無人島5
朝早く目を醒ましたイリスは、側で眠るソフィーを起こさないようにそっと立ち上がる。
「……どこに行くの?」
「起こしてしまいましたか。ちょ、もう大丈夫ですから」
体に生じた浮遊感に、もう自力で動けると断りを入れるイリス。
彼女は飛行は好きだが、浮遊は嫌いというひねくれ者なのだ。
「現在位置を確認します。空が暗い方が月を探しやすいですし」
「付き合う」
もぞもぞと起き上がり、緩慢に歩き始めるソフィー。
「無理をしなくてもいいのですよ? 空を確認するだけですから」
「倒れたら大変よ」
「……訊いてもいいですか?」
ソフィーに寄り添われつつ、イリスは屋上―――甲板を目指して歩く。
「何故、私にそこまでしてくれるのです?」
本来、ソフィーにここまでする義理などない。
人命救助までならばともかく、初対面の相手にお悩み相談するような人間には見えなかったのだ。
無論イリスはソフィーのことをほとんど知らない。無感情のように見えて、本当はとても情に厚い人間なのかもしれない。
だがそれだけとは、到底思えなかったのだ。
「理由は二つ」
ソフィーは躊躇うこともなく、理由の片割れを白状する。
「一つは、真実を求める為」
イリスの特異性を考えれば、友好関係を結んでおいて損はない。理由の一つは、そんな打算的なものであった。
「もう一つは?」
「……あなたは、恩人だから」
「えっ?」
意外な言葉に、イリスは目を丸くする。
「それはどういう―――」
「浮かべる?」
「浮かべないで下さい」
拒絶のニュアンスを感じ、無理に聞き出すことは止めるイリス。
彼女に直接関わったことがあっただろうかと首を傾げつつ、二人は甲板に降り立った。
「寒いですね」
「へいき」
もう冬、この時間帯となれば風はかなり冷たい。
空を飛び慣れているとはいえ、積極的に感じたいものでもない。
「あっち」
「はい、ちょっと待って下さい」
六分儀を格納魔法から取り出し、天体の角度を割り出す。
そして地図に計算結果を書き示すと、彼女達がいる小島の位置はあっさりと割り出された。
水の国の海、そのほぼ中心。やはり地図にそれらしい島はかかれていなかったが、ほど近くに前哨基地があったのが幸いであった。
この分であれば朝に出発しても昼すぎには到着するであろう。そこまで見通しをつけ、ふと気がつく。
もう一枚地図を取り出す。以前イリスが入手した、清奏派の地下トンネル地図。
その中心地、ミソル・アメン。イリスが突入した地下都市は、彼女達がいる小島の直下であった。
「なるほど、メソル・アメンから地下世界が始まったとすれば、ここが始点であってもおかしくは―――いや待て」
そうなら、この島には地下へと降りる道があるはず。
そう考え、ソフィーにその点について訊ねると答えはあっさりと返ってきた。
「それらしき縦穴は確かにあった」
「真っ先に教えて欲しかったのですが、それ」
「けど、もう使えない」
「使えない?」
「見たい?」
小首を傾げるソフィー。
なんとも躊躇させられる問いであった。
島の中腹、洞窟へ向かうにつれてイリスの眉は歪んでいく。
「なんですか、この臭い……」
腐葉土臭、強烈な植物の臭いにイリスはむせる。
一般的に人体に優しそうなイメージを持つ森林の臭いも、度をすぎれば害となる。森は人間の為に臭いを出しているわけではないのだ。
まるでヘドロの中を歩いているかのような錯覚を覚え、イリスはソフィーの躊躇を理解した。
「これは確かに好んで来たくはありませんか」
だが、地下都市直通のトンネルがあれば兵力を一気に送り込めるかもしれない。何時間も地下トンネルを飛行するよりはずっと距離も短く、現実的。
調べないわけにはいかず、二人は更に奥へと進む。
「これ、森の臭いというだけではありませんね」
「このはきがへんいんよ」
外套の端で口を覆いつつ、ソフィーは先行する。
口ではなく鼻を押さえねば意味がない気もしたが、この臭いの中ではどちらにしろ焼け石の水でしかないのでイリスは指摘しないことにした。
やがて、ソフィーに聞いた通りの洞窟を発見する。
強烈な臭いはそこから発生していた。
「もう進めないわ」
洞窟より30メートル手前。ソフィーは唐突に足を止める。
手頃な石を広い、5メートルほど洞窟に向かって放り投げる。
「……筋力、ありませんね」
「私は魔導師」
石が地面に転がる。
ゲル状の物体が石を即座に包み、洞窟へと引きずり込んだ。
「なんですか今の」
「スライム」
「ああ、あの気持ち悪い魔獣ですか」
某国民的ゲームの例に漏れず、この世界でもスライムは最弱クラスの魔獣である。
