12話
工学竜鎧を装着したバルドディは、回転式推進装置の爆音を轟かせつつ空を真っ直ぐに貫いていく。
周囲に人の生きる気配はない。既に人類の生存圏を抜け、イリスとバルドディは敵地へと侵入していた。
「回転式推進装置の劣化も許容範囲内、まだいけます」
冶金技術の低いこの世界では、長寿命のエンジンを作ることは難しい。かつての負傷以来外部の推力なしでは飛べないバルドディにとって、回転式推進装置のトラブルは致命傷。故に、イリスもこまめに様子をチェックしているのだ。
「予備も 魔導血界領域内に入れてあるとはいえ、戦闘中に載せ変えることは出来ませんからね……少しでも様子がおかしければすぐに取り替えますよ」
バルドディは首を揺らし、イリスに地上目標を示す。
思わず眉を潜めるイリス。放棄された人類の町跡にて、探し物を遂に発見したのだ。
「なるほど、これは少し気味が悪い」
イリスは地上目標へのアプローチを開始する。目標は闇魔竜である。
黒竜軍の戦略上において重要「らしい」謎のドラゴン、闇魔竜。円形広場の中心に陣取った彼の足元には例の如く魔法陣が広がっており、周囲には多数のドラゴンが待機している。
さながら、砂糖に群がる蟻のようだとイリスは鳥肌が立つ思いだった。それほどまでに彼等は密集しているのだ。
「ここまで来て尻込みするわけにもいきません。―――行くぞ、バルドディ」
180度ロールし、天地逆転のまま垂直降下を開始する。
空戦技能「逆落とし」。戦闘機パイロットとしては当然の技術だが、だからこそ実力の差が如実に現れる。
イリスの逆落としは無駄のないスマートな曲線軌道を描いていた。反転時に目標を喪失してしまうことも多いが、そのようなミスもせずピタリと突入コースへバルドディを合わせる。
「槍、手始めに8本」
小さく呼べば、格納魔法にて槍が出現。
両手の指に4本ずつ構え、そっと手放し投擲。槍は飛行するかのように落下していく。
狙いはまさしく正確無比。細い槍は物理法則に引かれるままに加速し続け、吸い込まれるように地上の黒竜達を貫いた。
直上からの奇襲にようやく気付き、戦闘能力を持たない闇魔竜を守るべく汚染兵達が飛翔する。
「遅い、緊急離陸はもう少し気合いを入れて飛べ」
もたつく敵を嘲笑するイリス。護衛のドラゴン数十匹を殲滅するまでに要した時間は、僅か10分足らずだった。
闇魔竜以外のドラゴンを討伐し終えたイリスは、平行飛行へと戻し、ふぅと息を吐いた。
「しかし、この体の対G能力は大したものですね」
イリスが敵殲滅に行ったのは急降下爆撃と呼ばれる攻撃方法である。重力による軌道のズレが起こりにくい急降下爆撃だが、地面へと高速で直進することによる恐怖心や引き起こしの際の重圧は並大抵ではない。技量と度胸、そして努力では鍛えにくい天賦の肉体的屈強さが必要となる。
イリスの場合、空での度胸は生まれ落ちた時より備えている。技量も長きに渡る飛行時間から充分培われている。しかし、前世では彼はさほど対G能力は高くなかった。
それが、今や急降下からの復帰でもほとんど意識を手放さずに済んでいる。
「体感で13Gは受けているのに、まったく問題がない。素晴らしいです」
瞬間的とはいえ、人間に耐えられる重力加速度の限界値を大きく越えている。この数字で支障をきたさないのは地球では考えられない状況だった。
闇魔竜の眼前に着地するバルドディ。間近でみれば、想像以上に醜い敵にイリスも視線を逸らす。
「そろそろ父上にも出てきてほしいものなのですが」
イリスが闇魔竜を駆除しているのは勿論理由がある。実地演習での新種出現につき防衛本部も調査隊を派遣したのだが、彼らは最初の遠征にてあっけなく全滅した。
全滅という以上は生存者もおり、その若い2名の騎士により新たな情報がもたらされた。彼等は調査と平行し闇魔竜の討伐も試みたのだが、周囲の護衛を削っている内に黒騎士が襲撃し調査隊を食い散らかしたのである。
精鋭10名からなる調査隊も、一人の元英雄にとっては赤子に等しい。情報を持ち帰るべく最も若い2人が優先的に離脱し、他の騎士達はルバートに立ち向かったのである。
軍人の本懐を果たした彼等が勝ち得た情報を元に、イリスは作戦を練った。なんてことはない、ルバートを呼ぶには闇魔竜を殺そうとすればいい。
殺し続けていればいつか彼が現れる。
そう、このように。
「―――どうも」
空の彼方より飛来するルバートと黒曜竜。
イリスは目の前にいる無抵抗な闇魔竜を殺しておくべきかと一考し、結局やらずに離陸する。
雲一つないクシャミしてしまいそうなほどの蒼穹。
挨拶も口上も不要。
親子はただ静かに、殺し合い始めた。
