11話 下
国営大工房の仕事でランスが家にいない昼過ぎ、イリスはスピアに切り出した。
「母上、少し時間を頂けますか?」
ランス不在の時間帯で話を切り出したのは、偶然ではなく意図的なものだ。
見た目通りの精神年齢差ではないとはいえ、人生経験豊かで包容力のあるランスにイリスもつい甘えてしまいそうになる傾向であることは自覚している。家族であり祖父と孫であり、逆に心配させない為にも間違った行為ではないのだが、この話に関しては甘えてはいけないことくらいイリスも解っていた。
娘の気迫にきょとんと目を白黒させつつ頷き、食卓机の椅子に着席するスピア。
一つ深呼吸し、イリスは実地演習での出来事を包み隠さず話しきった。
自分の実力を隠したままチームに参加したこと。
気のいい彼等とほどなく打ち解けたこと。
誰も料理が出来なかったせいで、何故か調理担当となったこと。
仲間内の恋ばなを肴に盛り上がったこと。
見回りの仲間が、戻ってこなかったこと。
櫛の歯が抜けるように、彼等が死んでいったこと。
そして……
「父上が―――ルバート元第三騎士団団長が、汚染兵化した黒騎士の正体であることを確認しました」
……父親が、敵として目の前に現れたこと。
「――――――。」
スピアの反応は沈黙であった。
イリスは構わずこれからの指針を伝える。
「私は黒騎士を殺します。迷いがないわけではありませんが、現状可能な判断はこれ一択だと考えます」
「ま、待って」
スピアは狼狽えた。
「あの人は強いのよ、下手なことはしない方がいいわ」
「やらねば犠牲が増えるだけです」
「お願い! あの人を……殺さないで、イリス」
スピアは泣いていた。
「母上?」
イリスは困惑する。
イリスは常に黒騎士を殺す前提で動いてきた。彼の正体を知る前も後も、それは変わらない。
抵抗感がないわけではない。だが、その前提が揺らいだことはない。
しかしスピアは「殺さないで」と懇願する。
根本的に別の視点で見ている、とイリスは感じた。
そもそも人類規模で有名な宿敵が夫だと知った直後に、意見を180度逆転させられるものだろうか。まるで―――
そこまで考え、イリスは自分の背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
「まさか、まさか母上」
勘違いであってほしい、そう願いつつも彼女の中で様々な違和感の整合性がついてしまう。
ルバートが素顔を隠す為に着込んでいる全身鎧は、ルバートの幼馴染みであり第三騎士団副団長ゲキ氏のものだった。
スピアはゲキ氏のことを知っている。ならば、あの日にルバートと共に戦死したことも知っていなければおかしい。
だがしかし、準騎士親善競技大会開催中に町中で黒騎士を目撃した際、スピアは彼をゲキ氏だと誤認した。
スピアは気付いたはずだ。あの鎧が彼の騎士のものであることを。
なのに何故黙っていたのか。何故しらばっくれたのか。
「……中身が別人だと、察していたから?」
娘の視線に、スピアの視線が思わず逸れる。
「知って、いたんですか。気付いていて、黙っていたんですか」
信じられない思いだった。スピアは人類を、多くの犠牲者達を裏切っていたのだから。
「どうして、どうして知りながら何も言わなかったのですか。黒騎士が爛舞騎士だと周知徹底されていれば、犠牲が減ったかもしれないのに。皆も死ななかったかもしれないのに!」
「だって、だって―――あの人がいつか、戻ってくるかもしれないじゃない!」
絞り出すように吐露するスピア。それは叫泣に等しい。
「だから、殺したら駄目よ! きっと戻ってくる、あの人はどんな戦いからも戻ってきたのよ!」
「母上っ!」
スピアに詰め寄り、彼女の華奢な肩を鷲掴むイリス。
怒気の孕んだイリスの瞳に、母親であるはずのスピアも怯む。
「私だって自慢出来るほど出来た人間ではありません! ですが、ですが……それは間違っています!」
イリスにはイリスの生死感がある。思想がある。価値観がある。
目の前で僚機を失った。異世界への転生で家族との離別を経験した。新たな家族をまた失った。出来たばかりの友人達を死なせてしまった。