比較的あらゆる場所で出現し、どこからか入り込むのか町中でもたまに出現する。子供でも退治出来るほどに弱いが、明確な自己の境界というものがないらしく千切っても燃やしても欠片だけで生き延びる。
魔力を有することから魔獣に分類されているものの、扱いとしてはGに近い生物なのだ。
「洞窟にスライムが満ち満ちている」
「マジっすか」
「マジっす」
暗くてよく見えないものの、イリスの視力は洞窟の先にてテラテラと光る何者かを捉えていた。
湿っぽい環境が彼等にとって楽園であったのか、異常繁殖してしまっているのである。
「魔法の使い手として名高いソフィアージュ様、焼き払って下さい」
「試したけど、キリがないの」
「なんてこと、まさにゴキ」
どれだけ弱かろうと、だからこそ、単純だからこそ全滅させられない種の存在というものはいる。スライムはそのタイプの生物であった。
動物であるイリスとソフィーにじりじりと触手(?)を伸ばすスライムだが、その動きは最弱にふさわしく遅く簡単に回避出来る。
「これでは敵も味方も通れませんか、出入り口が一つ封じられているだけ良しとしましょう」
触手はじりじりとイリスに迫る。
「逃げよ?」
「ですね。でも、ソフィーには寄って来ないような?」
「何度も焼きに来たから、学習したみたい」
「学習能力があるのですか」
「粘菌の癖に生意気」
「ソフィーが突っ込んでいけば、スライムもちりじりになって逃げるかもしれません」
「一蓮托生」
なんだかんだで仲良くなっている二人であった。
「治療よし、方位よし、お金なし、荷物なし、甲斐性なし、玉もなし。さて、風が吹いているうちに出発するとしましょうか」
準備など早々に終わり、イリスは浜辺に立っていた。
「アキレウス、もう少し貴方の背中を貸して下さい」
相竜と相人の信頼関係は一朝一夕に築けるものではない。誰でも乗せるドラゴンとはつまり気が弱く戦いに向いておらず、積極性がない故に呼吸を合わせるのも難しい個体ということだから。
しかし相竜が不在のイリスには他の選択肢などない。それに、彼女はフリーのドラゴンに騎乗する機会も多かったので他のドラゴンとも多少は連携を取れる。
名を呼ぶと、アキレウスはすぐにイリスの側へとやってきた。
「私は―――貴方のご主人様を探しに行こうと思います」
アーレイの相竜アキレウス。水の国の生き残りで水竜なる品種であり、姫にあてがわれるだけの賢さと強さを併せ持つ優秀なドラゴン。
気性も大人しく、イリスも時々乗せてもらっていた。しかし本格的に借り受けた経験はない。
「もし貴方が良ければ、一緒に……いえ、気の置けない仲とはいえ人の相竜を気軽に連れ出すものではありませんね」
首を横に振るイリス。
その顔に、アキレウスは鼻面を押し付けた。
フガフガと獣臭い鼻息を吹きかけ、イリスに何かを訴えるアキレウス。
「自分を、連れて行けと?」
アキレウスは視線で肯定した。
「ううん、どうしましょう? アーレイは怒らないでしょうけれど、現実問題、アキレウスでは工学竜鎧は装備出来ませんし」
速度の向上、運動性能の強化、火力の増強と全ての面において能力が増す人類の新たな切り札として徐々に普及してきている工学竜鎧。しかし、圧縮空気を発生させられるのが土竜のみであることからアキレウスは限定的な強化しか施せないのだ。
水竜専用装備もあるのだが、今この場に持ち合わせているわけではない。
迷う様子のイリスに、実力を疑われたと感じたかアキレウスは彼女の首根っこを咥えた。
「へっ?」
そのままそぉい、と放り上げて自分の背中に乗せる。
アキレウスの意志は堅かった。どうやっても、目の前の少女の力になりたかったのである。
「わかりましたよ、わかりましたから。では、私としばし旅と洒落込みましょうか」
アキレウスの頭を撫でるイリス。アキレウスはしばしイリスを見て首を傾げていたが、すぐに頷いて翼を広げた。
イリスの相竜ではないものの、付き合いの長さから色々と融通してくれる温厚かつ優秀な個体であり、即席ペアであることに不安はない。
「色々と世話になりましたね、ソフィー」
ただ頷くソフィー。どうにも彼女の会話のペースを、一晩たっても掴めないイリスであった。
軽く踵で合図を送る。アキレウスは素直にゆっくりと離陸し、軽く旋回して最寄りの基地へと進路を定めた。
浜辺に立つソフィーの傍らには白猫、シロの姿。
「……貴方とはまた会う気がします、シロ」
あまりに特殊な白猫のシロ。たかが子猫といえど、あまり人の目に触れさせていい存在ではない。
何もかもが意味不明、立ち位置すら曖昧。世間に公表されれば良くも悪しくも騒ぎとなってしまうことは、想像に難くなかった。