低空を這って逃げ回るイリス、それを後方やや上空を陣取り執拗に追うルバート。地形に沿って高度数メートルを維持しながら飛行するイリスとバルドディの軌跡は、さながらヘビのように不規則に跳ね回る。
時速数百キロの攻防。生身の人間には決して立ち入れぬ世界で争うのは、生身の人間しか立ち入れぬ狭所空間。
決戦の舞台は廃棄された人類の町。かつて栄えていたのであろう大規模な廃墟は、今や草木と小動物、そして魔獣の楽園でしかない。
互いに低空から始まった戦闘は、それぞれが上昇を阻止しあったことで超低高度戦闘へと陥っていた。
何度も後ろに振り返り、ルバートの攻撃タイミングを測るイリス。あまりの低空故にイリスであっても、この高度を「航空機」で戦う度胸はない。
バルドディのフォローがあるからこそ、イリスは後方を執拗に確認しつつ飛べる。一人乗りの戦闘機ではこうはいかない。
「まあ、戦わず飛ぶ分には戦闘機でももっと低く飛べるがな!」
上下に揺れるバルドディにしがみつきつつ強がるイリス。起伏や障害物のある町中を匍匐飛行しているので、バルドディもやはり大きく左右上下に動いているのだ。
イリスがここまで懸命に低空飛行しているのは、ルバートにとってこの位置が最も攻撃しにくい場所だからである。
そもそもが低空で飛ぶ標的は、追う者にとってすこぶる狙いにくいものだ。更に街道などを飛ばれなどすれば射角も大きく限定される。だが現状ルバートの攻撃を凌ぎきれているのは、それだけが理由ではない。
イリスとバルドディは日々の訓練の末に、阿吽の呼吸にて飛行出来る域に達している。しかし、何度も黒竜を乗り換えているルバートは黒曜竜とそこまで同調出来ていない。
ほぼ高度0を飛行するイリスを狙うには、あまりに大雑把な動きしか出来ないのだ。
「下手に降りてくれば地面と接吻だ。機銃もないというのは不便だな!」
遠距離攻撃魔法が不得手なルバートにとって、町中を飛び抜けるイリスを攻撃することはまず不可能。そのイリスの判断は間違っていなかった。
「しかし、ルート選択を間違えれば袋小路……生きた心地がしないものだ」
大きな通りを選び、適切に旋回しなければあっという間に追い詰められる。判断力と推理力、そして勘を求められる命賭けの二者択一ゲームの繰り返し。
再び目の前に出現する分岐道、右は馬車が多数残っていることから町の外が近いと判断。
「左へ!」
町から出てしまっては狭所の利点が失われる。よってイリスはその逆を選択する。
狭い曲がり角に最低限の減速で突入し、空戦高揚力装置展開スイッチを押す。
複雑なギミックが可動し翼の一部が変形。揚力が増したバルドディはアウトインアウトのルートを辿り辛うじて道を潜り抜ける。
以前までの軽い挙動に慣れているイリスにとって、今のバルドディはあまりに鈍重。建築物に接触しそうな状況に、思わず愚痴る。
「重いっ! もうちょっとダイエットしたらどうだ!」
重いのはこの新兵器だ、お前こそダイエットしろと吠えるバルドディ。
「それは太っているという意味か!? こちとらうら若きか弱い乙女だぞ!」
お前のような乙女がいるかとバルドディも叫ぶ。体勢を建て直したところで、イリスは再度後ろを確認した。
「ついてきている―――大きい割によく動く」
大きい物体は小回りが効かない、というイメージがあるがそうではない。鳥や飛行機の場合は翼が大きければ揚力も大きく、図体の割に機敏な動作が可能となることもある。
黒曜竜はイリスの見たところ「万能型」である。能力のいいとこ取りをしたせいか大型種となってしまったようだが、その大きな図体をそれなりの速度まで引っ張れる筋力も巨体故の運動性能の良さも兼ね備えている。
工学輪唱銃を弾くことから、鱗の防御力も十二分。
「そのような万能選手、簡単に産み出せるものか……?」
飛行機に当て嵌めれば、何かしらの弱点あるはずだと推測するイリス。闇魔竜が戦闘能力を有していないように、彼も何かを削っている可能性はある。
そんな思考を脳裏に掠める嫌な予感が制止した。
慌てて振り替える。そこには先程と同じく、黒曜竜が追ってきているだけ。
―――黒曜竜だけが、追ってきていた。
「……父上がいない」
彼の背には誰も乗っていない。周囲を慌てて警戒するも、時すでに遅し。
壁をぶち破り、前方に割って入るルバート。バルドディごと切り裂かんと仁王立ちし、正眼に剣を構える。
「生身で壁を破るとは、まるで戦車だな!」
躊躇う時間もない。反射的に引き金を引けば、直径2・5寸の砲弾が波動と共に吹き出される。
かつての相竜と愛娘を切らんとしていたルバートは、自身へと迫る砲弾の無視を決める。方角から自身とは接触しないと瞬時に見切ったのだ。
ルバートの側を掠める鉄鋼弾。射線とルバートの距離はおよそ2メートル。
