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軽銀のドラグーン  作者: 蛍蛍
2章
36/85

二人の夜






 イリルム国防軍基地(ゼンフ・イリルム)の一室にて、少女達は就寝前のひとときを過ごしていた。


「思ったよりちゃんとした部屋で良かったですっ」


 小さなお尻をベッドの上でトランポリンさせるアーレイ。酒気が多少抜けたとはいえ、依然不自然に上機嫌である。


「見知らぬ相手と相部屋で眠るわけにもいきませんから、バールが手配してくれたのかもしれません」


 正規騎士二人とはいえ、うら若き少女二人。他人と共におちおち眠れるはずはない。イリスは何らかの不備にて雑魚寝の大部屋へ案内されるようならば、バールに掛け合ってでも個室を改めて用意させるつもりであった。

 だがこのような、旅行者向けを思わせるしっかりとした個室が与えられるのは流石に予想外であった。彼女達の身分からすれば不思議ではないが、それは現状伏せられている。


「厚遇しすぎです、かえって不自然に思われていなければいいのですが」


 冷遇しても厚遇しても文句の出る、面倒な客人であった。


「ですが安宿には泊まれませんよぉ?」


「それはそうですが。イリルムに上等な宿屋があるかも怪しいですしね」


 この世界の宿屋は、粗末なものとなれば大部屋にハンモックが幾つも吊されているだけの場所も珍しくはない。

 地球であれば当然過ぎるベッドを備えたこの個室も、異世界においては高級に分類される調度品であった。


「ですが、久々に別々のベッドですね……ってこらこら」


 アーレイは枕を持参し、イリスに割り振られたベッドに潜り込む。

 仕方がないと溜め息を吐き、イリスはアーレイ用のはずであったベッドに移動すべく立ち上がった。

 アーレイが腰に抱きついて立てなかった。


「あの、動けないのですが」


「ふがふが」


「お尻に顔を突っ込まないで下さい。犬ですか貴女は」


 観念して、イリスはアーレイと同じ布団に潜る。


「今更ですが、防衛本部宿舎の新しい部屋が相部屋だったのはやはり何かしらの手引きを行った結果ですか?」


「ぐうぐう」


「狸寝入りしないで下さい、というかアーレイ、もうほとんど酔い醒めているでしょう」


 困ったものだ、とイリスは表面上でのみ深々と溜め息を再び吐いた。

 竜騎士(ドラグーン)となる訓練課程において、候補生及び準騎士(モンス)時代はクルツクルフ防衛本部の宿舎で生活することが義務付けられるが、正規騎士となった者は住む場所を選ぶ権利が与えられる。

 つまりは持ち家か宿舎に残るか。距離的な制限はあるが、多少の出費はあれど息苦しい共同生活からの解放を臨み自分の城を有する者も多い。

 なにはともあれ、正規騎士となれば引っ越しは必須なのである。それまで準騎士(モンス)達が生活していた宿舎も狭い共同部屋であり、正規騎士ともなればそれなりの広さの一人部屋を与えられるからだ。

 だがイリス達ブライトウィル一家はそれ以前の問題を抱えていた。実家が先のマザーフォートレス(超空の母船竜)襲撃に際し、全壊してしまっていたのである。

 よって、今現在イリスの母スピアと祖父ランスはとある借間を契約して生活している。ようはアパートである。

 複数階建てのアパートというと近代的な印象を受けるかもしれないが、古くは古代ローマ時代から存在する土地活用術だ。魔獣対策の城壁によって土地面積が限定されるこの世界においても当然存在し、多くの人々が生活の場として使用しているのである。

 しかし、新たな実家にイリスの部屋はない。元より実家に帰る機会も少なかった彼女は、狭い借間を私物で占有することは非合理的と判断し宿舎に移ることを選んだのである。

 経緯はともかく、念願の一人部屋。それまで極端に狭い部屋でもう一人の同居人と共に生活していたことを考えれば、素晴らしい変化である。


『また相部屋ですか、奇遇ですねイリス!』


『何故ここにいるのですか、アーレイ』


 新しく与えられた大きな部屋にも同居人は住み着いていた。

 かつての彼女達の部屋は、極めて限られたスペースを創意工夫によって活用した秘密基地じみたものであった。机は開閉式、ベッドは3段であり内2段は物置。少女達は一人用の空間に二人で添い寝する始末。

