7話
「誰がトップだ!?」
「ウォリー選手だ! けどスタートダッシュだけじゃ実力は判らんぞ!」
第一ブロックの速度競技エリアに飛び込む多頭のドラゴン。最初の小競り合いである程度の順位が決定するも、まだまだ試合の行方は伺い知れない。
多数の騎士が長い布を空中から垂らし、それをパイロンにコースを駆けていく。
「さて、ギイハルトは―――」
遥か上空より経過を見守るイリスは、目下最大の敵を探す。
ギイハルトは出遅れ、ブービーに甘んじていた。
「うふっ、ざまー」
イリスは笑顔になった。
大剣を背負うギイハルトはどうしても鈍重だ。加速に劣り、スタートダッシュはどうしても遅い。
だがそれを言い訳にしては二流。イリスにとっては残念なことに、ギイハルトはそうではない。
『ギイハルト選手、3人をごぼう抜きだ!』
「むっ―――速い」
距離がありすぎて、イリスには何が起きているか詳細までは判らない。
しかしその速度は尋常ではない。見えないロープに牽引されているかのように、他選手とは異なるラインを描き俊敏に相竜を振り回していた。
「どうやらこれは、一筋縄ではいかなそうですね」
ギイハルトの第一ブロックの順位は4位。予想される戦闘スタイルが接近戦主体であるならば、このハンディを覆す驚異的な結果といえるだろう。
続く第二ブロック。広い空を戦場とした模擬戦闘エリアに各々は突入していく。
この区画には定められた時間滞空していなければならないルールだ。撃墜されたくなかろうと、さっさと第三ブロックに進むことは許されない。
実戦に最も近い、という評判通り派手な凌ぎ合いが繰り広げられる空。10人の選手達は互いに攻防を交わし、一騎また一騎と堕ちていく。
「ペースが早い。誰か暴れていますね」
『ギイハルト選手、また一騎撃墜!これが本当に準騎士の実力なのか!?』
次々と他者を落としていくギイハルトに、観客の歓声は高度10000フィートの空からでも聞こえてくるようだった。実際は実況の魔法マイク越しに拡声されているのだが。
「さて、そろそろですか」
『悪巧み』には丁度いい頃合いであろう。そう判断し、イリスは仮面を装着する。
今この場から、彼女はイリス・ブライトウィルではなく軽銀。誰にも正体を明かさず未知の技術と戦術を操る、謎の女騎士なのだ。
「隠しすぎて蜘蛛の巣が張るところでした。そろそろお披露目といきましょう」
バルドディは身を捻りつつ降下を開始し、クルツクルフの中心への急降下を敢行した。
最初に気が付いたのは、上空を監視する騎士であった。
「けっ、子供のお遊戯を御守りしなくちゃいけないなんてな」
「そういうな。空から準騎士親善競技大会を観戦出来る特等席じゃねぇか」
「お前! 任務なんだから観戦なんてせず、しっかり上を見てろよな!」
「どっちだよ」
並列飛行する二人の騎士の、素っ頓狂な会話。最中、片方の男性が空を見上げポカンと口を開ける。
「―――なんだ、あれ?」
上空より急接近する影。ほぼ垂直に落ちてくる騎影は、瞬く間に二人の騎士を掠め落ちていった。
あまりの速度に唖然とし、すぐにそれが狼藉者だと思い至る。
「っ、追うぞ!」
「おうさ!」
騎士達はイリスを捕らえる為に降下を開始するも、とても追い付けない。
初速の差だけではない。イリスと正規騎士達の間には、埋めがたい何らかの違いが明確に存在した。
「なんだ、この速度は……!」
「だ、駄目だ!バラバラになっちまう、速度を緩めろ!」
急降下においては重力の力添えもあり、飛行体は際限なく加速してしまう。故に限界に至る前にブレーキをかけるのが原則だ。
しかしイリスとバルドディの降下速度は常識的な範疇を超え、時速に換算して600キロにも達していた。ドラゴンの四肢を補強する工学竜鎧によって、降下限界速度が上乗せされているのだ。
如何なる騎士を以てしても反応出来ないほどの速度でクルツクルフ城上空に突っ込み、高度数百メートルほどから制動。急激に減速しつつ城前広場に強行着地する。
ドスン、と重々しく着地するバルドディ。
突如現れた仮面の騎士に、誰も彼もが反応しきれない。
イリスはあえて派手にスカートを翻し、ポニーテールが頭の動きを追う。
騎上にて観客達を一望したイリス。一拍遅れ、観客を飛び越え四方八方より殺到する警備騎士達。
「何者だ!」
「動くな! 今すぐドラゴンから降りろ!」
数十の剣と杖を向けられ、それでもイリスは不敵に笑った。
「そういきり立つな。童貞か、貴様等」
可憐な声に似つかわしくない物言い。中身がそれなりの年齢となった男性なので、本人としては躊躇もない。
「私の名は軽銀の竜騎士―――土の国の正規騎士だ」
正規騎士、という言葉に顔を見合わせる竜騎士達。
身なりは子供。顔は仮面で窺えず、兵士としてはいささか華美な鎧。
あまりに異質な存在に、正規騎士などという言葉をにわかには信じられない者が大半であった。
「身分の詐称は重罪だぞ!」
「控えろ!」
「相手は子供だ! 怪我させるなよ!」
一声、騎士達を制したのは少女の声。
「その者は確かに我が配下である!」
「は……? は、はい! 失礼、しました……?」
まさに鶴の一声。貴賓席よりよく響く声で宣言したフランの言葉に、騎士達は戸惑いつつも納得するしかない。
「して、どうした? 騎士軽銀よ。貴公は出場選手には数えられていないはずであったが」
「気が変わりました、陛下。この戯曲に一つの旋律を加えることをお許し下さい」
事前の打ち合わせ通り、仰々しい芝居を打つイリスとフラン。
意外と演技派なフランはまるで初耳だと言わんばかりに口の端を吊り上げ、小さく頷いた。
「今日の戦場にはいささか華が足りぬ。よかろう。我が国随一の叡知、その一端を披露せよ」
「御意」
恭しく一礼する軽銀。バルドディは低く身構え、回転式推進装置の出力を上昇させる。
甲高い音を轟かせ、ステージより駆け跳躍するバルドディ。重量級の肉体は僅かに沈み観客すれすれを飛行するも、すぐに加速し高度を上げた。
バルドディは怪我の後遺症により翼を十全に動かせない。しかし回転式推進装置の扱いにも慣れた今となってはさほどの障害とはならない。
