13話
「……大臣を呼べ」
矢継ぎ早に叫ぶが如くイリスの報告を受けたフランの第一声は、部下の召集だった。
飲まず食わずで飛び続け2日間。ようやくクルツクルフへと帰還したイリスは、王城へ強行謁見を敢行した。
イリスとはいえ流石に無礼がすぎるとフランも最初はたしなめようとしたものの、彼女の鬼気迫る表情に話を聞くことにする。
そして、戦闘の顛末が語られた。ルバートの最期、そしてこれから起こるであろう危機を。
「……どうした! お前だっての、さっさと行け!」
「あ、は、ハッ!」
国王フランの叱咤を受け、自失状態だった部下が慌てて伝令に走る。
その表情に宮仕えとして誇りも落ち着きもない。彼は居合わせてしまった故に聞いてしまった、イリスの口から語られたこの世界のタイムリミットを。
謁見の間に二人っきりとなったことを確認し、フランも頭を抱える。
「8日だと? どうしろっていうんだ、部隊の編成も出来ねーぞ」
遠征には長い事前準備を必要とする。まして現代日本とは違い充分な備蓄も余裕もないのだ、非常事態であろうと対応はどうしても緩慢となる。
8日とは、あまりに残された期間として少なすぎた。到底組織を動かせる猶予ではないのだ。
「お前さんはどうしたらいいと思う、イリス」
「それはこれから各大臣達と話し合うべきことでは?」
「そもなぁ……お前の言葉一つしか証拠もないんだ、何もしないって提案してくる奴だって出てくるぞ」
それは単なる現実逃避ではないかと指摘しようとするも、イリスは躊躇う。誰が信じようか、10日後に世界が滅ぼうなどと。
現に、イリス自身とて疑っているのだ。父の誤りではないのか、と。
「……こちらはこちらでなんとかしとく。お前はお前に出来ることをしろや」
フランは一筆書き殴り、イリスに紙を手渡す。
「これは?」
「お前の爺さん宛の、全権許可書だ。何やってもいいし、作ってもいい。期間は8日間。期間内はどんな犯罪も越権行為も許される」
通常はあり得ない超法規的許可書。このような与太話をフランは本気で信じてくれているのだと、イリスは嬉しくなった。
しかしこれでは足りない。まだ不足であるとも考える。
「……これが効力を発揮するのは国営大工房内でのみ、ですか」
「そうだ。充分かと思ったが、不満か?」
イリスは僅かに躊躇うも、一つの注文をすることにした。
「全ての竜騎士に対する命令権を下さい」
「はあ? 何すんだよ、お前から直接命令した方が都合のいいことなんてないだろ」
身分としてはともかく、軍人である以上竜騎士も上官の命令は逆らわない。むしろ小娘のイリスが直接出向いては、彼らのプライドが邪魔をする可能性とてある。竜騎士は自尊心が総じて強いのだ。
そう指摘するフランだが、イリスは首を横に振る。
「逆です。大々的に軽銀に協力せよ、なんて通達されてはそれこそ動きにくいです」
興味深げにイリスの顔をじろじろと見やるフラン。この状況に及んで、彼女が冷静であることに気付いたのだ。
「別に大々的なことをするわけではありません。ちょっとした頼み事をして回るだけです。期間限定の命令権であれば、何か事情があると勘ぐって騎士達の心情も害さないでしょう」
「上から命令するより角が立たない、ってことか」
ははん、とフランは笑った。イリスの報告を聞いて以来初めての笑みであった。
「考えが、あるんだな?」
「移動に2日も掛かりましたから。考える時間は幾らでもありました」
「よっしゃ、ちょっと待ってろや」
再び筆を取り、新たに許可書をしたためるフラン。
「ほらよ。他に何かしてほしいことはあるか?」
「強いて言えば、貴女にはもう少し落ち着いてほしいですね」
「はっ、言ってろ。ほらもう帰れ、事態を解決するまで遊びに来るんじゃねーぞ」
軽口を交え、くつくつと笑い合う。
「今日中にまた来ます。顔を出すかは判りませんが」
城にいたところでイリスに出来ることはない。彼女はその場を後にした。
「ただいま母上!」
「イリス! 無事だったのね―――」
「あった! 行ってきます母上!」
「―――ええーっ?」
残された時間は少ない。よって詳細な実験や設計は行えず、故にイリスは実家に埋もれていた古い設計図にて実物の製造を依頼した。
強盗のように自室より設計図を掘り起こし、そのまま次の目的地へ直行するイリス。
「お爺様。ただいまこれを作って下さい!」
「突然じゃのう。どうしたのだ?」
国営大工房の執務室にて、祖父の眼前に許可書を突き付ける。
