無人島3
「わたしとシロが出会ったのは、半年前」
ソフィーは語る。何故爛舞騎士としての地位権利を捨て、このような島に身を潜めていたかを。
彼女の癖なのか、その語り口はぽつりぽつりと断片的。要領を得ない文章ながらもイリスは忍耐強く、彼女の話に耳を傾ける。
「色々あって、今に至るわ」
「面倒になってばっさりカットしましたよね今!?」
忍耐の敗北であった。
イリスは目下、気になることナンバー1の猫畜生を指さす。
「貴女の使い魔なのですよね」
「違う」
「おいラブリーマスコット。お前さっき、魔女には黒猫の使い魔がデフォルトとか言ってたよな」
「この世には嘘が満ちとるんやで……悲しいのう」
欺瞞情報であった。
「シロは白化汚染個体」
「初めて聞く単語、ですね」
記憶を探り、該当するものがないと判断するイリス。
「これで、知能指数は人間の平均を大きく越えている」
「これで?」
「これで」
「これで……」
イリスは一つの可能性にたどり着いた。
あるいは、イリスが眠っている間に人類の知能が大幅に退化したのかもしれない。
故に、相対的にこの畜生の知能が人間を上回ったのではないか―――そんな可能性だ。
「なんか今、ごっつう失礼なこと考えとらんかったか?」
「人はそれを被害妄想と呼びます」
「人やあらへんし」
口を大きく開いて欠伸をするシロは、人語を解していようとやはり猫であった。
人を越える知能を有すると説明されても、あらゆる意味で納得出来ない。
イリスの胡散臭いものを見る目に気付き、シロはのっそりと立ち上がる。
「ほれ、よう見てみい。おりこーそうな顔しとるやろ? 煮干しくれてもええんやで?」
「タマネギで良ければ差し上げましょう」
「それ犬や。まあ猫もあかんかもやけど、どんだけ畜生なんや自分」
「畜生に畜生と呼ばれました」
二人と一匹が語り合いつつ移動したのは、難破船の実験室。
イリスの前には大量の実験器具。ずっと昔に学校の理科室で見たような容器や管、その内容物である液体を彼女は胡散臭げに見やる。
「黒竜とは何?」
唐突な、それも学会においてすら解かれていない問いにイリスは困惑しつつも、自分なりの解釈を述べる。
「突然変異、遺伝子異常―――ではないのでしょうね」
どうしても科学的解釈をしてしまいがちなイリスは、黒竜の生態について今一つ理解が及ばない。
曖昧でメルヘンが曲がり通る精霊や妖精は、イリスの天敵の一つであった。
「ただ、人為的に生み出された生物では考えにくいかと推測しています。生物兵器としては無秩序すぎる」
「知性を持つ種もいるわ」
「それなんです。汚染兵やフォートレスドラゴンは、明らかに何らかの意志による『デザイン』をされている。確かにいます、彼らの背後には何かが」
頷くソフィアージュ。
「最初は、シロは黒竜軍の指揮を行う為に生まれた存在だと思った」
「それは、この白猫が本当に高い知能を持っているのなら、この上なく厄介ですね」
人が黒竜軍と戦えてこられたのは、彼らが戦術を知らなかったから。近年でこそその限りではないものの、それでも彼らは統制がとれているとは言い難い。各々が好き勝手に作戦を立てる、ゲリラ戦状態といえる。
汚染兵は『人類に敵対する』という一点のみにおいて共通変化している。それ以外の部分、即ち手段や考え方、能力や知能に関しては個体差が極めて大きい。
中にはゾンビのように徘徊するだけの汚染兵や、人間との戦闘から飄々と逃げ回っている汚染兵もいる。
故に共同作戦を行わないわけではないものの、基本的には個々に活動している。それが黒竜軍なのだ。
だが、それを纏め上げ統括する存在が現れたならば。
その時こそ、人類と黒竜軍は対等な敵となる。人がすがりついてきたささやかな優位は失われ、物量で押し潰されることとなる。
「でも違った。シロは黒竜軍とは別の存在。少なくとも、彼らに組みしているわけではない」
「それで、シロは人類に着いたというわけですか」
「着いてない。私とシロは、人でも黒竜軍でもない第三勢力」
