諜報
短め。本編というか閑話?
エリートとはかくも面倒な立場である。明確な答えなど存在しない判断を度々こなさなくてはならず、軍隊においてはその傾向は更に加速する。
「俺様は優秀だからな。さっさと復学して士官コースに戻らねーと」
愚痴り続ける少年ギイハルトは、現在ファルシオンの町に単独侵入していた。
土の国にも情報収集機関、諜報機関は存在している。国家間の腹の探り合いが形骸化したご時世とはいえ、不穏分子、犯罪組織が存在する以上は捜査の必要性がある。
しかし所詮は警察組織。本格的な武力組織相手に個人で立ち回れる人材はほとんど存在せず、また求められる適性も少しずれたものであった。
そこで白羽の矢が立ったのが、正規騎士として叙勲された後、士官を志し更なる訓練と勤勉に励んでいたギイハルトであった。
優秀な成績を残し、かつ各方面に顔が割れていない若い人員。ギイハルトは表部隊のエリート街道から、裏舞台の精鋭部隊へと引き抜かれたといえる。
急遽用意された役職とはいえ、下手な憲兵職より遙かに困難かつ危険なポスト。彼の性格を曲がりなりにも知るイリスが聞けば、この引き抜きを彼が受けたことは多分に意外な出来事だと評するであろう。
「国が滅んじゃ士官服も無意味ってもんだ。俺の出世の為にもな」
ギイハルトの望みはお山の大将なのだ。適度に偉く、適度に無責任なポジション。
しかしその雲行きも怪しくなってしまった。上層階級とは下層階級が存在してこそであり、人口の極端な減少は彼の理想の破綻を意味する。
禿げ山の大将に何の価値もないのである。
「しかしどいつもこいつも、陰気くせぇ顔しやがって。ああはなりたくないもんだぜ」
飄々と、堂々と町中を歩くギイハルト。服装は騎士服ではなく私服であり、当然帯剣などしていない完全な丸腰。
ファルシオン領侵入に際して武装の携帯は一切認められていない。必要ならば現地調達、あるいは魔法か素手で対処しなければならない。
そして、それを行える人材こそがこういった特殊な任務に相応しい。
「若いのがいないが、さて何処につれてかれたのか……俺もあまりうろちょろできねぇぞ」
町の機能は意外なほどに、以前と変わらぬ様子であった。店は開いているし、民家には住人が住んでいる。
不自然に安定したファルシオンの治安に、鼻を鳴らすギイハルト。彼は敵が、もっと露骨に住人を苦しめているとばかり予想していたのだ。
もっとも、人々の表情には不安感が隠せず、時折異国の顔立ちの兵士騎士とすれ違う度に肩を震わせ縮こまっている。何より、先のギイハルトの発現通り『若者』がいない。
若い男性も、そして女性も。
「これが支配ってやつなのかねぇ」
それが侵略以上に面倒な状況であることを、ギイハルトは肌で感じ取っていた。
「探るしかないか。敵もドラゴンを飼育しているんだ、基本的な物資の流れは変わらないはずだ」
足を止め、露骨に方向転換するギイハルト。
目指すは、敵主力駐屯地である。
怖いもの見たさの民間人を装い、年齢を詐称する変装が崩れていないか溜め池の水面で確認したギイハルトはあえて堂々とファルシオン国防軍基地……厳密には『元』がつくその施設へと足を運ぶ。
「やっぱ地方だな、しょっぱい施設だぜ」
クルツクルフ防衛本部には備えられていた高い城壁もなく、厩舎も精々10頭程度しか収まらないほど小さい。清奏派がどこからかつれてきた100頭ほどの風竜は大半が露天に繋がれており、その半数には天幕すら用意されていない。
ドラゴンが直射日光で早々参るほど脆弱な魔獣ではないとはいえ、劣悪な環境に風竜達の機嫌が悪くなっていることをギイハルトは見て取った。その差異は、一般人からすれば同じ表情にしか見えないであろうが、大きな図体の割に図々しいほどデリケートで繊細なトカゲなのだ。