「……説明している時間はありません。陛下の許可は出ています。お願いします」
「むう、どうやら本物、のようじゃな」
イリスはランスに詳細を話さなかった。イリスのやろうとしていることはルバート討伐以上に無謀な挑戦であり、決して賛成はされないであろうことから。
「これは……初期型の回転式推進装置か?」
「回転部分はありませんが。作動こそしたので、実用には耐えうるでしょう」
イリスが発掘したのは、数々試作された回転式推進装置の失敗案だった。
「失敗作を今更作ってどうするのじゃ?」
「現在の圧縮空気にてタービンを回しファンにて推進する方式以外にも、色々と試作しましたよね。これもその一つです」
「忘れるものか。何個作らされたと思っているのじゃ」
ロケット方式やピストン方式などを試作し、最終的に最も効率が良いと判断されたのが量産型のファン方式だった。しかしながら、どの方式でも動作自体は正常に果たしている。
地球にて発展した内燃機関と違い、格納魔法を応用した圧縮空気がエネルギー源である。耐熱金属の開発などをしなくていい分、完成度に目を瞑ればどの案もそれなりに動作したのである。
とはいえやはり、著しく効率が悪く却下された案もある。それがロケット方式とピストン方式だった。
「ピストン方式の問題点は構造の複雑化、そして重量の増加。そしてロケット方式の問題点は―――」
イリスは設計図に大きく描かれた×印を指でなぞる。
「―――圧縮空気の推力への変換効率の低さ、それに噴流が早すぎることです」
前者は一言でいえば「燃費が悪い」ということ。後者はつまり、「ギアチェンジを最初から5速にしか入れられない」ということだ。
噴射式エンジンは基本的に、飛行速度と噴射速度が近いほど効率がいい。高速でジェット噴射すればいい、というほど単純な話ではない。
ファン方式では噴射される気流を減速し、使い勝手をよく調節している。しかしロケット方式は一切減速なしに、単純に圧縮空気を後方へ噴出する。
これでは空気が空回りしてばかりで、消費エネルギーの割に推力へと変換されない。少なくとも、速度が低いうちは。
「ですが逆にいえば、高速を維持するにはロケット方式が最も適しているということです」
一度加速してしまえば、噴射速度と飛行速度の差は小さくなる。自動車を5速発進したところで、エンストしない限りはいつかはトップスピードにたどり着くのだ。
「必要なのです。回転式推進装置より高速を実現する推進装置が」
「……解った。命令書はあるのじゃしな、どの道作れというのなら作るさの。じゃが……」
ランスは解していた。イリスが何か隠していると。
だがこの急き具合からして雑談している余裕もないことも判る。だからこそ、ランスはそれ以上言葉を続けなかった。
「……いや。まだやることがあるのじゃろう、もう行くが良い。数日中に実物を用意しておこう」
「お願いします。あ、作れるだけ作っておいて下さい。計算上、最低5本は必要なので」
「本当に何をする気なんじゃ……」
深く礼をして、イリスは跳ねるように部屋を飛び出ていった。
しばらくして執務室の外にバルドディの翼が翻る。町中でドラゴンに乗るほど、彼女は急いでいるのだ。
イリスの計画を実行するのに必要な道具は大きく二分される。その片方が祖父に依頼した特殊な推進器であった。
そしてもう片方。それを調達すべく、彼女は再び城へと戻る。
「この廊下も久々ですね……おや?」
何度か通っている馴染みの部屋に向かうも、部屋の主の他にもう一人客人がいることに気付く。
予期せぬ遭遇になんとなし気恥ずかしくなってしまい、イリスはとりあえず本来の目的を果たすこととした。
「お久しぶりです、スティレット様」
「ほう。軽銀殿ではないか、魔法はもう飽きたのかと思っていたが、何か用かね?」
イリスを出迎えたのは、白髪の老人であった。
彼の名はスティレット・アンドリュース。本格的に工学竜鎧の研究へと打ち込むようになって以来、ご無沙汰だった魔法大臣との会談である。
頼み事をしにきたというのに邂逅一番に機嫌を損ねてしまったかと慌て、イリスはあたふたと弁明する。
「い、いえ。別に魔法を軽視しているわけではなく、私程度の知識では魔法と工学を組み合わせなければ問題を解決出来ないことばかりでして」
「別に怒っているわけではない。君の研究成果より、こちらも色々と勉強されてもらっている」
宮廷魔導士の中には魔法の地位衰退を危惧する者もいるが、スティレットは特別心配などしていなかった。