「貴女達の目的は」
「真実」
端的にソフィーは答える。
「真実は裏切らない。真実は間違わない。それが残酷であっても、欺瞞よりはいい」
「違いありません」
「シロ、シロ」
「なんやソフィーや」
ソフィーはシロを呼び寄せる。
「お手」
「ほいさ」
すかさず手を差し出すシロ。本格的にペットであった。
「確かに白いですが。そもそも黒竜軍の類似品なのに白?」
「シロは汚染個体ではないもの」
「汚染兵? いえ、もっと広義の区分?」
若干のニュアンスの違いから、意味の差異をイリスは察した。
「ここでの研究は、その『汚染個体』のメカニズムについて?」
「それも、ある」
コクンと頷くソフィー。彼女とシロは、全ての始まりである黒竜を探ることで世界の異変、その真実を目指すことにしたのだ。
そして不完全ながらも成し遂げた。黒竜が何者であるのか、その正体をおぼろげながらも垣間見たのだ。
「思想宗教上の理由から大々的に行えないとはいえ、土の国でも同様の研究はしていたはずです」
「知っているわ。スティレットの仕事だもの」
大臣を呼び捨てにするソフィーに困惑するも、彼女とアンドリュース魔法大臣が養子縁組であることを思い出す。
祖父と孫ほどに歳の離れた二人であるが、法律上は親子なのである。……それでも呼び捨ては変わっているが。
「国家の研究を上回るとは、流石史上最年少の爛舞騎士といったところでしょうか。噂に違わず優秀ですね」
じっとイリスを見つめるソフィー。
何か気に障ることを言ってしまったかと困惑するも、ソフィーはそっぽを向いて赤面するのみであった。
世辞を言われたことは多々あるが、同格かつほぼ同年代の少女に褒められたのは存外嬉しかったのだ。
「完全に、全てを解明したわけじゃない。証明されていない、仮説の一つにすぎない与太話。でもシロと一緒に研究して、結果判ったこともあった」
共同研究。
人同士ならばともかく、白猫のシロがどうやって実験器具を扱ったのかイリスは疑問に思う。
そんな取り留めのないことが頭を過ぎっていたからか、イリスはソフィーの言葉に変な声で返してしまった。
「私、元々は髪に色があったの」
「へっ?」
この世界では、地球ではあり得ない肌や髪の色を持つ種族や個人がいる。だからこそ、イリスはソフィーの白さを先天性の個性、あるいはアルビノ等によるものだと思いこんでいた。
故に、予想外の話の展開に戸惑う。
「昔、土の国に逃げてくる前―――お父さんとお母さんがいた頃は、私はまだ人間だった」
まるで今は人ならざる者であるかのような言い様。
それは、彼女自身によって肯定される。
「私は白化汚染個体。汚染兵と同じ、変質した存在」
人間の生物としての変質。
それを聞き、イリスが真っ先に連想したものはやはり、父のことであった。
「白化汚染個体は一種族に一体だけ、ある程度の知性を有する動物に発生する現象」
「つまり、白い犬やイルカやシロアリもどこかにいると?」
「可能性はあるわ。……シロアリ?」
シロはつまり、猫という種族内にて発生した白化汚染個体ということ。
「白化汚染個体には、『知覚』という能力がある」
「貴女にも?」
「ある」
頷き、ソフィーは手の平を出す。手の平に魔力が集まり、ぽんっと光が生じた。
簡単な、初歩中の初歩の魔法。魔法を扱える者ならば、間違いなく同じことが出来る。
だがそれは、決してありえない現象でもあった。
「……どうやったんですか、今の?」
ソフィーの初級魔法。
そこに、詠唱らしき動作が一切含まれてはいなかった。
「ソフィー、貴女は今間違いなく詠唱をしなかった。何らかの情報を発さなければ発現しない魔法を、完全な無詠唱で起こしてみせた」
イリスとて魔法の専門家。詠唱をしていないように『見せかける』ことに関しては最高峰の技能者といっていい。
オルゴールに詠唱させ、魔法陣に詠唱させ、戦場で隙を作らぬままに魔法を顕現させるプロフェッショナル。そんな彼女が、下手な小細工を見逃すわけがないのだ。