「武運悠久を祈っとるでー!」
しかしながら、尻尾を振って見送る彼が悪人……悪猫にはとても見えない。根拠はそれだけ、そんな些細な理由を拠り所にするしかないのだ。
そして、イリスは離陸する。
「空の上で食べる甘いものは格別ですね、これでサイダーがあれば完璧なのですが」
朝食代わりに、何時か買っておいた甘イモを頬張る。
サイダーは気圧の関係で炭酸が吹き出すまでが形式美である。
前線基地まであと30分。海面は砕けたガラスのように煌めき、風はイリスを拒むように吹き荒れる。
風防魔法を展開しているとはいえ、けっして空は人の生存に適した世界ではない。
されど、イリスはこの厳しい環境でこそ安息を得る歪んだ性の持ち主であった。
「ん?」
海の上に、小さな点が見えた。
目を凝らすと、何らかの飛行物体であることが見て取れる。
「鳥―――ではありませんよね、陸地からはまだ遠い。ですがこの角度からでは判別出来ません」
敵か味方か、見極める必要がある。人類を襲う魔獣であった場合、討伐することが好ましいのだ。
イリスは好戦的な人間では決してない。むしろ戦いを厭う部類の人間である。
よって魔獣との邂逅はただの面倒事でしかなく、しぶしぶとアキレウスの高度を降ろしていく。
「まあ、これも私の仕事といえば仕事です」
そぉっと上方より接近すれば、そこには円盤が飛行していた。
「……ユーフォー?」
そんなばかな、と目を擦る。
やはり紺色の円盤が飛んでいた。
「あ、ああ、なるほど」
それは未確認飛行物体などではなく、つばの大きなトンガリ帽子であった。
高度を合わせ、挨拶をする。
「こんにちは。今日はどちらまで?」
帽子の主―――紺色のローブに身を包んだ魔女姿の少女は、イリスの声に気付かぬようにぼうっと前を見据え続けていた。
「着いてきてしまったのですか、ソフィー」
数瞬二人は見つめ合い、我に返ったソフィーがもう一度声をあげる。
「…………えっ、私?」
他に誰がいるのだ、という言葉を飲み込むイリス。
箒の飛行速度は遅い。アキレウスは失速寸前まで減速し、なんとか平行飛行する。
「いい空ですね」
「よく、解らないわ」
「翼箒の使い手など久々に見ましたよ。乗り心地はどうなのですか」
「眠い」
「……それは乗り物とは関係ないのでは?」
翼箒とは、飛行専用の杖である。
普通の杖が様々な魔法に対応するのに対し、翼箒が対応するのは物質移動魔法『マルーブ』のみ。超ガラパゴス仕様の魔法杖だ。
一般人が普通に発動させた場合、荷物を運ぶ程度にしか使えないこの魔法。それを飛行魔法として利用したのは数百年前の魔法使い。
「自分が乗っている物を浮かせれば、人間ごと空飛べるんじゃないか」というシンプルな発想であった。
本来は指向性を限定させ魔法効果を安定させる働きを持つ魔法杖だが、翼箒は複数の指向性を併用することで安定して飛行することが可能となっている長杖なのだ。
後部の穂はいつでも掃除が出来るようにと拵えられたオマケ機能……などでは当然なく、空気抵抗によって姿勢を安定させる為の工夫。ようは飛行機の尾翼である。
ただ、翼箒はどうしても速度が遅く航続距離も短い。致命的なまでに。
いわばドラゴンと翼箒は地球における自動車と自転車のような関係なのだが、翼箒は自転車に例えるにはあまりにも扱いが難しかった。補助輪なしとかそんなレベルではないのだ。
搭乗者の魔法技量によって上下するとはいえ、あまりに実用的な乗り物ではない。卓越した魔法使いの一部が町中で使用する程度である。
黒竜軍出現以前ですら、魔獣の被害が相次ぎ長距離移動には不人気な手段だった。まさかこのご時世に、のんびり海上を単独で飛んでいるなど予想外だったのだ。
「一緒にいく」
「なぜ? 私が島に来たのと関係が?」
「私は、爛舞騎士だから」
「はあ……?」
要領を得ない返答。それを気にした様子もなく、ソフィーは左手を額に当てて敬礼する。
「これからよろしく、イリス」
「敬礼は右手ですよ、よろしくお願いします」
帽子を被っていないイリスは、きっちりと10度のお辞儀で返礼した。
ソフィーは軍に協力することはあるが、軍人ではない。大丈夫なのかと、イリスは先行きに不安を覚える。
「あ、これ食べます?」
子供は甘い物が好き。食欲という単純極まりない欲求を刺激することで会話を円滑にしようと、イリスは甘イモを差し出す。
ソフィアージュは疑問符を浮かべつつ、翼箒をアキレウスに近付け一つ受け取る。
一口食べ、眉を顰めた。
「甘゛ぁ……」
「もしかして、甘いのは苦手でしたか?」
「いらない」
小さな歯形の付いた甘イモを返却するソフィアージュ。作戦失敗であった。




