無人島1
ドラゴン。この異世界におけるほぼ唯一にして最強の航空戦力であり、アーヴェルア国防軍の主な戦力である。
その役割は制空権の確保から地上攻撃まで多岐に渡り、汎用性という意味では地球の航空機を遙かに凌駕している。全ての戦場において主役となるこの生物は、しかし簡単に人を背中に乗せたりはしない。
頑固で気難しく、気まぐれで奔放。個体によって程度の差はあれど、基本的に生まれながらの強者であるドラゴンは、脆弱な人間を乗せたがりはしない。
故に、騎士を志す者は何年もかけてドラゴンとの絆を育む。寝食を共にし、世話を繰り返し、血の滲むような努力を示しようやくチャンスを与えられる。
イリス曰く―――『出来の悪い生体コンピュータ』。あまりに優雅さに欠け、あまりに無骨な血の通う翼は彼女が前世にて追い求めた戦闘機のそれと比べ、あまりに貧相。
「おまけに可愛げもないと来た。ああ、もうちょっとでF-15に乗れたというのに」
鱗をデッキブラシで磨きながら未練がましく愚痴るイリスに、バルドディは「やがましい」と言わんばかりに唸った。
騎士の相竜は軍施設の厩舎にて日々を過ごしている。人間からすれば獣臭く粗末な小屋だが、元が魔獣、すなわち野生動物であるドラゴンにとっては充分な生活スペースであった。
国営大工房敷地内の、小さな厩舎。イリスの相竜であるバルドディは、ここを生活の拠点としている。
彼はあまり人との交友を重んじる性格ではない。むしろ人間の大半を毛嫌いし、相人であるイリスとすら積極的に関わろうとはしない。
「孤高の男とか気取っているのかもしれませんが、ただのコミュ障ドラゴンです」
抗議する気力もなく、世話をされるがままのバルドディ。イリスは彼の背中に就職活動中の風格を幻視した。
ここはガツンと言ってやらねばなるまい。イリスは一念発起し、バルドディに語りかける。
「いいですかバルドディ。今でこそ異世界でマジカル爬虫類に跨がっている私ですが、本当ならばこんなはずではなかったのです」
また小娘が妙なことを言い出した、と欠伸をかくバルドディ。
「私はイーグルという、とても優れた乗り物に乗れるはずだったのです。この乗り物はとても速く、とても強い。フォートレスドラゴンなど鎧袖一触です」
イリスの脳裏に浮かぶのは、全長約20メートルの鋼鉄の翼。
焦がれ憧れ愛し恋して、最期に劇的なまでに奪われた。
激怒であった。憤怒であった。激情であった。
殺されたことなどどうでも良かった。イリスはどうしても更に高い空を飛びたかった。
未練がないはずがない。心残り全開である。
「バルドディ、ちょっと超音速で成層圏を飛んで下さい」
とんだ無茶ぶりであった。
ばしばしとバルドディの背中をデッキブラシで叩くイリス。
嫌がるかと思いきや、いい具合に肩叩きになっているらしく彼は目を細める。
「えっ? 半年前に音より速く飛んだだろうって? あんなのはノーカンですノーカン。戦略強襲用超音速巡航推進装置なんてズルですとも。巡航を名乗るなら自力で長時間飛ぶべきです」
本家イーグル戦闘機でさえ不可能なことを要求するイリスである。
イリスはふと、違和感を覚えた。
「バルドディ……?」
時系列がおかしい、と気付いてしまった。
イリスとバルドディが戦略強襲用超音速巡航推進装置について語り合うことはありえない。そんなタイミング、存在しなかった。
何故なら、バルドディは戦略強襲用超音速巡航推進装置を使用した作戦の直後に―――
「……いてて、なんだか頭痛がします」
コツコツと自分の頭を小突くイリス。
背中を洗うイリスには、バルドディの顔は伺えない。
「何かの思い違いですね、きっと。だって貴方は現にここにいるのですから」
じっと身を屈めたまま、微動だにしない彼にイリスは不安を覚える。
「何か返事をして下さ……体が冷たいですよ。寒いのですか?」
ドラゴンは爬虫類のような外見だが恒温動物だ。体温の低下は重要な不調のサインであり、イリスも心配げに訊ねた。
やはり反応のないバルドディに、イリスはデッキブラシを脇に立て掛け彼の前方に回り込む。