瞬く間に時速200キロを超え、城壁を軽やかに飛び越えるバルドディ。
誰もが唖然とするしかない。
竜騎士の飛行速度はおよそ200キロが限界とされている。武装やドラゴンの資質に左右されるも、これを超過した速度で飛行可能な竜騎士は『ほぼ』存在しないのだ。
ところがイリスは、中央広場から城壁までの僅かな距離を、しかも高度を上げつつも加速しきったのだ。回転式推進装置の恩恵は、それまでの常識を全て過去のものとしてしまうほどに画期的であった。
更に加速しつつ第一ブロックへと飛び込むバルドディ。流れるような軌道でコースに突入し、パイロンをパスしていく。
大きく上下に登り降りを繰り返しコースを攻略していく。回転式推進装置の特性を正しく理解し、空戦エネルギーを保持し続ける理想的なライン。
ただただ愚直に次のパイロンを目指すことを良しとした、既存の戦法とは大きく異なる概念。しかし観客達はそれが誤りではないことを数字の上で目の当たりにするしかない。
「なんだよ、あの速さ……」
「ターンが鋭い! あんなに重装備なのに、どうして」
「タイムは!?」
「大会ベストの倍……半分の時間で突破してるぞ!」
軽やかに第一ブロックをクリアし、第二ブロックの広所模擬戦エリアに突入する。
本来のルール上は戦闘を行わなくとも一定時間滞空していなければならないのだが、せっかくの『お披露目』にてそれでは締まらない。故にイリスはそのまま第三ブロックへと向かう。
他の選手もまた第三ブロックの機動競技エリアを攻略中だ。番号通りにチェックポイントを通過していく、複雑な機動を要求されるステージである。
イリスがスタートラインを通過した時点で、他選手はエリア終盤に差し掛かっている。
「ま、いいハンディでしょう」
果敢にコースへと突入するバルドディ。地面に設置された番号に墜落気味に着地し、そのまま脚力任せにジャンプ。垂直上昇にて次のチェックポイントへと向かう。
年幼い少女の主にも容赦しないのがバルドディのモットーである。無茶な動きに一撃でグロッキーとなりつつも、イリスは、弱音は吐かない。
弱音を漏らそうものなら、バルドディはさぞやイリスを冷たい目で見やるであろう。そういうドラゴンなのだ。
高度が平均的に低いことからチェックポイントも足場は多い。それを利用して、乱暴かつ豪快な直角機動を繰り返し、バルドディはコースをクリアしていく。
イリスは僅かにぐったりしているが、これは彼女だからこそこの程度なのである。一見細身な少女ながら、小柄かつ意外なほど筋肉質な四肢を持つ彼女は、文字通りに振り回されることに強い。
そこらの正規騎士をバルドディに乗せた場合、数ヵ所のチェックポイントを通過して時点で転げ落ちるか気絶するのがオチであろう。
正式な選手を猛追するイリス、そのプレッシャーに本来の最下位に甘んじていた選手も悪寒を感じる。
「な、うわっ!?」
抜かれる時は一瞬であった。回転式推進装置が発揮するスピードは距離が充分に稼げない機動競技エリアにおいても発揮され、次々とドラゴン達をごぼう抜きにしていく。
障害物が多く飛行ラインを大きく限定される第三ブロックでは、工学竜鎧の特性を活かしきれずどうしてもスピードは低下する。それでも尚、彼女の平均速度は異常なレベルだ。
遂には先頭集団に追い付く。第三ブロック最後のポイントを通過し、選手達は第四ブロックへと突入した。
「ナニモンだ、お前!」
「邪魔すんな!」
先頭を飛行するギイハルトが怒鳴る。就職活動としてアピールをしたい彼としては、派手な公認乱入者など邪魔者以外の何者でもない。
イリスとしても申し訳なく思っているが、このお披露目サプライズの発案者は他ならぬフラン・ベルジェ・アーヴェルアである。国中に軽銀なる騎士の存在を認めさせる為にインパクトが必要だった、という思惑があるのだ。
「さて、ここからはある程度自由に飛べますよ」
第四ブロックの狭所模擬戦エリアは飛行高度制限を課せられているものの、ほぼ自由に飛ぶことが許可されている。イリスはバルドディに加速とハーフロールを指示した。
半回転し身を捻りつつ、ライバル選手の上を悠々と追い越してしまうバルドディ。わざわざ背面飛行したのは、イリスの視界に常に他選手を納め続けることで攻撃に備える為だ。
「いままで本気で飛んでいなかったっていうのか、舐めやがって!」
イリスは真っ先にエリア中心の大岩頂点に着地し、四方を睨む。次々と戦場に進入してくる選手達。
狭所模擬戦エリアは大小様々な岩場が転がっている荒野だ。岩は大きいもので数十メートルはあり、充分にドラゴンが隠れられるほどの物陰が幾らでも存在する。
この障害物こそが、複雑な戦術戦を演出する。若く稚拙な、故に大胆でシンプルな駆け引きこそを観客は望んでいるのだ。
例年通りであれば、ここから各所にて戦闘が始まる。しかし今年ばかりは趣が違った。
イリスを中心に、互いに警戒し距離を起きつつも囲む選手達。
誰もが、乱入してきた謎の騎士を最大級に警戒していた。
時間は冷たく流れ、彼等の心臓を締め付ける。
勝負以前の問題であった。誰もが、イリスの気配に飲まれているのだ。
「……まあ、それはそうですよね。私を撃墜したところでスコアになるわけではありませんし」
フランの計画では、イリスが新装備を以て選手達をバッタバッタと凪ぎ払うことで、軽銀の存在を印象付けたかったのだ。
しかし所詮は杜撰な思い付き。フランもまた、餌が足りなかったと反省する。
故に、フランは実況の魔法具を奪い取り宣言する。
『その騎士を倒した者は、望むままの報奨を与えよう! 金も女も思いのままである!』
「ちょ、おま」
『共闘も許可しよう! 討ち取るのに助力した者は等しく報奨の対象だ!』
フランの豪気な言葉に、選手達は揺らぐ。
この場にいる5人全員で挑んでもいいのだ、なまじ彼我の戦力差が読めないからこそ欲が出る。
『ただし女はその騎士で我慢せよ! 色々小さいが、美形には違いない!』
「あいつ後で殴る。不敬罪でも殴る」
ふざけた、緊張感の欠片もない問答。
だが誰もイリスを攻撃出来ない。その立ち振舞いに、視線に一切の隙はなかった。
「お前、行けよ!」