イリスは人の死を多く見てきた。だからこそ、解ったこともある。
「死者への手向けはすがりつくことではありません。胸を張って、彼等に恥じぬように生きるしかないのです!」
イリスはそうしてきたのだ。ずっとずっと、皆に恥じぬように生きてきたのだ。
「その程度しか、出来ないんですよ。生き延びた私たちには」
娘の、母への必死の訴え。
しかしスピアは顔を俯かせ、返答をしない。
イリスは首を振り、椅子から降りる。
「……私は、防衛本部に戻ります」
荷造りすべく自室に戻るイリス。既に、部屋はほとんど片付けてあるのだ。
「作戦が決行される際には連絡を入れるので。いってきます、母上」
後ろ手に扉を閉じるも、スピアは結局最後まで何も反応を示さなかった。
防衛本部に戻ったイリスは、自分が周囲から距離を置かれていることにようやく気が付いた。
「おい、あいつ……」
「一人だけ生き残った奴か……」
否、それは陰口だった。
本人達も本気で内緒話をするつもりではないのであろう、その声はイリスにもよく聞き取れる。
イリスは嘆息した。自身の立場ではなく、アーレイのご機嫌に関してだ。
どうしたものかと思案しつつ廊下を歩いていると、壁に真新しい張り紙があることに気が付いた。
「これは―――ああ、フランの言っていたアレですか」
新種ドラゴンに関する情報開示。多分に不明な事柄が多いも、それらは間違いなくイリスが目撃した黒曜竜のレポートだった。
既存基本4種の能力を併せ持ち、高い基礎能力を備えたドラゴン。対策なしで挑むにはあまりに強力なこの個体は、その数すらも未だ不明瞭。
もし現在世界に存在する黒竜が全て黒曜竜に置き換わるとすれば、人類に未来はない。これは断言可能な現実だ。
防衛本部の上層部は、この種が通常の種より生まれにくいであろう、という「希望的推測」を前提に戦略を立てざるを得なかった。
「頼りない情報ですね、ほんと」
イリスも記憶を隅々まで探り黒曜竜の詳細を書き出そうと努力したが、一度の戦闘で得られる情報など限られている。その能力を割り出しただけでも上等だった。
「そして、こちらが例の別種?」
ギイハルトが報告したとされる、イリスが目撃していない新種ドラゴンについての書類。しかしその内容は、黒曜竜以上に奇妙なものだった。
「コードネーム闇魔竜……これはまた、意味の判らないドラゴンですね」
記されていたのは、特殊な用途の為に産み出されたと推測されるドラゴンだった。
曰く、地面に這う醜いドラゴン。戦闘能力は皆無らしく、魔法による攻撃で成す術もなくダメージを与えられている。
それだけならば、突然変異とでも割り切ればいい。だが問題は彼のドラゴンの足元にある。
闇魔竜真下の大地には、巨大な魔法陣が展開していたそうだ。幾何学的な光の帯で描かれた模様はしかし、ギイハルト班の魔法を得意とする者であってもどのような働きをしていたのか全く判らないほど複雑怪奇な代物だった。
魔法陣は人間の魔法使いも度々使用する精霊技法だが、ギイハルトの目撃した魔法陣は直径数十メートルと極めて巨大だ。故にこの新種は何らかの魔術的役割を有した個体であると判断され、司令部はこの名をつけたらしい。
目的も能力も不明。純粋な戦闘能力向上体である黒曜竜よりずっと珍妙なこの存在は、だからこそ騎士達を困惑させる。
「父上があの場にいたことと、この闇魔竜の存在は関係……しているのでしょうね」
ギイハルト班はこの新種に対して奇襲攻撃を行ったが、第二波を浴びせるには至らなかった。
闇魔竜の周囲には数十匹の黒竜、数体の汚染兵までもが待機しており、どう解釈しても闇魔竜を護衛していたのである。
更に黒騎士までもが付近に控えていたのだ。偶然居合わせたと解釈するほど、能天気な者は流石にいなかった。
「そもそも、このタイミングで新種が現れるなんて」
昨今これまでとは異なる戦術をとり始めた黒竜軍、その動きには明確な理性が感じられる。
理性があるならば認識したであろう、敵の中に機械の鎧を纏った強力な騎士がいたことを。
「工学竜鎧の対抗馬として出現したドラゴンならば、タイミングも能力も納得出来る」
