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貴女への地図  作者: 高階珠璃
episode1 三角点
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 部屋の大きさもあるので、家電は必要最低限にとどめた。テレビを買うかどうかで議論するほどの倹約ぶりだ。俺はそもそもテレビが嫌いなのでそんなものはいらないと主張したのだが、芽依は静かすぎると落ち着かないと言い張った。結局テレビは買わなかったが、代わりにCDプレイヤーを買った。今時CDなんてと思うかもしれないが、やはり生のCDで聴いたほうが何かこう、落ち着くのだ。


 今は近くのホームセンターを渡り歩いて雑貨を物色している。家具などはお互いのものを持ってくる手筈(てはず)なので、あくまでインテリア的なものを。

「ねえ、お布団どうしよっか?」

「どう考えても二組は敷けないもんな」

 布団。家具家電の大半が見積もってある中、唯一不透明な問題だ。俺たちははじめ、それぞれ自分の布団を持ってきて敷けばいいと思っていた。だが如何(いかん)せん一人暮らしを想定した部屋だけあって、布団を二組も敷くようなスペースは存在していなかった。そのことに俺は……いや、しっかりしている芽依も、どこに何を置くか考えるうちに気付かなかったわけではない。ただ何というか、あえて目を逸らしてきたというか、何って俺にはこの問題を円滑に解決する方法が一つしか思い浮かばなかった。そんなのとても言い出せっこないけど。


「――あっ、このクッション可愛くない?」

「そうだけど、俺も暮らすっていうのにそれはちょっと可愛すぎないか?」

 淡いピンク地に白い花びらが控えめに散るそのクッションは、まるで初めから芽依のために作られたと思ってしまうほど、よく似合っている。黙って彼女の腕から引き抜くと、もとあった棚ではなく俺の買い物かごの中に入れた。

「あれ何? 買ってくれるの?」

 それには何も言わず、俺は早足でレジへと向かった。訝しげな芽依と目下の問題から逃げるように。



 ***



 日が落ちてからも、雲ひとつない晴天なのは変わらなかった。東京ではまず見られない星々の合唱には、いささか圧倒されてしまう。芽依から言わせればこれもいつもどおりのことらしいが。


 元々今日は夕方のうちに芽依の実家に戻る予定だった。だがあの後ホームセンターを出たあと、情けないことに俺たちは迷子になってしまったのだ。見ず知らずの土地だからというのもあるが、地図を持ち合わせていなかったのがデカイ。自慢じゃないが、俺は地図さえあればどんな土地でも絶対に迷わない自信がある。幼少期からどんな本より地図を所望するような変わり者だったことが幸いしたというべきか。そんな地図好きな少年が大学で地理学を専攻したいと言い出しても、誰も驚きはしなかった。家族皆が揃ってああそう、みたいな半ば呆れたような顔をしたのを思い出し、思わず苦笑が漏れた。しかし全く、こんな時に限って俺のスマートフォンは電池切れで、馴染みの地図アプリを起動することも出来ないだなんて。


 そんなこんなで、俺たちは未だに部屋にたどり着けずにいる。芽依の家具を届けた足で俺たちを連れて帰るはずだった芽依の両親は、家具だけ置いて帰ってしまった。バスと電車で帰ることになるのだが、そうなると交通費が馬鹿にならないんだろうな。

「央芽ぁ、少し休もうよ。私これ以上歩けないよお」

「休むっつったって――」

 そんなことより早く帰らなきゃ、という言葉が出かかったが、寸前で飲み込んだ。両手に紙袋を抱えた芽依は、あの再会したときなんて目じゃないほどしんどそうだった。体を動かすことに慣れている俺でさえ、荷物を抱えた腕や一日中酷使したふくらはぎがパンパンになる程だ。芽依のか細い腕を見るだけで痛々しい。


「おっ、いいとこめっけ」

 象を形作った滑り台と二つのブランコ以外遊具のない小さな公園。一つだけあるベンチに、芽依は迷わず座り込んだ。

「はああぁ、やっと座れたあ」

 芽依は右手で足をさすりながら、左手で腕を揉む。気持ちはわかるが、マヌケな光景だ。

「――何よそんなニヤニヤして」

「んいや、何でも」

 そう言いながら、唇を尖らせた芽依の隣に座った。座ってからちょっと近すぎたなと後悔したが、わざわざ身体を離すのも変だ。右腕に感じる暖かさや柔らかさを考えないようにと意識すればするほど考えてしまう自分が憎たらしい。