「お前こそ。お、俺がサポートしてやる」
「漁夫の利狙ってんじゃねーぞこらっ」
「ふ、ざっけんじゃねぇえ!」
無言の重圧。それを最初にはね除けたのは、他ならぬギイハルト。
剣を正面に構え、イリスとバルドディへと突撃する。
イリスは関心する。ギイハルトの相竜フリールは、奇怪な音を掻き鳴らす回転式推進装置に怯みつつも前進してみせたのだ。怯えすくむ他の選手のドラゴンとは、明確に違った。
「ふふっ。さて、アーレイを下した剣技見せて頂きましょう」
口の中で呟く。
正眼に構えている故にギイハルトの手元は見えず、イリスにはなんら変わらない普通の構えにしか見えない。
しかしその速度はやはり速い。違和感すら覚えるほどの、疾風のような斬り込みであった。
「と、っと」
イリスは剣の筋を見極め、危なげなく回避する。
「ぁらくせぇ!」
大きな剣を振り回し、連撃が放たれる。ギイハルトの体が何重にも独楽のように回転し、その度イリスはバルドディを退かせ剣撃を避けていく。
「いい目をしてんなお前!」
「そちらこそ、いいバランス感覚をしている」
口調を変え返答する。
間近で見てイリスは驚愕していた。こともあろうか、ギイハルトは身の丈ほどの大剣を『片手で』振り回しているのだ。
「勢いを殺さず重い剣を振り回すとは、存外鍛練を積んでいるようだな」
「それをっ、ひょいひょいと避けやがって!」
直撃すれば大ダメージは免れない大剣だが、バルドディとイリスには掠りもしない。イリスは攻撃を見切り、バルドディはイリスの指示を正確に理解し行動する。
コンビを組んで以来、何度もフライトと実験を繰り返してきた彼等には言葉も必要ない。呼吸を合わせることにおいて、一人と一匹は熟練の域に達していた。
「ふむ」
イリスは物は試しと、バルドディを大きく後退させる。
ギイハルトはせっかく詰めた間合いを開けて堪るか、とフルールを前進させる。それと同時に剣を握る左手ではなく、手綱を握る右手に魔力を込める。
目敏く魔法発動を見て取ったイリスは、微かに目を細める。
「飛行補助魔法―――これが貴方の策か」
大きなダメージを期待出来る左手の大剣と、魔法をも駆使してドラゴンを操る右手の手綱。これらを器用に操ることで、攻撃力と速度を両立しているのだ。
どちらも片手間に行える技能ではない。だが、ギイハルトは文字通り片手でそれぞれを実践している。
流石のイリスも、これには唸るしかなかった。
「間違いなく優秀だ、貴方は。だが、私に一人で挑んだのは蛮勇だ」
「ごちゃごちゃと―――!」
ギイハルトの大剣がバルドディに迫る。しかし、イリスの回避指示はない。
つまりは自分の判断で対処しろということ。バルドディは先程までの細々としたデモンストレーションで溜まった鬱憤を晴らさんと、獰猛に唸り首をしならせる。
ガキィン、と鈍い金属音。
「なっ、嘘だろ!?」
ギイハルトは驚愕した。こともあろうか、バルドディはギイハルトの大剣を牙で噛んで止めたのだ。
ドラゴンとて口の中は柔らかい。口内に剣を突き刺しドラゴンを破った英雄談は数あれど、まさか自分がそれに近い経験することになるとはギイハルトも予想していなかった。
バルドディはそのまま大剣を奪い、放り捨てる。
「仕留めさせてもらうぞ、少年」
魔法機銃の引き金に指をかけるイリス。苦渋の表情を浮かべるギイハルト。
その時、サイレンのような音が聞こえた。
突然の乱入者。選手達にとって傍迷惑な存在も、観客からすれば酒の肴でしかない。
城前広場の胴元控え。大会側が事前に用意しておいた軽銀の賭け枠に、分の悪い賭博が嫌いではないギャンブラー達が押し寄せる。
「おい、3口買うぞ!あの乱入野郎だ!」
「俺はギイハルト選手を追加で賭ける!」
「くそ、番狂わせってレベルじゃねーぞ!」
騒ぎつつ、彼等の表情はどこか嬉々としている。
王政公認の賭博は民衆にとって話のネタとしての側面が強く、本気で大金を賭けている者は少ない。
彼等にとっては予測不可能な混戦こそショーとして期待するものであり、勝敗の読みやすい単純なレースよいもハプニングの方が望ましいのだ。
「あの仮面の騎士は正規騎士なんだよな!? やっぱ強いんじゃないか!?」
「けど出場選手達も優秀な準騎士だ、大勢で挑めばあるいは!」
「陛下肝煎りの騎士だ! 普通の奴なわけがねぇ、全賭け逝くぜ!」
陽気に騒ぎ立てる人々。
本当に極一部の人間だけが、異変に気付いたのだった。
「……なんだ、あの騎士?」
イリスとギイハルトの一騎討ち。二人の頭上より迫るのは、真の意味での乱入者。
ギイハルトから武器を奪い、後はとどめを刺すのみだと言わんばかりの状況。しかしイリスは気付いていた、頭上より迫る漆黒の影を。
「ルールは守れ、飛行高度制限の超過だぞ」
イリスはその殺気を覚えていた。その気配を覚えていた。
ギイハルトへの攻撃を無理矢理中止し、天上へと魔法機銃を掃射。迫る黒い影を撃ち払う。
乱入者は身軽に射線をかわし、或いは手にした剣で切り捨てる。
魔法を切り捨てるという妙技、しかしイリスも動揺などしない。
それくらいはしてみせる、という奇妙な信頼があった。
「なあ、黒騎士!」
彼女の思考からは既に、準騎士親善競技大会など消え去っていた。
お遊戯ならぬ実戦。何故ここに黒騎士がいるのかなど考慮しない。
かつての敗北の恥辱、屈辱が静かにイリスの胸を焼く。
黒騎士はイリスの攻撃を完封し、僅かに離れた地点へと着地する。
睨み合う両者。困惑するギイハルトを始め他選手達を、イリスは手で払う仕草で追い立てる。
「貴方達は待避しろ。非常事態だ」
「こいつ、まさか黒竜軍か?」
「だから待避しろと言っているだろう。私が足止めをする、防衛本部に報告してこい」
事態は騎士団も把握していないはずがないが、だからといって当人の報告を欠いていいわけではない。
ほうほうのていで撤退を試みる選手達。イリスはそれを見届ける余裕もなく、眼前の黒騎士を睨む。
「一応確認するが、ゲキ殿ではないのだろうな?」
黒騎士が股がるのは黒竜。人違いではありえない。
しかしイリスには、その鎧はやはり先刻に町中で見た鎧と同一としか思えなかった。