形が違えど新たな技術の中で魔法は生きている。そして、そもそもが先端技術を選り好みしていられるほど人類に余裕はない。
「私程度では……ってことはよ、お前以上の天才がいれば工学だけで同じような物を作れるっていうことかよ」
「そりゃあ勿論、あれフランいたのですか?」
「居たよ! 最初から居たよ! 最初にモロ目が合ってたじゃねーか!」
室内には魔法大臣スティレットの他に、数刻前に別れたフランの姿もあった。
彼等は長丁場へと陥った会議で沸騰した頭を休める為に、この場にいたのだ。
「大臣達との話し合いは、どのような調子ですか?」
「迷走中だ。ダラダラ話している場合じゃねえっつうのにな」
冷えたタオルを目の上に載せ、ソファーに寝転がるフラン。オッサン臭がする美少女だった。
「やっぱ半信半疑だった。迷走どころか瞑想する奴までいる始末だ、あいつ減給な」
「つまり居眠りですか。避難などの予定は?」
前回のように町中心部へと転移してくるとなれば、人的被害も相当予想される。だが事前に避難さえしておけば人命だけは助かるだろう。
命さえあればなんとかなる。そうやって、この世界は存命してきたのだから。
「どこに逃げろっていうんだ、ここは最期の砦だぜ? 隠れる場所も逃げる場所もねぇ」
だがフランはそんな希望すら馬鹿げていると嘲笑する。
否、それは自嘲。誰に対してでもなく、自分自身に向けた嘲りだった。
「今現在こそこの城壁都市に『隠れ住んでいる』んだよ。惨めったらしくな」
「そこをなんとかして下さい」
今日のイリスは無茶ぶりのオンパレードであった。
「いや、そういわれてもな……住民に情報開示するかどうかすら未決定なんだ」
「我々も最善策を模索している。政に関しては最善を尽くそう、どうか一任してくれないか?」
魔法大臣の言葉にイリスは目をパチクリと見開いた。
「スティレット様、貴方は信じて下さるのですか?」
「信じるとも。君が突拍子もないことを言い出すのは初めてではないからな」
「感謝します。……ひょっとして今、ちょっとバカにされました?」
スティレットは笑うだけであった。散々驚かされてきたことに対する意趣返しである。
「で、どうしたんだよ。あたしに何か用か?」
「スティレット様にお願いしたいことがあるのです。国営大工房とは、少し趣を異とする道具が必要で」
「私に頼むということは、マジックアイテムかね? それも希少な精霊石を多用すると見た」
並のマジックアイテムならば、イリスは自作出来る。それをしないとなれば、理由は自ずと限られるのだ。
則ち、イリス個人では用意出来ないほど高価な材料を使用するということ。
「風の魔石を数十個。在庫はありますか?」
「す、数十だと? 君は何をするつもりなのだ?」
スティレットの知識にある限り、どのような道具を製作するにしても魔石など数個あれば事足りる。二桁の精霊石を要いたマジックアイテムなど聞いたこともなかった。
「風の守りが必要なのです。それも長時間、強力なものを持続可能な物を」
「クルツクルフだけでは足るまい。国中からかき集めなければならんぞ」
「物はあるのですよね」
スティレットは頭の中で簡単に勘定する。
イリスの指摘通り、物自体は存在する。だが集めるとなれば土の国全体に多大なる影響を与えるであろう。
経済的な問題だけではない。多くのマジックアイテムを解体し、様々な場所で生活に支障が生じる。おいそれと頷ける依頼ではなかった。
「……理由を話せ。はいそうですかと渡せる量ではない」
スティレットはイリスの言葉を信じている。だが、それが正解である保証はない。
貴族が破綻しかねないほどの予算。大臣といえど即決出来る金額ではなかった。
だがイリスの瞳はどこまでも真剣であり、何十年も生きてきたはずのスティレットですらたじろぐほど。
無下には出来なかった。スティレットはポットを傾け紅茶をカップに注ぎ、少女達の前に置く。
イリスは礼を告げ、いつの間にか乾いた喉を潤わせてから自身の計画について話した。
紆余曲折の果てにフランとスティレットを納得させたイリスは、作戦に必要な圧縮空気集めに勤しんでいた。
「我々の相竜が貯蔵している圧縮空気を提供してほしい、と?」
俗に格納魔法と呼ばれる第十級魔法、アポートとアスポート。魔導血界領域に非生物を飲み込む謎の多い魔法だが、生活においても身近な魔法だけあって多くの性質や工夫は研究されている。
人間の魔導血界領域には容量制限が存在するも、土竜の魔導血界領域は無限に物質を飲み込めること。
