10話
昨日は仕事が忙しく更新できなかったので、今日は2話分更新します。
毎日行われている野営地周辺の偵察飛行。原則として二人一組のエレメントにて実施され、今日の担当はファルカタとフランシスカ。
しかし朝に出発した彼等は、帰還する予定の昼を大きく越えても戻ってはこなかった。
何らかの問題が発生したと判断したグラウディスは、イリスとコピスを招集。広場に集まり緊急ミーティングを開催する。
「多少の遅刻なら気にしないが、もう半刻近く遅れている。2人の身に何かあったと判断すべきだ」
普段陽気なグラウディスも、今は苦虫を噛み潰したような表情をしている。
想定される事態は多々存在する。最悪なものからくだらないオチまで。
その中で特に『最悪』の事態を想定し、グラウディスは決断した。
「3人全員で飛ぶぞ。まずは捜索だ」
「全員で、でありますか?」
コピスはイリスをちらりと見た。
2人乗りは竜騎士の戦闘能力を大きく低下させる。それは避けるべきではないか、とコピスは考えたのだ。
しかしグラウディスは首を横に振る。
「現状、このゴムワール湿地も安全とはいいきれないだろ? 戦えないイリスを一人、残したくはない」
バルドディを呼び出せば、イリスもまた戦力として数えられる。しかしその場合はイリスの正体が露見してしまう。
今後のデメリットと眼前のリスクを天秤にかけ、結局イリスはバルドディを呼び出さなかった。
「すぐに準備をしろ。場合によってはそのままクルツクルフに帰投する、貴重品は持ち出しておけ」
各々が動きだそうとした時、イリスが空から迫るドラゴンに気付いた。
僅かに身構え、背に乗る人物を判別し顔を綻ばせる。
「フランシスカです!」
「帰ってきた、でありますか」
安堵に肩の力を抜くコピスだが、イリスの表情は再び険しくなる。
「ファルカタがいません。フランシスカだけ、です」
男性2人の表情もまた強張った。
真っ直ぐに降下し、やや雑に着地するフランシスカのドラゴン、パッブ。フランシスカはぎこちない動作で相竜から降りる。
その顔色は優れなかった。否、蒼白といっていい。
グラウディスが駆け寄り、いささか過剰な笑顔で声をかける。
「フランシスカ! 無事で良かった、それで―――ファルカタは?」
内心抵抗感を覚えつつも、グラウディスは確信を訊ねる。
しばし無言であったフランシスカも、沈黙では事態は好転しないと承知していた。
小さく深呼吸をして、端的かつ最大級の問題発生を報告する。
「黒騎士が、襲撃してきたわ」
全員が呼吸を忘れた。
その名は、人類にとってフォートレスドラゴンに次ぐ心的外傷。
人類の生存圏各地に出現し、騎士団に多大なる被害を及ぼす汚染兵の一体。
無数の敵の一つであるにも関わらず、コードネームまで宛てられた脅威なのだ。
幾度となく行われた人類と黒騎士の戦闘。しかし、彼を退ける戦果を果たしたのは軽銀のみ。
想定されうる事態において、聞きたくはなかった単語上位に位置するものだった。
「逃げましょう」
即座に提案したのはイリスだった。
「あれに無策で挑むわけにはいきません。退却以外の選択肢はないかと」
「ちょ、ちょっと待てよ」
割って入るグラウディス。
「おかしいだろ、なんでこんな場所に黒騎士がいるんだよ!?」
「本当の最前線はずっと先であります、誤報では?」
グラウディスとコピスを睨むフランシスカ。命からがら逃げてきた身としては、誤報扱いされては堪らない。
「そう思いたいだけでしょ!」
まさしく、男子2人の言葉はただの現実逃避でしかない。遊撃を得意とする黒騎士は、まさに神出鬼没なのだ。
イリスは彼等を無視して訊ねる。
「ファルカタはどこに?」
「私を逃す為に、囮になって!」
顔を見合わせたファルカタとコピスは頷き合い、ドラゴンに飛び乗る。
「イリス! お前は後衛のフランシスカと同乗しろ! ファルカタを捜索するぞ!」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
イリスは広場の真ん中に木箱を放り投げ、表面に筆で文字を書き殴る。
「どうしたんだ、行くぞ!」
「っと。これでいい」
用事を済ませフランシスカの背後に飛び乗るイリス。
「全騎、離昇!」
間髪入れず3匹のドラゴンは離陸する。
「イリス、何を?」
「このまま帰還する場合、他の班が混乱してしまうので。黒騎士出現と撤退の旨を置き手紙にしました」
なるほどと納得するグラウディス。最低限理性を保っているようでいて、彼も冷静ではなかった。
無事情報が伝わるか不安は拭いきれないが、無線機もないこの世界ではこれが精一杯。
今は行動するしかなかった。
「大至急ファルカタを探すぞ!」
「だ、だめっ!」
鋭く拒否をしたのはフランシスカだ。
「アイツには勝てない、勝てっこない! すぐに逃げるのよ!」
「お前、お前を逃がす為にファルカタは囮になったんだろ!? それでいいのかよ!」
激昂し叫ぶグラウディスに、フランシスカは毅然と睨み返す。
「馬鹿にしないでよ……! ここで私達が死んだら、ファルカタが馬鹿みたいじゃない」
「お前―――」
フランシスカは泣いていた。彼女はファルカタがこの世にもういないものと確信しているのだ。