近くで見る形状、鎧の色艶、そして立ち振舞いや気配。見れば見るほど、黒騎士だったとしか考えられなくなる。
「母上の勘違い? それとも本当に瓜二つの鎧? なんにせよ、ややこしい」
黒騎士はイリスを見据え、微動だにしない。
「私に先手を譲るつもりですか、ではお言葉に甘えて―――死に晒せ」
バルドディが地面に足の爪を突き立て、背後の二発の回転式推進装置が鳴き声を震わせる。
大気が圧縮され、爆発的に後方へと吹き上がる。充分な推進力を得られたと判断し、バルドディは脚の踏ん張りを解き放った。
跳躍。0距離にて離陸速度を得られるほどの、彼等にとっての限界加速。
未だかつてない非常識な接近に、黒騎士の想定が追い付いているはずもなく。
「―――ッ!」
咄嗟に反応する黒騎士。しかし遅く、到底回避は不可能。バルドディの鋭い前足の爪が、黒騎士の騎乗する黒竜の首を切り裂く。
喉を斬られ弱々しい咆哮の後、黒竜は地に伏せる。黒騎士は即座にドラゴンを捨て地面へと転がり落ちた。
「前と同じだと思うな! 日々進歩しているのだ、こちらもな!」
昨今の黒竜軍の不気味な進化。汚染兵の発生やフォートレスドラゴンの出現。戦術すら駆使し始めた黒竜軍に、人類は後退を余儀なくされた。
しかし変化や発展しているのは敵ばかりではない。
生物として進化出来ないのであれば、技術を進歩させればいい。イリスの作り上げた回転式推進装置は、黒騎士の想定する敵戦力を明確に越えたものだったのだ。
「バルドディ、追撃!」
黒騎士の身のこなしは見事であった。生前はさぞ名のある騎士であったのだろう、だがイリスは感傷など抱かない。
すぐさま黒騎士を追うように指示するイリス。汚染兵といえど身体能力は人間と変わらない、生身でドラゴンと戦うのはかなり分が悪い。
踏み込もうとしたバルドディ。しかし、何かに気付いたかのように彼は足を止める。
「どうした?」
僅かに躊躇い、しかしバルドディはすぐに足を踏み出す。だがその猶予は黒騎士にとって充分であった。
黒騎士はいつの間にかいた別の黒竜に飛び乗る。
本来竜騎士と相竜は長い時間をかけて呼吸を合わせ、意思疏通を図るものである。ドラゴンを使い捨てにして乗り換えるなど、切迫した人類からすればあり得ない。
「物量のある軍はこれだから!」
数で勝り質で劣る相手ならばやりようもあるが、黒騎士の場合はそうもいかない。工学竜鎧やバルドディの存在といった優位があろうと、それすら覆されないほどに黒騎士の技量は高かった。
「そもそもどこから黒竜が、って―――」
イリスは言葉に詰まる。彼女が黒騎士に気を取られている僅かな時間に、周囲は汚染兵達に囲まれていたのだ。
その数、およそ100騎。何らかの作戦行動であることは明白だった。
素早く周辺の敵分布を把握し相手の戦術を読もうと試みるも、すぐイリスはいぶかしむこととなる。
「敵がいるのは『ここ』だけ?」
黒竜軍が展開しているのはイリスが現在いる、第四ブロック……狭所模擬戦エリアの外周だ。
まるで、今大会の出場選手を囲むような機動にイリスも敵の真意を計りかねる。
「くそっ、これじゃあ逃げられない!」
「なんなんだよこいつ等!?」
自ずとイリスの背後に集まる選手達。イリスとしては動きが制限されるので、微妙に迷惑である。
「一か八か抜けるか!?」
「いや、援軍、助けを待った方が!」
「俺達6人と街の警備、どっちを優先する! 来ねぇよ、助けなんて!」
ギイハルトの断言は事実であった。状況が不明瞭な以上、軍部もフランも騎士を現場から動かすつもりはない。
そもそもが、黒竜軍との戦争は常に想定外の連続。この状況を乗り越えられないようであれば、元より正規騎士として生き残ることは叶わないのだ。
「あ、あの、どうしましょうか軽銀さん」
「軽銀様、指示を」
「何故私に訊く?」
「この場で最も階級が高いのは貴方なので」
ごもっとも、とイリスは納得した。
「現状は様子見。敵の行動が読めない以上、迂闊には動けない」
周囲が封じられているなら上から逃げればいい、というわけにはいかない。
回転式推進装置を装備したバルドディなら楽に越えて飛べるが、体重の重い土竜は黒竜に対し、上昇力が特別優れているわけではない。
準騎士の彼等では元正規騎士であっただろう汚染兵を突破するのは難しいのだ。
そしてなにより―――
「こいつが、逃がしてもくれないかっ!」
再び攻撃を仕掛けてきた黒騎士に、イリスは交戦を受け入れるしかなかった。
イリスは黒騎士の意識が選手達に向いていることをしっかりと認識していた。隙あらば、イリスより戦力として劣る彼等を仕留めようとしているのだ。
この奇妙な状況に、イリスは混乱するしかない。
黒騎士がイリス達の排除を目的としているのは間違いないであろう。誰かを捕虜にしようとしているわけでもなく、殺意を以て殺しに来ている。
そして汚染兵の配置。彼等の目的は、どう考えても町郊外のこの場所そのものだった。
「何を考えている。黒騎士?町中にまで侵入して、なにを探っていた?」
この目立つ鎧姿で探れるのは、それこそ一般人と同レベルの情報であろう。軍施設や城などは外から眺めるので精一杯だ。
そこまで思考し、イリスは天恵の如く閃く。
「―――まさかっ!?」
イリスの脳裏に過った可能性、それを確認する為に彼女は目を凝らす。方角は街とは真反対の遠方。
つられ、ギイハルトを初めとした数名も彼方に目を細める。
「なにも見えな―――何か揺らめいているぞ」
「炎だ」
彼女の尋常ならざる視力には確かに見えた。
「炎を纏う、数百匹のドラゴンがこちらに猛進している」
さらりと告げたイリスの言葉は、その場の人間を凍り付かせる。
「な、んだと?」
「周りの先行部隊は露払い、いや誘導?」
「どういうことだよ」
「黒竜軍の目的は、あの軍勢を城に突っ込ませることだということだ」
燃え盛るドラゴンが隠れていたであろう丘。そこから一直線に荒野を抜け、難民街を乗り越え城壁の正門さえ突破してしまえば王城まで直通である。
「あいつ等の作戦だっていうのか! 城を、人類の中心を攻撃しようってのかよ!」
