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軽銀のドラグーン  作者: 蛍蛍
2章
44/85

ヘスコ前哨屯地1




 水の国(ミスティリス)軍ヘスコ前哨屯地。人類の黒竜軍(リストダーク)間引き戦略に基づいて運用される、離島基地の一つである。

 間引き作戦期間中には騎士隊が一つ駐屯することから基地の規模こそ大きいものの、平時は閑散とした最低限の人数で維持されている施設。イリスとソフィーが辿り着いたタイミングもまた遠征任務期間外の静かな島であるはずであったが、二人を出迎えたのは予想外に多くの、それも見覚えのある顔達であった。


「やあ! よくぞ無事だったねイリス君! 陛下にもいい追加報告が出来そうで何よりだ!」


「休んでいるので少し静かにして下さい……」


 輸血を受けるイリスの傍らにて、嬉々溌剌と大声を上げるバール。

 遠すぎる空作戦、その要たる不動の鉄城(アルク=アンシム)がヘスコ前哨屯地に寄港していたのである。


「なんで僕達がここにいるのかだって!? 何せ何十年も動かしていなかったからね、この船は! 元々一旦ヘスコ基地に立ち寄って点検をする手はずだったのさ!」


「訊いてません……」


 誰かこいつを黙らせろ、とイリスは涙目で耳を塞いだ。

 仮初めながらも安全な場所に逃げ込み、安堵したところでのバールの相手は大いに苦痛であった。

 ちなみにおそまきながら説明すると、この世界には輸血技術が既に存在する。とはいえ血液型のことは知られておらず、過去には動物の血を人に入れるような治療師までいた。

 そこでイリスがフランに掛け合い、血液型の知識を広めたのである。

 とはいえイリスとて、医学知識など簡単な基礎知識程度しか知らない。マニュアル化された応急措置手順の普及などをフランに提言したこともあるが、直接人体に刃を入れる医術など当然門外漢。

 そこでかつて見た医学ドラマを必死に思い出し、血液の凝固から判別する方法をなんとか再発見したのである。A型とB型が地球と逆になっている可能性もあるが、これがイリスの精一杯であった。

 当然、抗凝固剤なんて知識すらないので直接輸血、つまり枕元輸血のみである。

 様々なリスクも伴うが、ないよりマシというのがこの世界の現在の輸血技術であった。


「いざ自分が受けるとなると、やはり不安です。……それにソフィー、別に貴女が身体を張らなくてもいいのですよ?」


「いい」


 端的に受け答えするソフィー。彼女の腕からはゴム管が伸びている。


「ははは、なんだったら僕の血を分けよう! 型は僕も一致しているからね!」


「……すいません、ソフィーお願いします」


「ん」


「これは手厳しい!」


 ぺちっ、と己の額を叩くバール。

 イリスと血液型が適合する者は多数いたが、何故かソフィーが立候補したのである。何故彼女が熱心に自分を売り込んだのかイリスには疑問であったが、ともかく二人は高低差のある添い寝をしているのであった。


「この寝台の高さの違いで、血をイリス君に移すんだね! なるほど興味深い!」


「はあ……」


「実をいうと僕も作戦があるからね、あまり血を分けてあげられないんだ! すまない!」


「いえ……」


「でも本当に良かったよ! 君の身に何かあれば、色んな人が悲しんでしまう! 勿論僕も含めてだ!」


「…………。」


「おや、どうしたんだい!? 気分が悪いのか!? セラミー! セラミー来てくれ! 何やらイリス君が―――」


「うるさいわよぉ、隊長ぉ。治療の邪魔だから静かにしてくれなぁい?」


 笑顔で叱り、彼女は口にガーゼを詰め込んでバールを強制的に黙らせる。

 豊かな茶髪の成人女性、不動の鉄城(アルク=アンシム)の医務室の主はぎろりとバールを睨んだ。


「んがぐぐ」


「では改めて。私はセラミーっていうの、軍医なのよぉ」


 白衣を羽織った医療従事者。妖しげな微笑を湛えた美貌に患者としてイリスは不安を覚えるが、彼女もれっきとした第四騎士団(メルオン・パル)の一員であった。


「イリス・ブライトウィルです。……いいんですか、上官に対してこんな扱いで」


「医務室は私の城。ここでは王様だって従ってもらうわぁ」


 とんだ治外法権であった。

 セラミーは平然と話すイリスをじろじろと興味深げに観察し、そして溜め息を吐く。


「はぁー。もう少し自分を労ったらどう? まずは生きていたことに感謝するべきよー。貴女、体内のほとんどを作り直したんだからぁ」


「作り直したって、どういう比喩ですか」


「変形した骨を鋸で切断して、内蔵を適当に繋ぎ合わたりしたわぁ。よく人間の形に戻ったものだと自分を誉めたいくらいー」


 そこまでの大手術を受けたという自覚は、イリスにはない。ソフィーの暗示魔法によって痛みを無効化されていたせいで、限界を超えた自身の肉体に危機感を抱けずにいた。それがこの技法の難点であるともいえよう。