生物は格納出来ないこと。ただし、死亡した肉や収穫された野菜は格納出来ること。
一度にアポート・アスポートさせる量には制限があること。ただし、例外はあること。
その例外の一つこそ、土竜同士の内容物の受け渡しである。
魔導血界領域から魔導血界領域へと直接物質を移動させる場合、様々な制限が解除される。一度人間界の理に変換させる必要がないからとも、そもそも全ての魔導血界領域は同じ高次元空間を共有しているからともいわれているが、やはり詳細は判っていない。
「その通りだ。協力して頂きたい」
重要なのは、回転式推進装置の長時間稼働に必要不可欠な圧縮空気を短期間で集められるということだ。
工学竜鎧を装備するドラゴンは、訓練によって常に周囲の空気をアスポートし続け戦闘に備えている。一定時間で格納可能な大気量が限られている以上、そうやって日常的に大気を収集し続けなければならない。
だがあと8日という時間制限において、イリスの作戦を達成するだけの大気を集める猶予はない。そこでイリスは、土竜同士の性質を活用するにした。
自力で集められないのならば、他の騎士達に協力を求めればいい。イリスはクルツクルフ中を周り、竜騎士を訪ね圧縮空気を譲渡してもらっていたのだ。
手始めにと第二の実家に等しいクルツクルフ防衛本部に降り立ったバルドディと軽銀姿のイリス。
善は急げと手近な騎士に話しかけた際の返答が、先の言葉である。
「許可が降りているのならば協力させて頂きますが……これほどの圧縮空気を集めて、一体何をなさるのですか?」
実は素顔では顔見知りの年配の騎士に訊ねられ、イリスは返答に窮する。
「……すまないが、軍機なのでな」
苦し紛れに、とりあえず軍事機密だと誤魔化すことにした。
「なるほど。失礼しました」
あっさりと納得する騎士に、拍子抜けな気分となるイリス。日頃から国王フランと親密な関係とされる軽銀だからこそ、特務を命じられていることも不自然ではなかったのだ。
バルドディと土竜が顔を付き合わせ、圧縮空気の譲渡を行う。目付きの悪いバルドディに、壮年騎士の土竜は少し怯えていた。
「これで完了ですね」
「ああ。協力感謝する」
譲渡を終えた頃、周囲には他の人間達も集まってきていた。
何をやっているのかと興味本意で付近に寄ってきた竜騎士。そのうち数名は工学竜鎧を支給されている者だ。
イリスはこれ幸いと、次の騎士に話を持ち掛ける。
「実は協力して頂きたいことがあるのだが」
「陛下の許可書がある以上、実質強制らしいがな」
年配騎士の補足に、苦笑して誤魔化すだけのイリスだった。
本部厩舎に住まうドラゴン達から圧縮空気を受け取り、イリスは次の目的地を確認する。
「本部の次に騎士が多く待機している場所、一番近いのは郊外の詰め所か……アーレイ?」
建物の影に見慣れた青い髪の少女を発見し、イリスはその人物の名を呟いた。
しかし、アーレイはイリスの視線に気付くとそそくさと逃げてしまう。完全にイリスを避けていた。
「ふ、む。やはり怒っている―――のでしょうね」
ルバートとの戦いから帰還し、イリスはアーレイを訪ねていない。
生き残ったにも関わらず再び死地へと向かう彼女からすれば、心配してくれた彼女に合わせる顔がなかったのだ。
だが、それでもアーレイがイリスを避ける理由とはならない。イリスはおおよそ察しが付いた。
彼女は既にフランを経由し、イリスの計画を耳に入れているのだ。
「怒ってる、のかなぁ」
無理もないと仮面の下で溜め息を吐いていると、後ろから声をかけられた。
「騎士軽銀。貴女が圧縮空気の提供者を募っていると聞きました。俺からも提供させて下さい」
「ああ、頼―――え?」
一歩前に出る若い騎士とドラゴン。
ギイハルトであった。
「げっ」
「……何か?」
「い、いや何でもない。それでは頼む」
僅かに驚くも、自制し感情を隠すイリス。
若い二人は無言でドラゴン同士の譲渡を待つ。
「意外と小さいのですね」
「よく言われるが、君もよく本人を前に口に出来るな」
「以前、貴女に命を助けられました。感謝します」
頭を下げるギイハルト。
「実をいえば、前々から貴女に憧れていました」
平坦な口調。イリスはすぐに「慇懃無礼」という熟語を思い浮かべる。まさにそんな口ぶりだった。
「光栄だ」
「けど、なんだか目の前にするとイライラします。前世で俺に何かしましたか?」
「……特にそのような記憶はないが」
思わず前世にギイハルトなる人物がいなかったか、本気で記憶を洗い出すイリスであった。