彼我がすれ違い僅か刹那の後。ルバートは衝撃波のあまり建物の壁まで吹き飛ばされ、背中を強かに強打した。
「―――ガッ!?」
明確に距離をとっていたにも関わらず、大きなダメージを負ったことに困惑するルバート。
これが魔法ならば納得もするし、そもそも警戒し対処していた。ルバートはそれが純粋な物理攻撃だと理解していたからこそ、戦慄した。
「防御不可能の攻撃だと、面白いものを調達したな―――!」
戦闘開始以来初めて発声するルバート。砲撃の反動で急減速し、不時着するバルドディ。
圧縮空気の破裂音に驚いた黒曜竜が頭上をオーバーシュートする。戦場は僅かに静寂が訪れ、父娘は向かい合う。
されど交わされる言葉などない。
バルドディの爪とルバートの剣が、渾身の腕力で衝突した。
生物と金属の衝突に不相応の衝撃音。続けざまにぐるりと巨体を回し、バルドディは尾を振るう。
巨大な鞭と化したバルドディの尾を僅かに飛び上がり回避するルバート。しかし身動きの取れない空中にてイリスが追撃した。
「『 』『 』『 』『 』『 』ニードルランダー!」
いつの間にかバルドディより飛び降りていたイリスは側面より、高速詠唱用人工言語によって魔法を叩き込む。地面より伸びる杭がルバートを狙った。
ドラゴンと人の挟撃。常識外れの戦術は、双方が高い戦闘能力を有しているからこそ成し得る芸当。
しかしながら、それすらもルバートは凌ぎきる。
猫のように身をしならせ空で姿勢を回し、魔法の杭を蹴り飛ばす。続いて迫ったバルドディの爪を剣で受け止め、身軽に後退し体勢を建て直す。
「攻めきれない。これが爛舞騎士」
2対1にも関わらず、互角。その剣の冴えは生前と遜色なく、現状に余裕すら感じ取れた。
どうしたものかと思案し、即決。
「バルドディ!」
掛け声に従い、バルドディは格納魔法にて無より爆弾を取り出した。
攻撃力を有さない、光と音の爆弾。炸裂し世界が白く染まる。
これが使用されれば、備えていなかった敵の視覚と聴覚を奪える。しかしイリスは安易にルバートを狙わずバルドディの背に飛び乗った。
「離脱です! 飛んで下さい!」
懸命だ、と頷くバルドディ。彼は知っていた。
もしこの光の中でルバートに接近するような愚行を犯せば、彼は「気配」などという曖昧なものを足掛かりにイリスを切って捨てていたであろうことを。
イリスが離脱を選択したのはそれだけが理由ではない。このまま近接戦を続けていれば或いは勝てたかもしれない、だが勝てる保証はない。
ルバートは長距離戦を不得手とする。ならば、わざわざ相手の土俵に乗る必要はない。
イリスには超距離からルバートを撃破する手段があるのだ。それを信じない理由はなかった。
直ぐ様に上昇するイリスとバルドディ。邪魔さえなければ、彼らの上昇力に敵う者などいない。
「一気に昇るぞ!」
上昇中は最も無防備となる瞬間の一つだ。昇ることにエネルギーを向けている為に無理な機動変更を行えず、崩せば最悪墜落する。
だが今回に限っては、背後を心配する必要はない。何せルバートに長距離攻撃手段はないのだから。
―――そう、誤認していた。
「えっ?」
無機質な警告音。魔電演算機に組み込まれた周囲警戒精霊が後方より迫る脅威をイリスに伝達する。
振り返る猶予など与えられなかった。確認より先に対処を、対処より先に反射的にフットレバーを蹴り飛ばす。
指示もなくバランスを崩され抗議の声を上げるバルドディ。次の瞬間、バルドディの背に搭載された2発の回転式推進装置、その片方が崩壊した。
砕け、破ぜる回転式推進装置。幸いにも破片によりバルドディやイリスへのダメージの伝播は存在しなかったものの、推力のバランスを崩れ上昇が止まってしまう。
避けなければ、直撃していた。その事実に二人の肝が盛大に冷える。
四苦八苦し、姿勢を斜めのまま安定させるバルドディ。回転式推進装置は片方さえ生き残っていれば飛べるように設計されているものの、戦闘能力は大きく削がれる。
「なんで、どうやって攻撃を―――」
頭上の太陽が何かによって覆われる。
跳躍し、空を駆けるルバートであった。
「―――ジ・アクト……! このタイミングで使うとは!」
第一級魔法ジ・アクト。ルバート最大の切り札たる魔法を、今使用したのだ。
ジ・アクトは瞬間的に肉体を超人化する魔法。発動中はただのジャンプであろうと、飛行中のバルドディを追い越せるほどに出鱈目な能力を発揮可能となる。ルバートは追い抜いた瞬間に回転式推進装置を切り裂いたのだ。
しかしながらこの魔法には大きな制約が存在する。一度使用すれば、体力魔力共にほぼ枯渇してしまうという制約が。
そのデメリット故に、イリスは使用するとしても確実に敵を仕留められるタイミング、或いはいよいよ追い詰められた瞬間だと予想していた。