「カッコつけて、囮を買って出て、私は……」
「ならなおさら、救助に行くであります! 英雄を、迎えにいくであります!」
「気取らないでよっ!」
青臭いことを言い続ける男子2人に、フランシスカも怒鳴る。
「解らないの!? アイツは違う、私達とは全然違う! 勝てっこない、私達は殺されるだけの存在なの!」
悲痛な叫びには、敵と直接対峙した者だけが理解する焦燥が滲んでいた。
イリスにも覚えがある。絶対的に勝率薄い、死そのものに立ち向かうのがどれだけ恐ろしいか。
「フランシスカ、基礎能力の低い黒竜相手ならば逃げに徹して振り切れた可能性もあります。騎手が黒騎士であったとしても、うまく立ち回れば逃げ延びている可能性も……」
「黒竜じゃ、ない」
端的な否定。
数瞬意味が解らず、イリスは返事に窮した。
「……まさか、まさかフォートレスドラゴンに乗っていたのですか?」
フォートレスドラゴン。世界各地に出現した、圧倒的巨体を誇る天災の化身。
汚染兵がフォートレスドラゴンに騎乗したという記録は存在しないが、作戦上必要であれば有り得るだろう。両者共に、明確な知性を確認されているのだから。
しかし、フランシスカは首を横に振る。
「大きさは普通だった。でも、あれは黒竜じゃ、なかった」
「では、他の4種属?」
「どれでもない。見たことのない、黒いドラゴンだった」
黒竜とて黒いからこそそう呼ばれているのだが、フランシスカの説明はどうしても要領を得ず正体は不明瞭であった。仕方がなくイリスはそれ以上の推測を断念する。下手な想定はかえって窮地に陥る死角になりかねない。
どうしたものかと一考し、地表の一点に視線が固まる。
「……やはり逃げましょう。これ以上は無意味です」
救助組と逃走組で、男女がはっきりと別れる。
「……死にたくないからか、イリス」
「無論死ぬのはごめんです。アレはなかなかに気分が悪い」
グラウディスの冷たい眼光をイリスは眉間に皺を寄せ受け流す。
「単純に、救助する対象がもういないというだけですよ」
「まだ生きているかもしれないであります」
イリスが指差す。
黒竜が、地表に群がっていた。
まるで動物の死骸に群がるハイエナのように。『何か』を、啄んでいた。
「あれは」
「あまり見ないほうがよろしいかと」
散らばる竜鎧の残骸。3人は理解した、そこにファルカタは墜落したのだと。
まず胃の中身を吐き出したのはフランシスカ。連鎖して、グラウディスとコピスもえずく。
イリスだけは涼しい顔をしていた。
「……冷たいのね、貴女」
「慣れてますから」
「ファルカタは、男らしかったわ」
フランシスカはイリスだけに聞こえる小さな声で呟いた。
「ならば尚更、生き残りましょう」
内心、イリスもおよそ冷静ではない。
彼女にとってもまた、同僚の死は大きな心の傷跡なのだ。
並列編隊にてクルツクルフを目指す5班。誰も無駄口は叩かず、静かに飛行する。
騎士としての過酷な修行も、一般人の手が到底届かない高価な装備も、文字通り人の身を越えた屈強な相棒も。
絶望の前には、なんら慰めにはならないのだ。
出来る限り息を潜めての編隊飛行。やり過ぎであると自覚しながらも、呼吸すら躊躇ってしまう張りつめた空気。
「―――ん」
頬に冷たいものを感じ、イリスは空を見上げた。
「雨、でありますか?」
「こんな晴天に?」
天気予報もないこの世界では誰もが簡単な天気予報の目測を立てられるが、竜騎士ともなれば天気を読む技量にも長けてくる。
そんな彼等の目からして、雨の兆候など全くなかった。
「にわか雨だろう、このまま行くぞ」
だがそういうこともある。予想していなかった天候など彼等には日常茶飯事だ。
イリス以外の3人はすぐに周囲の警戒へと意識を戻した。
「イリス、どうしたの?」
ただ一人、イリスだけは空を見上げる。
「おかしい……この雨は、おかしい」
空を見据えるイリス。違和感の正体を突き止めるべく、雨粒までをも微細に観察する。
そして、気付いた。
「フランシスカ!」
「きゃっ!?」
フランシスカを抱えてドラゴンより飛び降りるイリス。
次の瞬間、3匹のドラゴンが無数の石に撃ち抜かれた。
花弁のように散る鮮血。雨に紛れて落下してきた投石は、充分な速度を秘めドラゴンの鱗すら砕く。
「くっ、雨は散弾を隠す為のカモフラージュか!」
拳程度の石でドラゴンにとどめを刺せるかは怪しいが、人間にとっては間違いなく致命傷。
ドラゴン達は落下するイリス達より上におり、その背に乗る2人の命運は窺い知れない。イリスにはグラウディスとコピスに直撃していないことを祈るしかなかった。
ただ、少なくとも命が1つ散ったことは確からしい。
声も漏らさず頭部より血を吹き出す、フランシスカの相竜。防御力に優れる土竜といえど、当たり所が悪かった。
パッブは放り投げた花弁のように不規則に回転し、地面へと落下を始める。
「と、人の心配をしている暇などない!」
既になりふり構ってなどいられなかった。いるのかすら不明瞭な敵のことを後回しにして、イリスは渾身の声量で叫ぶ。
「―――バルドディッ!!」
迫る地面。激突寸前、どこからともなく現れたドラゴンは2人を拾い上げて体勢を建て直す。
