化物
「はっ、が……!」
イリスの目覚めを誘ったのは、穏やかな朝日ではなく胸の痛みであった。
時刻は深夜。突然の激痛に原因を探せば、胸に突き刺さる凶器。
ナイフの切っ先が、自分の胸元に深々と突き刺さった光景はとても不快なものだった。
「始末したか」
「問題ない。爛舞騎士といえど、寝込みを襲われては脆いものだな」
ナイフを引き抜かんと、襲撃者の腕が引かれる。
体内に異物が這う気色悪さ。イリスは咄嗟に襲撃者の腕を掴み、凶器が抜かれるのを阻止した。
「舐めるなぁ―――!」
「なっ……!?」
寝起きから即座に臨戦態勢に移行しうるのがイリスという人間だ。
しかし体から刃物を抜けば出血が増える、などという理知的な判断ではなかった。ただ怒りに任せ、感情のまま反抗しただけだった。されど、その判断こそがイリスの命を繋ぎ止めた。
「『 』『 』」
「なにを……!?」
小声で意味の通らない単語を呟くイリスに、襲撃者は眉を顰める。
「馬鹿野郎、高速詠唱用人工言語だ!」
高速性を重視された二節の詠唱、更に魔法用特殊言語の高速詠唱用人工言語となればまさに一息。敵が反応するより早く構成された魔力の炎は、イリスのイメージに従い吹き荒れる。
「スタングロッグ!」
イリスの手の平より生じた火球は、彼女自身を覆い焼いた。
何が起きたのか理解が追い付かず、呆然とする襲撃者。
スタングロック。第九級魔法とあって割とポピュラーな戦闘用魔法だ。
手の平より生じる炎は直径1メートルほどの火球となり、術者の手の届く範囲を炭化させる。手の届く範囲から離脱されれば無力化されることから、閉所、或いは近接戦闘に向いた魔法といえる。
そういったことを鑑みれば、イリスがスタングロッグを選んだことは不思議ではない。しかし、なぜイリス自身が燃えてしまうのか。
制御ミス。遠距離魔法ならばイメージの乱れから魔法の軌跡が安定しないこともあるが、手の平を起点として発動するスタングロッグが暴発することなどほぼ有り得ない。
ならば、イリスは自らの意志で自らを焼いたことなる。それが判っているからこそ、襲撃者には彼女の意図が読めなかった。
「はああぁぁぁっ!」
すぐに霧散する炎。その中より、寝間着を燃やしながら飛び出すイリス。
きわどくはだけた衣類もまったく色気を演出することはない。むしろ焼けた肉の臭いと、元は美しかったであろう焦げた髪が痛々しいのみ。
刃物で胸を刺され、全身を火傷しても彼女が止まることはない。襲撃者は意味不明な敵対者の行動に戸惑い、イリスが反撃行動をとっていることにすら気付けなかった。
襲撃者の首より血が吹き出す。イリスの手には、彼女を害したナイフ。
何故イリスがナイフを抜いても構わないと判断したのか。その答えに至り、襲撃者は戦慄する。
「こいつ、止血の為に自分を焼いたんだ!」
「無茶苦茶がすぎるぞ……!」
仲間を一人殺され、襲撃者達も体勢を立て直す。
イリスは視線を部屋中に走らせ、目が焼かれ歪んだ視界で確認する。
襲撃者はかなり多い。イリスがざっと確認しただけでも、十人以上はいる。
「さっさと殺せ! そいつは危険だ!」
「死にかけがぁ!」
罵声と共に振り下ろされる短剣。無心にて回避を試みるイリス。
しかし、その刃先はあまりに容易くイリスの肩に食い込んだ。
袈裟状に切り裂かれ、床に崩れ落ちる。