バルドディの頭部は腐り、蠅が集っていた。
「なっ」
途端、嗅覚を刺激する腐乱臭。
イリスの足下を蛆が這い、血管の如く地を蔦が走る。
生気を食らい尽くさんばかりに魔力が枯渇し、空気が毒ガスに変化したかのように錯覚させた。
瘴気、とでも例えるべきか。イリスはこの世界を知っていた。よく見知っていた。
「暗黒領域……」
最前線の更に向こう。人類を初めとする全ての動植物の生存を拒絶する、枯れ果てた世界。
そうだ、とイリスは記憶を蘇らせる。黒竜軍に属する存在全てに共通する気配。禍々しく悪意に満ちた鼓動。
本能から拒絶感を覚える感覚を、相竜から感じ取る。その不自然さにイリスは吐き気がした。
「バルドディ、堕ちた、のか?」
通常の生物が黒竜軍に寝返った事例は存在する。死亡した竜騎士が蘇り、変質して人類に襲いかかる。汚染兵と呼ばれる彼らがどうして発生するか、未だ解明はされていない。
ドラゴンが汚染兵化するかは不明。だが、バルドディが汚染されているとすれば、それは即ち―――
「なあ、答えてくれ。バルドディ、お前は―――」
―――俺を、恨んでいるのか?
イリスの言葉は、バルドディが彼女の喉を噛み砕いたことで続けられずじまいであった。
「――――――っッ!?」
覚醒は唐突であった。
霞む視界。動かぬ四肢。ぼんやりと見える木目の天井。
まるで、分針がずれてしまった時計だ。イリスが感じたのは、そんな気持ちの悪い違和感だった。
時間を合わせようとしても、時針が頂点に達しているのに分針は中途半端な位置にしかこない。
何がというわけではない。しかし、全身に妙な感覚を覚える。
ちぐはぐで不明瞭な疑問の中、懸命に意識を浮上させ脳の覚醒に努めるイリス。
そこは個室であった。朽ちかけた木の壁に天井、イリスが横たわるベッド以外何もない。
まるで棺桶の中だ、とイリスは縁起でもない連想をした。
イリスの体が悲鳴をあげる。一度気付いてしまえば、それが全身に蔓延していると解ってしまった。
「痛たたたた、なんですかこれ」
イリスはまるでミイラであった。顔も胴体も全てが包帯で巻かれ、確認せねば当人などとは判らない状態だ。
「包帯が固くて胸が苦しい……素人の治療です」
慎まやかな自身の胸が苦しいとは、どれだけきつく巻いているのだといぶかしむ。
「ここは、天国―――なわけがない、か」
全身の鈍痛は、イリスが生きている証明に他ならない。
体中に巻かれた包帯はアーヴェルア国防軍正式採用規格。だがまさか、死後の世界でも共通規格なはずはない。
そも、この世界そのものが『死後の世界』ではないか。イリスは苦笑した。
ふと、自分の影が揺らめいていることに気付きイリスは顔を上げた。
「精霊?」
この部屋には窓がない。しかし明るさは確保されている。
部屋の中心あたりに、光の玉がふわふわと浮かんでいるのだ。
精霊召喚の類であることはすぐに解したが、その能力にイリスは舌を巻く。
小規模での召喚といえど、術者のいない場所への待機。イリスほどの魔法使いであれば、それだけで相手の技量を計れるというものだ。
「ただ者ではありません」
一流は一流を知る。この精霊を使役する者の実力を推して知り、イリスは警戒を抱いた。
「……いけない、空を見ないと息が詰まってしまう」
中毒症状を催し、イリスはベッドから起きあがる。
ベッド脇に置かれた不変の聖水剣を、何故ここにあるのかと訝しみつつも手に取る。
実をいえば、イリスが気絶している間も手放さなかっただけである。
ベッドから普段の10倍以上時間をかけてやっとの思いで立ち上がる。カラン、と何かが床に転がった。
「―――アーレイ」
翼と真珠のイアリングであった。
白い、イリスが寝た時に着けっぱなしにしていた片割れ。イリスを救助した者が外し、彼女の上に置いておいたのである。
彼女はそれを拾い、苦戦しつつも耳に装着した。
「とにかく……動かないと」
単調な室内の数少ない変化、ドアを体重を使いつつ押し開ける。
「よっ……と」
幸いというべきか。朽ちた内装とは裏腹に部屋の扉は容易く開き、彼女は廊下へと出た。