黒曜竜の能力は既存のドラゴンの延長線上だった。あまりに単純で愚直な発想に、イリスは小さくせせら笑う。
自分ならもっと上手く対抗する。そう断言出来る自信があった。
「どうやら奴等の『おつむ』も大したことがないようですね」
稚拙な敵戦術を嘲りつつ、イリスは張り紙から目を離し再び歩み始めた。
「世界は変わってる。私の意思で、私の行動で」
それが人類にとって利となるか否か、その答えなどまだまだ出ていない。
「土の国は法治国家です」
「なるほど」
「法治主義である以上、ルールを犯した者は例外なく裁かねばなりません。それは国王でろうと例外ではない」
「そうですね」
「しかし、この国は法治国家であり同時に王国。王国においては王こそ法。ならば王族が特例的に庶民を裁くことも主義に反することとはなりません」
「それを人は曲解と呼びます」
「そして私もまた王族。土の国ではなく水の国の王女ですが、まあ国名の差異など誤字のようなものでしょう」
「落ち着いて下さい、アーレイ」
「故に私は法です。よって、すべからく彼等を裁く権利と義務があります」
アーレイは肩を怒らせ、狭い自室から出ていこうとする。
それを必死に止めるイリス。
「離して下さいイリス! 彼等には懲罰が必要です!」
「どうどう! どうどーう!」
予想通り相部屋にて憤りのあまり眉を吊り上げていたアーレイを、イリスはなんとか宥めた。
「イリスがいない間に、美味しいお茶の葉が届きました。こちらでは気候が合わずに育てにくい品種なんですよ」
「それはそれは。味わって飲まねばなりませんね」
「砂糖はいつも通り、スプーン2杯でいいですか?」
「いえ、せっかくですからストレートで戴きましょう」
自室にて再会したイリスとアーレイは、多少のいざこざがあったもののお茶の時間と相成った。
周囲のイリスに対する評価と態度は、アーレイにとって許しがたいものだった。親愛なる友人が不名誉を被っているなど、到底許容しかねたのだ。
「貴女が逃げ回っていたと報告されたことは聞いています。しかし、その情報は開示されていません」
どこか色っぽくティーカップを傾けるアーレイ。
イリスとギイハルト班は、それぞれ主観的にありのままを報告した。即ち、イリスは黒騎士との交戦まで詳細に報告したものの、ギイハルト側の報告書にはイリスが逃げ回っていたと記されている。
嘘を吐いた旨もイリスの報告書に記されていたことから、防衛本部は特に矛盾はないものと問題にしていない。
イリスが逃走していたと認識しているのは、ギイハルトをリーダーとした班員のみなのだ。
「きっとギイハルトさんが噂を広めたのです。あの方は、いつもイリスに突っ掛かってました!」
一旦は落ち着いたものの、すぐに怒りが蘇ったのかアーレイは口調を荒くする。
「それはないのでは? 彼はそんなつまらないことをする男ではありませんよ」
「え、えええぇー?」
反論しようとして、なぜイリスが彼を庇うのかと思い至り、眉を寄せ首を傾げ、奇妙な声を垂れ流すアーレイ。
美人さんな友人の珍妙な表情に、イリスは小さく吹き出した。
「まさか、イリス……貴女、彼のことが!?」
「なにを急に、血迷いましたか」
「ゆ、許せません! イリスは私と結婚するのです!」
「今のは聞かなかったことにしますね」
イリスは何事もなかったかのようにズズズッとお茶を啜る。
「ある意味狙い通りなのですから、問題視することもないでしょう。問題があるとすれば情報漏洩の責についてのみですよ」
飄々としたイリスの態度になにか言いたげなアーレイだったが、やがてすっくと立ち上がった。
「確かめに行きましょう」
「アーレイ?」
「直接、確かめに行くのです!」
そそくさと上着を羽織り部屋を出るアーレイ。
ギイハルトの場所に向かったのだと気付き、イリスは慌てて彼女を追った。
ギイハルトは不愉快だった。
「どういうことだ。機密の漏洩は軍規違反だぞ」
「な、なんだよ。ちょっと笑い話をしただけじゃないか」
顰めっ面で同年代の騎士を睨み付けるギイハルト。相手は先の騒動にてギイハルトの班員であった騎士であった。