まさか戦闘の最中、このような中途半端な状況で使用に踏み切るなどとは考えていなかったのである。
しかしルバートはよく理解していた。イリス最大の武器は、そのスピードであると。
スピードであれば敵の上を取れる。敵の上を取れば一方的な攻撃が可能となる。
だからこそ、何より優先しルバートはバルドディの機動力を奪ったのだ。
「こなくそっ!」
崩れた姿勢のまま、イリスは2・5寸径実弾砲の照準をルバートへと向ける。
回転式推進装置のタービンとファンから生じる捻れトルク、推力重心の狂いから乱れる操縦感覚を即座に補正し的確に指示。
「上昇中で油断していたが、空中で身動き取れないのは父上とて同じだ!」
情報投影器が自動で彼我の距離を測定し、各種センサーから得られた情報を加味して照準を修正する。
放物線を描いて宙を舞うルバート、既に落下状態へと突入している為に進路がそうそう変わることはない。
重力の影響による多少の誤差はあれど、正しく誤差であり勘定に含める必要はなし。
イリスの眼前に投影される照準とルバートの姿が重なる。イリスは不自由な飛行状態のままに引き金へ指を掛けた。
「チッ」
引き金を引けば勝てたかもしれない。しかしイリスは回避行動を余儀なくされる。
ルバートの黒曜竜がバルドディに直接攻撃を仕掛けてきたのだ。
「ちょこ、ざい!」
黒曜竜が降下し、落下中のルバートと合流する。イリスは再度射撃体勢に乗る時間はないと判断、高度を稼ぐことに専念することを決めた。
上昇するバルドディ、しかしその速度に当初のキレはない。
「片肺ではこの程度か、やはり重過ぎる」
実弾砲が重量過多であった。パージすれば多少の回復は望めるものの、それはまさしく最後の手段であろう。
戦闘を続行する限り切り離しはしない。じりじりと空を昇っていくバルドディ。
「焦れったい、爆撃機を迎撃するかつての侍はこんな心境だったのだろうな」
背後よりルバートと黒曜竜が追いかけてくる。速度は現状黒曜竜が僅かに上回り、上昇力もまた重いバルドディより身軽な黒曜竜の方が上だった。
このまま逃げ続けていてもいつか追い越される。イリスは決断に迫られた。
「まだ大気が薄くなるほどの高度ではない。酸素マスクがなかろうと父上は平気で昇ってくるだろう」
高度は現在約2000メートル。あと1000メートル昇れば逃げきれる算段もつくが、そもそも超人的な能力を持つルバートは限界高度以上でも意識を失わない可能性とてある。
第一、黒曜竜に接近される方がよほど時間的に先だ。上に逃げるという考えは元よりない。
「どうする、低空戦に持ち込むか? いや、片肺ではやはりあちらが有利か」
一旦着地し回転式推進装置を取り替える、という選択肢も存在する。しかし廃墟上空での戦闘とはいえ、都合よく目を欺いて身を隠せる保証はない。
「何か隙はないか。あの新種、万能型にあるまじき隙は」
真の万能選手などあり得ない。弱点が何かしら存在するはず。先程の思考が甦る。
兵器とは地力が同一であれば、何かしらを削っているはずなのだ。
防御を伸ばせば運動性能が犠牲となる。攻撃力を伸ばせばそれ以外が犠牲となる。実弾砲を搭載したバルドディが劣悪な運動性となってしまったように。
外側は完璧。ならばかわりに内部を削っているはず。
飛行機でいえば高高度性能。居住性。否、それより先に―――
「局地戦闘機?」
後続距離、即ち持久力。
「……あくまで可能性だ。状況証拠しかない、だが」
時間の経過と共にルバートの戦闘能力もまた回復してしまう。時間稼ぎなど、かえって悪手かもしれない。
時間を置かず仕掛けるか、時間を置いて黒曜竜の消耗を狙うか。
「試して、みるか」
イリスはバルドディに水平飛行へと移るように指示した。高度差を考慮しない平面的なドッグファイトである以上、駆け引きやフェイントで速度差もカバー出来うる。
大きな布をハサミで裁断していくように、2騎は交差と離脱を繰り返し飛行する。飛行技術と心理戦、そして集中力の磨耗を避け得ない綱渡りの戦闘。
やがて互いに互いを前に出そうと、徐々に減速していく。バルドディはついに失速限界の低速飛行へと陥った。
空戦高揚力装置を使用していながらも揚力を維持出来ず、ガタガタと揺れるバルドディ。対して黒曜竜は巨大な翼を存分に広げ、低速でも安定した飛行を続ける。
重荷をぶら下げるバルドディはどうしても翼を大きく凧のように広げる必要があり、その角度が縦に近い分黒曜竜より失速しやすいのだ。
「さあ、どうする? 生憎こちらは羽ばたいていないのでな、消耗は少ないぞ」
揺れる視界の中、それでもイリスは笑みを浮かべた。