ドラゴン達が頭を付き合わせ、譲渡を開始する。ギイハルトの相竜フリールはバルドディに獰猛な笑みを向けられるも、涼しい顔で受け流していた。
「これが終わるまででいいので。少し、話をしませんか?」
一時は視線を集めてしまったものの、しばらくすればイリスへの関心は薄れてきた。
これまでも何度か所用にて姿を現していたこともあって、防衛本部に仮面を着けた少女がいることは皆無ではなかったのだ。
堅牢な建物の土壁に背を預け、イリスとギイハルトは厩舎を眺めつつ並んでいた。
「前々から貴女と会ってみたいと思っていました」
かなり長い付き合いだけどな、と内心茶々を入れるイリス。
普段イリスを毛嫌いするギイハルトに会話の機会を持ちかけられ、彼女は若干警戒していた。また妙なことをいわれるのでないか、という程度の低い警戒だが。
「俺、思うんです。なんで俺の生まれた世界はこんなのなんだって」
ギイハルトは坦々と吐露する。
「黒竜軍は襲ってくるし、飯だって不味い」
「芋は嫌いではない」
「それでもパンの方が上等でしょう?」
「むしろ米が食いたい」
「コメ? いや、話の腰を折らないで下さい」
ギイハルトはイリスを半目で睨んだ。
「物資は間違いなく乏しくなった。最近じゃ飢える奴だっている。でも、それはいいんです」
こんなご時世ですから、と首を横に振るギイハルト。
今や誰もが貧しく飢えている。家計の余裕は減り、慢性的な不況は要因が外部にあるからこそ打開策はない。
どうしようもないことに文句を垂れるほど、彼は徒労に価値を見出だせる人間ではなかった。
「俺が気に入らないのは、それでも尚贅沢出来て、甘イモみたいに丸々太って、高価な洋服を着飾るような―――そんな人間がいることです」
ギイハルトは一点をじっと見ていた。
イリスが視線を辿れば、その先はイリスとアーレイの自室に繋がる窓。
「人間皆平等、なんて嘘っぱちです。生まれた時から立っている場所が違う。努力すれば叶わない夢なんてない、そんなのは詭弁だ。才能のある奴に凡人はどうやっても敵わない」
努力は才能の差を覆す。そう主張する人もいる。
だが、才能とはつまり「どれだけ集中して打ち込めるか」の度合いでしかない。天才は努力をしているのだ。
否、あるいはそれを努力とすら感じない。イリスが空を渇望するように、行為そのものが本能に等しい。
自然体で凡人の努力を踏み越えていくからこそ、天才は天才足り得るのだ。
もしや彼は、時折こうやって自分達の部屋を見ていたのだろうか。イリスはそう思った。
「……なぜそれを私に聞かせる? 私の出生は割と恵まれた側だし、才能だってある方だったと思う。君には共感出来ないぞ」
イリスは自惚れてはいない。あくまで客観的に自身を評価しているだけだ。
「そうなんですよねぇ、なんでかな」
ぼりぼりと頭をかくギイハルト。
彼自身もまた感情をもて余しているからこそ、こうして言葉にしているのだ。
「そういう奴が、威張りくさってたりすれば憎めばいい。周囲から孤立していれば、ざまあみろって笑える。でも、周りに人が集まる天才だっている」
イリスではない。アーレイのことだと、彼女はすぐに気が付いた。
彼女の周りには常に人がいる。学業も訓練も卒がなくこなし、社交性も高い彼女は多くの男児にとって高嶺の花だ。
ギイハルトにとっても同じであり、だからこそ彼は彼女を口説いている。イリスはずっとそう考えていた。
「能力もあって人格者なんて、ずるいだろ。せこいことばかり考えて、小さなことでいつまでも悩んでる奴から見たら明確に違う人種なんだ」
その目には暗い光があった。声色は怨声にすら聞こえる。
あまり親しい付き合いではなかったが、ギイハルトがこのような顔を見せるのをイリスは初めてみた。彼は常に一歩引き、安全圏から相手をせせら笑うようなスタンスなのだ。
この妬みは本気、彼の本心なのだとイリスは理解する。
「俺はアンタもあのお姫様も嫌いだ。でも、どうしてか嫌いきれない。時々応援したくすらなっちまう」
「お姫様、か」
勘のいい者であれば、アーレイの正体にも気付くであろう。首を突っ込んで痛い目を見たくはないので、誰も訊ねはしないが。
「なあ、俺はあんたらみたいになれるか?」
イリスは沈黙を返答とした。
「……今のは聞かなかったことにしてくれ」
「ああ。何も聞いていない」
「あんた、やっぱむかつくぜ」
男心を明確に理解した対応に、ギイハルトは鼻を鳴らした。
つい漏れてしまった本心を、訳も聞かずにスルーされたのだ。ある意味これはこれで屈辱だった。