「それより更に奥、中心も中心だな。奴等が何故、準騎士親善競技大会当日などという特殊な日に作戦を決行したかを考えろ」
問われ、首を傾げるギイハルト。だがこの緊迫した状況で答えなどすぐには出ない。
「くそっ、知るかよ! あいつ等に深い考えなんてあるわけねえだろ!」
「4年前までならそんな楽観も許されたのだがな。答えは簡単、この大規模作戦の戦果を最大限にする為だ」
この世界、人類世界において最も重要な急所。それは人間を統べる存在、代理の効かない真の中心たる個人。
「フラン・ベルジェ・アーヴェルア……この国の王の所在がはっきりとしているタイミングを狙ったのだろう」
ふざけた行動発言の多いフランだが、一国の主としてそれなりに多忙な生活を送っている。現在位置を常に把握しているのはそれこそ本人のみであろう。
しかし、今日。大会当日に限れば、確実に貴賓席に……つまり城のバルコニーにいる。撤退の猶予も与えることなく城を火攻めしてしまえば、高確率でフランを葬れるのだ。
現実的にはこのような緩慢な手段で国王の殺害を果たせる可能性は低い。しかし、城を破壊されるだけでも政治機能は麻痺し人類は大きく弱体化するであろう。
黒騎士が街に入り込んでいたのは、フランを初め騎士達の警備配置を確認する為。イリスが知るよしもないが、更には城壁の扉を開く手筈も整えている。
「おい、どうする?」
「離脱するしかないだろう」
イリスは黒騎士を睨むままに応える。
鼻白むギイハルト。
「あの火竜を止めないのかよ?」
「アレを止める? 無茶をいうな、物量からして無謀だ。ましてや焼かれ理性を削がれている黒竜、死ぬまで止まるまい。それと、あれは火竜ではないぞ」
ギイハルトはドラゴンを土竜と水竜しか見たことがなかった為、それが火竜であると勘違いした。
既に大陸より姿を消した火竜だが、その外見は炎を纏っていたりなどしない。とはいえ街から監視する正規騎士すら勘違いしている者がいたので、一概にギイハルトを責めるわけにもいくまい。
「あれは油を浴びたただの黒竜だ。あの数のドラゴンを特攻兵器として使い捨てるとは、景気のいいことだ」
冷静に皮肉るが、イリスとて焦っている。炎で翼が焼け落ち飛行能力が失われているとはいえ、命尽きるまで突き進み暴れる存在となり果てている黒竜は、もう立ち止まることはない。正門に入ってしまえば、そのまま何もかもを薙ぎ倒してメインストリートを突破し、城に押し寄せることとなる。
つまりは、街の外で進行を阻止しなければならないのだ。
「逆にいえば、彼等とてあの火攻めが上手く正門に入る保証を持ち合わせていないということだ。故に、進路左右を汚染兵で囲み追い立てているのだろうさ」
「あの群れは羊、汚染兵は牧羊犬ってわけか」
「ああ、そして―――」
身構える黒騎士、イリスは目敏く察知しバルドディを軽く蹴る。
「―――黒騎士は切り込み隊長だ」
飛翔する黒騎士と黒竜。彼の目的は進路上の障害物、即ちイリス達の排除。
おそらくは急降下にて、イリス以外の選手を刈るつもりであろう。そう判断し、イリスは黒騎士を追う為に回転式推進装置の出力を上げる。
「お、おいっ!?」
「可能性があるとすれば私しかいまい、私が奴を殺す。精々生き延びろ、お前達がすべきはそれだけだ」
飛び立つバルドディ。黒騎士の撃破に成功すれば、周囲の汚染兵を討つことも容易くなる。汚染兵さえ討てば、火攻めの進路は失われ正門にすら到達出来なくなる。
或いは、街に侵入されたところで正規騎士が黒竜殲滅させられるかもしれないもの確かだ。しかし、街の外で退けるか街の中で退けるか否かは人類側の被害に大きく影響するであろう。
結果を望むのであれば何よりも、眼前の敵を倒すしかない。イリスはそう判断した。
剣の扱いが人並み程度のイリスはどうしても、地上戦や接近戦は不得手である。対し、空戦の適性は誰よりも高い。
命懸けの戦闘だというのに、イリスの頬は紅潮しうっすらと笑みすら浮かべていた。
その表情はさながら恋する乙女。男性であれば例外なく見惚れるほどの、美しい恍惚。
この少女の姿をした存在は、例え血に染まっていようと―――どうしようもなく空が好きなのだ。
バルドディは翼を大きく広げ急角度で上昇し、短時間で黒騎士の黒竜を追い越してしまう。完全に黒騎士の予想を越えた上昇速度だった。
当てが外れ、イリスとの空戦を強いられる黒騎士。しかしイリスは正々堂々、などという戦い方はしない。
上方より強襲、工学輪唱銃によるヒットアウンドウェイ。執拗に、何度も攻撃と離脱を繰り返し黒騎士を削る。
圧倒的な速度を活かした一撃離脱戦法。
それはあまりに一方的な攻防。イリスは攻撃する側から降りることはなく、黒騎士は終始防衛に専念させられる。
その様子を、選手や観客達は評価しつつも釈然としない思いで見ていた。
「強い、けどなんだあの戦い方?」
「チマチマと、せこくねーか?」
事態を飲み込んでいない故に、呑気に無責任なことを口走る観客達。
彼女とて手に汗握る格闘戦が出来ないわけではない。イリスは空の専門家であり、ドッグファイト技能も一級品だ。
しかし、空戦の極意とはアドバンテージを一つでも多く確保すること。例え騎士として卑怯者扱いされようと、イリスはお上品な対等の一騎討ちなどしない。
それは正しく猛攻であった。尋常の騎士ならば十回は砕け散っていたであろう精霊の雨。
だが、黒騎士は巧みな操縦と身のこなしによって射線より回避してみせる。
「撃たれてから避けているっ、なんて反射神経!」
黒騎士は徐々に高度を落としつつも、一発足りとも被弾しない。ひらひらと木の葉が落ちるように、裸馬だからこその軽さを活かし巨体を踊らせる。
それは演舞と見紛うほどに美しい、超一流の神業であった。
力任せで粗雑なイリスの戦術と、繊細かつ鮮やかな黒騎士の機動。彼等の戦い方は対称的でありながら、ハイレベルな高速戦であるという一点のみでは共通していた。
「ふふ、はははっ」
天も地も失われた酩酊感の中、イリスは楽しんでいた。例えそれが人命に関わる一騎討ちであっても、例え自身の命をチップとして賭けていても。
「小回りの利く敵には複数で追い詰めるのがセオリーだが、まあ単騎でもやりようはある」