 それと比較すれば、新しい部屋は実に広々と余裕をもってレイアウトされていた。

 大きな窓、大陸地図を広げられるほどのテーブル、クローゼットなど別室に備え付けられている。

 しかしどういうわけか、ベッドは天蓋付きが一つだけだった。

 模様替えをした本人曰く、「発注ミス」らしい。


「寝ましたか、アーレイ?」


「すやすや」


 狸寝入り続行中。


「寝ているのならチューしてもばれませんよね?」


「優しくして下さい……」


 唇を突き出してスタンバイしているアーレイを無視し、イリスは澄んだ星空を窓越しに見上げた。

 ふと、酒場に置いてきた同期騎士について思い返す。


「結局、ギイハルトは何故ここにいたのでしょう……?」


 ソフィアージュ・アンドリュース。なんとなく、この名前が気になり始めたイリスであった。




 黄金柏陽剣付金剛双翼勲章騎士。通称爛舞騎士(ラウンドナイト)第四位の地位に収まる人物。

 竜騎士(ドラグーン)としての技能を持たない一介の魔法使いでありながら、爛舞騎士(ラウンドナイト)に任命された魔導士。

 この世界において最強の戦力が竜騎士(ドラグーン)であるが、それは爛舞騎士(ラウンドナイト)イコール竜騎士(ドラグーン)と定義するものではない。戦闘面において有力と認められれば、どのような手段であっても爛舞騎士(ラウンドナイト)となりうるのだ。

 しかし一転特化型の戦士だからこそ、その分野での技量は他の追従を許されない。この少女ソフィアージュもまた例外ではない。

 卓越した魔法の才。一重にこの力だけで、彼女は世界有数の戦力となった。

 曰く―――彼女の能力を以てすれば、魔法の発動に詠唱すら不要となる。

 魔法の大原則すら否定し、奇跡を発動する。それを鬼才といわずしてなんと例えようか。

 一つの時代に13人しか選定されない最強の騎士達。イリスもまた若干12歳にて同じ称号を得るという偉業を果たしたが、彼女は更に若くして既に称号を得ていた。つまりは、イリス以上の化け物なのである。




「ううん、やはり考えにくいです」


 とりあえず否定するイリスであった。

 詠唱せずに魔法を使用する。それは、イリスにとって大きな課題の一つだった。

 意識するだけで魔法を無数に発動出来れば、どれだけ戦闘の糧となるか。成果が明白だからこそイリスも努力を費やし、そして挫折したのだ。


「詠唱なしでの魔法発動は不可能です。散々実験も検証もした結果です。なんらかのインチキでしょう」


 そう、たとえば工学輪唱杖(スペルカノン)のような。

 人間の耳で聞き取れない音や速度での詠唱ならば、イリスも納得できた。


「そういわれましても……私も噂程度ですが、彼女については聞いたことがありますよ」


「おはようございます、アーレイ。狸寝入りはやめですか?」


「こんばんは。月が綺麗ですね。えへへ」


 会話が混沌としていた。


「異端児といえばイリスも大概なのですし、あまり常識に囚われるのもどうかと」


「私は普通ですよ。それと今日は新月です」


「私には眩く照らす月光が見えるのです。闇夜でも覆えぬ内なる輝きは、まるでイリスの魂の如きです」


「月に内なる輝きなどありません。あれは恒星の反射光です。というか私の魂は水素核融合方式ですか」


 会話の殴り合いであった。

 無駄話のおかげか、いい具合に眠気がやってきたイリスは、ぽてりと体を横たえる。


「そういえば。ふと思い出したのですが」


 アーレイはガバッと身体を起こす。


「寝ましょうよ、もう……」


 今度は何故かアーレイが覚醒してしまっていた。


「イリスは先程、露天商から何か購入していませんでしたか?」


 あ、これもう寝る気のないパターンだ。そう諦観を覚えるイリスに、アーレイは訊ねたのであった。




「イヤリング?」


「はい、傷物ですが」


 イリスが手の平に載せるのは、小さな真珠のイヤリングであった。


「イリス、私、嬉しいです」


「へっ?」


「遂にお洒落に目覚めたのですね! 苦節5年、就寝中に耳元で『可愛い服を着たくなーる、愛らしいアクセサリーを身に付けたくなーる』と囁き続けた甲斐がありました……!」


