無人島4
魔法中心に発展してきたこの世界でも、機械が存在しないわけではない。
おおよそ2時間に1回。クォーツ式や電波式より遙かにアバウトながら、王都クルツクルフには大きな時計台がある。
よって、町全体の目覚まし時計たる鐘の音がないアーレイの起床は、どこか物足りないものであった。
「ううぅん……イリスぅ、どこぉ……」
もぞもぞと寝ぼけながら抱き枕を探すアーレイ。
物足りない理由に関し、誤りがあったことをここにお詫び申し上げる。
やがてむくりと起き上がり、極自然に着替え始める、朝に弱いアーレイだが、仮にも軍人。イリス不在の朝には自分でしっかりと活動し始めるのだ。
しかし未だ半ば夢の中であったせいで、そこが自分の部屋ではないことに気付いたのは扉の鍵が外から閉められており、自分が軟禁されていると悟った頃であった。
「……どこなのでしょう、ここ」
アーレイは拉致された時点で眠らされていた。故にイリスの危機も知らず、軍施設に宿泊していたこともあって未だ危機感を抱けずにいる。
認識が覆ったのは、窓の外を見てからであった。
「空がない」
アーレイのいる町には、空が存在しなかった。
彼女の前に広がる光景で最も近いものを探すならば、イリスならドーム球場と答えるであろう。地下の半球状大空間。アーレイはすぐに、ここがイリスから聞いた地下都市であると理解した。
「どうしてこんな場所に……何故私なんかを?」
アーレイの自分を卑下するかのような独白は、おおよそ妥当な評価でもあった。
彼女に流れる血に価値を見出す者もいる。だが、今の人類は大多数が土の国国民。そしてその長たるフランは徹底的な合理主義者。
極端な話。アーレイを人質にフランに対し何らかの要求をしたところで、フランは鼻で笑って一蹴する。あるいはアーレイという人間そのものを記録ごと抹消するかもしれない。
「あっ、でも……」
清奏派がその辺を見誤っている可能性に考えが至り、アーレイは溜め息を吐いた。
「これで殺されたら、無駄死にもいいところです」
「無駄死になんて、そんなことを言ってはダメよ。生きとし生ける者には、きっと意味がある。その方が救いがあるわ」
びくりと飛び上がるアーレイ。
恐る恐る扉へと振り向けば、そこには『自分』がいた。
「へ―――?」
「まあ。本当にそっくりなのね、アイギス」
親しげに語りかけながら入室してくる少女。
スヴェル・クレンゲル。イリスとフランの配慮は徒労となり、青髪の少女達はこうして『再会』した。
「……アーレイ・バーグです」
「ふふっ、スヴェル・クレンゲルよ。会えて嬉しいわ、アイギスお姉ちゃん!」
少女達は名乗り合い。当然同じ名字であることに気が付く。
スヴェル・クレンゲル。そしてアーレイの本名、アイギス・クレンゲル・ミスティリス。
この世界における命名法則、瓜二つの容姿。ここまでヒントが揃っていながら自分達の関係に気付けぬほど、アーレイは愚鈍ではない。
極めて近い血縁者。それも、同じ王族。
「貴女は―――誰ですか」
スヴェルはにこにこと、終始上機嫌であり続けるのであった。
悪人ではない。数十分の会話で、アーレイはとりあえずそう判断した。
まるで睡蓮。育つ環境があまりにデリケートな、可憐で小さな花。
このご時世に不釣り合いな、純粋過ぎる笑顔にアーレイは薄ら寒いものを覚える。
「生き別れの妹、なんて信じられませんが―――事実なのでしょうね」
風貌がもう少し違えば、アーレイとて信じるつもりはなかった。
しかしスヴェルは、まさにアーレイそのものといって過言ではないほどに似ている。双子だという彼女の妄言を否定しきれないほどに。
「もうっ、イリスも教えてくれたっていいのに」
以前、イリスはアーレイに姉妹の有無を訊ねた。イリスがスヴェルについて既知であったことを、アーレイが推して知るのは当然である。