 自分の限界の見極めが出来なくなり、結果生存率が下がる。暗示魔法の戦闘利用が推奨されないのには、そんな理由もあるのだ。

 更にいえば治癒魔法で傷口を早急に塞いでしまうのは感染症の予防法としてよく行われることであり、外見が割と健康でも中身がボロボロな病人怪我人というのは珍しくない。イリスの場合は散々自分の体が悲惨なこととなっているのを目視しているものの、セラミーの魔法により今では見た目だけなら綺麗な状態へと戻っている。

 セラミーは砂時計の砂が落ちきっていることに気付き、パンと両手を叩く。


「はい、ソフィアージュさんからの輸血はここまでよぉ。お疲れ様ぁ、二人はもう少し休んでてぇ」


 頷くイリスとソフィー。ソフィーの顔色は少し青かった。


「隊長はさっさと出てってちょうだい」


 結局邪魔しかしなかったバールの尻を、セラミーはローキックで蹴り飛ばす。

 バールは変な声を漏らして口からガーゼを吹き出した。


「うくっ、ちょ、待ってくれ、背中を押すなって!」


 何やら渋っていたバールも、医務室では軍医に逆らえないらしくしぶしぶと退室する。


「やれやれ」


 助けられた身としては感謝せねばならないと理解しつつも、バールがいなくなったことに思わず安堵するイリス。


「でも本当に、何故ソフィーは私に献血をしてくれたのですか?」


 ソフィーの小さな身体は、とても血の気が多そうには見えない。

 素人目に見ても、血の供給源としては不適切。だがソフィーは自分の血を使うことを強く要望したのだ。


「…………。」


 ソフィーは無言で、顔を上半分をベッドの縁から覗かせてイリスを見つめていた。


「あの……」


 シュパ、と素早く引っ込むソフィーの頭部。答える気はないらしかった。


「あの人、イリスのことを気にかけていた」


 ソフィーが指摘する。

 あの人とはバールのこと。確かに、病室まで来るのは他人に対する対応ではないであろう。

 そもそも、他人ではないのだ。


「古い友人なのですよ、バールは。心配してくれたのでしょう」


「弱った人に追い打ちをかけるのが友人?」


 ソフィーは辛辣であった。


「私も止めたわぁ、貴方がいても患者の邪魔だって。でも、隊長が是非に見舞わせてくれ、って」


 意味深にウインクしてみせるセラミー。


「古い友人だから?」


「あら。あらあら。まあ、そういうことにしておきましょうかー」


 にっこりと笑みを浮かべるセラミーに、彼女は意外と厄介な相手かもしれないと認識を改めるイリスであった。







 間引き作戦、あるいは水際防衛戦術と呼ばれる構想は40年以上人類を守り続けていた。

 推定敵個体数100000。黒竜軍(リストダーク)に対する圧倒的な数の不利を覆す為に、長年の戦闘記録を精査し構築されたこの戦術は『遠征』と呼ばれる騎士団規模の長期任務を主体として実施される。

 水の国(ミスティリス)は内海と呼ばれる、巨大な海を擁した国家である。そこに浮かぶ大小様々な島を、黒竜(ダークドラゴン)は飽和しつつじりじりと西へ迫ってくる。

 内海東方の島から移動し、その島が飽和状態となれば更に西へと侵攻する。その繰り返しによって、黒竜軍(リストダーク)はゆっくりと、しかし着実に勢力図を広げていくのだ。

 水際防衛戦術は、あえてこの島々を放棄することから始まる。

 年中無休で、常に敵数を減らし続けることは現実的ではない。常時遠方の戦力を維持し続けるのは相当の労力を必要するのだ。

 よって海上の基地を完全に放棄し撤退することで一定のインターバルを置き、その間に軍事力と国力の回復を図る。

 そして島々に黒竜(ダークドラゴン)がある程度飽和した段階で、最も戦術的に防衛に適した島を強襲・奪還。基地機能を即座に回復させ、数ヶ月に渡り黒竜軍(リストダーク)の攻撃を迎撃し続ける。これが、間引きの基本戦術である。