「やっぱり別のベッドで寝ましょうか」


「倦怠期!?」


 イリスが月明かりにイヤリングを翳す。アーレイはイリスに抱きつき気味に顔を寄せ、視線を合わせた。


「それなりに上物のようですが、これが傷物ですか?」


 王族として、アーレイにも審美眼らしきものは備わっている。

 翼をモチーフとした複雑な細工にも損傷はなく、真珠もそれなりに大ぶり。養殖真珠などないこの世界では充分に上物だ。


「見比べてみれば判りますよ」


 アーレイはイヤリング左右それぞれを比べ、すぐに気付いた。


「色が違う?」


 片や真珠本来の乳白色、だがもう片方は青みがかっていた。


「職人の選別ミスでしょうか?」


「いえ、薬品をぶっかけてしまったそうです」


「えぇー……」


 間違えて別の色の真珠を使ってしまったのならばともかく、薬品で変色してしまったというならば『傷物』扱いも納得である。


「価値は片方分プラスアルファ程度しかありませんが、翼をデザインしているのが気に入りました。丁度青と白ですし」


「真珠の色に何か意味合いでも?」


 イリスは答えず、アーレイの耳に青い真珠のイヤリングを装着した。


「ふむ。やはり貴女には青が似合う」


 アーレイはみるみるうちに紅潮し、枕に顔を突撃させた。


「うきゃー! うきゃきゃー!」


 枕で叫びを押し殺しバタバタと足をばたつかせ興奮するアーレイ。

 目撃者はいなかったが、現在のアーレイの顔はとても人に見せられないほどに弛んでいた。


「きゃわわー! きゃぅゴホッ、ゲホゲホ!」


「馬鹿ですか貴女は」


 興奮しすぎて咽せるアーレイに、イリスは呆れた視線を向ける。

 アーレイは突っ伏したまま、うつ伏せに直立の姿勢で固まった。

 辛辣なことを言われて落ち込んだか? それとも呼吸困難で気絶してしまったか? と不安になり近付くイリス。


「ふへっ、ふへへ」


 こっそり笑っていたので、イリスは心配することを止めた。

 イリスも試しにイヤリングを着けてみる。


「む、存外難しい。鏡なんて気の利いたものもありませんし」


 鏡は、というより反射するほど精度の高いガラスは高級品である。貴族宅や服飾店などならばいざ知らず、部屋ごとに設置するほど普及してはいない。

 慣れないことをするものはではない。そう考え直し、今晩の試着は諦めることにした。


「あ、イリス、私が着けてあげますよ」


「結構です。もう眠い」


「まあまあそう仰らず」


 アーレイはイリスを無視し、彼女の耳に翼のイヤリングを装着した。


「お揃いです!」


「やはり耳元が鬱陶しい。返品しましょうか」


「駄目です!」


 アクセサリーの類に慣れていないイリスにとって、耳が妙に重さを感じるのは違和感があった。

 しかし今更撤回することはアーレイが許可しそうにもなく、そのうち慣れるかと諦め、イリスは今度こそ眠る準備をする。身体を再びベッドに横たえるだけだが。


「ですが、どうせならイヤリングではなくピアスにした方が良かったのでは? イヤリングは戦闘中に落としてしまいますよ?」


「だって、耳に穴を開けるなんて怖いじゃないですか」


 平然とへたれるイリスに、アーレイは思わず頷いた後に彼女の顔を凝視した。

 敵性空域に単身突入する勇猛果敢な英雄(ラウンドナイト)にも、恐ろしいものはあるらしい。




「―――イリスは、これからどうするつもりですか?」


 ランプも消え、星の明かりだけが照らす室内。

 ルームメイトの気配がまだ眠っていないことに気が付いたアーレイは、ふとそんなことを訊ねた。


「これから、とは?」


清奏派(セインレイト)です。あの方々との戦いに、イリスも参加するのですか?」


「私が決めることではありませんよ。命令に従うだけです」


 アーレイは隣のベッド、イリスの背中を見つめる。

 小柄な彼女では、そもそもそこにいるかすらぱっと見では判断しにくい。布団に埋もれ、何かが中にいるなと判る程度だ。

 それでも、星明かりに細い金髪が煌めいていたことから彼女がアーレイに後頭部、つまり背を向けていることは辛うじて判断出来た。


「イリス」


「はい?」


「私も、貴女と一緒に戦いますから」


「―――駄目です」


 アーレイの精一杯の決意表明は、イリスにあっさりと無碍にされた。

 イリスはアーレイに、人殺しになってほしくなかった。

 これは彼女個人の我が儘だ。軍人にあるまじき依怙贔屓だ。

 それでも、イリスは常に少なくとも二人分以上働き続けてきたのだ。多少の我が儘は許されてほしかった。


「―――ダメです」


 アーレイは、イリスの返答を一字一句そのまま返した。


「は?」


「私の騎士でもないのに、私に命令しないで下さい!」


「いや、騎士は上司に命令しないでしょう……」


「ぷーん! ぷんぷん!」


 どうやら怒っています、と意思表示しているらしいアーレイにどうしたものかと身を起こすイリス。


「お返しします!」


「っと、おっとっと」


 飛んできた真珠のイヤリングを、イリスは慌ててキャッチする。

 どうやら、本気でヘソを曲げてしまったらしい。


「もう、どうしたのです?」


「…………。」


 無視である。

 イリスは手の平にある、青い真珠のイヤリングを見て溜息を吐いた。


「―――まあ、明日ゆっくりと話し合いましょう」


 一晩寝れば機嫌も直っているであろう。所詮、その程度の喧嘩である。

 イヤリングを格納魔法内に入れ、身を再び横たえる。

 何故アーレイが機嫌を損ねたかは深く考えず、イリスの意識は闇へと沈んでいった。


「おやすみなさい、アーレイ」


「……おやすみなさい、イリス」


 返事があったことに安堵し、少女達は苦笑。そして、声にせず互いの明日の平穏を祈った。

 祈りは届かなかった。



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