とはいえ別に本気で不満なわけではない。軍人とは知らなくていいことは知らされないのが鉄則だ、知らないところで物事が動くのは当然のこと。
「どうしたの、アイギス?」
小首を傾げるスヴェルに、アーレイはなんでもないと返す。
スヴェルは無知だが無能ではない。度々会話を誘導し情報を引き出そうとしたものの、のらりくらりとかわされてしまっている。
かといって、アーレイは別に尋問を受けているわけでもない。スヴェルの目的が本心からアーレイとの交流を行う一点に尽きていることが、アーレイを更に困惑させていた。
「ね、お姉ちゃんは、あの国ではどんな生活を送っているの?」
「一般的な騎士とそう変わりはありません。訓練をして、任務をこなして、食べて寝ます」
「騎士様なんて、かっこいい! 騎士姫って感じよね!」
それはむしろイリスだろう、とアーレイはスヴェルの考えを内心で否定した。
男装こそしていないが、アーレイの知る限り最も男らしい騎士は彼女であった。
「でも仕事だけじゃダメよ? 騎士でも女の子なんだから!」
妹(?)なのに姉面をするスヴェルに、小さく溜め息を漏らすアーレイ。
彼女の毒気のなさは、かえってアーレイに心労を与えていた。
「例えば友達とか―――すす、好きな人なんて、いないの?」
「そういう感情で見ている異性はいません」
きっぱりと断言するアーレイ。
「そういう貴女はどうなのです、スヴェル? そんな質問をするということは、貴女には気になる殿方がいるということですか?」
軍事上の情報を漏らす様子はないが、この程度の探りなら答えるかもしれない。そう考え、アーレイは訊ね返す。
「えっ!? ええっと、その」
もじもじと動揺するスヴェルに、自分で訊ねたにも関わらず若干の敗北感を覚えるアーレイであった。
「ですが友人には恵まれているつもりです」
真っ先にイリスの顔が思い浮かび、頭を振って否定する。何に関して否定したかは乙女の秘密である。
かといって、他の友人ならばと記憶を探れば次に思い浮かんだのはフランの顔。アーレイは思わず天井を仰ぎ見た。
「友人、恵まれていないかもしれません」
あれは友ではなく知り合い、仲のいい知り合い。そう分類することで、心の平穏を保つことを試みる。
人としての評価は味方からすら滅法低いフランであった。
「そ、そうなの……そうよね、あんな人が統べる国だもの。きっとギスギスしているんでしょ?」
「フランを知っているかのような言い方です」
「空中会談をしたの。不意打ちで襲われたけど」
いかにもやりそうだ、とアーレイは何ら疑問を覚えなかった。
「私の、お姉さんみたいな人もその時に殺されたわ。あんな場所で死んでいい人じゃなかった、彼らは卑怯な不意打ちでエカテリーナを殺した」
スヴェルは憤る。彼女にとって、それは揺らぐことのない義憤である。
「あんな恥知らずで道徳心も誇りもない人の側にいちゃダメよ。アイギス、貴女はやっぱりこれからは―――」
「あります」
遮り、毅然とスヴェルを見据えるアーレイ。
その眼差しに、スヴェルはただただたじろいだ。
「あの人は恥知らずで道徳心なんて捨てている人ですが、誇り高い王です」
軽蔑されても仕方がない人物だが、そこだけは譲れなかった。
譲りたくはなかった、アーレイとしては。
この異世界にも北極星は存在する。
というより、星空が夜に見える世界ならば必ず北極星となる星は存在する。
「緯度を測るのは簡単なのです。ですが、経度となるとややこしい」
イリスは名も無き小島の浜辺で、うーむ、と唸っていた。
北極星とは、地軸の延長線上に存在する星の通称。その仰角を測れば緯度、南北どの辺りにいるかは容易に計算出来る。
「ソフィーと話し込んでいるうちに夜になってしまうとは。いっそ朝を待った方がいいかもしれません」
