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軽銀のドラグーン  作者: 蛍蛍
2章
35/85

出陣式




 会場は、イリルム軍御用達の大きな酒場であった。

 解散式―――第四騎士団(メルオン・パル)は再編され、仲間達はこれから世界中にちりじりとなることが決定。各地に異動する同胞達との別れを惜しみ、今宵は無礼講にて騒ぎ通す。

 ……そんな対外的な名目で始まった宴会、しかしその実質が解散式ではなく出陣式であることを知るのは限られた内部関係者だけだ。

 敵陣地強襲作戦『遠すぎる空作戦』は、徹底して秘匿された作戦であった。敵地への直接強襲という性質上、事前に察知されるのは大前提として避けねばならない。

 土の国(アーヴェルア)にスパイが侵入していることは、既に既定事項として扱われている。でなければ、ファルシオンの制圧など出来ようもない。

 だからこそ、旅立ちの準備は徹底して隠密に行われた。予算は別の作戦名目で編成され、食料物資も様々な基地からかき集められた。敵どころか自軍すら騙す勢いで徹底的に情報秘匿されているのだ。

 人選に関しても同様、信用出来る人間が自ら集めるという手間のかかる手段で揃えられている。慎重なイリスでさえ、現段階での情報漏洩の可能性は小さいと判断するほどであった。


「まあ、問題はこれからですが。上陸作戦なんて禄なものではありません、昔映画で見ました、っと」


 きゅっ、と腰のリボンを締めて、イリスは仕事着に着替え終える。

 難民街では芋一つ奪い合っているというのに、彼女の前には食べきれないほどの料理が並んでいる。

 あまりの落差に思うところがないわけでもないイリスであるが、生憎イリスが目の前の料理を拒んだところで誰かが餓えを凌げるわけではない。

 軍人の存在意義は任務という本懐を果たすこと。その為には、多少優遇された美味しい飯くらいは必要経費でしかないのだ。


「おや、こんなところに愛らしいメイドさんがいるぞ!?」


 騒がしいのが来た、とイリスは赤ら顔の騎士―――バールを見やった。


「愛らしいメイドさんならあちらにもいますよ、スタイルもあちらの方が上です」


 イリスが向ける視線の先には、メイド服で給仕に勤しむアーレイの姿。

 表向き慰問が出来ない当作戦において、アーレイ達が騎士をどう激励するか―――その答えが、メイド服であった。


「バカじゃないかと」


「いやいや素晴らしい! 画家に姿絵を描かせて一生からかうネタにしたいくらいだ!」


「このプリティングもらいますねご主人様」


 プディングの定義は曖昧だが、イリスが食べたのはつまりカスタードプリンである。

 甘いデザートを口にする機会などそうそうない。イリスの行動には、邪魔をするなというメッセージも込められていた。


「いやいや、君には君の仕事があるだろうに!」


「私など所詮お飾りです。私にはアーレイを護衛する重要任務があるので」


「騎士が満員のこの店を襲う輩なんていないさ!」


 ごもっともである。酔った彼等がどれだけ戦力として有効かは不明だが、少なくとも正常な判断力がある相手ならば今襲ってくる可能性は皆無に近い。


「と、いうわけで……」


 にやにやと笑みを浮かべるバールに、イリスは悪寒を禁じ得なかった。




「イリスちゃーん、こっちにエールちょーだい!」


「はい少々お待ちを!」


「イリスさん、こっちにシーチキンマッシュくれー!」


「はい喜んで!」


「イリス様踏んで下さーい!」


「オ゛ラァア!」


 最後の変態に跳び蹴りしつつ、イリスは給仕に歩き回る。

 その姿は丈の長い黒のワンピースと真っ白なエプロン……ヴィクトリアン風を基調としつつも、フリルやカチューシャ、コルセットなどの特徴の取り入れた混沌とした仕様のメイド服であった。