平然憮然と仏頂面を崩さない、土竜のバルドディであった。
身構えていたイリスはともかく、突然の衝撃にフランシスカは失神。ぐったりと力を失い、慌ててイリスが支える。
幸い失神は短期的なものだった。すぐに意識を取り戻したフランシスカは現状を思い出し、落下するパッブを発見する。
「パ、ブ!」
その瞬間、巨人が大地を踏み抜くような重い音を伴い、パッブは墜落した。
3年間共に空を飛び続けた相竜の死は、竜騎士にとって最悪に等しい悪夢といえる。
普段からドラゴンの『脆弱さ』に歯痒さを感じているイリスだが、この点もまた機械仕掛けの戦闘機が圧倒的に優れているとイリスは思えた。機体が損傷し脱出したところで、心は痛めど誰も苦痛は覚えない。
「パッブ! パッブ! 起きて! 起きなさい!」
「フランシスカ。身体に痛みはありませんか?」
パッブの名を必死に呼ぶフランシスカ、その四肢を断りなくぱたぱたとまさぐり、怪我をしていないか確認するイリス。
フランシスカは自分がドラゴンに乗って飛んでいることに、ようやく気付いた。
「……なに、このドラゴン」
「私の相竜です。バルドディといいます」
「バルドディって……バルドディって。貴女の父親の?」
爛舞騎士と並び、その相棒たるドラゴンの名も広く知れ渡っている。ルバードの相竜であったバルドディもまた、名声を集めた個体でありフランシスカも当然知っていた。
「受け継いでたの、どうして」
「事情は後で」
「どうして、最初から乗ってなかったの」
信じられない、と唖然した視線をイリスに向けるフランシスカ。
伝説的な能力を有するバルドディが最初からいれば、ファルカタもパッブも死ぬことはなかったのではないか。彼女はそう考えたのだ。
なまじその瞳が恨み節ではなく、裏切られた人間のものだったからこそイリスは胸が痛んだ。
「それは……判断ミスです」
イリスは、バルドディをもっと早く呼び出すべきだと後悔していた。
バルドディの有無が結果を左右した保証はない。ファルカタの被害は想定外であったのだし、パッブを撃墜した『何らかの攻撃』もまたイリスの目を掻い潜って放たれた完璧な奇襲。バルドディがいたところで防げていたはずもない。
「さっきの攻撃、土竜の投石攻撃、よね」
「さて。あれは土竜の格納魔法ありきの戦術ですから。単に石を積めた袋を背負っていたのかもしれません」
地上攻撃において土竜に勝るドラゴンなし。その所以はひとえに、無尽蔵の容量を誇る魔導血界領域が理由である。石や岩を雨霰と落とし地上を蹂躙するのだ。
ただ、充分な威力を確保するには敵より相当高い地点から落とす必要がある。そうとなれば空では点に等しいドラゴンに命中させるのは難しく、故に空対空攻撃に投石攻撃は向いていない。
「最初の雨は魔法? どうして敵は、最初に水を降らせたの?」
「散弾を回避されないようにでしょう、目が良ければ事前に察知することも不可能ではありません」
「そんなの、普通見えないわよ」
はた、とイリスも気付いた。
空から落下してくる石を目視で回避出来る人間などそういない。イリスのように尋常ならざる視力の持ち主でなければ不可能だ。
だが、黒騎士はそれを可能な人間が5班にいる前提で攻撃を行った。
「奴は私の存在に気付いている?」
イリスがこの場にいることが知られている上、彼女自身にとって不動の優位性である自慢の視力まで把握されている。
イリスは辟易する思いだった。過去2回の戦闘を経て、敵はイリスを何かしら特別視しているのだと判明したのだから。
敵の能力、出来ることと出来ないことを把握するのは戦術に大きく付与する。黒騎士はイリスを知り、イリスは黒騎士を知っている。
「だが、不確定要素も互いにある」
敵は未知のドラゴンを駆っている。イリスもまた、新たな装備を装着している。
状況は五分。勝てる勝負しかしたくはない慎重派なイリスとしては、あまり好ましくない状況といえる。
イリス一人であれば逃げていただろう。しかし、まだ仲間がいる。彼等を見捨てては撤退出来ない。
あるいは、静かに胸を焦がす感情に駆らせそうになり、イリスは深呼吸して自制する。
「無意味な感傷だ、生きている人間だけを考えろ……」
小声で自分に言い聞かせ、敵への怒りを堪える。数日共に生活した同僚の死は、思いの外イリスを動揺させていた。
ふう、と息を吐き意識を仕切り直す。
血塗れのグラウディスが、バルドディ側を掠めるように落下していった。
「―――!」
続いて落下していくグラウディスのドラゴン。先程までの自制の努力がまったく無意味となったことを、イリスは実感した。
血が滴るほどに、唇を噛み締めるイリス。
「いい加減にしろ。なんなんだお前は、私に恨みでもあるのか」
何度も行く手を阻む宿敵を、再び彼女は視界に捉える。
「お前などに何度も足踏みさせられて堪るか、黒騎士」
いい加減頭に来ていたイリスは、幾度となく出くわす数奇な敵を排除すると決意する。
「もっとも、それはお互い様か?」
仰ぐように蒼穹を見上げれば、迫る黒い影。
高速で接近してくる敵を前に、イリスはまず荷物の排除を選択した。
ぽん、と手の平で押してフランシスカをバルドディより突き落とす。