 360度全方位から迫る黒竜(ダークドラゴン)を、ひたすらに迎え撃ち続ける。過酷ながらも単純作業のルーチンワークであったこの戦術だが、近年においては迎撃が成立しづらい状況へと陥ることも多い。

 汚染兵(コンタサール)、そして黒曜竜(ナイドイルヴドラゴン)。人間と同等の知性を持つ敵は配下の黒竜(ダークドラゴン)を操り、時に原則に反した強襲を仕掛けてくる。

 竜騎士(ドラグーン)は現代において、所謂『勝ち組』ではない所以。殉職率は高く、得られるのがなけなしの名誉だけとなれば当然人気職の地位からは脱落する。

 それを良しとするストイックな往年の軍人もいるが、全体として見れば決して笑える状況ではなかった。


「あと3時間で日没だ!」


「墜ちた黒竜(ダークドラゴン)は後回しにしろ!」


「土嚢を積め、壁を作れ!」


「負傷者がいる、誰か手伝ってくれ!」


 島は今、戦場であった。

 本能のままに海を越えてくる黒竜(ダークドラゴン)は結果的に波状攻撃となり、現在遠征を担当する第三騎士団(ラ・コペル・パル)を疲弊させていく。

 彼らの休息は夜間のみ。訓練を積んだ竜騎士(ドラグーン)ならばともかく、野生のドラゴンが夜間飛行することはまずないので最低限の監視を残し心身を休められる。

 それでも尚、かつてほどに気を抜けるわけではない。


「歯痒いものですね、見ているだけというのは」


「仕方がないわぁ。これは彼らの任務だものぉ」


 医務室の窓からも窺える激戦に、イリスは体の熱を吐き出すように息をついた。

 遠すぎる空作戦に従事する第四騎士団(メルオン・パル)は、今この島で防衛戦を繰り広げる第三騎士団(ラ・コペル・パル)に助太刀することは出来ない。騎士団長同士の合意があれば可能だが、バール個人の判断でそれを行うのは完全な越権、他の騎士団のプライドを傷つける行為となりかねない。