どうしようもなく、恋する乙女の瞳となっていた。
「さあ、もう一曲踊りましょう」
自分達ならば到底凌ぎきれないであろう攻撃と、それを捌ききる黒騎士。同じドラゴンという生物に乗りながらも到底手出しを出来ない高みに、地上の選手達は見上げることしか出来ない。
「お、俺達も行動しなくていいのか?」
一人が、迫ってくる炎を纏うドラゴンを指差す。このままではすぐに、あの大群に飲み込まれるであろう。
黒騎士がいない今なら、空を飛んでやり過ごすことも可能かもしれない。
「なあ、汚染兵は俺達に興味がないみたいだ、早く後退して城壁内に退こうぜ!」
準騎士の一人であるウィリーが別案を出す。下手に行動して刺激するのは危険かもしれないが、元よりどのような選択をしても危険は拭えない。
「―――何言ってんだ、汚染兵を倒すぞ」
ギイハルトが意見を一蹴し、自身の意見を提示した。
「お、おい! 生き延びればいいって軽銀も言っていたじゃないか!」
「舐められてんだよ! ふざけやがって!」
憤るギイハルト。
「街に入れば死人が出るっていうのに、あいつは元より俺達じゃ無理って決め付けやがったんだ! その上逃げ回っていろ、だと!? ばかにしてるんだよ!」
「俺達が未熟者なのは事実だろ!」
「最前線なんだ、俺達は!」
叫び、一瞬の沈黙が降りる。
「撤退じゃねえ、退却でもねえ! ここで後ずさるのはただの敗退だ! そんな様で、生き残れるかよ!」
大剣を城門に向け、唸るように呟くギイハルト。
「前進だ。逃げるんじゃなく、戦術的に危険の少ない場所に飛び込むんだ。卑怯者呼ばわりは上等だが、逃げ腰野郎とは呼ばれたくねえんだ」
人類に退路などなく、ただ背水の陣が残るのみ。後退ではなく、積極的な抵抗でなければ生き残れない。
刹那的な思考に陥る選手達の中、ギイハルトのみが正しく戦略を、残酷な事実を俯瞰していた。
「……それって、ようはやっぱり撤退するってことだろ?」
「心意気の問題だ! 魔獣ってのは弱腰の獲物から狙ってくる!」
おぼろげながら、彼の言わんとすることを理解した一同。逡巡の後に覚悟を決めたかのように頷き合い、突撃陣形を構える。
「立ち止まれば後ろから殺される、行くぞッ!」
こうして、若い騎士達の『実戦』が始まった。
「東方より接近する火攻めに対し、準騎士が突撃陣形によって包囲突破を試みるようです」
近衛騎士がフランに報告し、彼女はジュースを啜りつつ声を漏らす。
「ぷえーぷえー」
「聞いていましたか陛下!?」
「聞いてたっつーの。おーい、宮廷魔導士の皆さーん」
真っ白な髪の老人が、テラスの奥より現れる。
「お呼びですか、陛下?」
現れたのはスティレット・アンドリュースその人だ。宮廷魔導士の長たる魔法大臣の彼は、フランとも極めて近い位置にある。
「魔導士にて、あの火攻めを吹き飛ばせ」
場の空気が確かに凍った音が聞こえた。
「……陛下、この位置関係から長距離魔法攻撃を行えば、準騎士達にも被害が及びかねません」
「知ってるよ」
「いえ、失礼しました。攻撃準備を開始します」
「たのまー」
スティアットとて解っている。5名の準騎士とクルツクルフの住民とでは天秤には掛けられない。イリスもまた然り、なのだ。
世界を変える天才が生き残る為に、国が滅んでは元も子もない。
しかし、それでも最低限の彼等に対する考慮は行うものと考えていたのだ。まだまだ諦めるタイミングには早すぎるのである。
だがしかしフランの決断が間違いなわけではない。行動が遅れれば遅れるほどに、街が危機に晒される可能性は高くなる。
スティアットは早急に手配出来る最大火力を準備することにする。
「第4位を呼べ」
「……あの方を、ですか?」
「そうだ。私としても心苦しいが、こんな時の為に軍属としているんだ。使わぬわけにはいかなかろう」
職務に忠実とはいえ、スティアットもまた人間。まして子供好きな彼にとって、『彼女』は使いにくい人材だった。
しかしそれでも尚、その人物の火力は魅力的であり。人類にとって、不可欠なカードなのである。
「黄金柏陽剣付金剛双翼勲章騎士 第4位ソフィアージュ様をお呼びしろ。作戦位置に着き次第、全力火力を火攻めに叩き込むように伝達するのだ」
一撃離脱戦法を繰り返すイリス、途切れることのない集中力にて回避し続ける黒騎士。
しかし優位は常にイリスにある。攻撃力、機動力共にバルドディが黒竜を大きく上回っている。
その差を埋めるのが位置エネルギー、即ち重力。黒騎士は高度を落とすことで加速し、その勢いを運動性に変換しているのである。
「貴方はきっと、かつて優秀な騎士だったのだろうな!」
イリスは戦いを通して黒騎士の生き様を垣間見ていた。彼の機動はあくまで騎士として王道のもの、決して現代航空力学に則った空戦理論などではない。
学問として洗練されていない感覚的、哲学的な戦術論。しかしそれでも尚黒騎士がイリスの攻撃を避けきれるのは、彼の積み重ねた技量と経験によるもの。
いったいどれだけ空を飛び続ければ、この空を根性論にて飛ぶ世界でこれだけ鮮やかな飛行が行えるのか。イリスはこの敵に対し、敬意すら覚え始めていた。
完膚なきまでに攻撃を完封されることに、イリスは焦燥を覚えそうになることを必死に堪える。
「焦ったら負けだ。焦れるなよ、イリス」
アドバンテージがある以上、戦術を変えるのは下策。下手に揺るげばそこに付け入られる可能性すらある。
だからこそ、イリスは攻撃をそのまま続ける。完全に対処されていようと、綱渡りを強いられているのはあくまで黒騎士なのだ。
何より、イリスは時間経過によって自身が有利となることを理解している。
迫る地面。彼等の高度は既に、50メートルを切っていた。
「さあ、地表近くだぞ! もう逃げ場はない!」
位置エネルギーを喪失してしまえば、敵は動きの遅いドラゴンでしかない。黒騎士は最後まで足掻くも、最期は黒竜を地面に叩き付ける結果となった。
墜落である。回避に専念するあまり、着陸体勢すら取れなかったのだ。
「―――終わりだっ!」
イリスは魔法機銃を放ちつつ高速詠唱用人工言語を口走る。