しかし、刻一刻と回転する惑星上で星空から経度を求めるのは極めて難しい。ある程度正確な時計さえあるならばともかく、星と月しか見えない夜空から現在位置を正しく割り出すのはイリスといえど困難であった。
伊能忠敬も大満足な、文明のレベルからすれば不釣り合いなほど正確に描かれた地図を広げる。
緯線と平行して引かれる曲線。この線上の何処かに、この島はある。
「お、とっと」
ふと体が浮き上がる。
「絶対安静」
「心配させてしまいましたか、すいません」
ソフィーの魔法にてふわふわと浮遊させられ運ばれるイリス。
「戻るつもり?」
「休暇は全てが終わった後で充分です」
「焦ってはだめ」
「そう焦っているつもりはないのですが……そう見えますか?」
苦笑するイリス。
空中からソフィーを見下ろすイリスを、彼女は無感情な瞳で射抜いた。
「無理している」
「そんなことは―――」
「自覚していながら、身体の痛みを無視している」
イリスは言葉に詰まった。近しい人から度々それとなく忠告されることはあったが、会って一日も経っていない人間に指摘されるとは思っていなかったのだ。
それはあるいは自惚れでもあるのだろう。自分の潜在能力を過剰に信じ、そして結果を残し続けてしまったからこその歪み。
あるいはそれを成し遂げるからこそ、イリスは前世云々生まれ変わり云々以前に英雄足り得たのかもしれない。
しかしソフィーは知っていた。英雄は長生きしないという、神話の時代から続くジンクスを。
「焦る理由があるの?」
「……それは」
「良ければ聞かせて」
もっとも、ソフィーにそれを指摘する義理などない。
だがそれでもソフィーはイリスの内に踏み入ることを選択した。
「言葉にすれば、考えも纏まるかもしれない。別の可能性が見えるかもしれない」
少しだけ、僅かに躊躇うように逡巡するイリス。
そして、開口する。
「…………友が、攫われました」
イリスはこれまでのことを話し、ソフィーは静かにそれを聞き続ける。
今更文面に起こすこともない。既に悔いるべきことは全て悔いていた彼女は、淡々と経緯を語る。
「アーレイを助けたいの?」
「当然です」
首肯するイリス。
ソフィーはやや黙考し、訊ねた。
「アーレイは水の国王家の人間?」
「―――何故、そう思ったのですか?」
アーレイが王族であることなど、特別秘密とされているわけではない。積極的に吹聴してこそいないがそれなりの人数が知っているし、相応の人数がその身分に感づいている。
ましてやソフィーとて爛舞騎士、既知であったところで不思議でもなんでもない。
だが彼女は推測としてイリスに確認をとった。その理由など一つ。
ソフィーは、敵が何故アーレイを拉致したのか察しがついていた。
「清奏派は『鍵穴』を開こうとしていている」
最低限にも満たない端的で抽象的な回答は、当然イリスを納得させるものではない。
「けれど、『鍵穴』には『鍵』が必要」
「それがアーレイ? 鍵穴とは?」
矢継ぎ早に質問するイリス。ソフィーは嫌な顔もせず、それに答える。
「大精霊の降霊儀式。それが、清奏派の最終目標」
ソフィーはイリスを見据える。不意に、イリスは嫌な予感がした。
「水の国王家の血が、儀式の生け贄となる。清奏派が動いたということは、儀式の準備は終わってる」
僅かに躊躇いつつも、ソフィーは最後まで冷酷に告げた。
「アーレイは、もう生きていないかもしれない」
大精霊。精霊信仰を宗教の基礎とするこの世界において、最も重要な精霊四柱を統べる存在。
かつて世界を創造し、地中深くにて眠るとされる霊的中枢の具現。
この世界を形作る四大精元素を司るとされており、この時代錯誤な原始論もまたイリスが精霊の存在を軽んじている理由である。
しかしこの世は地球にあらず、精霊もまた実在する。人とは異なる精神構造を持ち、魔獣とも異なる霊子の血肉を持つ霊的生命体。