ドラゴンはある種の魔法により多少の空中停止が出来る、だが魔力の消耗が激しい為に戦闘中は行われない。
ましてやイリスの読み通り、敵のスタミナが通常より少なければ尚更使えないはずだった。
バルドディは翼の麻痺が残っている為、推進力を全て回転式推進装置に依存している。しかしそれは逆にいえば、バルドディ自体の生物的スタミナと回転式推進装置の稼働時間は別ということだ。
今現在、消耗量は明らかに黒曜竜の方が大きかった。
問題といえばより低速に適した黒曜竜に後ろを取られがちなことだが、よほど接近しなければ炎を受けることもない。
戦闘はチキンレースの体をなしていた。あらゆるものを消耗し、どちらが先に根を上げるかの我慢比べであった。
「右、もう少し右へ。向かい風で飛びやすいはず」
せめて空気抵抗を減らそうと、精一杯姿勢を低くするイリス。
なまじ速度が低すぎて、ろくに旋回も行えない。背中に迫る気配に、イリスの歯がガチガチと鳴る。
「振り返るな、そんな余裕などない。頭を上げれば空気抵抗で失速するぞ」
後ろを見れば、現実を目視すれば安堵出来たかもしれない。しかしそれは勝利する可能性を削って得られる安心感である。
少しでも抵抗を減らす為に身を低くするイリス。尻に迫るゾクゾクとした殺意に、イリスは身を竦める。
「思考を止めるな。果報は寝てたって来ない。父上は何をしている? どう対応する? 何を思う?」
時間が経過せねば戦況が有利になることはない。だが呑気に時が経つことを見逃すほどルバートも無能ではない。
このままおいかけっこを続けていれば相竜がスタミナ切れに陥ることをルバートも承知しているはずだ。イリスの仮説が正しい前提であれば、だが。
「私だったらどうする? 距離を取れば一方的に攻撃してくる敵に対し、時間制限の中で距離を詰めるには」
ルバート自身の戦闘能力は未だ完全に復旧していない。この戦闘中において復活することはないであろう。
ドラゴン同士の戦闘という枠組みにおいて、彼の立場ならどういう選択をするか。
「トラップ?」
自らに適した攻撃ポジションへと誘導する。イリスなら、そうする。
罠という単語は地上における、動物捕獲用の道具などを想像しがちだ。だが、空戦においても罠という概念は存在する。
自由に飛び回れるように見える空とて、実際には不自由ばかり。自分に出来ること、敵に出来ることを把握していれば思い通りに敵を誘導可能なのだ。
罠には餌が必要である。それが美味しそうな肉塊である必要はない。腐った肉塊であっても、避けて通るという誘導は出来る。
「腐った肉塊―――」
そう、まさに今イリスとバルドディを執拗に狙う、背後の黒曜竜のような。
空戦のチェイスはどうしても、背後に意識が行きがちだ。敢えて後ろを振り向かまいとしていたイリスもまた、見えない姿に囚われていた。
動きが単調となった敵を仕留めるのに適した方向。そんなものは古今東西、どんな世界であろうと一つと決まっている。
「上かっ!」
見上げれば、太陽の中に小さな黒点。あまりにセオリー通りだからこそ、イリスは確信した。
あれは、敵だと。
咄嗟に身を捻り、無茶な機動変更を敢行する。
いよいよ気流が剥離、揚力を喪失したバルドディは落下を開始。
上空より急降下してきた新手の黒竜が、その背に乗ったルバートがバルドディを両断した。
否、両断されたのは回転式推進装置である。生き残ったもう1発、それを砕かれたのだ。
バルドディの背を這うワイヤーの一本を引き、回転式推進装置取り付け具を根本から分離する。戦闘中に取り付けられない以上、些細なパーツでもデッドウェイトか空気抵抗でしかない。
落下していくバルドディ、その背でイリスはギリギリと歯噛みする。
「ロッテ戦術……! 基本ではないか、バカか私は!」
一対一だと思い込んでしまったが故の盲点。友軍が囮となって敵を誘導するのは戦闘機動の初歩中の初歩だった。
「バルドディ、怪我は!? ないな! はい結構!」
実際負傷はなかったものの、もう少し労れとバルドディは首をブンブン振るう。
なまじ重量物が重心の下に集中していた為、バルドディは容易にきりもみ状態から回復する。しかしこうなっては、彼はただのグライダーだった。
滑空することは出来る。だが、これ以上飛ぶことは不可能。
流石に振り返りルバートが何をしているかを確認する。追撃はなかった。
ルバートは黒曜竜に移り、イリスを静かに狙っていた。
「どうして追ってこない? ああ、そうか」
ようやくイリスの目的が達せられたのだ。即ち、スタミナ切れ。
黒曜竜は見るからに疲労し、精細を欠いている。それでもルバートが移乗したのは、基礎能力の差からか。