「はあ、まさか私まで給仕の真似事をする羽目になるとは」


「私一人に押し付けようなんて都合がいいのです」


 本来唯一の犠牲者となるはずであったアーレイは、イリスのメイド姿を眺めニコニコ顔である。

 戦闘とは別種の苦戦。締めたコルセットが動きを阻害し、やたらと長いスカートが足に引っかかる。


「ふわぁ!?」


 当然の帰路として、イリスは顔面から地面に落ちた。


「イリス!?」


「だ、大丈夫かい?」


 あまりに見事なダイブに、思わず付近の騎士が手を差し伸べる。


「無論です! 料理は死守しました!」


「いやそっちじゃなくて」


 鼻を赤くしたイリスが涙目で立ち上がるも、この程度で挫けなどしない。イリスは再びちょこまかと小さな体でテーブルの合間を歩き回り業務に専念していく。

 小動物のように動くイリスに、騎士達の目元は自然と緩んだ。


「あの子、本職はどっかの騎士なんだろ? アイギス様の護衛のよ」


「護衛がどうしてメイドなんだよ」


「いや護衛といえばメイドだろ」


「そうです! 可愛いは正義です!」


「はっはっは! そうだとも、なんならメイド服を騎士団正式装備にしてしまおうか!」


 ちゃっかり騎士達の中に居座り、酒を煽るアーレイ。

 第四騎士団(メルオン・パル)の宴会に自然に馴染むメイドアーレイに、部外者である酒場店員の不審げな視線が向けられるも、彼女の隣に騎士団長バールが着席していたことから部外者ではないと判断されスルーされた。

 即ち、給仕の身で上手く騎士団団長に取り入った女、とかその辺である。


「たいちょー、それは俺等にメイド服を着ろってことですかい?」


「やめてくだせぇ、世の女どもが俺達の色香に嫉妬しちまうぜ」


 あっはーん、としなを作る巨漢騎士。

 その拍子に、肘がコップに当たり酒をぶちまけてしまった。

 酒は騎士の上着にかかり、


「きゃ、つめたーい!」


「やめろキモイ」


「死ね」


「死に晒せ」


「ファックオフ」


 調子に乗って女声を出す騎士に対し、ブーイングが沸き起こる。

 少しはしゃぎすぎたかとばつの悪い顔をしつつおしぼりを手に取った彼だが、いつの間にか忍び寄っていたイリスはそれを制止した。


「擦ったら染みが広がるだけです。私が処理するので、少し貸して下さい」


「お、おう?」


 手早く上着を脱がせ、開いたテーブルの上に広げるイリス。

 慣れた手付きで布の上から該当個所を叩き、水魔法などを駆使しつつ完全に酒を抜く。

 硬く絞ったお絞りで仕上げを済ませ、魔法で完全に乾燥。数分で仕事を終え、イリスは服を返還した。


「や、やるじゃねぇか嬢ちゃん」


「ルームメイトに仕込まれましたから」


 どこか得意げな様子のアーレイを尻目に、イリスは一礼して給仕へと戻っていった。


「……悪くない」


 誰かがぽつりと呟く。


「いやガキすぎるだろ、どうみても年齢1桁だぜ?」


「むむむ、あと5歳早く産まれてりゃあいい具合なんだが」


「俺達が竜騎士(ドラグーン)だからって色目を使ってこないのは嬉しいな」


「ここの給仕は美人揃いだが、目つきが獣なのが頂けない」


「いや、単純に男漁りをする歳じゃないってだけだろ? それこそ5年後には他の女達と同じの肉食系になるさ」


「逆にいえば、今のうちに唾付けとけば良妻になるんじゃね?」


「それだ」


「天才か」


「オペレーション(ゲンジ)発動だ」


 イリス現在13歳。この世界ではそろそろ結婚出来なくもない年齢であったが、絶対にこいつ等には黙っていようと胸に誓うアーレイであった。




「それは実は、本来女性主計科員の制服なのだよ!」


 そもそもどうしてメイド服があるのか、騎士団長に問いただした際の返答が上記の台詞である。


「主計科という業務は聞いたことがありますが、何故メイド服……」


 主計とは一般的に会計係という意味で使用されるが、あまり知られていない意味として被服・烹炊に関する業務を含んでいる。即ち、船上における裏方業務である。

 即ち、メイドさんのお仕事であり、服装として何ら間違いではない。


「わきゃあ、ないです」


 船上において引っかかりやすい衣服というのは死に直結する。腕にロープが絡めば海に引き擦り込まれ、指を挟めば先が飛び、足をもつれさせようものなら股裂きの刑である。かえって引っかかりやすいから軍手なぞ使うな、直に指を怪我しても皮が裂けるだけだからむしろ安全だ……などという話はさすがに極論であるが。