第四騎士団(うち)は血の気が多いからぁ。皆殺気立っていて困っちゃう」


「確かにバールは熱血タイプですね」


 リーダーの気質が隊員に伝播してしまっているのかと考えるイリス。

 しかしセラミーはそれを否定する。


「そうじゃないのよぉ。私達―――第四騎士団(メルオン・パル)は、水の国(ミスティリス)の生き残りなのぉ」


「そうなのですか?」


「ええ、亡国の敗残兵の寄せ集め―――私も含めて、ねぇ」


 亡国。

 政府発表の上では水の国(ミスティリス)は依然健在であることとされているも、それを肯定する者は多くはない。

 彼の国の難民達にとって、水の国(ミスティリス)は既に記憶の中にしか存在しない国家であった。

 イリスはそれに不用意に触れるようなことは出来ない。当事者ではないが、彼女にとってもあまりに身近な話題でありデリケートな命題であった故に。


「この地に訪れて、皆色々と思うところがあるみたいー」


「―――綺麗な国、だったのでしょうね」


「いいえ。綺麗な国、なのよぉ」


 僅かに訂正しつつ、セラミーは窓から海を、その遙か先を眺める。


「……時々、判らなくなっちゃう。自分が何者なのか、何故ここにいるのか……」


「祖国奪還、では駄目なのですか?」


「私達の敵って、どこの誰なのかしらぁ?」


 イリスは首を傾げた。

 黒竜(ダークドラゴン)は問答無用の絶対悪。それが唯一無二の絶対常識として曲がり通るこのご時世で、敵の意義に率直に疑問を覚える者は少ない。

 清奏派(セインレイト)黒竜軍(リストダーク)奏炎の使者団(ギルヌ・レーム)などと呼び救世主扱いしているが、それは勿論一般論足り得ない。


「色んなものを憎みすぎて、何を憎んでいたのかも忘れてちゃったみたい」


「それはまた、難儀ですね」


「何より救いがたいのは、この感情すら自分のものではないことよぉ。ほんと道化よねぇ」


 セラミーの年齢は二〇代。そう、彼女は水の国(ミスティリス)出身ではない。その難民の、二代目なのだ。

 彼女だけではない。第四騎士団(メルオン・パル)の現役メンバーはほとんどが若く、一部の高齢騎士以外は水の国(ミスティリス)のことを口伝でしか知らない。


「実感がわかないのなら、騎士団の方々は何に憤っているのですか?」


「それは、たぶん―――」


 セラミーは、自嘲するようにクスリと笑う。


「この理不尽な歪んだ世界に対する、八つ当たり、かしらぁ?」




 つい先刻前までの戦いの喧騒も嘘だったかのように、ヘスコ前哨屯地は静寂の闇が沈んでいた。

 されどそれは完全な沈黙ではない。穏やかな中にも談笑が絶えない、人の気配が感じられる静けさだ。

 島の数カ所にかがり火が焚かれ、それを囲み騎士達が身体を休める。

 可能性が低かろうと夜間も危険が残る以上、彼らは屋外の休息を強いられる。もっともこの島で『屋内』と呼べるのは、野外入浴セットのプレハブ小屋程度だが。


「いいのでしょうか、あんなに煌々と火を燃やしても」


 入浴セットのシャワーを浴びつつ、イリスはこの島の防衛戦術に懐疑する。

 上空から見れば、島数カ所のかがり火はさぞや目立つであろう。夜間の海上飛行をするにあたり、これでもかというほどの明確な目印となるのだ。


「あー、もしかして灯台代わり?」


 軍隊にあるまじき水使い放題の恩恵に感謝しつつ、イリスはこの島にあるべき施設がないことに考えが至る。

 ヘスコ島上空には、夜間も常に数騎の竜騎士(ドラグーン)が哨戒飛行を行い目を光らせている。かがり火は敵に位置が露見するデメリットと味方が現在位置を見失うデメリットを秤にかけた結果なのだ。