本能的に上へ上へと目指すイリス。やがて、屋上へとたどり着く。
「ああ、吸い込まれそう」
生憎の曇天。されど空。
人間を誘う悪魔の囁きのように、果てのない錯視の渦に飲み込まれるような感覚を覚える。
このまま体重が失せて飛んでいってしまえばいいのに。イリスはそう思った。
「あの雲の向こうはどうなっているのでしょう。見たいな、悔しいな。ああ、口悔しや悔しいのう」
恨み節じみた言葉とは裏腹に、イリスの声色は優しい。
我が子に語りかけるような声色で、天を仰ぎ笑う。
「空を汚すゴミはいりません。それが黒竜軍でも、清奏派でも」
ぐぅー、と伸びをして、改めて周囲を観察する。
見えるものといえば暗い空、それと色の混ざった灰色の浜辺、そして小さな山。
潮の香りをくんと嗅ぐ。
「―――島?」
半島的な地形かもしれないが、直感的にイリスはそう判断した。
建物内部は人間の生活感がほとんどなかった。だがイリスは現に治療されており、また光精霊の存在もこの建物が無人ではないことを証明している。
とりあえず、外に出てみる為に下層へと足を進める。
「ところどころ手直しをされているあたり、それなりの人数がいるようです」
明らかに後から追加されたであろう部屋や物体が多数見受けられ、それらもまた相応の古さを感じさせることからイリスは推測を進める。
彼女にはなんとなく、ここが田舎の木造学校校舎のように思えた。そんな場所を直接目にする機会に恵まれてなどいない前世であったが。
3階ほど増築箇所と思われる広い階段を下りてみると、壁に大穴が開いていた。
「一部焦げ跡がある。これは、もしかして魔法でぶち抜いた?」
内側に焦げ跡が多いことから、外側から侵入する為に放たれたと推測される。戦闘が現在進行形で行われているのかと危惧するも、どうやらこの穴が穿たれたのは随分と以前であるらしかった。
「足下も片付けられているし、補強もされている。まさかこれが出入り口?」
イリスの考えを肯定するように、建物の外にはご丁寧に足場まで増築されていた。どうやら荒事とは趣が異なるようである。
壁の残骸を跨ぎ、スロープを降りていく。
そして振り向き、小さくイリスは声を上げた。
「ここ、船だったのですか」
浜辺に乗り上げた帆船。マストが折れ船体に傾斜もないことからなかなか気付けなかったのだ。
大きさはおおよそ全長50メートル。幅は16メートルもあり、かなり丸っこい印象である。
船らしからぬ太さも、船と気付けなかった理由の一つであろう。イリスは何故か、神奈川県でコンクリに沈む戦艦を連想した。
難破船。それも70年以上前の、極めて古い。
よく崩れなかったものだと、イリスはむしろ関心した。
「国防軍の前哨基地かと思ったのですが、さすがに廃船を利用などしないでしょうし……物好きが最前線に住み着いているのでしょうか」
水の国の海には大小多くの島が浮かんでいる。現地人しか知らないような無人島など無数に存在し、ここのその一つであることは明白であった。
まずは人を捜すべき―――なのであるが、それ以上に急務があった。
「おなかすいた……」
こんなことなら屋上、ないし甲板にいれば良かったと後悔するイリス。
ちなみに、甲板で飢えていようと現状に特に変化はない。少しだけ空に近いだけである。
よたよたと大きな岩の側にいくと、瞼を閉じ仰向けに寝転がる。
「ああ、日に熱せられた岩の放射熱が心地いい」
何せ季節は冬である。僅かな熱であっても、布団に包まれているかのような居心地の良さであった。
人がいるならばそのうち誰かが来るであろう。イリスはこれ以上の行動を控えることに決める。
ふと、瞼越しの光が暗くなった。
そっと目を開ける。
大岩の上に降り立った巨大なドラゴンが、イリスを見下ろしていた。
「おわた」
通常のドラゴン種より遙かに巨大な図体、溢れんばかりの魔力量。
どう見ても人類種の天敵・フォートレスドラゴンであった。
Q なんでイリス生きていたの?
A イリスはドワーフのクォーターで、スピアとルバートの娘なのでやたらタフです。