 とかく、船内生活において衣服は安全管理上極めて重要な要素なのである。


「身につけてみて、意外と実用的な衣装であることはなんとなく判ったつもりです。つもりですが」


 メイド服である必要性はなかった。


「そもそも船上における制服の選定からして、フランの差し金でしょう。十中八九、いえ十分十厘間違いなく」


「はっはっは、軍機だよ!」


 イリスの冴えた推理は一息に確信を得ていた。

 彼女の脳裏に悪戯坊主の如く目に笑みを浮かべた王女の姿が浮かぶ。


「おーい、こっちに生姜酒!」


「はい、少々お待ちを……ん?」


 注文してきた、やたらとイリスを見てニヤニヤ笑っている男を注視する。

 ギイハルトであった。


「遂に騎士を廃業して、給仕に転職か?」


 へらへらとイリスを見下すギイハルト。

 日頃ギイハルトの誹謗中傷をせせら笑い、ないし微笑ましく受け流すイリスも流石に表情をひきつらせる。


「……何故、ここに、いるのです」


「まあ、ちょっとなぁ? 俺様は優秀だから忙しいんだわ」


 ギイハルト・ハーツ。イリスやアーレイの同期騎士であり、優秀な成績を残す若きエリート。

 昔からイリスに度々絡んでいた少年であったが、正規騎士となった後にどこへ配属されたかは噂すら耳にする機会がなかった。そのことに今更ながら奇妙さを覚えつつ、イリスは渋々と改めて訊ねてみる。


「貴方は今、どこで仕事を?」


「教えねぇー、ぜってー教えねぇー」


 イリスは思った、こいつうざい。


「この場にはアーレイもいますが?」


「へっ、そ、それがなんだってんだよ!」


 分かり易く狼狽するギイハルトに、イリスはフンと嘲笑の眼差しを向けた。


「槍兵としては未だ実戦経験なしのようですね」


「なっ、なっ、なっ」


 見た目清楚な美少女からの、あまりに下品で露骨な悪態に言葉を失うギイハルト。


「お前、案外おっさんくさいな……」


「……そのカウンター、割とクリティカルです」


 体は少女、心は青年なイリスであった。


「ああそうだ、お前、最近爛舞騎士(ラウンドナイト)に会ったか?」


「すぐそこにいますが」


 飲んだくれて服を脱いで踊っているバールを指差すイリス。


「いや、あれ以外でだ」


 イリスが爛舞騎士(ラウンドナイト)であることは機密事項だ。何らかの探りを入れられているのかと僅かに目を細める彼女だが、それが単なる杞憂であることはすぐに証明された。


「ソフィアージュって爛舞騎士(ラウンドナイト)について、情報があれば欲しい」


「……それが貴方の仕事ですか?」


「いんや、ただの『ついで』だ。知らねえかやっぱ」


「おそらくは、貴方の知る以上のことは」


 イリスも名前だけは知っていた。およそ半年前に行方不明となった、魔法特化型の爛舞騎士(ラウンドナイト)