何度も繰り返し練習した、イリス御用達の攻撃魔法の一つ。
「食らえ、ウェイカブッ!」
第三級魔法ウェイカブ。ただひたすら強力な火球を産み出し対象を燃やし尽くす、局地殲滅魔法だ。
イリスの狙いは大雑把だったものの、しかし地上にて横倒しとなった黒竜と黒騎士とを直撃した。
勝利を確信するイリス。爆炎と粉塵に視界を遮られるも、第三級魔法の直撃に耐えられるはずもない。
しかしながら―――煙の晴れた先にいたのは、焼け焦げ死亡した黒竜のみであった。
「シッ!」
背後よりの殺気を感じ、考えるより先に無造作に剣を振るう。
黒騎士の剣撃。イリスの軽い切っ先とは対照的な、重く鋭い一撃。
防げたのは偶然と幸運であろう。イリスはただ一閃で吹き飛ばされ、バルドディより弾かれ宙を踊る。
イリスに代わりバルドディの上に立つ黒騎士。
「バルドディ!」
振り落とすのは当然として、イリスの叫びは相竜の身を案じてのものだった。
黒騎士の白兵戦戦闘力は尋常ではない。大きなバルドディには、背後に立つ黒騎士を攻撃することは難しい。
しかしながら、黒騎士はバルドディではなくイリスを追撃した。魔法を使用し辛うじて着地したイリスに、黒騎士は狂戦士の如く飛びかかる。
逃した、とイリスは悟った。
「逃した、せっかくのチャンスを、逃した!」
黒騎士に対する優位は失われた。降下中は絶好のチャンスであったが、完全に着地されてはいけなかったのだ。
黒騎士は騎士としての技量に対し、ドラゴンの能力が釣り合っていない。空中にある限りは、ドラゴンこそが足枷となってしまっていた。
しかし完全に地に足を着けてしまえば、後は黒騎士としての能力を完全に発揮出来る。むしろそちらの方が厄介であると、イリスは察していた。
「バルドディ!」
小回りの効かないバルドディでは黒騎士との接近戦は行えない。幸い彼の背中には遠距離攻撃を可能とする火器が存在し、イリスを安全圏よりサポートすることに支障はなかった。
しかし、イリスの指示はバルドディの予想外のもの。
「―――離脱、戦域より離脱しなさい!」
イリスの指示は不合理極まりないものだった。接近戦が不得手なイリスが、最大の有効な攻撃手段である相竜を遠ざけるなどとても正解とはいえない。
だがバルドディはイリスをそれなりには信頼していた。奇妙な指示に、問い掛けることなく従う程度には。
黒騎士は牽制の魔法を回避しつつイリスに迫る。生身での対応に迫られた彼女は覚悟を決め、正眼に剣を構える。
イリスの動体視力ならば、初撃は防げるかもしれない。しかし二撃目は絶望的であろう。
一撃だけ凌ぐ。その後、何らかの活路を見い出し体勢を建て直すしかない。あまりに分の悪い状況に、彼女とて渋面を隠せない。
その時、端目に一匹のドラゴンを捉える。距離は数百メートル先、騎乗者は小さな人影一つ。
スティアットの手配した魔法使い。イリスはおおよそ、フランの思惑について想像出来ていた。
「―――まあ、いいだろう」
それでも尚、イリスはふてぶてしく笑う。
伸るか反るか。伸るしかないのなら、伸ってやろうではないか。
「来い、黒騎士ッ!こちとらか弱い少女だ、せいぜい手加減しろ!」
彼我が肉薄し、剣が激突する。
刹那、二人の世界を閃光が埋め尽くした。
「『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』えんどえんど」
気の抜けた詠唱。『少女』の唱えた高速詠唱用人工言語は、一息にて全てを唱え尽くす。
第一級魔法エンド・エンド。莫大な魔力にて精霊を狂乱させ、秩序を崩壊させることで一定範囲を物理法則から消滅させる最上級魔法。
まさに世界の終わり。宇宙の果てにて実行される神秘は、地上にて局地的な再現を彩る。
史上数人しか発動成功しなかった究極魔法を発動したのは、イリスより尚幼い少女であった。
爛舞騎士第4位ソフィアージュ。彼女は騎上にて魔法の爆心地を見つめ、ふわぁ、と大きく欠伸をかいた。
原子どころか、光すら呑み込まれる深淵。直径約一キロメートルの球状空間を抉るエンド・エンドは、戦場を無差別に消滅させていく。
火攻めに使用されていた数百の黒竜は当然。一帯の地面も大気を始め、周囲を包囲していた汚染兵までもが消し飛んだ。
「んだよ、これ……」
決死の突破を試みたギイハルト達の判断は、結論からして正解であった。選手達は辛うじてだが、攻撃範囲から離脱していたのだ。
もし安全策を打って緩慢な脱出手段を選んでいては、間に合わなかったかもしれない。彼等は盛大に肝を冷やした。
「極大魔法? 古文書でしか読んだことないぞ」
「今の時代に担い手がいたのかよ」
凡そ人間の領域を越えた業。そんなものが、あまりに唐突に目の前で使用されたのだ。
「……人類、勝てるんじゃね?」
「ばかやろ、それで勝てるんなら60年前に戦争は終わってるっての。けど……」
だが、こういった暴虐を成し遂げる英雄がいたからこそ、人類は今日まで生き延びてきたのである。
フランが火攻めを強引に凪ぎ払うことをイリスは予想していた。故に、黒騎士もまた離脱の必要性が生じることを。
「『 』『 』『 』『 』―――ドリタール」
イリスと黒騎士の剣劇は一太刀で終わった。高速詠唱用人工言語によって唱えられたイリスの魔法は彼女自身の剣を変形させ、黒騎士の剣身に絡み付いたのだ。
流石の黒騎士も虚を突かれる。何せ、イリスが使用した魔法は戦闘用の魔法ですらないのだ。
第六級魔法ドリタール。これは本来、『作業用』の魔法だった。
像を形作ったり、建物を建てるなどといった用途に利用される日常で活躍する魔法。本来騎士が習得しているはずのない、物作りを行ってきたイリスだからこその魔法であった。
「ふん、どうする? 剣を捨てて逃げるか?」
背後より迫る死の気配。エンド・エンドの殺意にイリスは笑う。
「底の知れないお前のことだ、何があるんだろう?」
振り払おうと黒騎士がイリスの細腕を握るも、するりとかわし背後にしがみつく。
腰から抜いた汎用ナイフを鎧の隙間に差し込み、黒騎士にがっちりと固定した。
「せっかくだ、私も連れてけッ!」
図々しく注文するイリス。