「無責任なこと吹聴しやがって」
「事実だろうが。あの七光り、自分で逃げ回ってたって言ってたろ」
「はっ。あの嘘吐き女の言うことを真に受けてんのか?」
「虚偽報告したっていうのかよ。それこそ軍法違反だろ。……ああ、それくらいなら親の名前で誤魔化せるってか?」
くつくつと笑う班員。ギイハルトは苛立ったように髪をかきむしった。
「あああっ、ムカツクぜ! アイツはなんで特別なんだ!?」
「だから、親が親だからだろ」
「そうじゃねぇ。アイツはそんな理由で特別なんじゃねぇ」
ギイハルトの中では、とうとう軽銀とイリスが等号で結ばれることはなかった。
違和感だけがしこりとして残り、その矛盾が苛立ちを呼ぶ。
かつて自身の命すら救った英雄軽銀。
親の七光りで地位にしがみつくイリス・ブライトウィル。
イリスを毛嫌いするギイハルトは、だからこそ彼女を真っ向から客観的に観察していた。
「ああ、そういうことか」
班員が何かに気付いたようににやつく。
「お前、あの女が気になってんのか? まあ顔は美人だしな」
「ちげえっつうの!」
ニヤニヤと口角を歪めつつ、班員はそそくさと立ち去る。残るのは柳眉を逆立てたギイハルトだけだ。
「チッ、妙なこと言い出しやがって」
八つ当たりに、不自然に壁に立て掛けられていた長机をギイハルトは蹴り飛ばす。
大きな音を発て倒れる長机。
半腰で机の裏に隠れていたイリスとアーレイの姿が露わとなった。
「……なにやってんだ、お前」
「す、すいませんでした!」
覗き見が露見したアーレイは慌てて謝るも、イリスは真顔で毅然と立ち上がる。
向かい合うイリスとギイハルト。一触即発の雰囲気。
と、不意にイリスはクネクネと体を揺らして自分の体を抱いた。
「そ、そんな急に言われても……イリス、困っちゃいますぅー」
潤んだ瞳で赤面するイリス。弄る気しかなかった。
「は?」
「貴方が私をそんな風に思っていたなんて、私って罪な女なのですね……」
しばし意味を掴めず思案していたギイハルトだが、理解するにつれ表情が険しくなる。
「お前の! そういうところが! 嫌いなんだ! 誰に何言われても飄々としやがって!」
憤るギイハルトをふふんと鼻で笑うイリス。その表情に一切の強がりを見いだせず、ギイハルトはイリスを無視してさっさと立ち去ることにした。
「お前のことなんて何とも思ってないからな!」
「ありがとう、庇ってくれて」
「庇ったわけじゃねえ! ただ、やっぱてめぇが逃げ回って生き延びたとは思えないってだけだ!」
そう主張するのは結局庇っているではないか、と呆れるイリス。
ギイハルトは実地演習以降のイリスの言動が気に入らなかった。
なにが、というわけではない。だがしかし、前後で「違う」と感じたのだ。
「俺の見てきた限り、お前は何事からも逃げ出すことはなかった。どんなことでも真っ向から受けて立っていた」
「そ、そうでしょうか?」
訓練を抜け出すことも多かったイリスだが、ギイハルトからすれば毅然と生きているように見えたらしい。
「でも今は違う。情けない顔晒しやがって」
そうだろうか、と自身の顔に触れるイリス。無論そんなことでは何も判らない。
「ギイハルトさん! そんなこと―――」
そんなことはない、とアーレイは反論しようとするも。誰よりイリスと共にいた彼女だからこそ、否定しきれず声を続けられなかった。
僅かに逡巡し自身に問いかけるイリス。
やがて、声を漏らした。
「少し―――むかつきました」
しかしその感情は同時に図星の査証徴証であり。
イリスは確かに、皆が「イリス自身が決着をつける必要はない」と言ってくれていることに安堵していた。
「ええ、逃げませんよ」
イリスは自分自身に誓う。
「来るなら迎え撃つ、それが礼儀でしょう」
イリスは決めた。
誰かに託すことはせず、自分の手でルバートと討伐しようと。
「結局こうなるのですね、ええ知っていましたとも」
イリスの背後でアーレイは小さく溜め息を吐いた。
「っと、とと、なんてじゃじゃ馬な……!」
バルドディに乗り手綱を握るイリス。
彼女は今、完成した新兵器「実弾砲」のテストフライトに挑んでいた。