「……案外呆気なかったな」
唖然と襲撃者はイリスの亡骸を見下ろした。
不意打ちならばともかく、イリスの白兵戦能力は低い。大怪我を負った状態で勝てるはずもなかったのだ。
「行くぞ、もう『鍵』は確保した」
踵を返す襲撃者達。
イリスは辛うじて生きていた。しかし、その意識も次第に混濁していく。
霞んだ視界。自慢の視力はほとんど機能を失い、撤退する襲撃者の背中をなんとか映すのみ。
襲撃者の後ろ姿と―――片方の肩に担がれた、小さな人影。
「アー……デ、イィ」
イリスは合理的な人間であった。あまりに合理的すぎた。
必要とあればそれを選べる人間であった。周囲に畏怖を抱かせるほどに、それはどこまでも客観的であった。
「よごぉめぐ、えが、を」
血の泡を吹きながら、イリスは詠唱を開始した。
「こと、り、るべよりいづだすぜよ……ッ!」
詠唱は原則として、意味が通じればどのような発音であっても発動する。
イリスの発声はもはや耳で聞き取れるものではなかった。しかし、その声を確かに精霊は拾っていた。
高速詠唱用人工言語どころか、速読詠唱を行う余裕もない。古典的な通常詠唱は遅く、単語を一つ一つ噛みしめるように紡がれる。
やがて、羅列は完成した。
「ドリター、ル……!」
イリスは魔力を自身に発現させる。
術者が自らを対象に発動させる魔法など、治癒魔法か強化魔法と相場が決まっている。しかしイリスが使用したのは、戦闘用魔法ですらない。
技師用の生活魔法・ドリタール。物質を変形させる、決して生物に使用していいはずはない魔法。
体内に存在する、ドリタールの効果対象と成りうる硬質の物体。そんなものは一つしかない。
針状に変形した骨が、イリスの体内から無数に飛び出す。
痛みなど、とうの昔に感情に押し流されていた。ミチミチと肉を千切る音を鳴らし、無数に体中穴だらけとなっていく。
臓器を締め上げ、血管を縛り、傷口を縫い合わせる。
それはあまりに雑な、治癒魔法に適正のないイリスなりの治癒魔法であった。
激痛。脳天を貫くような、猛烈な激痛。些事であった。
「は、ははハハハ」
やはりそうだった。確信を抱きつつ、血を噴き出しながらイリスは立ち上がる。
声に、襲撃者達は振り返った。
「なに、まだ生きて……ひぃ!?」
―――体に穴を開けるなんて、正気の沙汰じゃあ、ない。
「バ、バケモノ!」
襲撃者達が見たのは、全身を炭化させ胸から血肉の残った骨を生やしたナニカ。
既に人の姿をしていない、少女だったもの。気力と魔力だけで命を繋ぎ止めている肉塊。
襲撃者は手にした剣をイリスに突き刺す。
今更裂傷が一つ増えたところで、彼女が止まるはずはないと気付けなかったのが彼の過ちだった。
深々と腹部に刺さった剣を一瞥。イリスはそれを無視し、呪文詠唱を行う。
「―――アポート」
ズシリ、と手の中に一振りの剣が収まる。
不変の聖水剣。決して朽ちぬ水の刀身を持つ、イリスが父から継いだ宝剣。
襲撃者もまた、その勇名を知っていた。だからこそ、一斉に距離を取り刃の範囲から離れる。
「魔法剣であろうと、近接武器には違いない! 距離を取って、魔法で仕留め―――」
「リ・アポートッ……!」
続けざまに現界する『鞘』に、敵は何度目になるか判らない困惑を強要された。
何故この場で鞘を必要するのか、そもそも彼女の手にあるソレは『鞘』なのか?