黒騎士の豪腕を以てすればすれば容易く落とせるも、寸前にまで迫った魔法の脅威に時間的余裕などない。
彼のとった選択は行動であった。即座に踵を返し、脚部に魔力を集中させる。
すぐ側にいるイリスにも聞き取れないほど小声での、黒騎士の魔法詠唱。自身より遥かに巨大な敵の背中。
宿敵に背負われる形となっているイリスは、鎧から零れ落ちる血に「汚染兵の血も赤いんだな」と場違いなことを考える。
黒騎士はとにもかくにも加速を開始した。如何なる手段か、数歩でのエンド・エンド攻撃範囲よりの離脱。
「うひゃあぁ」
イリスが振り落とされなかったのは僥倖であった。魔法の補佐こそあれど、数秒にて200メートルを駆け抜けた経験など彼女にもない。
空気が弾ける音。生身であれば鼓膜にもダメージを受けていたであろう、イリスは歯を食い縛って耐える。
絡まった剣と突き刺さったナイフが抜け落ち、イリスは宙を舞った。
ゴロゴロと大地を転がる。不自然な方向に腕が曲がり、よろよろと立ち上がる。
地面に落ちる影。頭上を睨めば、フルフェイスのスリッド越しにイリスを見据える黒騎士の姿。
イリスはとても戦闘続行が可能な状態ではなかった。魔力も尽きかけ、全身は傷だらけ。骨折も一ヶ所二ヶ所ではない。
澄んでいた金髪は煤け乱れきっており、まさに満身創痍であった。数百キロの速度で落下したのだ、当然といえる。
対し黒騎士は一部の負傷以外、さほど大きなダメージを受けているようには見えなかった。
戦闘が続くものと予想し、次の手を思案する。しかし、黒騎士は剣を鞘に納めた。
「……撤退、これ以上の戦闘は無意味ということか」
考えてみればその通りなのだ。火攻めが止められた以上、彼にはここに留まる理由はない。黒騎士が撤退することは当然。
背を向け去り行く黒騎士。正規騎士の追撃部隊が動き出しているかもしれないというのに、その歩みはどこまでもマイペース。
まるで人類など脅威として捉えていない、と言わんばかりに。
「またいずれ会いましょう、黒騎士」
イリスには予感があった。彼とはまた殺し合うのだろうと。
妙な友情や親近感すら感じ、イリスは黒騎士を見送る。バルドディが降りてくるまで、視線が揺るぐことはなかった。
突然の襲撃より3刻。政府により人類は勝利を納めたことと民衆に広報され、事態はおおよそ収拾していた。
火攻めに使用された黒竜の殲滅は当然として、汚染兵も一名を除いて壊滅。対して人類に戦死者なし。間違いなく大勝と称していい。
そも、元より彼等の攻撃は無謀な策であった。無傷で凌げるかはともかく、とてもフラン殺害まで至れる方法ではない。
だがそれでも、人類の首脳部は大手を振って勝利を喜ぶ気にはなれない。
不意を突かれ、翻弄され、人類そのものの未来を閉ざされる可能性すらあった。この状況が発生したこと事態が敗北といえるのだ。
貴賓席として使用されていた、王城のバルコニー。権力者達が退去した後も、二人の小さな人影はそこに残っていた。
すっかり沈んだ太陽。闇に佇むのは、国王フランとイリスその人である。
未だ台無しとなった準騎士親善競技大会の後始末に追われる騎士兵士を見つめ、フランは静かに呟く。
「なあ、イリスよ」
「はい」
「うんこしたい」
「早くお手洗いに行って下さい」
仕事に追われていたのでトイレに行く暇もなかったことは判るが、それなら一言そう言えばいい。なぜ大か小かまで報告するのかイリスは理解不能だった。
「怪我の具合はどうだ、イリス?」
「治癒魔法は便利ですね、癒着ばかりは医学でもそうそう加速させられません」
骨や筋肉が無事くっついた腕を振り、関心したように頷くイリス。
「便意を消す魔法ってねーのかよ。宮廷魔導師も無能だなっての」
「部下にクレーム入れる前に、トイレ行きなさい」
「一緒に行こうぜ」
「……まあ、構いませんが」
おてて繋いで城の廊下を歩く二人。すぐに女子トイレに辿り着き、二人はそれぞれ個室に入った。
「覗くんじゃねーぞ」
「何故その発想に至ったのか心から不思議です」
薄い仕切り越しに話す二人。
「やれやれ、これじゃあ嫌われ損じゃねーか」
唐突なフランの言。脈略も主語も欠けた内容に、しかしイリスは苦笑する。
薄い仕切り越しでなければ懺悔も愚痴も出来ない身分。彼女の生まれながらの不自由を憐れに思いつつ、相応に気儘に生きているフランに「やっぱりいいか」と思い直す。
「嫌いませんよ」
フランは王として適切な判断をした。彼女のそういった顔を見ることはこれまでも時折あったので、特別驚きはしない。
「しかし、やっぱり母上は見間違えていたようですね」
「ん? お前のかーちゃんがなんだって? 弟か妹の製作作業を見ちまったのか?」
「いや、父は戦死しているのですが」
「半分しか血が繋がっていない弟か……インモラルだな」
イリスは何がだ、という返事などしない。話を進めねば延々とエロトークを続けるのがフランという少女である。
「実は母と二人で町中を回っている時、黒騎士らしき人影を見てはいたのです。報告しようかとも考えたのですが母上が彼は父の幼馴染みのゲキさんだと言うので、報告は控えました。まったくややこしい」
イリスの立場からすれば、結局町中で見た人物が黒騎士であるかゲキ氏であるかなど今更判断はつかない。
「……ゲキなら知ってるぞ、騎士団の副団長ともなれば顔くらい覚える」
「そうなのですか? なら、ややこしいから、せめて鎧の色を変えるように命じて下さい」
「奴は戦死している」
「えっ?」
「4年前、マザーフォートレスと交戦した第三騎士団副隊長ゲキは、お前の親父と共に行方不明となっている。実質的な戦死扱いだ」
困惑するイリス。死んだ人間が町中を歩くはずがない。
「母上はゲキ氏の死を知らなかった? いや、それより―――」
ゲキ氏が死亡しているとなれば、町中で見た黒い鎧は黒騎士であったと確定したようなもの。しかしそれ以上にスマートな矛盾を解消する解釈も存在する。
「黒騎士―――ゲキ氏が汚染兵化した存在、ということか?」
イリスが数百キロで落下して生きていたのは、根本的に異世界人が地球人より頑丈だからです。イリスはドワーフのクォーターなので尚更頑丈です。