だが尚戦況が有利になったわけではない。全種族最弱の黒竜とて、今のバルドディよりは強いのだ。少なくとも弱っていようと黒竜が黒曜竜より強いはずはなく、今尚戦況の不利は変化ない。
あまりにも致命的な推進力の喪失。この窮地においてイリスは―――
「勝った」
―――ようやく、勝利を確信した。
翼を翻し急降下へと突入するバルドディ。ルバートはこれまで稼いできた高度を捨てる行為にいぶかしむも、イリスの狙いに気付き慌てて後を追う。
イリスが向かう先、地上には先程イリスが仕留めず見逃した闇魔竜。
急な攻撃目標の変更に、ルバートはある種の納得を覚える。
イリスという人間は、優先順位をしっかりと念頭に置いて行動するタイプである。現状ルバートに勝ち目がないと判断すれば、すぐに目標を切り替えることくらい躊躇いなく行うであろう。親子の真剣勝負の最中であったとしても、だ。
普段からそんな調子の彼女だからこそ、ルバートは疑問に思えなかった。飛行能力のないバルドディは戦場から離脱することも叶わず、せめて黒竜軍に一矢報いようとしたと推測してしまった。
流れ星のように高速で落ちていくバルドディ。それを追走する黒曜竜。
自ら加速することも出来ないバルドディに、だが黒曜竜は決して追い付けなかった。
「無駄だ。小さくて重いバルドディの方が、よほど急降下に適している。中身がスカスカな黒曜竜ではこの速度域は辛かろう」
彼等の速度は今や時速800キロ。事前にこの速度までも考慮して設計されていた工学竜鎧を纏うバルドディとは異なり、高性能を求めた故に無茶な生体強化を施された黒曜竜は自分の能力以上の高速飛行は考えられていない。
「だがこれは全て推測だ。だからこそ、黒曜竜そのものの弱体化を狙っていた」
当初の目標は黒曜竜を負傷させること。結果として体力切れという形で果たされたが、結果が変わらなければ問題はない。
それなりの高度に居る状況で、敵ドラゴンを弱体化させる。イリスの対ルバート戦術における目標の一つは果たされた。
ガタガタと揺れる黒曜竜の巨体。想定外の現象にルバートも戸惑う。
「今のその子にこの降下は耐えきれない。いや、最早制御自体困難なはず」
みるみる加速し、彼等を取り巻く世界は850キロにも達している。
嵐を凝縮したような暴風の中、それでもイリスは手綱を緩めない。
「この速度において尚、我々は操縦を手放してなどいないっ!」
バルドディが胴を捻る。
ぐるりとロールし、身軽に捻り混むバルドディ。
次の瞬間、二人は黒曜竜の後ろにいた。
「な、この状況で回り込んだ、だと……!?」
驚愕するルバート。バルドディの能力知り尽くしている彼を以てして、この運動は想定外だった。
バルドディはともかく搭乗騎士が加速度に耐えきれない。それほどまでに非常識な動きだったのだ。
前後が逆転した黒曜竜とバルドディ。前者はほぼ制御不能なのに対し、後者は完全に御され実弾砲を敵へと向けている。
攻守逆転。今やイリスこそ、戦闘の支配者だった。
当然の如く照準を定めるイリス。だがルバートもただ撃たれるような真似はしない。
「―――仕切り直しだ。勝負は預けさせて貰うぞ、イリス」
ルバートとしては自分を犠牲にせねばならないほど闇魔竜へ価値を置いているわけではない。重要かつ希少な道具だが、死ぬもの狂いで守らればならない対象ではないのだ。
なんとか首を引き上げ急降下からの離脱を試みる黒曜竜。翼が風を存分に受け止め、急速に減速が開始される。
「くううっ……!」
勢い余って黒曜竜を追い越すバルドディ。地面は間近に迫っており、イリスも引き起こしをする他ない。
重量のあるバルドディは黒曜竜よりずっと減速に時間がかかる。僅か十数秒で水平飛行に移行したルバート。
それに対しバルドディは、勢いを殺しきれず町中へ突っ込む。辛うじて不時着と呼べる程度の、ほぼ墜落といって差し支えない着地だった。
朽ちた地面を削り、ひび割れた建物を砕き、幾つも街道を突き破ってようやく止まるバルドディ。ルバートはそれを真っ暗な視界でぼんやりと見つめていた。
「イリスは……死んだか……?」
強引な引き起こしのあまり強烈な重力がルバートを襲い、彼の血液は多くが上半身から下半身へと移動していた。足は内出血で青アザが幾つも浮かび、逆に頭は血が回らず貧血状態へと陥っている。
脳は酸素不足で充分に機能せず、眼球はほぼ仕事を放棄している。現在のルバートは完全に戦闘能力を喪失していた。
「そう、それが貴方の弱点です」
どこからともなく声が聞こえる。
軽やかな声色。思考が停止したルバートには、それが娘の声だとすら判らない。
「前回の戦いでもそうでした。貴方は大きな体を持つからこそ、血が上下に移動しやすい。対G能力ばかりは、後天的に鍛えにくいですから」
先の戦闘にて、ルバートはイリスの動きに着いていけなかった。その時点で彼女は気付いていたのだ。