「―――へっ?」
「すまないが、後は自分で何とかしてくれ」
無茶ぶりしつつ回転式推進装置の出力を上げ、イリスとバルドディは黒騎士へ向かって急角度で上昇する。
感動の再会は刹那だった。円錐状の雲を生じさせながら閃光の如きスピードで急降下してきた黒騎士を、白亜の騎士は視線を揺るがすこともなく迎え撃つ。
白と黒の攻防。黒騎士の斬撃は紙一重で完全に回避され、イリスの放った魔法機銃は尽くが黒騎士の剣に弾かれる。
「相も変わらず器用な……!」
騎士服の裾を切り裂かれつつ、イリスは唸った。
この世界に生まれ落ちて以来、剣の達人と呼ばれる者達をイリスは幾度か見てきた。だが彼等であっても、高速で迫る魔法を尽く切り捨てることなど出来ようか。
黒騎士の剣技は彼等に匹敵するか、あるいは凌駕している。
「それにあのドラゴンも、なるほど強い」
魔法機銃を捌かれたのは前回の戦いと同様だが、かつては高度を犠牲にしての落下しつつの回避だった。
重力を運動エネルギーに変換しての回避機動。しかし、今回は急降下のエネルギーを殺さぬままに自身の翼の力のみで回避している。
以前のドラゴンは黒騎士の技量からすれば力不足だった。だが、イリスが対峙する新種はパワー面においても改善しているらしい。
水平飛行に移行し、滑るように空を舞い回る黒騎士。一目見て技量を窺えるその様に優美さすら見出だしつつ、イリスは敵の観察に終始する。
黒騎士が跨がるのは、確かに見知らぬドラゴンであった。
刃のように鋭く鉄のように深黒い光沢を湛えた鱗。しなやかな筋肉質なライン。
イリスの知るドラゴンより一回り大きな軀体は、一目しただけでその地力を窺える底知れなさがあった。
その力強さは、ある種美しさすら醸すほど。黒曜石の如き闇を湛えたドラゴンに、イリスは心すら奪われそうな錯覚を覚えた。
速度に乗ったまま再上昇、大きく旋回する黒騎士。
「―――。」
「どうした、汚染兵といえど口を利けないわけでもあるまい。言いたいことがあるなら言え、真っ黒くろすけ」
不適な笑みを浮かべ挑発するイリス。対しての返答は一言。
「にげ、ろ」
まさかの返事に、イリスはぎょっと目を見開いた。
汚染兵にも意思疎通の能力があることは確認されている。しかし、彼等は基本的に口を閉ざす傾向にある。
何故人間としての意識を残しつつも敵対行動を取るのか、それすら不明。故に『汚染兵』。
イリスは手綱を握り直す。黒騎士が鉄火面の奥にどのような意思を秘めていようが、この場で敵対している事実は変わらない。心情を考慮するだけ無駄なのだ。
静かに身構えるイリス。対する黒騎士もまた、イリスに対し攻めかねていた。
彼の認識では先程の攻撃は、避けようのない必殺の一撃だったのだ。重く小回りの効かない工学竜鎧を装備したドラゴンは当然として、最も身軽な状態である竜鎧非装備ドラゴンですら回避不可能な攻撃。
それを尋常ではない機動にて避けられたのだ。警戒しないわけがなかった。
「そちらから来ないのなら、こちらから行くぞっ!」
果敢に加速し黒騎士に挑みかかるイリス。ろくな攻撃手段がないにも関わらず積極的に攻勢に出るのは、敵の注意を引かなければならないから。
横目で確認するのは遠方を飛ぶコピスと、そのドラゴンに相乗りするフランシスカ。
フランシスカを同乗させたままではどの道黒騎士を凌げなかった。コピスがフランシスカを回収することに賭け、迎撃に集中したのだ。
幸い危険な賭けは成功し、フランシスカは現状無事である。後が恐ろしいと思いつつも、イリスは笑みを浮かべた。
「後は、お前を落とせば万事解決だ」
厳密にはコピスとフランシスカが戦闘空域を離脱するまでの時間稼ぎを達すれば、だ。あえて勝ち気な言葉を発したのも、黒騎士を打倒する手立てがあると錯覚させる為。
自信溢れる態度とは裏腹に、イリスの肝は冷えっきりだった。
空を狂おしく愛するイリスだが、基本的には戦闘狂なわけではない。未知数の要素は忌避すべき要素である。
「さて、通じそうな攻撃手段がないわけではないが……どうしたものか」
反撃の間を与えずに連続攻撃を仕掛けるイリス。イリスの得意とするヒットアンドウェイ戦法。
新種ドラゴンの実力は未知数だが、翼の羽ばたきで推進する以上は飛行速度に自ずと限界が訪れる。回転式推進装置のスピードには敵わないとほぼ断定出来た。
だからこその、一つ覚えのスピード戦術。単純ながら、故に打破されにくい戦い方である。
しかし、回転式推進装置にも弱点はある。
膨大な圧縮空気を使用するが故の加速時間の短さ、機械的信頼性の低さからくる装置の短命さ、そして低速域での推進効率の悪さである。
速度が低下すればイリスはたちまち黒騎士に捉えられ撃墜される。スピードを維持したまま何度もターンを繰り返すという、高度かつ繊細な技術が求められる戦闘であった。
だが、この無意味な綱渡りも永遠に続けられるわけではない。魔力や圧縮空気の消費は明らかにイリスの方が早く、対する黒騎士は時折剣にて魔法を防ぐだけなのだ。
「忌々しい、精神汚染されるなら知能も退化しろというのに」
黒騎士も、じきにイリスがガス欠することを理解した上で反撃に出ていない。適当に対処していれば勝手に有利な状況へと推移していくのだ、その状況を崩す男ではなかった。