「……そんな、そんなものを喚んで何をするつもりなのです、清奏派は」
船内を経由して地下室へと移動した二人は、長椅子に腰掛け話を続ける。
「想像は出来るけれど……確信はないから」
明言は避ける、と首を横に振るソフィー。
もどかしさを覚えるも、思いこみから判断ミスをしては目も当てられないとイリスも訊ねることはしなかった。
「しかし判りません。貴女は何故、そこまで清奏派について詳しいのです」
「ここ、清奏派の秘密地上施設だから」
「ええっ!?」
思わず周囲をジロジロと見るイリス。難破船の内部が妙に片付けられていた理由が、不意打ちで明かされた。
魔法特化の天才魔導師といえど、難破船をそれと偽装したままに建物へと改装し拵えるなど、当然一人では出来ない。
ソフィーは元々放棄されていた清奏派の設備を、最近になって発見し拝借したのだ。
「資料も残ってたから……私が話したことは、そこからの類推」
「直接的な情報ではない、と」
多少の希望を見出すイリスであるが、彼女とてそれが現実逃避でしかないことは解っている。
「この島ではかつて、国家主導による精霊使役の研究が秘密裏に行われていた。でも、その後研究の拠点は更なる地下に移った」
「……ちょっと待って下さい。どこ主導ですって?」
「水の国」
かつての4大国家、特に土の国と親密な関係であった水の国。清奏派の行っている『何か』の源流がそこから始まるとすれば、これはとんでもない話であった。
テロリストと大国が繋がっているならば、裏はどれだけ根深いか。イリスは考えるだけで目眩を覚えるほどだ。
「別に、清奏派が水の国の後継者であるという証拠があるわけじゃない。断定するには早計」
ソフィーはそう補足するも、イリスにはそうは思えなかった。
清奏派の代表者、スヴェル・クレンゲル。あの少女の家名こそ、何よりの証拠ではあるまいか。そう考えが至るのは当然である。
「―――この海域は半ば、黒竜軍の勢力範囲内です。ここの住人は黒竜軍の脅威から逃げる為に地下都市を築いたのでしょうか?」
「たぶん違う。喚び出すのはこの世界そのもの、大精霊という星の化身。神殿を作るには地下の方が都合がいいはず」
断片的な情報では、全てを知ることなど出来ようはずがない。
思考を打ち切り、イリスは大きく息を吐いた。
「ごめんなさい。私が知っているのは、結局この程度」
「いえ、情報提供感謝します」
とにもかくにも、明日現在地を確認してすぐに最寄りの基地へと移動しようと決心する。
その後どうするかは以前として困惑のままで考えが纏まらないものの、とにかくイリスは本格的な治療が必要なのだ。
「もう休みます……頭を冷やさないと」
踵を返した途端、やはりイリスの体が浮かび上がる。ソフィーは意地でもイリスに無理をさせるつもりはないらしかった。
階段を登っていく最中、思い出したようにぽつりとソフィーは呟く。
「……聖杯」
「ソフィー?」
「資料の中に、聖杯という単語が時々見受けられるの。たぶん、彼らの切り札的なマジックアイテムの通称」
マジックアイテム。イリスは空中会談にてスヴェルが口にした、同じ単語を思い出していた。
黒竜軍に敵ではないと認識させるマジックアイテム。なるほど、それならば『切り札』と称されるほどの重要性にも頷ける。
「蠕虫の喰穴を作れた理由が、聖杯と呼ばれる道具の存在。直接見たけれど……蠕虫の喰穴からは、嫌な気配がする」
「大陸中にトンネルを掘れるマジックアイテム? モグラの魔獣を使役でもしているのですか?」
「デスワームを使役しているのかも」
地中を移動する、骨格を持つミミズのような魔獣である。
「いずれにしろ、大陸中にトンネルを通すほどの強力な存在。敵対するなら、相応の覚悟をして」
「……覚えておきます」
また敵が増えた、とイリスはいい加減にしてほしい気分であった。