「――たしね、」

「うん?」

 腕が触れ合っていることなど全く意識する素振りも見せず、芽依は向かいにある象を見つめたまま続けた。

「私ね、ずっと年上のきょうだい……特にお兄ちゃんが欲しかったの。困ったことを相談出来て、気張る必要もなくて……思いっきり甘えられるような」

「えっ?」

「だから、ずぅっと央芽に会いたかったの。ほら私、父方の親戚の中だと一番年上だし、家でもお姉ちゃんだし」

 こちらに向き直った芽依は照れたようにはにかんだ。普段の柔和な笑みも充分魅力的だが、この表情は何というかもう、反則だ。つい言うつもりのなかったことまでが口から漏れる。


「俺もな、ずっと妹が欲しかったんだ。普段年上ばっかに囲まれて甘えることには不自由しなかったけど、甘えられることってなかったからな。それこそお前以外には」

 言いながら照れくさくなってきて、俺はそっぽを向いた。――と、芽依が俺の肩にこてんともたれた。驚いて振り返ると、目の前にゆるみまくった芽依の顔があって、彼女を凝視したまま固まってしまった。おそらく人生で一番――大学入試の本番で重要な公式が丸々吹き飛んだ時など目ではないくらい、頭が真っ白になった。

「同じだね、私たち」

「……ああ」

「何で今までもっと会えなかったのかな?」

「さあな。でも今はこうして会えてるし、四月からは嫌でも毎日一緒だぞ」

「嫌なんかじゃないもん」

「言葉のあやだよ」

 むくれる芽依を見ていると思わず笑みが溢れた。少し――結構照れくさいけど、甘えられるってことはこんなにも心臓を掻きむしりたくなるものなのか。普段感じることのなかった心地よさに、このまま死んだっていいとさえ思えた。


「ありがとな」

「うん?」

「わざわざ東京まで会いに来てくれて、俺の近くの高校に行ってくれて、俺と一緒に住んでくれて、ありがとな」

「――ぷぷっ」

 芽依は吹き出したことを悪びれる素振りもない。

「まだ学校行ってるわけでも住んでるわけでもないのに、央芽ったら気早すぎだよ。ふふふっ」

「なっ――」

「でも嬉しかったよ」

 涙を拭いながら芽依は、小さく呟いた。



 どれほど肩を寄せ合っていたのかはわからない。一分かもしれないし、十分かもしれない。はたまた一時間かも。心地よい沈黙を破ったのは芽依だった。

「ねえ央芽、家の方角って覚えてる?」

「方角……あの店からは北の方だったと思うけど。何で?」

「あれって北極星、だと思うんだよね」

 芽依の指の先にある、眩く黄色に輝く星。なるほど確かに北極星だ。すぐ近くにあるアルファベットのWの形をしたカシオペヤ座がそのことを裏付ける。

「そうか。あれに向かってけばよかったじゃん。俺としたことがうっかりしてた」


 方角を調べる際北極星を目安にするのは古来から使われている方法だ。ちなみに現在の北極星はこいぬ座のポラリス。北極星は数千年毎に移り変わり、一万年前はこと座のベガ。一万年後ははくちょう座のデネブがそれに当たる。

「何かさ、北極星と三角点って似てるよな」

 再び重い荷物を提げて歩きながら、ふと思いついた。芽依はただ怪訝な表情をするのみだ。

「三角点っていうのは地図を作る上で設置された測量点みたいなものなんだ。ほら、見たことないか? 四角くて十字に彫られた石碑。山頂とかに多いんだけど」

「うーん……何かそれっぽいのは見たことあるような気がする。でも何で似てるの?」

「それは、北極点も三角点も、方向性こそ違うけどどちらも見るものを導くというか、基準になるというか、そんな気がしたんだよ」

 理解に苦しむ様子の芽依になるべく噛み砕いて説明したけれど、うまく伝わってないみたいだ。自分でも何を言ってるんだと思うほどなのでそれも致し方ないが。


「おっ、これって俺たちのアパートじゃないか?」

 先ほどの公園から一分足らずのところにあった。よくよく考えたら公園からアパートが見えないこともない。灯台下暗しとはまさにこのことだ。

「本当だねえ。まるで灯台下暗しだ」

「……っくくく……ぷはははは」

 戸惑う芽依を見ながらも、しばらく笑いが収まらなかった。



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