「だが、時間稼ぎは成せた―――何時までもお前と遊ぶつもりはない」
コピス達が空域を脱出したことを確認し、イリスはバルドディを翻し黒騎士から距離を取った。
危険な状況は脱したと安堵の息を漏らすイリス。
その背後から、黒騎士が猛然と迫っていた。
「なっ!?」
背後の気配に驚愕するイリス。『切り札』を使用しつつ急旋回にて回避し、辛うじて突進を回避する。
黒騎士の鉄仮面に刻まれたスリッド、その奥の眼光と目があった。少なくともイリスはそう確信した。
背筋に冷水を放り込まれたような寒気を覚える。イリスは直感した。
「見破、られたっ」
バルドディの翼、その上面にそっと指を沿わせる。
空戦高揚力装置。かつて黒騎士との戦闘にて、小回りの効く敵に苦戦した経験から開発された装備だ。
必要な状況に応じて翼の形を変えるという、生物には真似しようのない技術。気流を自在に制御する機械の翼は、フル装備状態の竜騎士であっても重い肉体を存分に振り回すことが可能となる。
だが、その優位も手品は種が判らないからこそ騙せるもの。
種が暴かれてしまえば、僅かな挙動や視線の動きでも見破られてしまう。
「どうやって加速した、そんな非合理な翼でどうやってここまで来た!?」
方法がないわけではない。飛行補助系の魔法を用いて、一時的にドラゴンを加速させる術は存在する。
だが黒騎士がその種の魔法を使えるのなら、前回の戦いで使用していたはずだった。
故にイリスはこの加速を、ドラゴンの能力と判断する。
黒騎士の突っ込みを辛うじて回避する。しかしすれ違いざま、黒炎がイリスを襲った。
「これはっ、ブレス!?」
火竜だけが有する能力、ブレス。火竜は今や数えるほどしか生き延びていない種族なので、イリスも直に見るのは初めてだった。
軽い火傷を負いつつも、幸い重症には至らない。むしろ想定外の攻撃に対する戸惑いの方が大きかった。
痛みを堪え、直ぐ様体勢を建て直す。
「思い出せ、対火竜戦術―――」
遠い時代にて、最強の名を欲しいがままにした戦闘特化のドラゴン『火竜』。多くの戦役で暴れてきた歴史があるからこそ、その対策は長年練られて続けてきた。
しかしそれは抗竜戦暦以前の話。今やその記録もただの歴史でしかなく、黒竜軍との戦闘にはまったく役に立たってはこなかった。
何故今更になって対火竜戦術に関する講義が防衛本部で行われているのか疑問だったイリスだが、今となっては無意味と思われていた講義にも感謝した。
「敵の火力は圧倒的、まずは距離を―――」
瞬時にイリスの進行方向へと回り込む黒騎士。
「また、あの加速っ」
ロールさせている暇もなく、イリスはバルドディを水平方向のまま降下させる。急激に頭へ血が登り、視界が赤くなった。
「くぅ、逆G……!」
通常は重力によって、血流は足元へと引かれている。だが何らかの状況によって逆方向に重圧がかかった際に、頭部に血の登ることがある。
この状況に陥っては一大事だ。眼球が血走り、脳の血管が切れる危険すらある。貫くかのような鋭い頭痛と眼痛を唇を噛み締めて耐え、急降下してかろうじてブレスを回避する。
様々なリスクが付きまとうからこそ、逆ループ機動は推奨されていない。正ループ機動と比べ遥かに限界が早いのだ。
逆にいえば、そんな危険な機動を行わなければならないほど追い詰められていたということ。
新種のドラゴンもまた、翼を畳み高度を一気に下げる。巨体と比例した大重量は沈下も早く、あっという間にバルドディに追い付いた。
バルドディの側を落下する黒騎士とドラゴン。すぐに制動して水平飛行に移行したイリスとは違い、敵ドラゴンはなかなか浮力が回復せず沈み続ける。
「よし、上を保てる……!」
目眩の最中にも敵の下に降りてしまったことを悔やんでいたイリスだったが、黒騎士は自ら更に下へと降りていった。イリスは敵の失策に優位は保たれたと考えたのだ。
もっともそれは早計。黒騎士が易々と優位を捨てるはずがない。
空気が揺るぐかのような破砕音。
敵新種ドラゴンは空中にて大岩を蹴り、高度の落下を止めたのだ。
「アポート!?」
大岩の大きさは直径10メートル以上。格納魔法で出現させたのは明らかだった。
問題はそのサイズ。魔導血界領域の容量からして、それがドラゴンの固有能力であることは明白。
「火竜だけではなく、土竜の能力をも有しているとは!」
最初の雨が水竜の水を操る能力だと仮定し、平均以上の速度にて飛行する様を風竜と解釈するのならば、敵新種ドラゴンはかつての4種属全ての能力を有していることになる。
黒竜が固有能力を有していないのは精霊の寵愛を受けていない、忌むべき種族だから。そんな学説もあったが、これを提唱した学者ならばこの新種をどう解釈するかとイリスは場違いに獰猛な苦笑を浮かべる。
「は、はは。これは、人類の命運も尽きたか?」
1対1ならまだ勝てる。しかし、人類と黒竜軍の戦力差はおおよそ1対100とされている。
かつては100倍の戦力差を、戦術と能力の差で凌いできた。だが戦術を手に入れ強力なドラゴンを有した彼等に、人類は到底勝つ見込みはない。
イリスを追撃する黒騎士。しかし、その動きにはキレがない。