ルバートの加速度に対する耐性は、イリスに大きく劣るのだと。
「だからこそ、貴方に『引き起こし』をさせたかった。急降下勝負へと持ち込んで、貴方の脳を麻痺させる必要があった」
闇魔竜を殺さなかったのも全てはこの瞬間の為。絶対的にルバートが対処出来ない、最高のタイミングを得る為。
「どんな攻撃も弾き、どんな戦術でも凌ぎきる最強の爛舞騎士。だが、こうなってはただの的でしかない」
瓦礫を押し退け、バルドディが再び立ち上がる。
その背には変わらずイリスが乗っている。引き起こしと不時着によってルバート以上の衝撃を受けたにも関わらず、彼女の屈強な肉体はそれを耐えきっていた。
「―――さようなら、父上」
イリスは静かに、2・5寸実体弾を黒曜竜へと撃ち込んだ。
破ぜる黒曜竜。防御力に優れているはずの鱗は砕け、巨体は水風船のように呆気なくバラバラとなる。
背に乗るルバートも同様。体の半分が失われ、力なく町の中へと落ちていく。
父と娘の戦闘は、こうして終結した。
「父、上」
イリスは廃墟の一画にて、ようやく父親を見付けた。
その有り様は酷いものだった。知らなければ、それが人間の残骸だとすら判らないであろう。
「イリスか。大したものだ、俺を倒してみせるとはな」
「……なに普通に話しているのですか。真っ二つになっているのですよ、今の貴方は」
常識外れの生命力に呆れるイリス。だがそれも僅かな時間許されただけのロスタイムでしかない。
「どんな痛みも堪えてみせるが、痛みすら感じない。もう長くないのだろう」
「そこから生き返ったらただのギャグですよ」
「ははは。イリスは相変わらず容赦がない」
思わずイリスも笑ってしまう。
最期の最期で談笑出来たのは、彼にとって大きな救いであった。
「…………。」
「…………。」
残された時間は少なく、だがイリスは言葉が出ない。
「訊かなくていいのか。黒竜軍のこと、こちらの戦略のことを」
「……看取る時の話題としては、風情がないでしょう」
「甘いな。情報は万の兵士を救う。感情などかなぐり捨てて聞き出すべきことだ」
「私は兵士としては失格、なのでしょうね」
何を今更、とルバートは再び笑った。
「空を飛ぶ為だけに軍に入ったのだろう? 人々を守りたいからではなく、王を守りたいからでもなく。軍人失格など最初から判りきっているではないか」
「ごもっとも」
随分と前から見透かされていたのだな、とイリスも苦笑する。
「残念だな、ああ残念だ。俺の知識にある限り、人類は黒竜軍の作戦に対処することは出来ないのだろうな」
「父上?」
わざとらしく語りだしたルバートに、イリスは首を傾げる。
「常識的に考えて、この作戦に対処することなど不可能。だから、この場で話してしまっても黒竜軍の不利益にはなるまい」
「はい。聞きましょう」
姿勢を正すイリス。父が故意に情報漏洩しようとしていることにやっと気付いたのだ。
「あの巨大竜。複数の種類がいるだろう?」
「はい」
「俺は召喚魔法を得意とする巨大竜の下で行動していた。奴は遠隔地から黒竜を召喚することが可能な、インチキじみたドラゴンだ」
航続距離や補給線の無視。それは言葉の呆気なさとは裏腹に、あまりに出鱈目な能力といえる。
極論すれば、拳銃一つで巨大国家大統領を暗殺出来るということ。その場に至るまでの軍事的諜報的防衛線を全て無意味化するというのは、守る側からすれば悪夢以外の何者でもない。
尤も、フォートレスドラゴンは例外なく悪夢である。マザーフォートレスだけが特別というわけではない。
「だがその召喚にも条件が付く場合がある。巨大な精霊力を持つ物体を転移させる場合だ。覚えているかイリス、俺が死んだ時のことを」
「はい。マザーフォートレス襲撃の際ですね」
抗竜戦暦が一変する切っ掛けとなった事件。何故忘れることが出来ようか。
「あの時、クルツクルフ上空に突然巨大ドラゴンが出現したように見えたろう。あれも例外だ」
唸るイリス。当時突然出現したマザーフォートレスが召喚魔法によって出現した可能性については前々から指摘されていたが、何故あの一度のみしか強襲をしてこなかったかは疑問視されていた。
その答えこそ「条件」だとすれば、辻褄は合っている。
「召喚に必要な魔力量は状況によって変動する。黒竜程度ならば無条件に転移させられるようだが、それ以上ともなると制約が発生するようだ。まして自分自身ともなれば、相当な事前準備が必要となる」
ルバートは闇魔竜を指差す。
「……あのドラゴンの魔法陣が、その事前準備であると?」
「そうだ。俺には詳しくは判らんが、最近になってその事前準備を再び行っている。それも以前より大規模にだ」