「世知辛いですね、電波灯台もGPSもないとなれば。結局は技量の凌ぎ合いということですか」


 電波方向探知機の設計と精霊魔法を応用したGPSモドキ、どちらが技術的に容易かを考えつつ脱衣所に移動する。


「ほらお色気シーンですよ、欲情しても構いませんよ浴場だけに」


 残念ながらイリスは既に風呂上がりである。もう脱がない。

 手早く服に着替え、ほかほかと若干緩んだ表情でイリスは獣道を歩く。

 船の医務室に戻るべきなのだが、風に当たっていたい気分の彼女はふらふらと手近なかがり火の側に座り込んだ。

 ふう、と息を吐き燃料の燃える鉄籠を見上げる。


「日本人はやはり風呂ですね、生死に関わります」


「ニホンとは何処かね?」


「ニンジャと呼ばれる暗殺集団が闊歩し、サムライと呼称される剣豪が首8本のフォートレスドラゴンをなます切りにする国です。ただし風呂がないと死にます」


「物騒なのか虚弱なのか判らん国家だな……」


 唐突な問いにも軽口で答えつつ、イリスは視線を声へと向ける。

 そこに立つ騎士に、彼女は見覚えがあった。


「ええっと、確か父の……」


「ああ、第三騎士団(ラ・コペル・パル)所属のショーテルだ。久々だな」


「お久しぶりです。お元気そうで何より」


 父親を通し、顔見知りであった若い騎士。懐かしい顔に会ったものだとイリスも感慨に耽る。


「何故君がこの島にいるのだ? まさか、あの作戦に君も参加するのか?」


「いえ、お手伝いですよ。私は第四騎士団(メルオン・パル)所属ではありません」


 適当に誤魔化しつつ答える。

 イリスは仮面をしていない。軽銀の竜騎士ジェラルミア・ドラグーンならぬただのイリスであり、この場にそぐわない一介の新米騎士でしかないのだ。

 そんなちびっ子が最前線でうろちょろしていれば、疑問に思われるのも当然である。


「なるほど、そういう人員や技師も何人か乗り込んでいると聞いている。ということは、明日には本土に戻るのか」


「はい、私程度では過酷な作戦について行けそうにはありません」


 イリスはまた嘘を吐いた。

 躊躇いがないあたり、駄目な意味で大人である。


「隣、開いているか?」


「はい、あ、すいませんが髪乾かします」


 風魔法を駆使し、長い髪を丁寧に乾かすイリス。

 騎士はそんな彼女を微笑ましげに見る。


「先程の防衛戦はお見事でした。おかげ様で、船には黒竜(ダークドラゴン)の爪一つ届いていません」


「ああ、む……うむ」


「どういたしましたか?」


 釈然としない様子のショーテルに、イリスは首を傾げる。


「実をいえば、今日の黒竜(ダークドラゴン)の動きは奇妙であった。あれほど大きく目立つ船があれば、多少なり防衛を抜けられることも想定していたのだが……」


黒竜(ダークドラゴン)といえど、船は食べないのでは?」


 黒竜(ダークドラゴン)は雑食性であることが知られる。しかし、その生態については謎が多い―――というより、謎しかない。

 ソフィーの言を信じるならば、彼らはそもそも食事の必要すらない。だというのに、暗黒領域(ヴェルゼルヴセンク)は草木一つ生えない不毛の地と化している。

 イリスは船が食べられる光景などとても想像出来ないが、黒竜(ダークドラゴン)の悪食っぷりを鑑みればありえないとは言い切れないのだ。

 とはいえ、イリスの前に腰を下ろす騎士が疑問視しているのは船ではなく、その中身だ。


「奴らは人の、正しくは生物の気配に敏感だ。第四騎士団(メルオン・パル)が詰めた船は島中に分散した第三騎士団(ラ・コペル・パル)以上におびき寄せられても不思議ではないのだが、それが一切なかった」


 本来の習性にそぐわない黒竜(ダークドラゴン)の行動。それが起こり得る可能性を、彼らは知っている。


「―――汚染兵(コンタサール)?」


「その通りだ。夜間飛行訓練を生前に受けた汚染兵(コンタサール)は、野生の黒竜(ダークドラゴン)とは違い夜襲を仕掛けてくることもある。バール殿にはその旨を伝えているが、君も気をつけてくれ」


「了解しました」


 なるほど、とイリスは納得する。

 近年遠征任務の難易度が上がっている原因。その一旦を、彼女は実感として得た。


「私が若い頃は、こうではなかったのだ。夜間はプレハブ小屋の中で休めたし、十二分に与えられた補給で宴会だって開けた。安酒だったがな」


「いえいえ、今でもお若いですよ」


「嬉しいことを言ってくれる。だがあまり世辞は口にしない方がいい、男に勘違いされるぞ」


「それはぞっとしないですね」


 若くない、という意味ではイリスとて人事ではないのだ。

 中身、精神年齢はいいオッサンなイリスである。


「イリス君は今年で幾つだ?」


「13になりました」


「そうなのか? てっきり10歳前後かと」


 むーっ、と頬を膨らませるイリス。

 いい加減年齢を低く見られるのも慣れてはきた彼女だが、受け入れられるかは別問題である。


「ああいや、しばらく見ないうちに、随分と女の子らしくなったものだ」


 ショーテルの咄嗟のフォローに、しかしイリスは更に複雑な心境となるのであった。

 ただし、ショーテルの言葉は一概にその場凌ぎの言葉遊びというわけではない。髪の手入れを行う手慣れた様子は、なるほど一端の少女であろう。

 彼の知るかつてのイリスは、美少女然とした外見とは裏腹に少年的な感性の持ち主であった。それは実のところ、今もまったく変わらないのだが。


「知り合いがうるさいのです。ちゃんと手入れをしないと痛むから、って」


「なるほど、そういう友は大切にしたまえ」


「……大切に、していたつもりだったのですが」


 知らず、真珠のイヤリングに指が触れる。

 イリスの胸に、チクリと悔恨の痛みが走った。

 何故アーレイが怒ったのか、それが判らないほどイリスも人の機微に疎いわけではない。

 しかし理屈で理解していようと、心がそれを受け入れない。彼女生来の頑固者な気質が、良くない形で作用してしまっていた。


「いえ、間違ってはいない。私は軍人なのです、戦わずしてどうするのです」


「イリス君?」


 改めて、イリスの瞳に決意が宿る。

 その誓いは一歩間違えれば、狂気の域に足を踏み入れたそれに等しい。しかし彼女の至上目的からして狂っていることを鑑みれば、あるいはこの錯綜も必然。

 ―――空に狂っている人間が、今更何に狂おうというのか。


「私が、守らないと」


 倒錯した誓いは、あくまで彼女の内に結ばれる。

 どこか遠くで、サイレンの音が鳴り響いた。



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