「どうした? ああ、なるほど」
黒騎士もまた生物だった。イリスにとってもそうであったように、急降下は彼の脳に負担をかけたのだ。
諦めるな。自分を叱咤し、イリスは選択肢を無数に探る。
あと一つ、反撃手段が残っている。イリスは奥の手を切ることを決意した。
「バルドディ、上へ!」
咆哮、ドップラー効果で間延びした回転式推進装置音を残しバルドディは急上昇。
新種ドラゴンもまた追うが、岩蹴りを行おうと慣性を殺せるわけではない。
黒騎士に酩酊が残っていたこともあり、僅かに両者の距離が上下に開く。
魔法機銃は通じない。故に、距離を取ったところで仕切り直しは無意味。
ただし、共に上昇することで『ある状況』を作り出すことは出来た。
「真似するようで癪だが、昔からある戦術だ!」
イリスもまた、事前に格納しておいた大岩を空中に出現させる。
出現先は敵の上ではなく、イリス達の真上。自らの進路を塞ぐように取り出したのだ。
バルドディは軽やかに反転し、上下逆転したまま大岩の下面に着地。
それを、思い切り蹴り飛ばす。
「やああぁぁっ!」
垂直上昇から垂直降下への進路変更。追撃していた黒騎士と真っ向から向かい合う。
上下から迫る白と黒の閃光。そう、それはイリスの最も得意とするシチュエーション。
「真っ正面なら、真っ向勝負なら『当てられる』!」
それは絶対的自信。航空機パイロットだった頃から変わらない自負。
超人的視力にて敵の僅かな挙動を、風の流れを目視し攻撃を叩き込む。イリスの得意技。
だが魔法機銃は通じない。だからこそ、イリスは別の攻撃手段を選択する。
「バルドディ、対要塞竜投擲槍を、出しなさい!」
押し退ける空気の破裂音と共に、巨大な槍が虚空から出現した。
それはあまりに巨大な槍だった。城の柱より太く、ドラゴンの全長より長く、そしてあまりに重厚な鉄塊だった。
対要塞竜投擲槍。地球の単位にして10トンを越える、超重量の質量兵器。
ただただ、憎々しく忌まわしきフォートレスドラゴンを殺す為に鋳造された兵器。製造されたものの当てる手段が存在せず、倉庫にお蔵入りしていたものをイリスが拝借していたのだ。
間違いなく人類最大級の物理攻撃だが、フォートレスドラゴンへ充分なダメージを通す為には相応の高さから落とす必要があり、命中率が低くとても実用的な兵器とはいえない。しかし対象がフォートレスドラゴンではなく通常サイズのドラゴンならば過度の破壊力は必要ではなく、そしてなにより敵が真っ正面から向かってくるのでさえあれば。
当てられる。これは彼女にとっての既定事項であり、そして他者にとってもまた事実となった。
手を添え、僅かに軌道修正。
エアブレーキをかけて減速するバルドディ、避けようもなく黒騎士を貫く対要塞竜投擲槍。
「やった、やったぞ!」
完全なるオーバーキル。防ぎようもない無慈悲な攻撃。イリスは完全に勝利を確信した。
「空の遥は巨人の豪腕。無垢となりて暴虐を体現す」
「偽りの四肢は幻影。されど剛鬼の血は鏡像にあり」
「血潮は緋鉄。肉骨は鍛鋼。頭蓋は衝角。故に天下無双」
「贄よ、刹那の狂乱に躍り狂え」
対要塞竜投擲槍を切り裂き、黒騎士が姿を表すまでは。
「―――馬鹿な」
自らのドラゴンを踏み台に、黒騎士は跳躍したのだ。
あまりの脚力に新種のドラゴンは背骨を砕かれ、吐血し墜落していく。
黒騎士は切ったのだ。手にした剣で、巨大という言葉の具現のような鉄杭を切り裂いたのだ。
超絶的な剣速で切られ対要塞竜投擲槍が液体の如く四散し、更に上昇し続ける黒騎士がイリスに迫る。
イリスは反応出来なかった。あまりの高速に、単純に回避する猶予がなかった。
きりもみ状態で失速するバルドディ。超音速の剣撃がイリスの三半規管を狂わせ、目の焦点が虚空に向かう。
それでも、イリスは生き延びた。バルドディが対要塞竜投擲槍の向こうから発せられる殺気に、指示を待たずに回避運動を取ったからだ。
イリスですら見えなかった攻撃にバルドディが気付けたのは、一重に黒騎士が使用した技をよく知っていたから、よく見知っていたから。
「っ―――!」
咄嗟に短刀を投げるイリス。ほとんど無意識に行われた攻撃は、回避されつつも辛うじて黒騎士の鉄仮面、それを固定する帯を切り裂く。
致命傷には至らないささやかな反撃。ただ、鉄仮面を頭部から外すだけで終わる攻撃。
足場を失った黒騎士は、必然的にバルドディの上に着地する。
懐かしそうに一声鳴くバルドディ。イリスは呼吸を喪失した。
「―――なん、で」
足がもつれ、イリスはバルドディの背にぺたりと尻を落とす。
薄れゆく意識の中、唇を血が滴るほど噛み締め意識を繋ぎ、黒騎士を見つめるイリス。
固定が外れかけた仮面から見える、半分の顔。
知っていた。その強い眼差しを、眉間に刻まれた皺をイリスは知っていた。
「父、上……?」
取れかけのそれが煩わしくなったのか、仮面を捨てイリスを見据える黒騎士。
その素顔は見紛いようもなく、彼女の父親のもの。
「―――イリス」
黒騎士改めルバートは、観念したように娘の名を呼ぶ。
「このような形で残念だが、大きくなったな」
毅然と立つ父親を、へたりこんだ娘はいつかのように見上げる。