祖父に呼び出され、簡単な説明を受けての実践試験。技術者ではなく軍人であるイリスからすれば、細かな解説よりも実際の具合の方が重要だったのだ。
しかしながら、試験の経過は決して芳しくはなかった。
「しゃんと飛びなさいバルドディ!」
イリスの叱責にがうがうと文句を返す相竜。彼も彼なりに、必死に姿勢を保とうとしていた。
保とうとしていた、のだが。バルドディはふらふらと千鳥足を踏むように不規則に飛ぶ。
イリスとバルドディはクルツクルフより離陸して以来、始終この調子だった。
「重すぎる……! 推進装置も強化したというのに、まったく釣り合っていない!」
カウルを廃し出力を向上させ、プロペラも巨大化した回転式推進装置が羽虫のような音をがなりたてる。羽虫といっても、その騒音レベルは並の戦闘機以上の轟音だ。
実をいえば、回転式推進装置のプロトタイプはプロペラが露出したこの形式であった。しかしこの爆音が敵を呼ぶ可能性を危惧し、量産型の回転式推進装置ではプロペラをダクトで覆っているのである。
それを廃すれば推進力は向上するものの、当然騒音は元に戻ってしまった。否、回転数が強化されている分騒音は原型以上といっていい。
その他色々な改良を加え操縦系を見直したものの、それでも尚バルドディがまともに飛べていない原因。
それは彼の下に吊り下げられた巨大な装置のせいである。
全長4メートル以上の鉄塊。これこそ、ランス渾身の作である新兵器実弾砲だ。
ドラゴンが運ぶにしてはあまりに重量過多。筋力自慢のバルドディだからこそ支えられるのであり、他のドラゴンならば離陸すら出来ないであろう。
「―――バルドディ、曳航標的です! 試験を開始しますよ!」
数百メートル先にて竜騎士が地引き網のように牽引する凧。ランスが手配した曳航標的だ。
ゆっくりと接近し、試験に協力してくれる騎士に敬礼。
「おはよう。今日はよろしく頼む」
「ハッ。軽銀の竜騎士様の実験に力添え出来るとは大変栄誉であります!」
「―――フッ、光栄だ」
大衆がイメージする騎士のキャラクターを演じつつも微妙に羞恥心から頬を染めながら、イリスは一旦離脱。
間違っても竜騎士を撃ち抜かないように細心の注意を払いつつ、イリスは射撃位置につく。
実弾砲用に調節された照準器越しに、標的を睨む。
深呼吸。試射における不備がないかを再度脳裏で確認し、呼吸を忘れ引き金を引く。
視界に広がる白の世界。
「――――――。」
一瞬意識を失っていたと、イリスはやっと理解した。
それは銃声でも砲声でもなかった。それは完全に単純なる咆哮であった。
イリスとバルドディの視界が白く染まり、衝撃波が空を激震させる。溢れた圧縮空気が砲口より吹き出し、イリスの髪をビリビリと揺らす。
イリスは試験が失敗したと錯覚した。そう、それはしかし錯覚でしかなく。
実弾砲は正常に作動していた。機構も砲身も役割を果たし、鉄鋼弾を超音速で撃ち出していたのだ。
瞬間、標的は消滅。正しくこの世より消え去った。
「はは、でしょうね!」
破砕でも撃墜でもない。消滅だ。塵の一つすらも残さずに、消し飛んだのだ。
曳航標的はそれなりの強度を有しており、普通は魔法や剣の痕から攻撃の有効無効を判定する。しかしそんな常識は新兵器の前に消し飛んだ。
砲弾通過の余波が曳航していた騎士をも揺さぶり、呆然と消え去った曳航凧のあった虚空を見つめる。
実験は成功。少なくとも、性能面では。
「ひゃっ」
余韻もなく沈下するバルドディ。きりもみ状態へと陥り、イリスを伴って地面へと落下していく。
「失速、衝撃波で気流が剥離した? いや……違う!」
メリーゴーランドのように回る視界。不規則に渦巻く気流。
この状態から回復するのは並大抵のことではない。並の騎士や航空機パイロットであれば、対処する術もなく人生を終えるのみ。
しかしイリスは双方において並ではなく、常に上下を把握し続け冷静に分析すらしていた。
「減速したというのか、翼が揚力を保てないまでに」
驚くべき反動。凶器的な破壊力は、装備者すらも殺しかける。
砲弾による減速。弾が鉄鋼弾とはいえ当然ながらドラゴンとの質量は比べるまでもなく、砲弾の方が圧倒的に軽い。