「ありえません、こんなことは」
イリスらしからぬ、目の前の現実の否定。
ソフィーは怪訝そうに、イリスの戦慄を見守る。
「……やっぱり、これって変なことなの?」
ソフィーは多くの魔法使いから、同じ反応をされてきた。
彼女にとって詠唱は紡がれているのだ。人が呼吸を一々考えないように、彼女は当然のこととして魔法を使用している。
指摘されるまで、これが異常なことなどとは思いもしなかった。
「これは、精霊言語による詠唱」
「精霊……言語」
「そう。この世の全てには精霊が宿っている、彼らの言語は音の振動ではなく魔力で発せられる。だから、詠唱の為に口を開く必要はない」
イリスはピンときた。即ち彼女が知覚しているのは―――
「精霊の世界を、貴女の目は見ているのですね」
「……たぶん?」
これ以外の世界を知らないソフィーとしては、疑問符を付けるしかなかった。
これがソフィアージュ・アンドリュースの異能。無詠唱魔法の正体。
技術として落とし込むことの不可能な、彼女自身の能力である。
「他の白化汚染個体にも、同じ能力があるのですよね」
イリスはシロを見やる。
しかし、ソフィーは首を横に振った。
「見えるモノが何なのかは、個体によって違う。シロは無詠唱魔法は扱えない」
「では、貴方は何を知覚しているのですか?」
イリスはシロを持ち上げる。
シロはイリスの下半身を見て、サムズアップした。
「ワイが知覚しとるのは下着の色やで! アダルトブラックのイリスはん!」
イリスはシロを踏み潰した。
「汚染変質した個体は食事が必要なくなる。それは汚染個体と白化汚染個体共通。どこからかエネルギーが供給される」
「どこかってどこですか……ですが、黒竜軍は人間を食べますよ。そりゃもう意気揚々とモグモグと」
足の裏にこびりついた残骸を払いつつ、イリスは指摘する。
「彼らは食べなくとも生きられるようになる。でもそれは、ただ餓死しないというだけ。だから飢える。とにかく飢える。だから黒竜軍は食らう」
「貴女もシロも、飢えているのですか?」
「魔法は便利。暗示で食欲を抑制している」
「あ、暗示魔法? そんなことで解決出来るというのですか?」
衝動の問題ならば、精神を操ってしまえばいい。
暗示魔法は本来、信頼していない人間を操ってこそだというのにも関わらず、信頼した相手でなければ発動しないという矛盾を抱えた欠陥魔法。用途は限定されており、治療の為に暗示魔法を応用するという発想はイリスにはなかった。
もっともこれはイリスの不勉強である。トラウマや好き嫌いの改善に関しては発動可能であるならば有効な治療法であり、むしろそれが一般的な用法なのだ。
暗示魔法なる手法を知り、当然イリスは汚染兵にも適応されるのかと考える。
まったく新しい可能性を見い出し、イリスは問う。
「汚染兵と黒竜は、同じ現象なのですか?」
それ自体は以前から提唱されていた説であるが、立証されてはいない。
しかしソフィーはかぶりを振る。
「原理はおそらく同じ。でも同時に、あれはフォートレスドラゴンとの類似性が見られる」
「と、言いますと?」
「黒竜軍より上位の存在からの、意図的な設計を感じられる存在。その過程で思考プロセスを曲げられているから、そもそも精神が暗示を受け入れようとはしない」
他にも問題は残る。暗示魔法とて、そう便利な魔法ではないのだ。
戦場で敵を拘束し、充分な時間をかけて魔法をかける。それがどれだけ難しいか判らないイリスではない。
「……あの、私達ってどこかでお会いしましたか?」
だからこそ、先程のソフィーアージュが暗示魔法を成功させた異常性が際だっていた。
何故彼女がイリスを信頼していたのか、その理由にまったく心当たりがない。同じ爛舞騎士として会ったことがあっても不思議ではないが、イリスとしては首を傾げるばかりだ。
「おいソフィー! これナンパやで! 遂にあんさんにも出会いの春が来たんや!」
「……ぽっ」
顔を赤らめるソフィアージュ。
冬の初めの出来事である。