再会の言葉とは裏腹に、ルバートはいつの間にか溶けた剣をイリスに向ける。
降り下ろされた彼の刃を、バルドディは尾で受け止めた。
責める眼差しでルバートを睨むバルドディ。ルバートはそっと笑う。
「まさかお前が俺以外の人間を背中に乗せようとはな。守ってくれて、感謝する」
「父上っ! 何故ですか、何故……皆を殺したのですか!?」
怒鳴りつつも、イリスとて知っていた。汚染兵に行動選択の自由はない、理性とは離れた場所で戦闘マシーンとなることを。
本人の意思とは関係なく、彼等は人類を刈る存在と化す。だというのに、人間だった頃の知識や技術は死後も継承されているのだ。
よってルバートはイリスへの攻撃を止められない。優しい言葉と同時に、剣を振るってしまう。
汚染兵達が会話能力を有しているにも関わらず黙し続けるのは、生者に合わせる顔がないからに他ならない。
「失礼、しました。父上に敵意がないことは、理解しています」
「そうか」
「……どうしたのです、今の私から手軽に殺せますが?」
攻撃の余波にて未だ前後不覚なイリスは、ルバートの攻撃をかわせも防げもしない。
二人の間にはバルドディの尾が横から回り込んで伸びているが、押し退けて間合いを詰めることが出来ないわけがない。そう、イリスの知るルバートならば。
「それは私も同じだ。殺すなら殺せ、弱体化している今がチャンスだぞ」
「弱体化……? そうか、先の攻撃は」
イリスも見たことがあった。ルバート最強の一撃、如何なる物質も切り裂く斬撃。
第一級魔法ジ・アクト。超音速の斬撃にて万物を切り伏せる、無双の剣技。
イリスが改めて視線を向ければ、ルバートの剣はやはり溶けていた。
あまりの速度に断熱圧縮が発生し、切っ先が溶解する。故にルバートは不変の聖水剣なる復元能力を持つ宝剣を使用していたのだ。
「困ったな、これではお前を切れない」
「不変の聖水剣はどうしたのです。確かマザーフォートレスの右目を貫いたきりだったと記憶していますが」
「ささやかな抵抗というやつだ。こんな体でも多少の融通はきくのでな、ヤツへのイヤガラセだ」
悪ガキのように笑うルバート。
瞬間的に超々人的身体能力を得るジ・アクトだが、使用後は体力魔力共に枯渇する。
ルバートの理性は、現状においてイリスを殺害することが不可能だと判断していた。そして、バルドディの上から退避する手段も存在していなかった。
故にルバートは立ち尽くす。人類への攻勢が本能として後天的に組み込まれていようと、その目的を達する為の選択肢がなければ停止するしかない。
互いに戦闘不能となった状態で一匹のドラゴンに相乗りするという奇妙な状況が、奇跡的に彼等に親子の時間を与えていた。
「そういえば、バルドディは気付いていたようですね。貴方が何者なのかを、最初から」
「そのようだな。まさか声も聞かずに見破られれるとは思わなかったが」
それは親子の雑談か、敵同士の情報収集か。
短い時間しか許されない悲しい談笑を、二人は存分に楽しむ。
どちらかが戦闘可能に回復した瞬間、互いは再び殺し合わないといけないと知りながら。
「その鎧は? 母上はゲキ氏の鎧だと指摘していましたが」
「あいつは死んだ。あいつの亡骸から拝借させてもらったのだ」
ルバートは地表での戦況の変化に気付き、目を伏せた。
「―――すまない。俺のせいで、またお前の友達が死ぬようだ」
「コピス! フランシスカ!」
いつの間にか低空まで追い詰められたコピスのドラゴンが、まさに黒竜に包囲される瞬間だった。
ハーメルンの笛吹きのように、無数の、それも数十の黒竜に追いかけられるコピス達。能力差があろうと、数の暴力には敵わない。
やがて呆気なく、黒竜の爪がコピスを切り裂いた。
絶望的な状況にすくんでいた彼のドラゴンは、相人の死によって恐慌状態に陥りバランスを崩し墜落。
フランシスカが少し離れた場所に投げ出され、力なく横たわる。
「バルドディ、降りて!」
「やめておけ。立ち上がれもしないお前が降りたところで、何も出来ない」
イリスはそんなことはないと主張するように片足を立てるも、すぐに足をもつらせ転倒してしまう。
「バルドディ、お願い―――私、誰も守れてない」
相人の懇願も、バルドディは無視した。
コピスとドラゴンを咀嚼し終え、次の餌を見つけた黒竜達。
どこか緩慢な動作でフランシスカを囲い、観察するように見据える。
満腹なわけではない。彼等の瞳に宿るのは、ただただ貪欲な食欲だけ。
「あっ……ああ、はは」
フランシスカは目を醒まし、即座に現状を理解した。
「はははっ、きゃははは」
上空のイリスと地上のフランシスカの目があった。
「フランシスカっ! お願い、逃げて!生きて! お願いだからっ―――!」
フランシスカは愛用の杖を掲げる。彼女の目は絶望に染まってなどいない。
もしや、危機を脱する一発逆転の魔法を習得しているのでは。そう期待するイリスだが。
「あはっ」
フランシスカは、あまりに場違いに無邪気な笑みを浮かべて杖の切っ先を揺らした。
切っ先が向かう先は自身の喉元。
「やめっ―――」
彼女は半回転させた杖にて、自身に魔法を放った。