質量差を越えるほどの大威力。強大な反動。イリスは軽く身震いした。
「まったく、とんでもない物を作ってくれたものです、お爺様」
イリスは思い返す。
ランスに呼び出され、実弾砲についての説明を受けた時のことを。
「イリス、お主の注文は無理じゃ。無茶が過ぎる」
「むむむっ」
今朝、ランスに呼び出されたイリスは工房の奥で新兵器と対面していた。
等身大サイズの木彫りのドラゴン。その全身には工学竜鎧が装着されている。
問題は、その下部。ドラゴン前足の間ほどに据えられた、巨大な砲だった。
「……私の設計では、1寸弱の口径を有する実弾砲を、両脇に2門積んでいたはずですが」
設計と大きくことなる実機に、イリスは首を傾げる。
「そうなのじゃがな。機構自体はまあ上手くいったのじゃ」
「では何か別の問題でも?」
「次の砲弾を積める動作がしっくりとこん」
「なる、ほど」
言われ、イリスとしても心当たりがあると感じた。
イリスの設計は地球の機銃を元にした先進的なものだったが、工作精度はまったく追い付いていなかった。
彼女が生まれ変わったのは、拳銃すら存在しない世界。構造こそ単純かつ信頼性の高い物を目指したが、それでも 完成度はお世辞にも高いとはいえない。
空戦高揚力装置に関わる油圧装置は油を漏らしながらもなんとか作動しきるが、砲弾は「現場では撃てませんでした」では済まない。
「とても実戦で使えるものではない。それがわしらの結論じゃな」
地上試験ですら発射不良があったのだ。低温・低気圧に加え空戦の不規則な加速度の最中ではより作動信頼性は落ちるであろう。
「火薬の圧力に耐える燃焼室にも、どうしても煤が溜まる。この煤が次弾の発射を妨げているようじゃ」
「黒色火薬ですから、やはりその問題は残りましたか……」
「正確には褐色火薬じゃ。錬金術士曰く、こっちの方がいいらしい」
黒色火薬はイリスでさえ製造法を正確に把握していたほど簡易に製造可能な火薬だが、やはり火器に使われるほど洗練されたものではない。
爆発力が劣るのはさして問題ではない、その分多目に火薬を籠めればいいのだから。
燃焼後に煤が残ること。これこそ、黒色火薬最大の問題である。
「そこで、いっそ発想を変えてみることにした」
「と、仰いますと?」
「火薬を使わず、格納魔法より出現させた圧縮空気で撃ち出す構造に変更したのじゃ」
「あ。……あー、なるほど。盲点でした」
何も地球の火器と同じく、火薬に拘る必要はないのだ。固定観念があったからこそ、イリスには「空気砲」という発想がなかった。
「そうですよね。別に煤の発生する黒色火薬に拘る理由はない、工学竜鎧は大量の圧縮空気を運用しているのですから初めからこちらで設計すべきでした」
「他にも、構造の簡略化を図ってみたぞ」
ランスは設計図を机に広げる。
「わしが別案として作ったのは蓮根のように燃焼室が束になった、砲弾が回るタイプじゃな」
「リボルバータイプですか。構造は単純になりますが、重くなりそうです」
「そこは諦めろ。わしらもやれることはやった、これ以上は根本的に設計の洗練と加工技術の向上以外にどうしようもない」
巨大化した装置はとてもドラゴンが背負える重さではなくなり、結果設計は更に変更されドラゴンが担ぐ方式から前足の間にぶら下げる方式となった。
「2門から1門に減らしてしまったからのう。かわりに威力を確保する為、約2・5寸口径に拡張しておいた」
「えーっと……7・5センチ!? 大砲ではないですか」
イリスは呆れた。彼女の設計でも37ミリとかなりのサイズだが、ランスの再設計した実弾砲は75ミリもあるのだ。倍以上に強化されていることになる。
全長4メートルの巨大な砲装置。この武骨な兵器は、魔法的な趣を残すこれまでの新兵器とは違い機械的で血生臭さすら醸し出していた。
「装填数は12発。シンプルになったから詰まらんし、もし撃てなくても回して次へ進めればいい」
途中で一時停止出来ない戦闘機にとって飛行中での玉詰まりは大きな厄介事の一つだが、リボルバー方式は元来信頼性が高い。イリスは悪い設計ではないと判断した。
