軍全体の能力を僅かながらも引き上げることこそ私の唯一可能な献身であることは承知の上です。
故に、これは独断行動と解釈されて結構です。私は味方の損害より、一人のルームメイトを失うことが恐ろしいのです。
然るべき処分は必ず受けます。せめて、私に処分を下すまでは生き延びて下さい。
末筆ながら、ご自愛のほどお祈り申し上げます。ですがご自慰はほどほどにお控え下さい。あと私を副食にしないで頂けると幸いです。最初知った時ドン引きしました。
我が儘をいってごめんなさい。やるからには、必ず結果を出して見せます。
敬具』
「どこからがツッコみどころなのでしょうな」
「あたしは突っ込むより突っ込まれたいぜ」
「精神注入棒、ここに置いておくのでご自分でどうぞ」
「なに他人事みたいに言ってんだ、おめーオカズだから!」
反攻作戦に踏み切らない理由。
現状戦力での反撃か、より大きな絶好のタイミングを待つか。フランが後者を選んだ決め手は、やはりイリスの存在であった。
「ただの確率論の問題だ。時々いるだろ、アホみたいな状況ひっくり返す奴って」
自分も騙せていない声色で、フランはうそぶく。
スティレットには、フランが不機嫌なのか上機嫌なのか今一計りかねていた。
イリス失踪の報を受け取った際は、近しい者には隠しきれないほどの焦燥を抱えていた。無論、スティレットはそれに気付いていた一人だ。
イリスからの手紙を受け取った当初はフランも年相応の少女のように、友人の生存を喜んでいたのだ。
少なくとも、手紙を開いた時点では。
たまたま近くにいた騎士を相手にくるくるとダンスを踊り、ふと我に返って……
『ちちち、ちげーし! これはただのマウンティングだし! うちのクドリャフカもよくやってるし!』
……と真っ赤になって弁明するくらいには素直に喜んでいた。
しかしイリスが最前線に向かうことを決意したと知り、心中は複雑極まりないものへと変質する。
アーレイの置かれた状況は、朧気ながらフランも理解した。命の危機が差し迫っていることも、敵本拠地最深部にいるであろうことも。
だがイリスが危険な作戦に従事したところで、そこまで踏み込めるわけではない。攻撃目標はあくまで沿岸部ラサキであり、アーレイが拘束されているであろう地下都市ミソル・アメンに突入する予定はないのだ。
イリスは作戦への『参加』ではなく『同行』と書いた。妙に律儀な彼女らしい正直さである。
「場合によっては、単独での突入も考えているってことか? 自暴自棄になってなきゃいいんだが」
イリスはずっとバルドディのことを案じ、理性で探索救助は不可能と判断して我慢し続けてきた。
そうして手をこまねいているうちに、アーレイもまたどこかへ連れ去られた。
似た状況が重なり、イリスの中の何かが一線を越えてしまったのではなかろうか。
今のイリスは良くない。フランには、そんな気がしてならないのだ。
「―――それでも、イリスならやり通す。だからこっちにチップを積むのよ」
「それは確率論というより―――単に、信じているのです」
スティレットはいよいよ呆れた。国家の危機に対し、友情を持ち出すなどフランらしからぬ判断であった。
「信じる、ああ、信じてみせようさ」
その点に関しては、不思議と確信があるのだ。
イリスはきっとやり遂げる。だからこそ、待つことに意味はある。
「あたしのダチ、舐めんな」
だが内心、フランは思う。
イリスには戦友がいない。痛みを共有する仲がいないのだ。
友人はそれなりにいるかもしれない。しかし、肩を並べて戦える相手というのは特別であることくらいフランにも判る。
それさえ居れば、もう少しなんとかなるのではないか。そう思わずにはいられない。
自分では絶対に果たせない役割に、歯がゆさを覚えるフランであった。
「私は貴女の判断を尊重しましょう。失ってから彼女がただの人間であったことに気付く、なんてことにならなければいいですな」
「爛舞騎士はそう簡単に墜ちないろ」
「爛舞騎士は昔から、空に散るものです。道半ばで散るからこそ、英雄は美談となる」
スティレットはそう断言する。
「イリスは英雄だと思うか、お前は?」
「それは彼女当人の在り方で決まることではありません。また、最初から英雄である者などいません」
「英雄って二文字がただの言葉遊びに思えてきたぜ」
「事実、そうなのでしょう」
イリスという人間の根っこが凡庸であることくらい、フランには判っている。
イリスの異常性は空に関することにのみ限定される。それ以外の部分では、ただ大人びただけのガキなのだ。
「あたしに弱音吐いてくれやがるくらいだしな」
手紙の文面には、彼女の述懐も書かれている。
上司も上司、圧倒的な身分違いの相手にしていい吐露ではない。
身分の近い人間には話さず、だが自分には明かす。そのことが内心嬉しいフランであった。
「彼女が帰還した後の処分は如何します?」
「―――何らかの処罰は必要だろうさよ」
しかし、それとこれはやはり別。
個人的な交友から信賞必罰を侵すような真似があってはならない。例え指示を仰げない状況であったとしても、イリスはやはり潤滑な後方支援があってこそ能力を発揮出来る人間であり、判断ミスであることは火を見るより明らかであった。
「ま、功績で帳消しって手もある。そもそもあいつ、降格されたって屁ほども気にしない奴だろうし」
「帳消しではなく、相殺です。間違えないように」
「へーへー。細かい奴だ、自分の屁で悶え死ね」
似ているようで、軍隊においては大きな違いがある。
軍規の逸脱には罰が必要。例えその判断で何らかの結果を残そうと、見て見ぬ振りだけはしてはならない。
さもなくば、規律が崩壊し連鎖的に無法の集団と化す。
だからこそ『罰した上で報償を与え、元の状況に戻す』という面倒な相殺作業が必要となるのだ。
「……最近のあいつは矛盾している」
「矛盾ですか」
「あいつは英雄なんかじゃない、けど英雄たらんとしている。柄じゃねーのにな」
らしくねぇ、とフランは窓越しに空を仰ぐ。
「爛舞騎士なんて皆、もっといい加減で我が儘なもんなんだけどな。なぁ?」
「私も娘も爛舞騎士なのですが、なぁ、と同意を求められても困ります」
「実際お前の義理娘、好き勝手やってんじゃねーか」
苦笑し、フランは話を切り上げる。
「この件に関してはおしまいだ。議論なんてただの足踏みにしかならんでしょ。あたし達はあたし達の仕事をしようぜい」
「建設的な意見です」
スティレットは安堵した。イリスの生存を知り、フランはとりあえず精神的に安定を取り戻したことを確信したからだ。
「ではこの書類を片付けて下さい」
どさどさ、と机に置かれる紙の束。
フランは小さく微笑し、席を立ちバルコニーに出る。
「ただ、な」
「仕事をして下さい」
「この手紙、やっぱ違和感があるんだ」
長くイリスと接してきたフランだからこそ、それに気付けた。
最後の一文。やるからには、必ず結果を出して見せるという宣言。
「あいつ、こういう状況で『必ず』なんて単語を使う奴じゃないんだが……」
一抹の不安を、縁起でもないと頭を振って忘れようとする。
「お前がやると言うならば、あたしは待つぜ……!」
「仕事をして下さい」
スティレットは再度繰り返した。
一方その頃、イリスはといえば。
「飛行機乗りはあぁ、どこで散るやら果てるやらぁ、ダンチョネェ、ダンチョネェー」
不動の鉄城の甲板にて、ごしごしと布で床板を擦っていた。
メイド服で。
ダンチョネー↑ダンチョネー↓