食い散らかされるよりは、一瞬で死んだ方がマシだと考えた結果の行動。否、そんな理屈すらない衝動的な行動だったのかもしれない。
力なく倒れるフランシスカだった物体に、黒竜が殺到する。
「あああああ。ああああっ! あああああああああっ!!」
それはまさしく慟哭だった。すぐ側に敵がいることも失念し、イリスは爆発した感情のままに声を上げる。
「守れなかった! 守れなかった! まただ! なんで、どうして私のエレメントはみんな死ぬんだ!?」
こうならないように、イリスはずっと努力をしてきたのだ。かつて僚機を失った記憶に苛まれ、異世界に生まれ変わってからも決して努力は怠ってこなかった。
それでも運命は変わらない。仲間は死に、当人だけが生き残る。
「どうして、なにが悪かったの? 私がなにかしたの?」
イリスはルバートを見上げる。
「お前は悪くない。全て、俺のせいだ」
ルバートは剣を振り上げた。
「イリス、行動可能になっているならすぐに逃げろ。俺はもう、剣を振るくらいなら出来てしまう」
「私を、私も殺すのですか?」
返答は無慈悲に降ろされる刃。抵抗はあれど躊躇はない一閃。
「―――ぁぁぁぁぁぁぁ―――」
その時、風に乗ってどこからともなく声が聞こえた。
イリスに迫る凶刃。人の動きでは避けようのない速度。
しかしルバートの攻撃は、側面からの魔法機銃によって弾かれ逸らされた。
「むっ」
「―――らああああっッッ!」
横から飛び込んできた竜騎士は、渾身の膂力を以て巨大な両手剣をルバートに叩き付けた。
洗練された動作で剣を戻し、両手剣から身を守るルバート。第三者の放ったスピードに乗った重い一撃も、ルバートの技の前にいなされる。
『彼』の行為は無謀であった。弱体化の影響が残っている今だからこそ流されるだけで済んだが、万全な状態の黒騎士ならば返す刀で首が飛んでいただろう。
あるいは、『彼』はイリスの為に安全を確認せずに飛び込んでいた、ともいえる。
ルバートが体勢を崩した僅かな間、乱入者はイリスの腰に腕を回し拾い上げる。
『彼』はそのまま、イリスを伴い飛び去る。
まんまとイリスを逃したルバート。しかしその表情は柔和だった。
バルドディはイリス落下の危険がなくなったことで、ただちに180度ロールする。かつての主をふるい落とし、自らの判断で戦線離脱する。
地面へと落下していくルバート。その安否は伺い知れず、戦場の空には一対の竜騎士と救出されたイリスだけが残った。
イリスは信じられない思いで、自らを助けた人物を見やる。
「ギイ、ギイハルト……?」
ギイハルト・ハーツ。幾度となくイリスに絡んできた人物こそ、彼女を救助した張本人であった。
「んだよ七光り! 文句あんのか!」
苛立つように悪態をつくギイハルト。そんなことを気にせず、イリスは問う。
「どうして、ここに?」
「あの置き手紙、お前だろ」
はたとイリスも思い出す。彼はイリス達と入れ替わりで夜営地に到着し、書きなぐった木箱の置き手紙に気付いたのだ。
「何故撤退せずに捜索したのです、些か無謀ではありませんか」
「うるせえ、それで助かった奴が偉そうなことをいうな」
相竜のフリールに装備された制御卓を操作し、回転式推進装置の出力を下げるギイハルト。
彼は工学竜鎧を与えられた、数少ない準騎士だった。他者に疎まれる言動も多い彼だが、実力は本物なのだ。
「お前なんてどうでもいいが、他の奴はどうしてる」
「……死にました」
「あ?」
ドスの利いた声で疑問符を打たれても返答は変わらない。イリスは再度繰り返した。
「死にましたよ、私以外全員」
ギイハルトがイリスの胸ぐらを掴み、顔を寄せて睨んだ。
「どうしてだ、弱いお前だけがどうして生き残ったんだ」
イリスは億劫だった。敵地での問答を続けるほど酔狂ではなく、一刻でも早く帰投したかった。
「運が良かったのでは?」
「運、だと?」
「そうです、弱い私が生き延びるのはそれしか……」
イリスは果たしてそうだっただろうか、と自問する。
どうして自分だけが生き延びたのか。運の有無もまた、理由の一つだろう。
だが決定的だったのは、やはりイリスが単純に強かったから。
優秀な相竜を持ち、最新鋭の装備を有し、彼女自身の実力も伴っていたから。
「もっと―――もっと早く呼んでいれば、結果は違ったのでしょうか」
怪訝そうに眉を潜めるギイハルト。イリスは自分を責める言葉を紡ぐ。
「卑怯者だからです。私が卑怯者だから、生き延びたのです」
「お前……」
その表情は失望か、怒りか。
ギイハルトは様々な感情の入り交じった瞳でイリスを直視する。
きっと自分は誰かをここまで真っ直ぐ見れないのだろうな、とイリスは内心自嘲した。
「逃げたんですよ、自分の利益の為に。他の仲間のリスクを承知で」
イリスは事前に、バルドディを呼び出すに際するメリットとデメリットをしっかりと計算した上で行動していた。
その上で選んでしまったのだ、デメリットを軽視し事態を甘くみるという愚行を。
だからこそ、この結末はイリスが背負うべき責任。ギイハルトの眼差しも当然の罰。
「卑怯者です……私は」
「そういっていれば贖罪になると思ってるのかよ。うぜーんだよ、くそっ」
吐き捨て、ギイハルトはクルツクルフへの帰路を飛んだ。