「お爺様、さすがに優秀ですね」
「今更気付いたか。遅いわい」
はっはっは、と笑うランス。
「ちなみに連射は出来んぞ。1秒に1発撃てるか撃てないかじゃ」
ランス最大の懸念はここだった。
空中戦において小さな魔法を乱射する工学輪唱銃が採用されているのは、数撃たなければ動き回る敵に対して命中させることなど不可能だからだ。
従来の魔法と比べて連射可能な工学輪唱銃の開発は竜騎士の撃破率を大きく向上させた。その戦訓からすれば、イリスの提案する新兵器はまさに時代を逆行しているといえる。
ましてや双方の速度も運動性も以前より向上しているのだ、かつてより当てるのが難しくなっていることは想像に難くなかった。
「……空戦中に当てられるのか、これ?」
この手の大口径砲が航空機に搭載された事例が、地球で存在しないわけではない。
しかしそれも、動きの遅い地上目標物か運動性能の低い爆撃機対策だ。俊敏な黒騎士を狙い撃てるはずがなかった。
「無断で仕様変更したが、お主の要望はほぼ果たしたつもりじゃ」
「素晴らしいですお爺様」
ライフリングの刻まれた砲身を撫でて頷くイリス。
「早速テストフライトと洒落込みましょう。バルドディ!」
口笛一つ、バルドディが空より駆け付ける。
そして、鎮座する巨大砲を見て逃げた。
「逃げたぞ、追えーっ!」
「俺達の労力を無駄にすんじゃねーっ!」
どこからともなく現れたドワーフ達が鎖を投げ、バルドディを地面に引き擦り落とした。
イリスは刮目する。
「―――バルドディ、スロットルをアイドリングに」
回転しつつ落下するバルドディは、だが冷静に指示を受け入れる。
回転式推進装置が低速に移行。乱流より正常に流れる風を見い出し、バルドディは頭を下へと向ける。
降下しつつ加速し、充分な速度を得たところで彼は水平飛行へと移行した。
なんてことはない。イリスは何度も、きりもみ状態からの回復を訓練してきた。この程度は慣れているのだ。
「他愛もない、T-4練習機の方がよほどリカバリーに苦労したぞ」
姿勢制御困難、操縦性劣悪、弾頭僅か12発、おまけに使用後は動作不良を防ぐ為面倒極まりない整備が必要……ただし弾速及び破壊力は極上品。
「まさに欠陥兵器―――でも、これなら避けることも防ぐこともできない」
木っ端微塵となった標的に、しかしイリスは不敵な笑みを浮かべる。
「テスト結果は良好です!」
バルドディは「まじかよ」と言わんばかりに、彼女の顔をじろじろと見やった。
延々と並ぶ墓標。クルツクルフ城外に位置する難民街の真ん中に、この町唯一の共同墓地があった。
騎士服に身を包んだイリスは、4つの花束を抱えて墓地の中を歩いていた。
やがて真新しい墓標の前に立つ。イリスは刻まれた名を、一つ一つ読み上げた。
「グラウディス・フレスコ」
お調子者ながら、懸命にリーダーを勤めた少年。生き延びれば叩き上げとなったかもしれない。
「コピス・フィッシュベッド」
軍事オタクの軍人少年。しかしながら、こういうタイプは場を和ませる魅力がありイリスは嫌いではなかった。
「フランシスカ・フォージャー」
演習では唯一の同性として、何かと親しくしていた少女。前印象とは違い意外と純情で、イリスは微笑ましく感じていた。
「ファルカタ・ファーマ」
気弱な前衛担当の少年。彼とフランシスカの青春模様は、他のメンバーの絶好の肴だった。
全て、過去形で話さねばならない。現在進行形で話すことは、もう二度とない。
花束を供え、イリスは手を合わせた。
「皆さんも、別の世界にいるのですか? 地球にいるのなら、ぜひ日本を見て下さいね」
自分のような事例は例外と知りつつも、イリスはそれを否定しきれなかった。
死んだらもう終わり。そう言っていたイリス本人が、彼らの「これから」を考える。
自己が内包する矛盾に戸惑いながらも、彼女はすっくと立ち上がった。
「もしこの世界が地球と同じ宇宙にあるならば。いつか、また会えるかもしれません」
そんなことはありえないと解っている。人類は莫大な労力と予算を注ぎ込んでも月までしか到達出来ておらず、当分は太陽系外の地球型天体になど達する見込みはない。