ここまで聞けば、イリスも察しがついた。
「クルツクルフへの襲撃が、再び行われるというのですね」
「その通りだ。だが、召喚されるのはあの巨大竜のみではない」
これほどまでに大掛かりな準備を必要とする召喚対象。その候補を脳裏で絞り込み、イリスは戦慄した。
唾を飲み、震える声を抑え込み訊ねる。
「まさか。まさか、複数体のフォートレスドラゴンをクルツクルフへと送り込むつもりですか」
返答は無言の首肯。一体でも対処しようのない災厄が纏めて転移してくるとなれば、クルツクルフ壊滅は避けえなかった。
「―――なるほど、対処不能。人類滅亡ですね」
いや、とイリスはすぐに対策を講じる。その現場で防げなくとも、事前に阻止すればいい。
「すぐに討伐隊を結成して闇魔竜を減らせば、作戦の阻害も可能なのでは?」
「もう遅い。魔法陣竜は数が揃っている。今は各地に散っている巨大竜の集結を待っているだけだ」
ルバートは人差し指を立てる。
「10日間。それだけあれば、作戦は決行されるだろう」
「はっ―――早過ぎます! 10日!?」
状況はイリスの想像以上に切羽詰まっていた。ルバートの言を信じるのならば、人類は10日後に大打撃を受けるのだ。
その後の再起などほぼ不可能。指導者を失った人類は散り散りとなり、殺虫剤に撒かれる虫のように数を減らすだろう。
「それを聞かせて、どうしろと? 対処不可能なのでしょう?」
せめて奥地に逃げろということだろうか、と問い返すイリス。
「俺の知識や常識では不可能、と言ったんだ。もしかしたら非常識な方法で打破する奴がいるかもしれない」
ルバートはかつての相竜が身に付ける装備を見やる。
彼が若い頃には存在し得なかった、機械仕掛けの鎧。非常識に非常識を重ねた人類の新たなる力。
「私に……人類を、救えと?」
あまりに大仰な話に、イリスは目眩を覚える。
一つの種族の命運を背負うなど、一端のパイロットでしかなかったイリスにはあまりに重い責務であった。
「そう難しく考えるな。かつてのように人類が大陸中に繁栄しているわけではない。国家を救うと解釈するな。町を幾つか救うと考えればいい」
「やるべきことの難易度が下がるわけではないではないですか」
「お前に出来なければ人類の誰にも出来ないさ。討伐隊の編成も間に合わない、やれるとすればそれは軍隊ではなく英雄だ。……いかん、目が見えなくなってきたな」
自分の最期を感じとり、ルバートはなにか伝え残したことはないかと考える。
「地図はあるか?」
「はい、ここに」
「見えないといったろう。俺に向けなくてもいい、大陸地図を出せ」
「大陸地図ですか?」
この世界では、大陸がこの世の全てである。所謂世界地図だ。
人類の生存圏が4分の1にまで追いやられた昨今において、大陸地図が使用されることは少ない。イリスも荷物に入れたかどうか不安になってしまったほど。
幸い、すぐに見付けて地面に広げる。
「暗黒領域の下に山脈があるだろう。その西端ちょい上に、湖があるのが判るか」
「はい、確かに」
地図上には「ビャーク湖」と記された大きな湖が存在した。
「そこが巨大竜の集結ポイントだ。約10日後、その湖に巨大竜が集まる」
「それが判ったところでどうしようもありません。何千キロ離れていると思っているのですか。弾道ミサイルでも撃ち込めと?」
「ははは! 非現実的な案であっても、可能性を見出だせるだけ話した甲斐があったな」
ルバートにはミサイルなどという単語は判らない。だが、娘が他の誰よりも状況打破に近い場所にいると確信した。
「話すべきことはもうない。さあ行けイリス、時間はもうないぞ」
「で、ですが。せめて看取らせて下さい」
「冗談はよせ。死に様など恥ずかしくて晒せるか、俺は一人で死ぬさ」
同じ男としてその心境は解らなくもなく、イリスは躊躇いつつも踵を返す。
数歩歩き、振り返る。
「あの、父上」
これだけは聞いておかねばなるまいと、イリスは声を絞る。
「母上に、なにか伝えておくことはありますか?」
返答はない。
訊ねるのが遅過ぎたと、イリスは理解した。
「―――父上」
イリスとルバートの思い出はそう多くはない。任務に追われていたルバートは、ほとんど実家にいなかった。
それでも尚思い返すのは、この世界の空を初めて飛んだ日のこと。
方法論が違えど空の色は変わらないと知った日のこと。
あの日、起源を異とする二人はようやく親子となった。同じ夢を見る仲間となった。
「バルドディ、飛ぶぞ」
軽く駆け、相竜に飛び乗るイリス。
手早く回転式推進装置を新品に載せ換え、ステータスをチェックしていく。
掛け声もせず、竜騎士は一直線に空へと昇っていく。
目的はただ一つ。今は、祖国の危機を王へと伝える為だけに急いだ。