「結局君は、何を言いたいのだ?」
「あ―――、つまりな」
ギイハルトは逡巡し、ぶっきらぼうに一言だけ告げた。
「頑張れよ」
圧縮空気の譲渡が終わり、さっさと立ち去るギイハルト。
イリスは仮面越しにも判るほどキョトンと目を丸くする。
「ええっと? つまり?」
つまるところ、彼は応援をしにきたらしい。
自宅で自分の計画に不備がないか確認する夜と、各地で圧縮空気を集める昼の繰り返し。
それも2日で切り上げ、後は休息へと時間を充てる。
スピアは何も聞かなかった。ただ、寂しそうな目と気丈な微笑みを娘に向けるのみであった。
「――――――。」
奔走した数日間の後に訪れた、唐突な余暇。様々な準備が完了するまで待つしかなく、イリスはぼんやりと実家の部屋で体を休め、天井を見上げていた。
「―――そうだ、防衛本部にいこう」
ふと思い立ち、イリスはベッドから跳ね起きる。
避けていたはずなのに、突然無性にアーレイに会いに行きたくなったのだ。
「やっと来たのですね、待ちくたびれました」
狭い相部屋で一人、静かに本を読むアーレイ。
父親との決戦を送り出して以来、ようやく顔を見せた友人をアーレイは表面上穏やかに出迎えた。
なまじ表情を変えないからこそ、彼女が怒っていることをひしひしと感じとるイリス。
「お、怒ってます?」
無言のプレッシャーに怯えるイリス。人間、本気で怒っていれば顔にすら出さないものなのだ。
「怒ってませんよ?」
「嘘です。これは間違いなく怒ってます。ぷんすかです」
「本当です。むしろ呆れています。イリスは釣った魚に餌をやらないタイプですね」
パタンと本を閉じ、アーレイは溜め息を吐く。
「また、行ってしまうのですよね」
「はい。行かねばなりません」
首肯するイリス。
「ずっと、どうやって止めようか考えていました。私は世界より、イリスの方が大切です」
半ば亡国とはいえ、一国の責任者が口にしてはならない言葉。それをアーレイは気軽に言い放った。
それほどまでに、この場では本心のみが通用するのだとイリスは痛感する。
虚言や誤魔化しは許されない。王女たる彼女が本心を晒すのだから、対する者もそれ相応の態度を要求する。アーレイの態度はそういった言外の強制を含んでいた。
「でも、イリスはなかなか来てくれません。これでは止めること自体出来そうもない。そうしているうちに、何故か不安がどうでもよくなってしまいました」
「愛想が尽きましたか?」
「まさか。愛していますよ、イリス」
「はへっ? ええと、私もですよ?」
女の子同士の告白に赤面し、何故か受け入れる言葉を発してしまうイリス。
表情を変えずニコニコしているアーレイに、すぐにからかわれたと解釈し咳払いで誤魔化す。
「言いたいことがあれば、全てが終わった後でも遅くない。そう思ったんです」
「……作戦の成功を、信じているのですね」
有事を経験した人間は時間の無駄遣いを控えるようになるという。明日唐突に死んでしまうこともある、そう知ってしまうからこそ戦士は用事を後回しにしない。
だが、アーレイは「後でいい」と言ったのだ。この世界の価値観からすればあまりに悠長な判断だった。
「作戦の詳細は伺っているのでしょう?」
「ええ。無謀極まりない計画だと思います。でも、イリスはどんな状況も打破してきましたから」
アーレイはイリスを抱き締め、背中をぽんぽんと叩く。
「どうせ今回もあっさりと済ませて帰ってくるに違いありません。だから心配などするだけ無駄です」
「そんな風に断言してくれたのは、貴女が初めてです。アーレイ」
「様々な人から止められているでしょうしね。一人くらい、応援する人がいてもいいでしょ?」
優しい人肌の熱に目頭を熱くしつつ、イリスは頷く。
きっと自分が帰ってこなければ、アーレイは深く傷付くであろう。そうと知りながら、無謀と理解しながら、それでも尚本心から帰還を信じてくれるのはアーレイだけであった。
他の者は内心、イリスが帰ってこないのではないかと不安を抱えている。その上で送り出してくれている。
無条件で信じているのは、イリス本人ですら出来ないそれを成しているのはこの世で彼女だけなのだ。
そして、イリス帰還より5日目。
遂に全ての準備が済み、完成品が組み上がる。
「図面では拝見していましたが、なんですか、これ……?」
アーレイが唖然とする。
フランは呆れきったように遠くを見つめ、スティレットに至っては頭を抱えていた。