どれだけ警備を厳重に行おうと、この状態では情報漏洩は避けられなかった。敵軍の装備、食料、指揮系統、些細な判断材料から様々な事柄をチェックしていく。
その結果得られた結論は―――
「古臭い軍隊だ」
―――敵が動かす軍隊が、アーヴェルア国防軍よりも遙かに劣った旧式の軍隊であることであった。
「全然洗練されてねぇ。無駄な慣習が多い。なんだこいつら、100年前からタイムスリップでもしてきたのかよ」
抗竜戦暦の暦が始まって以来、即ち黒竜軍との戦いにおいて軍隊の形は変化していった。
即ち、徹底した効率化、無駄の削減。儀礼的なものや戦術的な名残はあれど、彼らにとっての戦いとは生存競争であり外交手段ではないのだ。
人外の敵に対し、騎士道を守るほどこの世界の人類も悠長ではなかった。
地球における軍隊を知るイリスにとっては50歩100歩であったものの、清奏派の保有する軍隊はあまりに前時代的であった。それがギイハルトにとってやけにチグハグに思えたのだ。
「そんでアレか、奇妙なモンを作りやがって」
乱雑に待機している鉄の竜車。情報通りの巨大さを誇るそれは、大切な新兵器であるにも関わらず雑な扱いをされていた。
「くそが。きっちり並べとけや」
ギイハルトは案外神経質であった。本棚の順番が入れ替わっていれば直さずにいられない男なのである。
速やかに特徴、採寸を記憶する。
本体は直径9メートルの車輪に挟まれた、縦横5メートルほどの鉄の箱だ。車輪の接地面が地面に食い込んでいることから、かなりの重装甲であることが見てとれた。
鉄の箱には無数のスリッドが開いており、内部から攻撃出来る構造となっている。ようは車輪の付いた小さな城であった。
「複雑な構造ってわけじゃなさそうだな。俺達でも作れるんじゃねえか?」
近年の著しい技術革新からすれば、鉄竜車は一目で構造を把握出来るほど簡略な出来である。見るからに鉄の使用量が多いことを除けば、製造に苦労はするはずがなかった。
「あー、駄目か。老成土竜はほとんどがファルシオンで働いている、根本的に過半数が鹵獲されてやがるんだ」
同じ物を制作したところで、絶対数で劣るなら押し負ける。単純すぎる計算であった。
あの新兵器を正面から突破するには、より優れたもの、あるいは有効な新兵器か新戦術が必要なのだ。
「ま、バカ正直に正面から挑むのはただのバカだけどな」
バカバカと連呼しつつ、気配を感じ物陰に隠れる。
基地と隣接した粗末な小屋へと至った彼は、この戦いの結果の一つを目の当たりとすることとなった。
奴隷。
ある種チープな単語であるかもしれないが、彼等の現状を指し示すのにこれ以上相応しい単語もない。
清奏派に拘束されたファルシオンの女性達が最初に覚えたのは、媚びを売ることであった。
気に入られさえすれば、自身の尊厳を犯す連中もいい気になり、扱いが良くなる。
プレイドなどとうに粉砕されていた。些細な処遇の差は、それだけで死活問題なのである。
しかしそれすら、更に半数―――男性奴隷にとっては優遇された環境であった。
「女はいいよな、喘いでさえいれば苦しい思いをしなくて済むんだから」
誰かが口にしたそんな暴論を、誰も肯定せずとも否定することがないのが男性奴隷達の現状であった。
女性はなんだかんだ言いつつも、敵から同情される場合も多いのだ。真に凄惨な目にあっているのは、むしろ男性である。
彼らに課せられたのは鉱山での労働。元よりそれを生業とする町であったとはいえ、それは安全基準を設け余裕を確保した上での業務が常であった。
しかし占領後のそれは、睡眠と食事すら削っての使い潰し。飢えで死に、些細な怪我で命を落とす。
季節は冬。他人の尿ですら、暖かいと手を翳す始末。
地獄であった。