それでも、もしこの空の向こうにいるのなら。
宇宙という冷たい海を越えて、同じ空を飛んでいるのなら。
「恥ずかしいフライトは出来ませんね」
ドラゴンに乗った自分と飛行機に乗った彼らが空で鉢合う。そんな奇妙な情景を想像して苦笑を漏らし、手を振ってイリスは踵を返す。
「また会いに来ます。勿論生きて、ですよ」
その瞳にはもう迷いはない。自分にとって恐らく最大の敵と戦う覚悟を、小さな胸に秘めている。
前方から、見慣れた人影が近付いてきた。
「―――母上?」
スピア・ブライトウィルであった。
何か声をかけようとして、何も出てこない。イリスとスピアは未だ、冷戦の途中であった。
スピアも言葉を発することはなく、親子は無言ですれ違う。
小さく嘆息し、それでもイリスは足を踏みしめて前に進んだ。
「強いわよ、あの人は」
背中に声がかかり、イリスは無意識に立ち止まった。
「はい」
そんなことは百も承知。人類圏において最強の一人と戦うのだ、油断など欠片もしていない。
「どうしても? どうしても、戦うの?」
「はい」
母娘は背中合わせのまま、文面だけの会話が続く。
「あの黒鎧は精霊鋼を鍛えた逸品よ。お父さんが拵えた新しい武器があっても、貫けるとは限らない」
「それでもです」
鎧が特殊な防具であることは初耳だったが、それでも立ち止まる理由にはならない。
仮に砲弾が鎧を貫通出来なくとも、衝撃は防ぎようがない。人間が動かせる程度の重量の鎧など、簡単に吹き飛ぶことは予想可能。
そう考えたイリスだが、スピアの次の言葉に思わず振り返る。
「……聖水の加護があれば、多少は貫き易くなるはずよ」
「母上?」
イリスが見つめる母の背中は、心なしか記憶より小さく細く。
「アーレイさんなら、その手の魔法を扱えるわ」
最後まで振り返ることはなく、スピアは墓地より立ち去った。
イリスは何か声をかけたくなるも、何も言葉が浮かばずただ深く一礼する。
母がどれだけの葛藤を経て夫の弱点を伝えたか、どのような心持ちでこの墓地へ赴いたかなどイリスには窺い知れるはずがない。
故に、ただただ深く頭を下げて感謝の意を示すしかなかった。
「ありがとうございます、母上」
―――必ず帰ってきます。イリスは胸に誓った。
「イリス、この金属の筒、浄め終わりました……」
高い壁に囲まれた国営大工房の広場にて。
三日三晩休みなしで楔脈系継承魔法による聖なる加護を施し続けたアーレイは、やや窶れた虚ろな瞳で砲弾を差し出した。
「……大丈夫ですか、アーレイ? すいません、そこまで大変な処置だとは知らず」
アーレイに12発の砲弾加工を依頼したイリスは、憔悴した友人を心配した。
「別に無理して急がなくても良かったのですよ、向こうの予定を考慮しない奇襲作戦なのですから」
「それでも時間が経てば経つほどに、敵の怪しい動きは進んでしまいます。イリスだって毎日頑張って急いだのですから、私も頑張らせて頂きました」
にっこりと笑ってみせるアーレイ。イリスは結婚したいと思った。
黒竜軍が進行していることが確認された、何らかの「作戦」。闇魔竜などという変種まで用意して彼らが何をなそうとしているのか、人類の常識や知識では到底推測出来るものではない。
しかしそれは人類にとって大きな困難であることは想像に難くない。これの打破に繋がる反攻奇襲作戦は、早ければ早いほどに都合がいいのも事実。
とはいえ、イリスとしては無理をした友人に申し訳ない思いもあった。
「そんな顔をしないで下さい。私は、いつも銃後で待つことしか出来ませんから……せめて、これくらいはさせて下さい」
受け取った砲弾を見つめ、後ろで控えていたバルドディのぶら下げる実弾砲に手早く装填する。鈍い輝きを放つ砲弾は計12発全てが飲み込まれ、本当の意味で対ルバート用の兵装は完成したといえよう。
「それでは。いってきます」
「はい。いってらっしゃい」
仮面の少女は空へと旅立つ。彼女を見送った亡国の王女は、誰にも見られることもなく涙を溢した。
「本当、風のような人。でもいいです、風は空を巡っている方が幸せでしょうから」