祖父ランスは新兵器の完成に目の下に隈を作りつつも胸をはり、スピアは「よくわからないわ」とにこにこしているだけ。
「ほらバルドディ、じっとしなさい。付けれないでしょう」
旅立ちの場所はクルツクルフ城で一番高い塔。高度を稼ぎたかった為、わざわざ新兵器を塔の屋上に運び込んだのだ。
新兵器は幾つかのパーツに別れているが、最も目を引くのはやはり直径50センチ長さ2メートルほどの筒を金具で束ねた機械だ。
早朝の日の出に照らされた巨大な『装置』。搭載するはずのドラゴンと同等のサイズを誇る異形の物体は、未だ静かに沈黙していた。
筒は横一列、全てが水平に固定し束ねられている。イリスの要求より多い6発のロケット式推進機は、ランスを始めとした職人達の努力の結果だ。
更に回転式推進装置が上下2発ずつ、計4発固定され、バルドディはいまや元々背負っていた2発を含め合計12発もの推進装置を背負っていた。
「―――いい具合に向かい風ですね」
風を読んでいたイリスは、今こそ絶好の機会だと判断する。
バルドディを塔へと固定している鎖を再度確認。彼は今、封印されるが如く幾本かの鎖で動きを封じられている。
それは彼の四肢を不自由にする為ではなく、新兵器のパワーを抑え込む為。
つまるところ、ロケットを始動した瞬間にすっ飛んでしまわぬようにである。
「バルドディ、戦略強襲用超音速巡航推進装置、起動」
バルドディが首を低く身構える。
圧縮空気が機器の細部まで行き渡り、各部が唸りを上げ始めた。
「――――――。」
ロケット推進器の低い排気音を、補助推進器である甲高いタービンが覆っていく。
あらゆる音域を揺るがす鋼鉄の慟哭。離れた場所にいる者達すら、肌がビリビリと震えるのを感じとる。
否、それはイリスの知人に限った話ではない。城に勤める使用人や、城下に住まう者達までもが何事かと城を見上げた。
「――――――ッッ!」
当事者のイリスともなれば、歯を食い縛って溢れんばかりのパワーを抑え込むしかない。
城のガラスが皹割れ、バルドディを固定していた鎖がギイギイと軋む。
更には鎖を巻いた柱が砕け始め、イリスはあまり長く持たないと察した。
「――――――!!」
それは真に、咆哮であった。古に伝わる伝説の竜が復活したかのような、人類の既知ならぬ常軌を超越した咆哮。
世界を文字通りの意味で震撼させる、この世界最強のエンジンであった。
「では、いってきます!」
音に負けじと大声だったものの、文面ではまるで毎朝の習慣かのように普遍的な言葉を告げ。
イリスが纏めて握った紐を引き抜くと、何ヵ所か割りピンの要領で鎖を固定していた金属片が弾ける。
次の瞬間訪れる結果は、当然ながら蓄積されたエネルギーの瞬間解放。
背中から振り落とされそうなほどの急加速。あっという間に前進し塔から飛び出したバルドディが、あまりの重量に一気に沈下する。
だが慣れているといわんばかりに、バルドディは翼を広げない。最も揚力が発揮される高度まで、加速に努める。
即ち、地面墜落寸前の低高度。
傘を開くように翼を展開したバルドディ。高度は10メートルにも満たず、眼下を町並が走る。
「きゃあぁ!」
「うおっ、アブねぇ!?」
「白っ!」
婦女子のスカートや店の看板を吹き飛ばしつつ、バルドディは浮力を持ち直す。
速度に乗ってしまえば高度を上げるのは容易い。迫る城門を軽々と乗り越え、バルドディは遥かなる大空へと飛び立っていった。
5日前、城内の休憩室にて。
イリスはフランとスティレットに、自身の計画を説明した。
「……正気か、君は?」
「正気です。やらなければ人類が滅亡する、母もフランも貴方も死ぬ。これを認めているのです、この上なく正気でしょう」
「他の方法はないのか。お前に死なれると……困る」
神妙な表情でフランも代案を求める。しかしイリスは首を横に振った。
「少なくとも、私はこれが最善策と考えます。いえ、最善というのは少し違いますね。次案がないのですから、唯一の策と称するべきですか」
「大博打には違いないがな。何より、勝っても負けても君は死ぬ」
重い沈黙が室内に降りる。
「私の自殺は計画に入っていません。生き残れば、なんとか帰還します」
「帰還だと? どうやって、勝っても丸裸で世界の果てに取り残されるんだぞ」
フランは眉間に皺を寄せ、盛大に舌打ちした。
「マザーフォートレス待機地点である暗黒領域内のビャーク湖まで、回転式推進装置の束をドラゴンに載せて超速度で突破するだと?」
イリスの策。それはなんてことはない、単純極まりない強行突破であった。