 さして落胆した様子も見せないギイハルト。彼とて、適当に訊ねた相手が何かを知っていることをなど期待していなかった。


「そんなことより酒はまだかよ」


「はいはい、葡萄酒の水割りです」


「くそがっ」


 一番の安酒である。


「酒など7年早いのです」


「イリスも飲みましょー!」


 背後よりイリスに抱きつくアーレイ。完全に酔っぱらいの赤ら顔であった。


「アーレイ? 私が飲まないことは知っているでしょう?」


 これは航空学生だった頃からの慣習であった。体が資本であるパイロットは、日々のトレーニングと平行して徹底した食事管理を行っている。

 一滴も飲むなという規制こそ存在しないが、少なくともイリスは徹底禁酒を心掛けていた。彼女の感覚からすればこの世界のパイロット(竜騎士)は不節操にすぎるのである。


「ねっ? ねっ? 飲みましょう?」


「重いです」


 美少女の吐息でも、酒臭いものは酒臭いのだとイリスは学んだ。


「イリスのいいとこ見てみたいぃー」


「アルハラですよ、それ」


「はっ! だせぇな、お前、実は飲めないだけだろ?」


「酒を飲めることがカッコいいと考えるなんて、実にガキ臭い発想ですね」


 妙に辛辣な言葉の多いイリス。どうも酒場の臭いで知らず知らずのうちに酔っているらしいと自覚し、近くにあったお冷やを一気に煽る。


「げほっ、何ですか、これ焼酎?」


 つまらないミスに溜め息を一つ、諦めて飲酒を始めるイリスであった。




「あっはっはっは! まさに両手に花だね!」


「完全に理性を失いましたかこの酔っぱらい」


「み、みず……」


「はい、どーぞぉ!」


 なんだかんだで酔いが若干醒めているらしいバール(依然半裸)に絡まれつつ、ちびちびと飲み進めるイリス。

 その隣ではギイハルトが顔を青くして倒れ込み、アーレイが釣り餌用のミミズを口に押し込むというお約束を展開。


「青い吐き気が僕を責めるぅー……」


「マジでゲロる5秒前ぇー……」


「飲まされるよりも飲みたいマジでぇー……」


 周囲には昏倒した第四騎士団(メルオン・パル)の騎士達。

 まさに死屍累々。世界最強クラスの騎士達も、こうなっては形無しであった。


「今なら勇名轟く第四騎士団(メルオン・パル)も、極少人数で完全制圧出来るでしょうね」


「いやいや! この場にいるのが全員ってわけじゃないさ! 流石にそれはね!」


 赤ら顔でケラケラ笑うバール。曰く、しっかりと居残りしている人員が基地にいるらしい。


「しかし酔わないねぇイリス君! なんだかんだでそれなりに飲んでいるじゃないか!」


「体質でしょう。どうも、酔った気がしなくて」


 吐息をひとつ、耳に掛かった髪をかきあげるイリス。

 ほんの少しだけ紅潮した彼女の仕草に、バールは何故か視線を逸らしてしまった。


「成層圏まで昇れば気圧差で酔いが回り易くなりますから、基本一滴も飲みません。ですがパイロット志望としての体調管理云々以前に、いまいち飲酒で楽しめないのです」


「イリス君の話は難しいな! これは一本取られた!」


 はっはっは、と笑うバール。地球基準の単語が出てくるあたり、イリスも完全に酔っていないわけではない。


「実は不思議だったんだんだが、君はこの任務に参加したがっていると思っていたよ! だから不参加と聞いて、びっくりしたんだ!」


「大声やめなさい」


 任務という単語に眉を顰めるイリス。


「イリス君が清奏派(セインレイト)本拠地を特定したことは知っているが、僕にはそれ以外の目的があるように見える! もっと個人的な何かがね!」


「だから大声やめなさい」


 考えなしのようで意外と鋭いのだな、とイリスはバールに対する評価を若干改める。


「……否定はしません。私の相竜(バディ)が彼の地にいるから、迎えに行きたい、というのはあります」


「それは―――どういう意味だい?」


「さあ、どうなのでしょうね。半年前に行方不明になって以来音沙汰なしだったのですが、確かにいる気がする。それだけです」


 イリスが聞いたバルドディの咆哮、しかし聞き間違いではないかと問われれば否定する材料など持ち合わせてはいない。

 だが彼女は確信していた。彼はあの場にいたと、自分達は間違いなくニアミスしたのだと。


「私があのクソ生意気が鳴き声を違えるわけが、ありません」


 敵の打破は、それだけバルドディへの接近に直結する。本当ならば、バールが指摘した通り自分で乗り込みたいほどであるのだ。


「ふむ。そういうこともあり得るのか?」


 何やら納得している様子のバールだが、イリスは話したことを若干後悔した。

 こんな酔っぱらいに話して何の意味があろうか。


「どうやら自分も酔ってしまったようですね」


 命令書に従い給仕業務へ参加したイリスだが、明確な業務内容や作業時間は定義されていない。後片づけに参加する義理はないと早々に立ち上がり、アーレイの手を取って基地へと戻ることにする。


「お先に失礼します」


「おや、夜はこれからじゃないか!」


「これ以上酩酊してしまえば、身内に危険が及びかねないので」


 言外にアーレイの護衛に不備が生じかねない可能性について言及する。

 バールも元アーレイの護衛、言葉の意味をすぐに理解し了承した。


「送って行こう!」


「結構です、我々よりこの場の収拾をつけることを心配して下さい」


 店内を見渡せば、築地マグロ卸売市場のように眠りこける第四騎士団(メルオン・パル)の男達。

 バールは僅かに悩み、ウイスキーを一気に呷ることを選んだ。

 ぶっ倒れるバール。


「面倒事から逃げましたね、この男」


 やれやれと嘆息し、イリスはアーレイを介抱しつつ自室へと向かうのであった。




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