イリスは不変の聖水剣を機械の鞘に納め、腰に構える。
あたかもそれは、居合いの如き姿であった。
「不変の聖水剣・機械仕掛けの神刃ッ!!」
気合一閃。横凪に振るわれる水の刃。
到底届くはずのないイリスの攻勢は、だがしかし。
「がっ……あ……!?」
「なん、で……?」
結果、襲撃者全員の四肢を両断する結果となった。
「なんだ、どうやって攻撃された!?」
「腕が、くそぉ……!」
「目をやられた、見えないッ」
ただ一振りにて二桁の敵を切り裂く、見えない刃。その正体が判らず、怖れおののく襲撃者達。
全てが致命傷なわけではない。所詮直線上の一撃、頭や胴体を避けた者は一命を取り留めている。
しかし、あまりの非常識な攻撃に襲撃者は混乱した。
ぎし、と何かが軋む音。
恐る恐る生存者が振り向けば―――そこには、横に切断される内装。
イリスの一撃は、建物の構造物ごと全てを切断していた。
「化け物、化け物だ!」
「当たり前だ、これは爛舞騎士だぞっ!」
「計画は完璧だったはずだ、どうしてこんなことに!」
自らの窮地に嘆く襲撃者。
しかし、そこまでが限界であった。
イリスは今度こそ、呆気なくどうと倒れる。
「……死んだ、か?」
再び動き出すのではないかと、最大限に警戒しつつ剣先でイリスを突き刺す襲撃者。
「おい、死んだよな? 本当に死んでいるんだな?」
「静かにしろ……!」
何度も刺突し、反応がないことを確認する。
その時、にわかに近所の住人達が騒ぎ始めた。
「くそ、騒ぎすぎたな」
襲撃・誘拐が露見しては、撤退が困難になる。誰にも気付かれることなくことを進める、という当初の計画は完全に破綻してしまっていた。
大事となってしまった以上、速やかに撤退すべき。しかしその前に部屋に転がる死体の山を隠蔽する必要があった。
何事かと兵士が部屋に突入し、死体を発見すれば深夜であろうと騒ぎになることは間違いない。
しかし死体さえ見つからなければ、状況把握から始めなければならず多少は時間稼ぎになる。
「そっちを持て! くそっ、こいつ剣を手放さねぇ!」
「構わない、一緒に捨てちまえ」
宿舎の裏手は運河であった。生き残った襲撃者は窓を開け、イリスと仲間の亡骸を川へと放り捨てる。
「死亡確認をしていないが、あの状態ではとても生きてはいまい」
部屋に散らばった血痕を隠し、生き延びた男もアーレイを抱え窓から飛び降りた。
適当な隠蔽工作であったが、夜の闇中においてはこれで充分。これにて事件発覚は大きく遅れることなる。
軍事基地を強襲されるという大失態。襲撃者はイリス達を襲撃する前に当直騎士をも始末していたらしく、彼らもまた行方不明。
結果、宿舎にはほぼ出陣式参加者のみしか居ないという状況になってしまったことが、事件発覚遅延の一要因となったことは誰の目からも明らかであった。
一晩にして少なくない数の人間が殺害されるという異常事態に、バール団長はフラン女王に直通で委細報告書を認めつつも箝口令を敷き、事件の隠蔽を計る。
このタイミングにこの事件。遠すぎた空作戦の詳細が清奏派に知られていた可能性にはバールも当然行き着く。しかしバールは、この事件と遠すぎた空作戦の関連はないと判断した。
イリスもアーレイも、遠すぎた空作戦を決行する上での重要人物ではない。客観的に考えれば酔い潰れていた作戦指揮官であるバールの命を狙うほうが、よほど作戦阻止に有益なのだ。
故にバールは事件を同作戦とは別件であると割り切り、敢えて作戦の続行を決心した。
事件発覚の翌日、あくまで予定通りに巨大船は出港する。
大勢の騎士、莫大な物資、様々な不安要素をも満載した船は、ただ一人の見送りもなく静かに水面を進み始めるのであった。
襲撃者「勝ったッ! 第2章完ッ!」
軽銀のドラグーン第2章、長らくのご愛読ありがとうございました。