敵の所在が明確であるならば、こちらから仕掛ければいい。最前線を越え、敵陣営を抜け一息に喉元を切り裂けばいい。
理屈としては単純。また、空が戦場となってきたこの世界においては昔から存在した戦術ともいえる。
されど、フランとスティレットはとてもイリスの案が現実的とは思えなかった。
「クルツクルフからビャーク湖まで、何百里あると思っているんだ。水の国を越え、風の国を越え、火の国を越え、暗黒領域の中腹まで飛ばなければならないんだぞ。この世界をほぼ全て横断するようなものだ」
「陸路では数ヶ月。空路でも数日。ですがそれは途中の索敵や休憩を考慮した場合です」
数百キロで飛べるドラゴンといえど、常に最高速度で飛べるわけではない。だからこそ、竜騎士の行軍には数日単位を必要とする。
だが、常に最高速度で飛べるのであれば。更にそれを越える速度で飛べるのであれば。
「超音速巡航が可能でさえあれば、この上なく現実的な作戦です。目的地まで一刻かかるかかからないかでしょうから」
「……一刻で世界を跨ぐだと? ダメだ、お前が何言ってんのかよくわかんねぇ」
イリスの言葉は、この世界の常識と照らし合わせてあまりにも非常識であった。
聡明なフランといえど、理解の外で鼻歌を歌うようなイリスの所業に頭を抱える。
彼女にはイリスの作戦を否定しきれなかった。どのような理由であれ、止める言葉が見付からなかった。
ならばと反論するのはスティレット。学者の端くれとして、彼には作戦の問題点がおぼろげながら見えていた。
「何故音の速度を越えねばならないのだ。工学竜鎧を搭載したドラゴンであれば、最高速度は黒曜竜に若干勝っているはずだ。何故さらに速度を求める」
僅かな速度差があれば優位は大きく傾く。空戦の常識である。
この前提からすれば、イリスの求めるスピードは要求過多であった。
「音より速く飛んだ者など、この世界にはいないのだ。人体にどのような影響があるか判らんのだぞ」
スティレットの忠告は、イリスにとっては今更すぎる問題である。
イリスは音速を越える危険性を重々承知している。むしろ、だからこそ挑まんとしているのだ。
「私が危惧しているのは、奴らの適応能力の高さです。奇形と突然変異は紙一重ですが、敵の進化速度はインフルエンザ並といっていい」
「私達が理解出来ないことを承知の上で、何となく伝わるだろうと高をくくって話さんでくれ」
「失礼。ともかく、私はかねてよりの実験により音速での飛行について研究を終えています。ですが黒竜軍はそうではない」
そう、音速飛行はイリスの持つアドバンテージの一つなのだ。
「危険には違いないが、一度飛び込んでしまえば向こうも手出しは出来ないってことか?」
「その通りです。多少足の速い変種が現れたとしても、音速を維持してしまえば逃げ切れる算段が高い」
僅かに理解の色を見せ始めたフランとスティレット。内心「止めるべきだ」と考えつつも、聞けば聞くほどに現実的に思えてくる。イリスの説明にはそれだけの具体性があった。
「極力戦闘を回避するには、音速飛行を行うのが最も『手軽』と判断しました」
「お前なりに接敵する見通しが立ってるのは判った。けどよ! 近付けたところで勝てるのかよ、マザーフォートレスに」
「勝てねば世界の滅亡です」
「お前な! 辿り着くのも無謀、勝つのも無謀、帰還なんて絶望的だ! 死ぬ気じゃねぇかやっぱり!」
怒鳴るフランに、イリスは小さく笑う。
「王ならば行けと命じるのは正解でしょう?」
くっ、と歯軋りするフラン。口先で生き抜いてきた王をここまで追い詰めた者は少ない。イリスにそれが成せたのは、彼女自身が人質であるからこそ。
フランにとってイリスは、得難い存在なのだ。
「ありがとう、フラン。私はいい友を持ちました」
「……るせぇよ。今自己嫌悪で忙しいんだ、妙なこというなや」
されど自分にはイリスに友と思われる資格はない。フランはそう考えていた。
彼女は一度、イリスを見捨てている。今更心配だ、などとどの口が言えようか。
なんという欺瞞。なんという利己性。
そんな葛藤を薄々気取りながらも、イリスは姿勢を正し、再度進言する。
「土の国国王フラン・ベルジェ・アーヴェルア陛下。どうか、作戦決行の許可を」
「……ああああっ、ちくしょう! 行けよ! 勝手にしろ!」
フランは紙とペンを引ったくり、手早く書き殴ってイリスに渡す。
命令書に荒々しい字で書かれていたのは一言。
『帰ってこい』
「……無論です。死ぬのはごめんですよ、もう」




